【第06話】急接近
「ふーん、ふんふん、ふふーん……」
同居人だったグレンさんの遺品を片付けていたら、鼻歌を楽しそうに歌う、エリスの声が耳に入る。
日は暮れてるので、部屋の中は真っ暗だ。
燭台に置かれた、蝋燭の灯りだけが唯一の光源である。
エリスの声に誘われて、――天井から吊るした布で仕切りをした――間仕切りの布へ目が映る。
掛け布団に使っていたシーツを広げ、カーテン代わりとして使おうとしたが、いつものように床までの高さが足りず、靴を脱いだエリスの素足がチラリと見えた。
足元を覗けそうな隙間からは、くるぶし辺りの女性の足が見えており、床に置いた水桶に褐色肌の手が伸びた。
部屋の奥にある蝋燭の光源で、女性と分かる黒いシルエットが、間仕切りの布に薄っすらと映る。
濡れた布を絞った後、隙間からはっきりと見える足首から、シルエットで映る太ももへ。
世の女性達が羨む、細いお腹を何度か往復した後、くびれを通り過ぎて更に上へ。
柔肌を滑る布が、豊かな双丘を登り始めたところで、よからぬ妄想が浮かんでしまい、慌てて目を逸らす。
村長に遺品の整理を頼まれていたことを思い出して、グレンさんの衣装ケースに手を伸ばす。
ツギハギだらけな古着を脱ぎ、衣装ケースの中にあった、わりと小綺麗なチェニックを手に取った。
袖に腕を通してみたが、サイズ的に問題はなさそうだ。
衣服を入れるカゴに、脱いだ古着を放り込もうとしたが、他と異なる丁寧に折り畳まれた服が、衣装ケースの奥にあることに気づく。
そういえば、この衣装ケースってグレンさんが街へ出掛ける時に、よく開けてたヤツだよな……。
手に取った衣服を広げ、指先で銀色の刺繍がされた首筋を撫でながら、どうしたものかとしばし考える。
エリスの鼻歌が止み、カーテン代わりのシーツの隙間から、床に落ちた衣服を拾おうとする、エリスの手が目に留まった。
「エリス、ちょっと待って……」
着衣中だった手を止め、黒いシルエットのエリスが首を傾げる。
お洒落用の衣服が入ったケースから取り出した一着を、カゴの中へそっと置いた。
床をスライドさせて、シーツの隙間からカゴをエリスに手渡す。
カゴの中に入ってる物にエリスが手を伸ばし、広げるように持ち上げた。
「……きれい」
小さな呟きだったが、音の無い静かな部屋に、はっきりとエリスの声が聞こえた。
着替えてる途中だったエリスの普段着が、バサリと床に落ちる。
仕切り布の向こう側から、微かな衣擦れの音が耳に入る。
遺品整理を続けていると、俺の肩が叩かれた。
「ねえ、トウマ。見て……可愛い?」
振り返った俺は、用意していた台詞を言うつもりだったのに、言葉に詰まった。
「トウマ、口が開きっぱなしよ。可愛いの? 可愛くないの? どっち?」
「すごく、可愛い」
ようやく、それだけが言えた。
お洒落に目覚めた町娘のような格好に、おもわず見惚れてしまう。
――森で狩った動物の毛皮をなめした革で、頭を通す穴を開けただけの貫頭衣を着た――森籠り人の服装を卒業したエリスが、俺の返答に満足気な笑みを浮かべた。
これがボーイッシュなショートカットじゃなく、銀色の髪を綺麗に伸ばしていたら、かなりやばかった……。
過去の十六歳の俺だったら、一撃で骨抜きにされて、衝動的に告白をしていただろう。
「この刺繍、綺麗で好き」
エリスに渡した服は、袖口に沿う形で、お洒落な銀色のラメ入り刺繍がされている。
「エリスの目の色と同じで。綺麗だから、ちょうど似合うかなって……」
あらかじめ用意していた台詞を、ようやく言うことができた。
美人への免疫ゼロだった過去の俺なら、こんな台詞を考える余裕もなかった。
さっきの台詞を一言目で口に出せたら、もっとカッコよく決まったんだけど……。
「ふーん……。わたし、こんな目の色をしてるんだ……」
人里から離れて、森暮らしばかりをしてたから、鏡を見る習慣はないのだろう。
エリスが不思議そうな顔をしながら、ラメ入りの刺繍をじっと見つめる。
「フフッ、フフフ……。ふん、ふんふん、ふふーん」
どこで覚えたのか、普段は穿かないスカートの裾を掴んで、エリスが鼻歌を唄いながら、村ではしゃぐ少女達を思い出すような、小躍りを始めた。
普段は見せない無邪気な笑みを浮かべ、楽しそうにキャッキャッとはしゃぐエリスを見て、やっぱり浮気相手に渡すくらいなら、こっちの方が正しいよなと、自分の行為を勝手に正当化しておく。
人の褌で相撲を取った気分になって、グレンさんに申し訳なさというか、罪悪感がちょっとだけ湧いたが……。
――戦士としての腕は良いが、女たらしでも村で有名な――グレンさんが次のターゲットにしてた、そばかす顔の村娘が、俺の脳裏に浮かぶ。
腕っぷしが良くて女慣れしたグレンさんに、都会に憧れる若い村娘が、ちょっと甘い言葉で誘惑されただけで、舞い上がってしまう気持ちはなんとなく分かる。
でも、素朴な村人代表の婚約者をほっぽり出して、堂々と浮気をするのは良くないと思う。
グレンさんが亡くなったのは不幸だったが、これを機にあの子も目を覚まして、婚約者と元鞘に戻ってくれることを願うばかりだ。
「……エリス?」
物思いに耽っていると、唐突に背中からエリスに抱きしめられた。
「ありがとう、トウマ……。大事にするわね」
想定外の状況と感謝の台詞に、俺の身体は硬直してしまった。
女性特有の柔らかい身体を堪能する前に、俺を抱きしめていたエリスが離れる。
「トウマも、それ似合ってるわよ……」
「お、おう……。あんがと」
数秒経ってから、自分の着ている服が褒められたことに気づいた。
ていうか、あんがとってなんだよ。
やっぱりダメダメじゃねぇか!
女たらしのグレンさんを超えれるのは、まだまだ当分先だなと少し凹んだ。
「トウマは、いつもどこで寝てるの?」
「ん? ……俺は、そっち」
二つある寝床の一つを、俺は指差した。
――動物の寝床かと思うような――藁のベッドをチラリと見た後、隣にあるリネン布のマットレスに、エリスが無言で歩み寄る。
――質素な生活をしてる農家ではあまり使わない――上等な布で藁を包んだマットレスに惹かれたのかはしらんが、グレンさんと逢引をするために女性が来るたびに、俺は居心地が悪くなって、夜の散歩をよくしたものだ。
あまり良い記憶の無いグレンさんのマットレスに近づくと、それを手で掴み上げたエリスが鼻を寄せる。
「臭ッ」
まるで刺激臭を嗅いだように、身体を仰け反らせて、エリスが不快極まりない顔をした。
マットレスを手で掴んだまま乱暴に引きずり、ゴミを捨てるように玄関の外へ放り出す。
俺が寝床にしていた藁のベッドに近づくと、敷いてた藁を部屋の隅に寄せた。
縄で縛っていた物を解き、――森で大型の魔物を倒した時に、剥ぎ取ったとエリスが自慢していた――毛皮ベッドを床に広げる。
「トウマが使ってるシーツは、どれ?」
「えっと……こっちだけど」
間仕切り布の一枚を手渡すと、俺が藁の上に敷いていたシーツを広げ、エリスが寝床作りに勤しむ。
この時点で、エリスが泊まるつもりだったことに、ようやく気付く。
同時に、俺の寝床が消えてしまったことに、どうすればいいのか分からず、途方に暮れてしまった。
寝床を完成させたエリスが、一仕事を終えた顔で俺を見上げる。
「朝ご飯に山菜を採りに行きたいから、もう寝るわよ。トウマも、寝るでしょ?」
「……う、うん」
寝たいのは、山々なのですが……。
部屋の隅で、俺は寝たら良いのかな?
掛け布団に使ってるシーツを手に取り、部屋の隅でグシャグシャに押し潰された藁ベッドに行こうとしたら、エリスに呼び止められた。
ベッドに寝転がったエリスが、眉間に皺を寄せて、なぜか俺を睨んでおり、自分の隣を手でポンポンと叩く。
「トウマ、枕がないわ……。わたし、枕が無いと寝れないの」
「えっと……」
「ま・く・ら」
さすがに鈍感な俺でも、彼女の言わんとすることは察することができる。
戸惑いながらも、指定された場所へ横になろうとしたが、エリスに腕を掴まれた。
うん……そうだよね。
まくらって、そういう意味だよね。
強制的に伸ばされた右腕に、エリスが頭をのせた。
……近い。
めちゃくちゃ、ちかい……。
「おやすみ……」
「お、おやすみ」
さも当然なように、エリスが目を閉じた。
至近距離にエルフ特有の美人顔があって、バクバクと煩いくらいに、心臓が鳴っている……。
ていうか、ノーブラかよ。
褐色肌の谷間が、ぐぎぎぎぎ……。
あのですね、エリスさん。
知ってますでしょうか?
一応ですが、僕は男なのですよ?
さすがに、気を許し過ぎじゃないですか?
魔女と恐れられるダークエルフ相手に、不埒なことをする勇気はありませんが、いくらなんでも無防備過ぎだと、僕は思うわけですよ、はい。
大混乱中の頭で、状況を整理しようと試みる。
もしかして……あれか?
俺が可愛い服を、プレゼントしたからか?
それだけで知人から恋人に、距離が一気に縮まったのか?
童貞の俺には理解できないことだが、そういうこともあるのか?
ていうかこれって、冷静に考えればヤバくないか?
エリスと飯を一緒に食うのは村長も把握してると思うが、泊まる話まではしてなかったよな?
つまりは一つ屋根の下で、一晩を異性と過ごしたのがバレたら、二人はそういう関係なのかと、うちの村で噂が広がるわけだよね?
でも流石に、魔女と一晩過ごしたからって、他者の命を奪うと恐れられたダークエルフを抱いたと、思うヤツがいるわけ――。
腕枕をしていた銀色の頭が転がり、仰向けになっていた胸元が俺の方へ向く。
頭のすわりが悪かったのか、モゾモゾと身体を動かした後、エリスの手が俺の胸元に置かれた。
俺が頭を横に向ければ、銀色の髪が顔に触れる距離にあり、俺とエリスの身体が完全密着している。
……エ、エ、エリスさん?
こういうのは告白をして、恋人関係になってから、するべきものだと――。
「んっ」
んんんんん!?
彼女の口から絶対に聞かないであろう、可愛らしい吐息をエリスが漏らした。
布越しでも分かるほどに、柔らかくて大きな双丘を押し付けられ、俺の煩悩が爆発しそうになる。
……うん。
これは、無理だ。
リア充ならまだしも童貞の俺が、この状況で眠れるわけがない……。
もはや徹夜も覚悟して、寝れない時の定番である羊を数えることで、今夜は暇を潰すことにした。