42(壮太の手紙)
健が連れて行ったのは僕の家の裏手にある大きな倉庫でした。
そこが健の自主練場所だったのです。
親父の家に来て間もない頃、夕方になるといつも金属バットでボールを打つような音が二階の僕の部屋まで聞こえて来て、誰がやっているのだろうと興味を持っていました。
暫くしてぱったり聞こえなくなったので、少し寂しく思っていたのですが、練習していたのが健だったとは驚きでした。
その倉庫は父親が健の練習用に作ったものとの事で、天井が高く、バッティング用のネットまでありました。
まずキャッチボールから始めました。
僕は祖父とやって以来ですから一年半くらいのブランクがあったのですが、すぐにカンが戻りました。
健が僕のボールを受ける毎に、「いいね~」とか、「ナイスボール」と言ってくれるのが、とても心地良かった事をよく憶えています。
そのうち健が黙り込み、ユニフォームの袖で何度も頬を拭うようになりました。
父親がまだ元気だった頃、一緒に練習した事を思い出して悲しくなったようでした。
気がつくと僕も泣いていました。
僕たちはお互いの涙に気づかないふりをして、黙ってキャッチボールを続けました。
涙が乾いてからバッティング練習をしました。
僕がトスしたボールを健が打つのですが、初めてとは思えないくらい、うまくいきました。
「俺たち、気が合うんだな」
と健に言われ、僕はどうでもいいような顔をして、
「そうかあ」
と答えました。
でも内心は、まさに天にも昇るほどの喜びを感じていました。
それから毎日練習に付き合いました。
ある時、キャッチボールをしながら、どうして他のみんなと同じように僕を無視しないのかと聞いてみました。
「そういうの好きじゃないから。元々和也が言うようなヤツには見えなかったし。オレ、選球眼いいんだよ」
健はそう言って笑いました。
僕たちは急速に親しくなりました。
でも僕は健に迷惑をかけてはいけないと思い、外で自分から声をかける事はしませんでした。
健は遠征でよそに泊まる時以外、自主練を休まなかったのですが、僕は飽きたとか、億劫だとか思った事は一度もありません。
ボールを拾い集める事すら、楽しかったです。
僕は生まれて初めて、人の役に立てる喜びを実感しました。
中一で同じクラスになれた時は、とても嬉しかったです。
そして今度こそ心を入れ替えて、みんなと協調していこうと決心しました。
健の友達としてふさわしい人間になりたかったのです。
健と同じクラスなら、それも不可能ではない気がしました。
でもその思いは初日に早くも打ち砕かれました。
前にも話した入学式の日のカツアゲ事件のせいで、小学校時代の僕を知らない生徒にも危ないヤツだという噂が広まってしまったのです。
中学でも健以外に僕を好意的な目で見てくれる人は誰一人としていませんでした。
僕は孤独でした。
健は相変わらず人気者で、いつもたくさんの仲間に囲まれていました。
上級生や他のクラスの女子も健を放っておきませんでした。
だから同じクラスになっても校内でゆっくり話す事は不可能だったのです。
僕の順番が回って来るのは野球部の練習が終わった後の自主練の時だけでした。
その時間はまさに‘至福の時’でした。
練習の合間にいろいろな話をしました。
互いの悩みも打ち明け合いました。
豪快そうに見える健には、驚くほど繊細な部分がありました。
健は母親もチームメイトも知らない弱い部分を僕にだけ見せてくれたのです。
彼女が出来た時も、事細かに教えてくれました。
一番印象に残っているのは手を繋いだ時の話です。
「女の子の手って、ちっちゃくて柔らかくて、あったかいんだなあ」
健はその感触を思い出すように自分の手のひらを見つめ、頬を紅潮させていました。
自分には一生無縁の事だと思い、僕は複雑な気持ちでそれを聞いていました。