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「ありがとう」
一呼吸おいて、そう言った壮太の声には何の感情も感じられなかった。
「オレもえり子の事、好きだよ。だけど・・・」
「だけど、何?」
「おれがえり子を好きな理由は、えり子がオレに優しくしてくれるからなんだよ。だからオレはえり子を好きなんじゃなくて、えり子に優しくされるのが好きなんだ。えり子だって、オレ自身が好きなわけじゃないと思うよ。例えばえり子はケーキが好きだよな? それは自分の嗜好に合っておいしいと感じるからで、別にケーキを愛してるわけじゃないだろ? 同じようにたまたまオレに何か、えり子の趣味嗜好に合う所があっただけなんだよ」
「ケーキと人間は一緒に出来ないでしょう?」
「いや結局は同じだよ。自分が好きな事、したい事をする、自分がしてもらいたい事をしてくれる人、自分にとって都合が良い人を欲する、自分が好きな物を欲する、全部自分の為、イコール自己愛だね」
「だけど全然好みじゃないし、何のメリットもない人を好きになる場合だってあるじゃん?」
「好きになるポイントは微妙だからね。わけもなく惹かれるとかいうのは、自分でまだ気づいていない趣味嗜好がそうさせてるんだよ。 ひどいヤツだってわかってるのに別れられない人は、虐げられながらも耐えて、相手に尽くすのが好きなんだ。それを相手への愛情と錯覚してるだけ」
「そんなふうに考えたら、空しくならない?」
「元々愛なんて空しいものさ。だからそんなものの為に悩んだり苦しんだりするのは、時間の無駄なんだよ」
「面白いなあ・・・」
私は思わずため息をついた。
「今、壮太が言ったのは、恋愛に限定した事なの?」
「いや、愛情全般に言えると思うよ」
「つまり壮太は自己愛以外の愛は存在しないと思ってるのね?」
「うん」
「そうかぁ」
私は考え込んでしまった。
壮太の言う事を完全には否定出来ない気がしたのだ。
私は壮太の為と言いながら、壮太自身の事はあまり考えず、自分が壮太にしてあげたい事をしていただけなのかも知れない。
それでは自己愛と言われてもしょうがない。
でも全てがそれだったとも思えない。
純粋に壮太を愛する気持ちも絶対にあった。
自己愛ではない愛がある事を壮太に教えてあげたい。
何か良い例はないだろうか?
自分の身内の事を言うのは気が引けた。
壮太の唯一の友達である岩村との事は殆ど知らない。
他に共通の知り合いと言えば…
「ねえ壮太、エイプリル先生にお世話になった事、覚えてる?」
「もちろん覚えてるよ。なんで?」
「あれ、私たちへの愛だと思わない?」
「そうかなあ?」
「うん。少なくとも、土曜日のクラスにもぐらせてくれた事や、次の先生を紹介しようとしてくれた事は自己愛じゃないよ。だって先生には何のメリットもないでしょ? それどころか、バレたら問題になるような事じゃない? 壮太は先生がそうしたかったから、したっていうだけの事だと思う? 人に優しくするのが好きだからとか、バレたら大変っていうスリルを楽しみたかったから、とか思う?」
「そんな事は思わない。純粋に親切でしてくれたんだと思うよ」
「親切っていうのは自分じゃなくて、相手の為を思ってする事でしょ? それなら愛っていう大きな括りの中に入るんじゃない? だって愛と好きは同一線上にあって、好きな気持ちって書く好意は親切と同じ意味じゃん?」
「なるほど、うまく結びつけたね」
壮太は少しだけ笑った。
皮肉っぽさは全く感じられなかったので、私は話を続けた。
「一口に愛って言っても、恋愛とか家族愛とか師弟愛とか、いろんな種類があるよね? で、その性質も、いつも同じじゃなくて様々に変化すると思うの。単なる錯覚や幻想だったりする事もあるかも知れないし、ある時は自分の為、ある時は純粋に相手の事を思って、またある時はその両方が混ざり合ったりしてるかも知れない。本質を見極めるのは本人ですら、とても難しいんじゃないかな? だから人から与えられる愛を全て相手の自己愛と決めつけてしまうのは、傲慢だと思うんだよね」
「傲慢…?」
壮太は斜めになった体を起こし、背筋をまっすぐにして座りなおした。
そして
「オレ、自分では結構謙虚な方だと思っていたんだけどなあ…」
と首をひねった。
私は少々表現がキツかったかも知れないと思ったが、敢えて暫く何も言わないでいると、壮太は深いため息をついた。
「えり子の言うとおりだ。オレ、確かに傲慢だった。先生の授業、出席人数を増やすために出てやってるんだ、みたいな気持ち、ちょっとあった」
「そうなんだ」
「あんなによくしてもらったのにな。自己愛だのなんだの言う以前に、人間として失格だ。恥ずかしいよ」
壮太が本気で落ち込み始めたので、私は慌ててフォローに回った。
「全然そんなことない。愛の存在そのものを否定する人には、やっぱりどこか歪んだ部分があると思うけど、壮太の場合は自己愛をちゃんと認識してるから、何も問題ないと思うよ」
「でも自己愛だけじゃ、どうしようもないだろ?」
「よく自分を愛せない人間は他人も愛せないって言うじゃん? だからきっと自己愛が愛の基本なんだよね。みんなそこから出発して、他者への愛し方を学んでいくんだよ。 壮太だって自分で気づいていないだけで、もうちゃんとわかってるんじゃないのかな?」
「う…ん」
「壮太は今までに好きになった人、本当にいないの?」
「いない」
「でも告白された事はあるでしょう?」
「東京に来てからは何度かある」
「鳥取ではなかったの?」
「うん。向こうではオレ、変人の危ないヤツって思われてたから」
「そうなの?」
私はなんでそうなったかを聞きたかったがグッと我慢して、かわりに
「告白して来た人たち、全部振ったの?」
と聞いた。
「うん。全部って言っても、数えるほどしかいないけど」
「可愛い子とか、きれいな人とかセクシーな人とか、いたでしょ?」
「いたよ」
「ちょっとくらい迷わなかった?」
「全然。話した事もないのに、いきなり付き合って下さいなんて言って来るヤツは信用できないよ。それにタケルの話とか聞くと、カノジョがいたらいたで、いろいろ面倒くさそうだし」
「ふうん。でもエッチはしたいんだね?」
私はちょっと皮肉っぽく言った。
「そんな非難するような目で見るなよ。一種の排泄行為なんだから仕方ないだろ? 最初は自分で処理すればいいと思ってたけど、一度タケルに誘われてソープへ行ってみたら、スーッとして気持ち良かったんだよ」
そう言うと、壮太は困ったように頭をかいた。
「えり子にはどんな事でも言えちゃうんだよな」
「でも今のはちょっと、ぶっちゃけ過ぎじゃない?」
「失敬」
壮太はふざけた感じで両手を合わせ軽く頭を下げた後、急に真面目な口調になった。
「でもオレ、結婚はやっぱりどうしてもイヤだ」
「うん。いいんじゃない? 無理に結婚しなくても」
「えり子もそれでいいの?」
「いいよ」
「ホントに?」
「うん」
私は大きく頷いた。
「ありがとう」
オレンジ色の小さな明かりのもとで、壮太がニヤッと笑ったのがわかった。
ニコッではなく、ニヤッと。
「えり子ぉ」
「なあに?」
私は引き気味に聞いた。
「また襲いたくなってきちゃった」
そう言って壮太は私の胸におでこをすり寄せて来た。
結局目的はそれなの?と一瞬問い質したい気持ちになったが、壮太と別れずに済むなら、そんなのもう、どうでも良いと思った。