【第09話】転生者
体内の血管を通じて血が流れるように、血が巡る道に魔力を通すイメージを思い浮かべる。
繰り返しイメージすることが重要だと、先生役であるエリスからの指導を思い出して、瞑想をしながら神経を末端まで研ぎ澄ます。
「トウマ。……トウマ」
魔力が耳まで流れたおかげか、遠くから俺の名を呼ぶ声も、はっきり聞くことができた。
集中していた瞑想を中断し、目を開いた俺は後ろに振り返る。
森の中から身体の一部だけを出して、俺の名を呼びながら手招く、黒蟻人のシラヌイが目に入った。
なんの用事だろうと、座っていた岩から立ち上がる。
足元から聞こえる声に目が向き、村を一望できる崖上から、いつもと違う風景を覗き込む。
辺境の田舎村にしては、今日は来客が多い。
普段は見かけない、天蓋付きの荷馬車がいくつも停まっている。
その中でも特に目立つのは、いかにも身分の高い人が乗ってそうな、高貴な作りの荷馬車だ。
貴族のお嬢様のお迎えがようやく到着したことで、村の者達は失礼がないようにと、朝から出迎えの準備で忙しかった。
大勢の来客が訪問した時に一番活躍するであろう、村で唯一の食堂を経営するナミタさんは、早朝の仕込みを終えてからは、人目につかない店の奥に籠ってるはずだ。
黒蟻人になってしまったナミタさんを見られた場合、魔物として討伐される可能性は高い。
ありがたいことに、うちの村はナミタさんの境遇に同情的な人が多いので、村の外から来た人間に姿を見られないよう、皆が協力してくれていた。
貴族のお嬢様を含め、幼いケティーの泣いてるところを見たいと思ってる人間は、村には誰一人いないだろう。
この忙しい時に、店主であるナミタさんがいないのは痛手だが、手の空いてる村の女性達が協力し合って、来客を迎えるための準備に追われている。
高貴な作りの荷馬車から、いかにも貴族らしい風貌の者が顔を出す。
遠目で分かりにくいが、村長と貴族のお嬢様が対応しており、それなりに身分の高い者だとは分かる。
もう少し観察をしたかったが、自分を呼んでいた者がいたことを思い出し、森の方へと向かう。
「呼びましたか、シラヌイさん」
外から人間がやって来たので、下手な混乱が村に起きぬよう、気を遣って樹々に身を隠した黒蟻人に声を掛ける。
「トウマって、十六って聞いたけど。ホントか?」
「……はい。本当ですね」
開口一番に、なぜか年齢を聞かれた。
地球時代からの年齢を加味した精神年齢は別として、今の肉体年齢としては事実だから、肯定するように頷く。
転生した時の年齢も、十六だったしな。
「じゃあ、私とおないじゃん」
「おない?」
蟻の四本脚で茂みをかき分けて俺の方へ近づくと、ボブカットの黒髪少女が身を乗り出した。
「私と同い年」
急接近した互いの顔を、人差し指で交互に指差し、年相応の嬉しそうな笑みを浮かべた。
でも、すぐに三白眼の目を細めて、緊張した顔で周りをキョロキョロと見渡す。
「エリスって、近くにいないよな?」
「……晩御飯に使う山菜とか、採りに行ってるから。今はいない、かな」
いつもなら、さん付けで呼ぶエリスが近くにいたら困るのか、シラヌイがしきりに周りを警戒している。
――嫌われ者の魔女として有名な――闇精霊族が村の中をウロウロしてたら、騒がれてうるさくなるのは分かってるから、エリスは森の奥へ出掛けていた。
もし、エリスが不在中に山賊が襲撃して来ても、貴族を守る護衛役の人もいるし、村の安全は守られてるからと説明したら、真剣な顔をしたシラヌイが、黒い瞳で覗き込んでくる。
「なあ、トウマってさ……。もしかして、転生者?」
シラヌイの口から出た言葉に、胸がドキリとした。
エリスが近くにいないタイミングで、俺に声を掛けた意味を考えた後、俺はシラヌイの黒い瞳を見つめ返し、無言で頷く。
俺はシラヌイとは違った意味で、周囲を警戒した。
シラヌイが転生者であることは、とある場所で転生前に見た記憶があったから、そこまで驚きはしない。
むしろ、シラヌイの発言した内容に、アイツが反応しないかを警戒する。
アイツがいきなり現れてから、二日も経つ。
あれから、アイツの接触は無かったが……。
「いちおう、森にも何体か潜ませてるし。なんかあったら、すぐに教えてくれるから。たぶん、大丈夫だろ……」
エリスが近くにいないかを、俺も気にしてると勘違いされたのか、近くに他の蟻人がいることをシラヌイが教えてくれた。
アイツが出現しないか様子を見ていたが、特に何も起きない……。
シラヌイが喋った転生の話は問題無くて、俺が口に出した未来の話が、やっぱり出現のトリガーなのか?
「やっぱ、そっか……。最初は、こっちの人間かと思ったけどさ。なんか、すっごい浮いてるからさ。もしかしたらって、思ったんだよな……」
「浮いてる?」
「顔が全然違うじゃん」
どうやら俺の顔が、彫りの深い西洋人顔じゃなく、東洋人顔だと言いたいらしい。
あの村の中だと、たしかに東洋人顔は俺一人だけだろうから、目立ちはするだろうな。
シラヌイの顔を見た時、東洋人どころか国も同じ気がしたので、こっちから逆に尋ねてみた。
「へー。関東なの? 都会じゃん……」
「都会、かな? 電車通学だったけど、一時間くらい掛かりますよ」
同国ではあったが、同県ではなかったようだ。
「ていうか、敬語やめろよ。おないなんだし」
転生前の俺が同郷の国出身だと知ったからか、シラヌイが俺との距離感を一気に縮めてきた。
相手の要望に応えて、同い年の学生になったつもりで、言葉遣いをタメ口に合わせる。
「おないって、初めて聞くけど。もしかして、方言?」
「……え? おないって、標準語じゃないの?」
「たぶん、違うと思うぞ……。関西の方言かな? タメとかは、よく聞くけど」
「へー。そうなんだー。トウマ、物知りじゃん」
すっかり砕けた口調になったシラヌイが、嬉しそうにニシシシと笑う。
蟻の足を折り曲げ、ヤンキー座りのように蟻のお尻を地面につけて、リラックスした体勢になった。
腰を据えて、俺と話し込む気が満々の態度だ。
俺も手頃な場所に、腰を下ろす。
まるで学校帰りに、コンビニ前で駄弁る学生だな。
「シラヌイって、転生した時のこと覚えてる?」
「ん? ……覚えてるけど」
「あの時、人が大勢いたよな?」
「おー。いっぱい、いたな」
過去の記憶を手繰り寄せながら、その時に体験した、気になったことを尋ねてみる。
「アイツと、ナニか契約した?」
「契約? ……したな」
「へー。俺さ……。なんか、やらかしたみたいで。契約できなかったんだよな……」
それを聞いたシラヌイが、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「トウマ、契約してないの? もったいな」
急に上から目線の態度になったシラヌイの背後から、黒い触手が現れた。
「この尻尾、便利だぜ。トモダチがいる限り、無限コンテニューができるし。スキルの使い方も教えてくれるからな」
「それさ。みんな貰ったの?」
「んー。どうだったかなー……。周りにいたヤツは。何人かは、尻尾生えてた気がするから、そうじゃねぇの?」
俺の持ってる記憶と似てるな……。
シラヌイらしき女の子の周りに、たしかに尻尾が生えたヤツは何人かいた。
嘘は、ついてないのか?
「もしかして、トウマ。魔王になるの、断ったのか?」
「断った」
「マジか。すげぇな、お前……」
即答した俺を見て、シラヌイが唖然とする。
なにがすごいのか分からないが、それを決断したのは過去の俺なので、今の俺にはどうすることもできない。
「チートなしで、異世界転生スタートとか。死に戻りでコンテニューしまくりじゃなきゃ、無理ゲーじゃん」
死に戻りの言葉が耳に入って、おもわず周囲を警戒する。
「身体も、モンスターじゃないし。ていうか、人間だよな? もしかして、夜になったら変身するタイプ?」
「……いや。夜になっても、満月になっても、変身はしないよ」
シラヌイとの会話が中断されることもなく、特に何かが起こる気配はないようだ。
「でも、最近。やっと魔法が覚えれたよ。エリスのお陰でね」
そう言いながら視線を上げると、苦虫を噛み潰した顔をしたシラヌイと目が合った。
「トウマさ……。よくあんなバケモノと、一緒にいられるよな」
見た目も能力もバケモノな君が、それを言うんだとは思ったが、口には出さなかった。
「アレと最初に会った時、絶対死んだと思ったもん。転生スタートしたら、まずはチュートリアルで、雑魚と戦うのがテンプレじゃん? いきなりラスボスが出現して、クソゲーて叫びそうになったからさ」
エリスと初遭遇した時の記憶を思い出したのか、両手で自分の身体を抱きしめて、シラヌイが身を震わせる。
「氷の剣を出してさ。手足バラバラにされて。トモダチの身体を使って復活しても、全部殺されてさ。死ぬか、契約するかどっちか選べって脅されて……」
「契約? どんな契約したの?」
「服従……。奴隷契約ってヤツだろ? その代わりに、巣を潰さない約束をしてくれた」
不満げな顔をしながら、シラヌイが肩を落とした。
「死にたくなかったし。巣を潰されたら、コンテニューできる身体が無くなるからさ……。それをされたら、ホントに詰みゲーじゃん?」
なるほど……。
前から気になってた、エリスとシラヌイの関係が、なんとなく把握できたな。
互いの態度から、友人同士ではないと思ったが、主従関係のイメージが近いのか?
「トウマってさ……。エリスと、付き合ってるの?」
「……え?」
考え事をしていた頭に、豪速球の質問がぶん投げられて、思考がフリーズする。
「な、なんで?」
「いや、だって。いっつもお前ら、くっついてるし。一緒に暮らしてるんだろ?」
「……暮らしてるな」
「ベッドも同じ?」
「一緒、だな」
「恋人じゃん」
「お、おう?」
そこだけを切り抜くと、世間一般でいうところの恋人のイメージには近いよな。
でも、お互いに告白は、まだしてないし……。
恋人かと聞かれると、よく分からない関係だよな?
友人以上、恋人未満?
「いや、でも。ホント、一緒に住んでるだけで」
「アイツの血、飲んだところを見てたけどさ……」
「ん?」
「お前、頭おかしいよな。そこまでして、あんなバケモノと一緒になりたいとか。もしかして、ドMか?」
「いや、アレは……。うーん……」
言い訳しようと思ったが、客観的に俺達の関係を見たら、いろいろと説明が難しいところはあるな……。
俺の怪我を治すためとはいえ、血を飲ませる女と、それを素直に飲み干す男。
傍から見ると、猟奇的な関係だな。
「エリスとは、まあ……。いろいろ、あったんだよ、うん」
「お前が変態でも、別にいいんだけどさ。ぶっちゃけ、助かってるし」
いきなり変態扱いされたことは流石に抗議したかったが、沈痛な面持ちで俯くシラヌイを見て、言葉に詰まる。
「アイツ、ホント怖かったんだよ……。私のこと、虫を見るような目で見てきて。一緒にいても、息が詰まるし……。でも最近は、機嫌が良い時が多いから。ちょっとは喋りやすくなった、かな?」
ぎこちない笑みではあるが、前より酷い扱いをされてないことは感じ取れた。
二人の間に俺がいなかった世界線では、どんな関係を二人は築いてたんだろう……。
「あー、でも詰まんないなー。新しい身体も手に入れたのに、森に引き籠ってばっかりだし……」
腕を伸ばしたり曲げたりして、パキポキと関節を鳴らしながら、シラヌイがストレッチをする。
「アイツらが帰ったら、山賊を探しに行ってもいいか? パソコンもスマホも無いし。暇で、暇でさ……」
「いや、駄目だ。いま来てる人達は、お嬢様を襲った山賊を探すために来てるんだから。もうしばらく我慢してくれよ」
村長と話していたことを思い出し、森の外に出たくてウズウズしてるシラヌイを説得する。
「そいつらはいつ、いなくなるんだよ。そいつらがいなくなったら、森の外へ散歩に出ても良いのか?」
「いや……。それは、まずいかな? 万が一、誰かに見つかった後、噂が街まで広がって。モンスターを狩ることを専門にしてる奴らが来たら、いろいろと面倒だし」
俺の説明に、シラヌイが目に見えて不満げな顔をした。
数日を森の中で引き籠って、ストレスが相当に溜まってるんだろうか?
「とりあえず、山賊に襲われた時に、逃げ延びた人がいるから……。その人が襲われた場所を調査して。二、三日くらい村の周りを探して、何も見つからなければ、応援に来た人達も帰るだろうって、村長が言ってたから……。その後に、そうだな……。エリスと相談して、シラヌイが外に出掛ける方法を考えようか?」
こちとら異世界生活を何年もやって、お偉いさんの用事に巻きこまれたりして、何日も待たされることには慣れてるが。
パソコンもスマホを取り上げられた現代っ子からすれば、自然に囲まれた田舎村でぼんやりと一日を潰すのは、苦痛なのかもしれない。
「あ? 逃げたヤツって、誰だよ」
「……お嬢様を、護衛してた人だろ?」
「山賊って、この前の奴らだろ? アレに負けるなんて、雑魚じゃん」
「数が多かったんじゃないのか? それか、ムチャクチャ強いヤツがいたとか?」
「ていうかさ。護衛が逃げるくらいヤバイ奴らが、なんで村まで来ねえんだよ? お嬢様を狙ってるんじゃ、なかったのかよ。アレから、何日経ってんだよ」
「それは……」
シラヌイの愚痴を聞いてた俺は、言葉に詰まった。
少数の山賊をなんとか撃退して、それ以降は村に誰も来なくて、俺はとても安堵した。
お嬢様のお迎えがようやく来て、肩の荷が下りたつもりになってたけど。
言われてみれば、たしかにシラヌイの言う通りだ……。
護衛が逃げたのなら、そのまま他の山賊と合流して、一緒に村を襲えば良い話だよな?
「なんでだろうな?」
「あん?」
なんだろう。
この言葉にできない、胸にモヤモヤした、違和感みたいなものは……。
俺の脳裏に、どこかで見た記憶が蘇った。
「どうした、トウマ? 怖い顔して……」
口に出そうとした言葉を呑み込む。
シラヌイの肩越しに、アイツの影が一瞬チラついた気がしたが、瞬きした時には誰もいなかった。
見間違いだろうか?
「おい。トウマ、どこへ?」
「悪い。ちょっと、村長のところに行って、確認したいことがある」
戸惑い顔で尋ねるシラヌイから視線を外し、俺は急ぎ足で森を抜ける。
あの夢で見た記憶が、もしかして……。
俺に関係する、未来の話だとしたら?