【第08話】魔法と干渉者
「マドウケツロ?」
「そうよ。小難しい言葉を使うとしたら、魔導血路と言うかしらね……」
俺の目の高さにあるエリスの足が、空中をピョンと跳ねる。
軽快に飛んだ足が、再び俺の目線にあるナニかを踏み、緑色の淡い光が波紋のように広がった。
水溜りを跳ねるように、風の魔法を用いた空中歩法を実演しながら、先生役となったエリスが魔法の講義を続ける。
「血が巡る道に、魔力が通ってる状態ね。今のトウマが、それなの。精霊族の血を飲んだことで、トウマのココから魔力が溢れるようになったのよ」
エリスが心臓のある位置を、指先でトントンと軽く叩いた。
「へー……。一つ質問」
「なにかしら?」
「精霊族の血を飲んだだけで、魔法が使えるようになるのか?」
「それは無理ね。魔法が使えないニンゲンの身体を、魔法が使える身体へ変えるのは、精霊族の血を飲むだけじゃできないわ」
俺の質問を即座に否定し、エリスが首を横に振った。
「私が血を与えたら、精霊族の生命力で、傷が癒えるかもしれない。でも、それ以上を望むなら、それに値するものを譲り合わないといけないわね……」
「譲り合う?」
「契約が必要になるのよ。魔術を探求するニンゲン達が、喉から手が出る程に欲する、精霊族の叡智を。タダであげる馬鹿が、どこにいると思う?」
それは……。
いないだろうな……。
でも、俺が魔法の知識を貰ったということは、俺が何かをエリスに与えたということか?
「もちろん、トウマから貰えるモノは貰ったわよ……。ナニを貰ったかは、秘密にしておくわね。フフフ……」
その含み笑いは、ちょっと怖いのですが……。
精霊族の知識を得た代価に、お前の命を頂いたとか、悪魔的な取引はしてないですよね?
「心配しなくても。トウマに危害を加えるような、契約はしてないわよ」
俺の顔色が、悪くなったからだろうか。
エリスが苦笑しながら、手をヒラヒラと横に振った。
「次にいくわよ? 魔法を発動させる方法は、大まかに分けて二つ」
スカートを履いた膝を折り曲げ、空中で屈んだエリスが、指を二本立てる。
「外血系と内血系の二種類ね。まずは外血系。魔導血路に魔力を通して、魔法を外に出すタイプ。今の私が使ってる魔法が、外血系の風魔法よ」
腰と膝を折り曲げ、膝下を両腕で抱えた姿勢で、エリスの身体がクルリと横回転した。
「あとは氷柱を作ったり、火の玉を投げたりするのも、外血系の魔法ね」
空中で一回転をした後、姿勢を正して、地面にゆっくりと着地する。
「ニンゲンの場合、魔法を発動するために詠唱を必要とするわ。でも、精霊と共にある精霊族は、詠唱を必要としない」
エリスがそう言いながら、手を前にかざす。
人間が魔法を発動する場合、詠唱に合わせて外側の細い帯状の円が、真上から時計回りに具現化する。
外円である第一紋が完成した後に、内側の魔法陣を具現化するのが、常識なのだが……。
エリスは人間の魔術師に必要な過程を飛ばし、呼吸をするように外円と内円の魔法陣を、同時に展開した。
人間の魔法は、発動されるまでの進捗状況を、魔法陣を展開するスピードから予測できる。
でも、それが精霊族には通用しない。
本のページを一生懸命にめくりながら魔法を作り出してるのが、人間の魔術師だとすれば。
鞘から剣を抜くスピードで魔法を作り出すのが、精霊族だ。
人間の魔術師が、速攻魔法で勝負をして、精霊族に敵わない理由がよく分かるな。
第一紋の魔法により、氷で精製されたナイフが、空中をフワリフワリと浮遊している。
腰ベルトに提げた鉄製のナイフを取り出し、エリスが氷のナイフも手に持って、互いの刃をコンコンと軽く叩いた。
「氷柱は形がシンプルだから、簡単にできるけど。魔術師の才能と訓練を繰り返せば、同じ形のナイフも作り出すことができるわね」
「……すごいな」
鉄製のナイフと、エリスの作り出した氷のナイフを並べてもらい、改めて比較する。
細部まで本物そっくりで、唸るような感嘆の声を、おもわず漏らしてしまった。
エリスも胸を張るような仕草で、ちょっと自慢げな顔をする。
「ここまでいろいろと、外血系の説明をしたけど。残念ながら、トウマは使えないわよ」
「……え?」
エリスの手元から氷のナイフが地面に滑り落ち、――俺の心情を表すように――粉々に砕け散った。
手に持っていた鉄製のナイフも、エリスが腰の鞘にしまう。
「得意、不得意の問題よ。私は外血系が得意だけど、内血系の才能は無いわ。だから普段は、使わないのよね」
エリスが腰を落とし、スカートを履いた膝を折り曲げる。
屈んだエリスが俺を見上げて、寄って来いと手招いた。
エリスの目線の高さに合わせるように、俺も腰を落として、曲げた片膝を地に突ける。
「今から見せるのが。私に才能がなくて、トウマに才能がある内血系の魔法よ」
エリスが片手の拳を握り締め、手の甲を見てろと言わんばかりに指差した。
褐色肌にジワリジワリと、刺青のような文様が浮かび上がる。
およそ、十秒くらいだろうか?
たっぷりと時間を掛けて、淡い色だった紋様が、濃厚な青色に変化する。
手の甲から右腕の肘にかけて、魔紋がくっきりと肌に浮かんでいる。
エリスが握り締めた拳を、いきなり地面へ叩きつけた。
拳の一部が地面に沈み、女性の細腕では不可能なパワーで埋まった拳の周りに亀裂が入る。
エリスが地中から拳を上げると、拳の形をした穴が顔を出す。
「内血系の魔法は、術者の身体能力を上げるわ。内血系の魔法を使いこなせたら、剣の刃を肌で弾けるようにもなるらしいわよ?」
パラパラと落ちる土埃を手で払い、傷一つない褐色肌の拳を、俺の顔に近づけて見せる。
「内血系の才能がある魔闘士は。今の私がやったことを、もっと早くできるわ。極めることができたら、呼吸をするように発動できるらしいわね」
俺の右腕をエリスが掴み、右手の掌を俺の腕にのせて、包帯が巻かれてない素肌を滑らせた。
エリスが撫でた場所に、薄っすらと魔紋が浮かび上がる。
触れられた場所の血管が、仄かに熱を持ったような、未知の感覚がする。
「私がトウマの腕を撫でて、魔力の巡りを良くしてあげるから。まずは内血系の感覚を、身体で覚えなさい……。内血系は私の専門じゃないから、私は基本しか教えれないけどね……」
「でも、エリスの説明は凄く分かり易かったぞ。魔法使いの先生みたいだった」
俺がそう褒めると、なぜかエリスが複雑な表情を浮かべた。
「……エリス?」
「私に魔術を教えてくれた、闇精霊族がいたんだけど。彼女と会う約束をしていたのを、思い出したの……。トウマの傷が癒えたら、会いに行かないといけないわね」
エリスが口にした内容に、俺の心がざわつく。
その再会はできれば、避けて欲しい話だな……。
棚上げにしていた問題が急に出てきたことに、焦りを覚えた。
顔に出さないよう気をつけながら、魔法の指導を受ける。
あの女がいる王都にエリスを行かせるのは、絶対に避けるべきだ。
彼女達と出会ったエリスが、世界を終末に導いた魔女の一人になったことを知ってる人間は、この時点ではたぶん俺だけだろう。
あの女に何をされたのかは分からないが、道を外した君が混沌の魔女となり、悪逆非道の限りを尽くした未来を、このタイミングで止めれるのは俺だけだ……。
俺の右腕をさすりながら、魔法初心者な俺のために、熱心に指導してくれるエリスを見つめる。
昔の君は、自分以外の他人に興味がなくて、もっと冷たい印象があった。
「なあ、エリス……。俺と初めて会った時のこと、覚えてるか?」
「……覚えてるわよ。ウサギを追いかけるのに夢中で、迷子になった夜の森で、泣いてた時でしょ?」
「うっ……。そ、そうだったかな?」
横目で俺を見たエリスが、クスリと笑う。
ちょっと試しに聞いてみたら、余計なことも覚えられていた……。
「ニンゲンの肉を食べる趣味は無いから、森で死ぬのはやめてちょうだいって、言ったわね……」
すごいな、そこまで覚えてるのか……。
まだ狩りが未熟だった時に、村長達に決して近づくなと言われてた森の魔女と遭遇し、俺は恐怖で涙すら止まったほどだ。
木の枝に腰かけながら、月の光に照らされ、銀色の髪を煌めかせた君は、とても綺麗だった。
幻想的で美しい光景に、俺は恐怖してたことすら忘れて、君を夢中で見ていた。
幼かった俺は、その時に一目惚れしたんだろうな……。
月灯りに照らされながら空を歩き、俺を村へと導いてくれた君を、俺は森の女神様だと思ったんだ。
また君に会いたくて、わざとエルフの森に迷い込んだ時も、夜になって途方に暮れた俺を見かけては、「あなた、学習能力がないの? もしかして、獣以下のおつむなの?」と小馬鹿にしながらも、必ず村へと案内してくれた。
村の中で俺だけが、君が優しい魔女だと知っていた。
あの日に、君が本当は悪い魔女だと誤解しなければ、今の優しい君と上手くやれてたんだろうか?
「トウマ。魔力が乱れてるわ。集中して」
「ん? すまん」
考え事の方が夢中になり過ぎて、エリスに集中してないことを叱られた。
やっと優しい君を知れたのに、アイツらに出会った君が、混沌の魔女になる未来だけは、絶対に阻止しなければならない。
でも、どうすれば……。
俺の右手が完治すれば、エリスは王都に向かうだろう。
未来を知ってる俺は、それを阻止しないと駄目なことは分かってるのに、何もできないのがもどかしい。
いや、未来を知ってるなら……。
たとえば、そのことを上手く絡めて、エリスを説得できないだろうか?
「あのさ、エリス……。噂で聞いたんだけどさ。混沌の魔女っていうヤバい奴らが、王都にいるらしくてさ。しばらくは、王都に行かない方がいいと、俺は思うんだけど……」
反応を見ようとエリスの顔色を窺った俺は、違和感を覚える。
俺の話を聞くために手を止めたのではなく、俺の腕を撫でる動作の途中で、エリスが身動き一つしなくなっていた。
「エリス……。エリス?」
声を何度掛けても、エリスは無反応だ。
まるで時間が止まったように、俺の腕を掴んだまま、石像のように固まっている……。
既視感のある光景だ。
俺の腕を撫でる途中で静止した手元から、エリスの顔に視線を上げた時、俺は気づいてしまった。
ソレが俺の視界に入った時、背筋に寒気が走る。
誰もいなかったエリスの後ろに、人影が立っていた……。
俺は、恐る恐る視線を上げる。
身に纏ってるのは、魔術師が着るような紺色のローブ。
見覚えのある衣服を着た人物の顔を覗こうとしたが、頭にフードを被ってるせいか、目元が隠れて見ることができない。
でも、フードの隙間から胸元に垂れた銀色の長い髪と口元を見れば、彼女が誰であるかは明白だった。
ローブの裾が揺らいでいる。
それが幻でなければ、この時代にいるはずのない彼女が、そこに立っているのだ。
混沌の魔女に堕ちる運命を辿った、もう一人のエリスが、薄い笑みを浮かべた。
「どうして……。どうして君が、ここに……」
恐怖に声が震えながらも、目の前にいる女性に、尋ねずにはいられなかった。
俺に喋るなと言ってるのか、立てた人差し指を口元に当てた。
固まったまま動かないエリスの肩を掴み、もう一人のエリスが身を乗り出して、俺に顔を近づける。
口づけをするように迫った唇が、ナニかを吸う仕草をする。
銀色に光る粒子が、唇の中に吸い込まれていく。
突然に、激しい眩暈がした。
自分の中から、ナニかが吸い取られる感覚と同時に、力が抜けていく。
……殺される。
アイツに、殺される……。
視界が明滅し、ブラックアウトした。
「……ウマ。……トウマ!」
明滅していた視界が、急に晴れた。
空気の無い水中から浮上したように、咳き込みながらも息を吸い、新鮮な空気を肺に送り込む。
必死に俺の名を呼ぶ声に気づき、顔を上げる。
俺の身体を抱きかかえながら、心配そうな顔で覗き込むエリスと目が合った。
……アイツは。
アイツは、どこいった?
慌ててキョロキョロと周りを見渡したが、もう一人のエリスの姿は見当たらない。
「トウマ、大丈夫?」
「だい、じょうぶじゃ、ないかも……」
激しい息苦しさから解放され、ゆっくりと深呼吸を何度も繰り返す。
身体は寒気を覚えてるのに、全身からは大量の汗をかいていた。
「魔力の流れが、すごく乱れたみたい。顔色も悪いわよ……。少し休憩をしましょ」
「あ、ああ……。ちょっと、横になりたい……」
エリスが膝を貸してくれたので、俺は頭をのせて横になる。
まだ、頭が混乱していた。
どうして未来のエリスが現れて、いきなり俺を殺そうと……。
――多少の制約はありますが、今までの記憶は引き継げますので、そこは安心して下さい。
エリスの声に似た、アイツの台詞が脳裏によぎる。
もしかして、さっきの女性は……エリスじゃないのか?
人外の力を使って俺を過去に戻した、人ならざる者がいたことを思い出した。
「ごめんなさい、トウマ」
「ん?」
申し訳なさそうな顔をしたエリスが、俺の顔を覗き込む。
「私がちょっと、逸り過ぎたかもしれないわ。私の魔力に、トウマの魔力がいっぱい反応してくれたから、つい嬉しくなって……。ちょっと調子に乗って、魔力の流れを変えたせいかも……。ごめんなさい」
俺が急に体調が悪くなったのは、もしかしたら自分のせいかもと、エリスは己を責めてるのかもしれない。
たぶん俺のせいだと言いたかったが、さっきの光景が頭に過り、口を噤んでしまった。
「大丈夫だ……。でも、気分が良くないから。少し休むよ……」
「うん」
目を閉じた俺の頭を、エリスが優しく撫でてくれた。
記憶は引き継げるが、多少の制約がある……。
アイツの語った言葉の意味を、改めて考えてみる。
なぜ、このタイミングで、アイツが現れたのか?
アイツが現れた時を思い返してみれば、余計なことを喋るなって感じの、警告に取れたんだが。
もしかして……。
まだ、誰も知らない未来の話に、俺が触れたせいか?