1,生と死の境界線
何もない。此処には何もない。何もない無の中を、俺は漂っていた。
此処には何もない。何もない無の海だ。その海の中、俺はぼんやりと思考を繰り返す。此処は恐らく死そのものなんだろう。死んだら最終的に無へと行き着く。
だからこそ、此処には何もない。しかし、なら何故俺は此処に存在しているのだろうか?死ねば全てが無へと行き着くのなら、何故俺は無くならない?
考える。そもそも、俺は本当に死んでいるのだろうか?
別に現実から目を逸らしている訳ではない。ただ、これは純粋な疑問だ。
俺はまだ無へと行き着いていない。いや、或いはこれはただの死ではないのかもしれない。
死した魂は最終的に無へと行き着く。或いは、無へと行き着かない為に何らかの救済措置があるのかもしれないけれど。それでも今、俺は無を知覚している。
何もないを知覚している。それはいっそおかしな表現かもしれない。けれど、それでも事実として俺は無を知覚しているんだ。なら、そういう事なのだろう。
此処には何もない。そしてだからこそ全てがこの完全なる無を起点にして存在している。此処は全ての始まりなんだと思う。全ての始まり、起点なんだろう。
なら、此処に俺が存在しているのはイレギュラーなんだろう。
問題は、そのイレギュラーがどうして起きたかだ。
そもそも、俺は一体何だ?全ての人類は、生まれた頃から固有宇宙という異能を持つ。しかし俺はそれを持たずに生まれてきた無能者だ。
だが、本当に俺は何も持たずに生まれてきたのだろうか?
そもそも、固有宇宙とは一体何だ?何故、このような力を持って人間は生まれてくる?
固有宇宙。それは人のカタチをした単一の宇宙。
恐らく、それは個々人が持つ心のカタチなのだろう。或いは心に存在する宇宙観か。
それはいっそ、魂の持つ超自然的エネルギーと呼んでも良いかもしれない。
ああ、なるほど?そう思わず俺は納得した。これこそが、全ての生命に始まりから与えられた救済措置なのだろう。
救済措置。全ての命あるものに対する、これは祝福なのだろう。
或いは、祝福という名の原罪なのかもしれないけれど。
其処はまあいい。問題は、俺が自身の固有宇宙を知覚出来ずに育ってきた事だ。
全ての人類は、固有宇宙という名の異能の力を持つ。遥か昔、そうでなかった時代が存在したと祖父から聞いた事がある。しかし、現に今は全ての人類が異能の力を持っている。
それは、魂の持つエネルギーを現実に引き出す御業なのだろう。
なら、俺は?
今、俺は確かに確信していた。恐らくだが、俺はまだ死んでいない。
なら、まだ大丈夫だろう。もうしばらく、俺は此処で自分と向き合ってみよう。
そうすれば、きっと何か分かるだろうから。そう信じて、