12.四織、郷に入っては郷に従う。
どうしてこうなったの。
私はただ、いち姉がいつもつくってくれてたカレーライスに想いを馳せていただけなのに……。
「勝負は、単純明解だ。時間無制限、どちらかが戦闘不能になるか、相手に参ったと言わせた方の勝利だ。武器の使用、およびトランスキルの発動は自由。立会人はこの私、一年次クラスの教官、サイデルが執り行う事とする」
「異論はない! 俺は、このクソニホンジンの女をボコボコにできればそれでいいからな!」
「い、異議あり、です……。 あ、あの私、戦ったこととか、なくてですね……。あの、そもそも何で、戦う必要があるのかと……」
「俺程度の奴とは戦う価値もないっつうことか!? クソがっ! なめやがってっ!」
「あ、いやだから……違いますって……」
「だまれっ!」
「ひぇっ……!」
カレーみたいな色の頭をした男の子――フレデリク君は、怒り心頭のようで私の話なんて聞いてはくれない。きっと、今さら謝ったって無駄だろう。
講堂から場所を移して、私はわけもわからずここ、第一闘技場へと連れてこられた。
サイデル教官は、私に言った。「シオリの能力を推し量る手間が省けたな」と。「存分に力を発揮するがよい。プレミアム組の生徒たちに格の違いを見せつけてやれ」とかなんとか。
普通に、無理です。
第一闘技場は屋外にある、アリーナタイプの闘技場だ。中央のグラウンドには私と、フレデリク君が向かい合っている。フレデリク君の後方には、少し離れてプレミアム組の生徒たちが観客席に座っている。皆、鋭い視線で私を睨んでいる。
特に、一番後ろの席でふんぞり返っている男の子。大きな身体で、腕と足を組んで私を睨んでいる。あの男の子だけ、なぜか私と同じ黒スカーフだし。他はみんな白スカーフなのに。
怖い。
怖すぎて、私はあちこち視線を泳がせる。
一部、フレデリク君陣営の生徒たちとは離れて見ている子もいた。
「あの子は……日本人? かな……?」
他の生徒とは離れて、一人でぽつんと立っている女の子。年齢は私より少し上ぐらいか。生徒は、金髪やら茶髪やらの明るい髪の色をした子が多いけど、女の子の髪は真っ黒だ。黒髪ぱっつんストレートで、逆に目立っている。
「あっ。もしかして――」
私と同じ、日本から来た転移者なのかもしれない。
うん。絶対、そうだって。顔のつくりも日本人だもん。
よく見たら、あの女の子のスカーフも黒だ。
女の子は、遠巻きに私を見ている。私は、彼女に向かって軽く会釈をしてみた。同郷の先輩だし、後で目をつけられたら怖いし。
「……っ!」
「ええぇ……。そっぽ向かれちゃったよ……」
女の子は、私の仕草に気づくと少し驚いた反応をして、その後、ぷいっと顔をそらした。
「クソニホンジン! 余裕かよ!? よそ見してんじゃねえ!」
「し、してませんよ!」
見られてた。フレデリク君、目ざとすぎ。もう、何でそんなに私を目の敵にするの? なんだかさっきよりも、怒りが増し増しって感じだ。
「気に入らねえんだよ! ニホンから来た転移者ってだけで、簡単に女神の血潮を与えられてよお! 俺たちが女神の血潮を得るために、どれだけ厳しい訓練に耐えてきたのか、お前は知らねえだろ!」
「はあ……」
知るわけないよ。私だって、好きで連れてこられたわけじゃないし、女神の血潮だって無理矢理飲まされたんだ。
「しかも、ニホンから来た奴らはとぼけた顔して、しれっと高グレードのトランスキルに覚醒しやがる……! 俺たちが欲しくて欲しくてたまらないものを、お前らは簡単に手に入れやがるんだ!」
「そう、なんですね」
うーん……。だからといって、私に怒りの矛先を向けるのは納得できない。
「どう考えても理不尽だろ? 俺には、お前をボコボコにする権利があるんだよ! なあ、皆もそう思うだろっ!?」
フレデリク君が、後ろの観客席で見守っているプレミアムクラスの生徒たちに同意を求める。歓声が沸き、闘技場の熱が一気に上がった。
「この状況、私の方が理不尽じゃないですか……」
独りごちる。
もうやだ帰りたい。家は無理でも、せめて寮に帰りたい。
私は今から理不尽に、フレデリク君にボコボコにされるの? こんな大勢の人の前で? 嫌だ嫌だ嫌だ。無理。ほんっとに無理です。
でももう――逃れられそうにない。
やるしかないのだ。
「そろそろ始めるとしようか。――シオリよ。これはあくまで模擬戦だ。少々の怪我は仕方ないが、致命傷に至る事はない。その前に私が止める。安心して力を発揮するすがよい」
「はい……わかりました」
力を発揮する――。
私が持っている力といえば一つは、トランスキル「Re・クリエイション」。
神殿での騒動で初めて発動した時は、床から壁を出現せさせることができた。壁をつくる事ができるなんて、私にはお似合いのスキルだ。
その一件以来、発動したことはないけどたぶんできると思う。なんていうか……例えば鉄棒の逆上がりなんて、小学生の時以来したことないけど、きっと今でもできる自信がある、みたいな。
もう一つ。私には、ちょっとだけ自慢できることがある。目立たない事だけど、これは喧嘩最強で運動神経抜群のちか姉よりも唯一、私が勝っていることだ。ちなみに大食いではない。
この二つをうまくつかって、私は模擬戦を乗り切るしかない。
「では二人とも。よろしいか?」
「もう待ちきれねえよ。早く、始めてくれっ!」
「は、はい」
「これより、スズムラ・シオリとフレデリク・レイムズの模擬戦を執り行う。――始めっ!」
待ったなし。
模擬戦が始まった。
「覚悟しろっ、クソニホンジン!」
「ううっ……!」
殺る気満々なフレデリク君に、たじろぐ私。フレデリク君はどこからだしたのか、両腕に金属製の、剣道で使うような小手をはめている。
――ガッキーン!
フレデリク君が、金属性の小手をはめた拳を叩き合わせた瞬間。バチンと火花が弾けた。拳には赤色の光を纏っている。
「いっくぜぇ、トランスキル『ファイアクラッカー!』。おらああああぁ!」
フレデリク君が助走をつけて跳躍。飛びすぎだって。五メートルは飛んでるんじゃないの? 人ってそんなに飛べないでしょ!? っゆうかこれ、避けなきゃ死んじゃうかも!?
「わわっ!」
拳が当たる寸前。とにかく私は一心不乱に、避けた。四つ這いで、自分で言うのもなんだけどまるでゴキブリみたいに、横にさささっと。
「痛っ!」
逃げたお尻に、割れた地面の欠片が当たる。
さっきまで私がいた場所の地面が、フレデリク君の拳によって抉れている。
「ひえぇ……」
当たってたら本当に死んでいたかもしれない。
「はっ。うまく避けたなクソニホンジン。これはあいさつ代わりの一発だ!」
「あ、あいさつ代わり?」
えっと。それは比喩なの? もちろん比喩だよね?
うーん。でもトランサ民どうしの戦闘では開始時に、あいさつ代わりに軽くトランスキルを打ち合うって作法がある可能性も、無きにしもあらず。
ボクシングの試合開始時に軽く拳を突き合わせる動作みたいな。
郷に入っては郷に従えって言うし。
であれば私も――。
「――どうだ、俺のトランスキルの威力は? 我が故郷バーンズ伯爵領は、火打石の産地として有名だ。そこで育った俺に与えられたのが、『ファイアクラッカー』。殴った対象物に火花を散らし、爆発させ――」
「よ、よろしくお願いしまーすっ!」
「――ることがでぎべやああああっ!」
トランスキル『Re・クリエイション』。
フレデリク君の足先に、壁を出現させた。壁は高速でせり上がり、フレデリク君の顎下を突き抜けた。宙を舞って、地面に叩きつけられたフレデリク君は、ぴくりとも動かない。
「あ、あれ。なんで? あいさつ代わり……」
いい所に入りすぎちゃった!? え、どうしよう。
「ふむ、素晴らしい。無慈悲なる一撃だ」
サイデル教官が、手放しで褒めてくる。無慈悲って。私は、ただ挨拶を返しただけのつもりなんですけど。それよりもフレデリク君、動かないんですけど。
「も、もしかして、しし、死ん……」
「安心せい、シオリ。フレデリクは仮にもプレミアム組の生徒だ。プレミアムクラスのトランサ民は、常人の十倍程度は身体能力が強化されておる。これしきのことでは死にはせん。じきに起きるであろう」
「あ、そうなんですね」
確かに。私もトランスキルに覚醒してから随分と身体が軽かった。そういうわけか。
「まだ、フレデリクは参ったと言っておらんぞ。警戒を怠るな、シオリよ」
「あ……はい」
フレデリク君が、よろよろと起き上がってきた。
「……ちくしょ……頭がくらくらするぜ……。クソニホンジンが……油断した」
どうやらフレデリク君は無事のようだ。少し、安心した。けど、一つだけ言いたいことがある。
「あ、あの……フレデリク君」
「なんだ」
「その、ですね。ち、ちゃんと避けるか、防ぐかしてくれないと、ダメじゃないですか」
「なんだと!?」
「フレデリク君が、私のあいさつ代わりで死んじゃったかと思って……。あの、私、心配しましたよ。良かった、です。へへっ」
「……っ!」
思ったより元気そうなフレデリク君の姿を見て、思わず笑みがこぼれた。
「腐れ外道がっ! なめやがってもう許さねえ、本気でぶっ潰す!」
「く、くさ……げ、外道!?」
暴言が過ぎて、ちょっと意味がわからない。なんでよ? 私がこんなひどい事を言われたって知ったら、姉弟たちが悲しむよ。
傷つくを通り越して、ちょっと怒りが湧いてきた。
それなら――。
「わ、私だって本気だしますよ!」
「いいなぁ! とことんやり合おうぜ!」
やり合わない。
私は本気で、逃げますから。