3.二千翔、異世界で目覚めてしまう。
小林が言った。
「――お前が考えている通り、お前たちは日本からここ、アスピカネラの地に転移してきたのだ」
――転移。
予想はしていたが、実際に告げられると思いのほか、動揺してしまった。
「……っ!」
俺は言葉がでなかった。俺は。
「す、すごいです五樹君! 予想通りじゃないですか!」
「転移ねぇ……。やっぱりわたし、よくわからないわ」
無邪気な四織と、無知な一乃に少しだけ緊張がほぐされる。
「一乃、転移ってゆうのは――まあ、小林とやらがきっと説明してくれる」
「あら、嬉しいわ。お願いしますね、小林さん」
「あ、ああ。説明させてもらおう……神官長の命令だしな……」
小林は一乃をちらりと見た後、一つ咳払いして言った。
「――お前たちは転移してきたのだ。俺のトランスキル『ザ・トランスポート』によってな。ここは、アスピカネラの地と呼ばれている世界だ。地球とは別次元にある世界、いわゆる異世界だ。と、俺は認識している」
「い、異世界、だと……? アスピカネラの地? 外国とかじゃなくて?」
「そうだ」
「そんな馬鹿な! 異世界なんてあるわけないだろ!」
「お前は察しがいいのか悪いのかわからんな。近ごろはわりとすんなりと受け入れてくれる子たちばかりだったぞ。聞けば、日本では異世界転生や転移の小説やアニメが流行っているそうじゃないか。知らんのか?」
「俺はオタクじゃねえ!」
「そうか」
あるいは三歩ならその辺の知識は豊富だろうが……。あいつ、騎士の奴らが頑張って起こしているけど一向に起きる気配がない。
受け入れる……しかないのか。ここで俺がうだうだ言っても、話が進まない。冷静になれ。俺が堂々としていないと、姉たちを不安にさせてしまう。
「――その、トラン、スキル? とはなんだ!?」
俺は、小林に問いかけた。先ほどから気になる、謎のワード。
「ああ、トランスキルか。――トランスしたスキル。人知を超越した能力だ」
「なんて?」
「女神様から分け与えていただいた能力だ。お前たちをここに転移させたそもそもの原因は、この『トランスキル』にある。日本から来た奴らは、ユニークな能力に目覚めやすいからという理由からだ。俺のトランスキル『ザ・トランスポート』のようにな」
「……女神? から能力を分けてもらう?」
俺の頭の中は今、ハテナマークで埋め尽くされている。くそ。ファンタジーがすぎてフリーズしそうだ。
「うーん……。わたし、小林さんの説明を聞いてもさっぱりだわぁ」
一乃は何やら必死に考えるそぶりをみせているが、理解が一ミリも追い付いてない様子だ。
四織は……俺たちの話そっちのけで、通学用のリュックをごそごそやっている。あ、何か取り出した。飴だ。四織は周りをキョロキョロした後、飴をこっそり口にいれた。
まあ、いい。とりあえず一乃と四織は放っておく。
「女神の血潮を取り入れることによって、トランスキルは発現する。そうだな、発現率は一割ってとこか。どのようなトランスキルが発現するかは、個人の本質に大きく由来するのだ。例えば俺は、日本では大手企業の配送ドライバーをやっていた。毎日毎日、大量の荷物を抱えて家々を回ったものだ――」
突然、小林の自分語りが始まった。遠い目をしていた。
「――つらい、毎日だった。重い荷物を抱えて五階建てのアパートを何度も往復したり、何度訪れても不在だったり、商品が雨に濡れていたと客に罵倒されたり……。何度思ったことか。商品を一瞬で目的地に届けられたらいいのにな、と」
「ううっ。小林さん……辛かったね」
一乃が涙を流して、小林に同情心を向ける。
「ありがとう、俺のために泣いてくれて。――そんな俺に発現したのが『ザ・トランスポート』だ。俺が知りうる特定の二点間において、物質を瞬間移動させることができるスキルだ。まあ、そういうわけだ」
「どんな能力が発現するかってのはわかった。でも発現率一割は低すぎだろ。なのに俺たちをこんなとこまで転移させて連れてくるのは、横暴だろ!? ってか何でトランスキル持ちが必要なんだ? 女神の血潮って何だよ!?」
一気にまくし立てた。どう見ても正論だろう。俺の言ってることは何も間違っちゃいない。
俺の言葉を受け、小林が顔をしかめた。イラついている様子だ。
「――神官長様。説明はもう十分でしょう。特攻服の子と、着ぐるみの子は一向に起きる気配はありませんし、強引にでも儀式の方を始めてもいいのではないでしょうか?」
「え、儀式?」
説明を切って、小林は神官長に問うた。
「いいだろう。どの道、トランスキルが発現しないのであれば、いくら説明しても無駄になる。――女神の血潮を持ってまいれ」
神官長が、傍らに控えていた騎士に命じた。
「いや、無駄になるって……発現しなかったらどうするつもりなんだ!」
配膳用の台車のようなものを、騎士の一人が押してやってきた。その上には、精緻な細工が施されたグラスがのっている。ゆらゆらと、赤い液体が揺らめくグラスが。
「まあ、つべこべ言わず――飲むがいい」
「あっ、くそ。離せっ!」
いつの間にか寄ってきていた騎士どもに、羽交い絞めにされた。赤い液体が入ったグラスが、俺の口元に迫りくる。
「こ、こんなわけわからん液体飲めるか……!」
抵抗むなしく、口をこじ開けられた俺は、赤い液体――女神の血潮を喉奥に流し込まれた。
どろりとした液体だった。味はしなかったが、流し込まれた喉が熱くなり、胃に落ちた後は、身体の内部が熱くなり、その熱は手足の末端まで広がっていく。
俺は、床にへたりこみ、ただ見ていることしかできなかった。
「――わわっ。らら、乱暴はダメですよ……!」
目端に、手足をバタつかせて抵抗する四織が見える。
一乃は素直に飲んだのか、自分でグラスを持っている。
騎士たちは、いまだ寝ている二千翔と三歩の身体を起して口をこじ開け、女神の血潮を飲ませていった。
「な、なんか身体が変な感じです」
「うーん……。腰に力が入らないわぁ」
どれぐらい経っただろうか。身体の熱さとダルさでしばらく俺たちは呆然としていた。
「五人とも飲み干したようだな。早ければそろそろトランスキルが発現する頃合いか。――ソトムラよ、トランスキルの鑑定を」
「へい、神官長様」
神官長に仕える白いローブの集団から、痩せた陰鬱そうな男が躍り出た。ソトムラと呼ばれた男が、俺たちにトランスキルが発現したかどうか、鑑定するらしい。
しかし、俺はそれどころじゃなかった。
プラチナブロンドに染まったロングヘアーと、難解な刺繍が入った特攻服に身を包んだ女が、ゆったりと起き上がってきたのだ。
「――ああ、気持ち悪ぃ……。最っ悪の目ざめだなこれは……」
鈴村家で最も危険な女が、目を覚ましてしまった。