【第04話】魔王のスキル
「シラヌイ」
「は、はい。エリスさん、呼びましたか?」
近くにいたのか、黒髪の少女がひょっこりと顔を出す。
「ニンゲンを食べたいとか、言ってたわよね……。ちょうど良いのが、そこに立ってるわよ」
口元を歪め、不敵な笑みを浮かべたエリスが、崖下にいる山賊達を指差した。
「いち、に、さん……。私の知らない顔が、三つ……。トウマ。その男達は、ここの村人じゃないわよね? シラヌイに任せても、良いかしら?」
エリスが、シラヌイに何をさせる気か分からないが、あまり良い予感はしなかった。
ただ、ニンゲン嫌いで俺の村に不干渉だったエリスが、珍しく手を貸すそぶりを見せてるのを、無視するわけにもいかなかった。
なによりも、山賊達に囲まれて絶体絶命な状況を覆せるのは、エリス達しかいない。
少し怖くもあったが、俺は頷いて了承の意をエリスに示す。
エリスが後ろに振り向き、黒髪の少女に何かを囁いた。
シラヌイが、ニヤリと笑みを深めた。
「なるほど、分かりました。クヒヒヒ」
シラヌイが口元を三日月に歪め、気味の悪い笑みを浮かべると、崖上から黒い蟻の腹部が現れる。
細長い四本の蟲足を伸ばして、カサカサと虫のように崖を這うシラヌイ。
「も、モンスター……」
まさに蟻の如く、垂直の崖を気にした様子もなく、気軽に降りて来る蟻人を見て、山賊達がおもわず後ずさりをした。
「あー、やっと負けイベントじゃなく、チュートリアルが始められる」
崖を降りていた足を止め、シラヌイが両手を擦り合わせて、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「さてさて……。初めまして、ニンゲンさん。私のスキルのお試し会に、付き合ってもらいましょうか?」
そう言いながら、シラヌイが岩壁に開いた大きな穴を覗き込んだ。
いつから開いてたのか、見覚えのない穴だった。
熊とか大型の動物が棲んでそうな穴だが、もし熊だとしても位置的に高すぎて、動物が住処にするのは不便そうだ。
シラヌイの喉に、異変が起こる。
女性だと目立たない喉ぼとけが、喉の表面に浮かび上がり、震えるような奇妙な動きをした。
――ギチギチ、ギチギチ。
背筋がゾッとするような、嫌な音が聞こえる。
あの戦場で、嫌というほど聞いた音。
――ギチギチ、ギチギチ。
別の場所から、複数の不快な音が鳴り響く。
音がするのは、シラヌイが覗き込んでる、穴の中からだ。
まるで彼女の呼びかけに応えるみたいに、硬い物を擦り合わせたような、蟲を連想させる音が聞こえる。
日差しの届かない暗闇に、複数の赤い光が灯った。
まさか……。
小枝で巣穴を穿った時に、奥から蟻が湧いて出たように、黒い人影がワラワラと穴の中から這い出して来た。
半身は人の姿に近い容姿だが、下半身の丸みを帯びた胴体から生えた四本の蟲足で、垂直の壁を落下せずに、器用に地上へと降りて来る。
十を超える黒い蟻人が、俺達や山賊を取り囲んだ。
「ヒィッ」
果たして悲鳴を上げたのは山賊なのか、ケティーなのかは分からない。
俺の背中に身を隠したケティーが、泣くのも忘れて服の裾を強く掴んだのが、背中越しに分かった。
過去にも見たことのある光景だが、気分が良いモノではない。
「お肉ゲット!」
壁に張り付いていたシラヌイが、山賊の一人に飛び掛かる。
頭上からの奇襲に、周りに意識を取られていた山賊の一人が押し倒された。
俺にナイフを投げた男の下半身を、蟻の腹部で押しつぶし、蟲の右前足で首を掴んだ。
かぎ爪を首筋に食い込ませて、相手の首を締め付けてる間に、蟲の左前足を地面に転がる剣へ伸ばす。
右手を失った山賊が落とした剣へ、左前足の爪が触れたタイミングで、人影が接近した。
「その手を離せや! 蟲のバケモノ!」
仲間を助けようと駆け寄った山賊が、剣に手を伸ばした蟲の左前足を、振り回した剣で斬り落とした。
「ギャッ! 痛ッ」
蟲足にも神経が通ってるのか、シラヌイが苦痛に顔を歪める。
首を絞めていた蟲の右前足を離し、顔を怒りに染めたシラヌイが、左前足を斬り落とした相手を捕まえようとした。
「させるかよ!」
別方向から近づいたもう一人が、仲間を捕まえようと伸ばした蟲の右前足を、剣で斬り飛ばす。
間を置かずに、二人が剣の刃をシラヌイに向け、ほぼ同時に腹と胸元を貫いた。
モンスターとの戦いに慣れた、連携の取れた攻撃により、シラヌイが苦悶の表情を浮かべて吐血する。
突き刺した刃を引き抜き、倒れた男の腕を山賊の二人が掴むと、苦痛に見悶える蟻人の下敷きになっていた者を引きずり出した。
「しっかりしろ、おい!」
「とりあえず、一匹……。あと何匹、倒せば良いんだ?」
負傷者の状態を仲間が確認してる間に、もう一人が剣先を敵に向けながら、取り囲む蟻人達に睨みを利かす。
「雑魚。虫以下の雑魚ね」
「え、エリス?」
いつの間にか俺の背後に降りてきたエリスが、吐き捨てるようにボソリと呟く。
酷い言い方ではあるが、過去のシラヌイの恐ろしさを知ってる俺からしても、あっさりとやられ過ぎた感はある。
「シラヌイ。遊んでないで、さっさとそいつらを倒しなさい」
語気を強めて、エリスが言い放つ。
すると、白目を剥いて死んだように見えたシラヌイの口が、ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべた。
「コンティニュー」
黒い瞳がギョロリと動き、吐血して濡れた唇を舐めると、ねっとりとした言葉が漏れる。
蟲の両前脚を斬り落とされ、剣の刃で貫かれた胸と腹から大量の血を流し、誰が見ても致命傷な蟻人が、「クヒヒヒ」と楽し気に笑った。
シラヌイの背後からヌルリと、黒くて長い触手が顔を出す。
その黒い触手は、サソリの尾を連想させる曲線を描き、シラヌイの頭上から蟻の腹部に繋がっていた。
シラヌイが片目を閉じると同時に、黒い触手の先端部に縦長の割れ目が入る。
割れ目が開き、人間の目が現れると、黒い瞳がギョロリと動いた。
黒い触手の先端部にある目に睨まれ、山賊達が恐怖に悲鳴を漏らす。
獲物を探す蛇のように、黒い触手が先端部を横に動かした。
かま首をもたげた黒い触手が、獲物に飛び掛かる蛇のように、素早く伸びる。
黒い触手が貫いたのは、山賊ではなく近くにいた蟻人だった。
胸元を貫かれた蟻人の体内に、黒い触手がスルスルと滑らかに入っていく。
蟻人の体内で異常が起きてるのか、人肌が露出した部分の血管が浮き上がり、頭痛を覚えたように頭部を両手で押さえた。
――黒いヘルメットを被ったような――蟻の頭部に亀裂が入り、割れた頭部の破片が地面に散らばる。
「ラウンド、ツゥー」
聞き覚えのある、ねっとりとした言葉を漏らして現れた顔は、先ほど致命傷を受けたシラヌイと、そっくりの顔をした少女だった。
――肉体を移し替える、スキルを発動した代償なのか、心臓があった場所に大穴を開けて――地面に横たわる己の死体を踏み越えながら、二人目のシラヌイが山賊達に歩み寄る。
「やっぱり。初見で武器無しは、舐めプレイでしたか……」
俺が落としたグレンさんの剣を拾い、今度は蟲の前足を使って剣を握り締めた。
『不死の黒女王蟻』の二つ名を世に広めた、彼女の能力の一つを目の当たりにして、もはや言葉を失った二人の山賊に、俺の背後にいた者が歩み寄る。
「二体一だと、日が暮れても終わりそうにないから。私が、もう一人を相手しといてあげる。さっさとそっちを倒しなさい」
空中をフワリフワリと漂う氷の剣を操作し、山賊の一人にエリスが刃を向ける。
「お? ……ありがとうございます、エリスさん。助かります。こっちの身体は、まだ慣れてなくて」
ダークエルフが参戦したことで、更に状況が悪化し、山賊二人の顔が絶望に染まった。
「トウマ……」
声のする方向へ、振り返った俺は驚いた。
「村長!」
どうやら気を失っていただけらしく、怯えるケティーを連れ歩いて、壁に背を預けた村長に歩み寄った。
過去の村長は生死を確認できなかったけど、もしかして、この時点では生きてたのか?
村長が身を起こそうとしたが、足に力を入れようとしたタイミングで、苦痛の声を漏らした。
「ぐうぅ……。あの野郎、ナイフで刺しやがって……」
どうやらナイフを扱っていた山賊に、逃げられないように太ももを刺されたらしい。
酷いことをする連中だ……。
ケティーに手伝ってもらいながら手頃な布を割き、出血がひどい箇所に応急手当をする。
「トウマ。手を怪我したのか? アイツらに、やられたのか?」
斬られた傷が痛むのか、村長が苦しそうな声を漏らしながら、俺に尋ねてくる。
「いや、これは山賊じゃないです。この怪我は……。エリスと、ちょっと……」
「エリス? お前また、あのダークエルフと……」
エリスの件で、大火傷で負傷した右手を布で巻き、強く握れなくなっているのを村長に気づかれた。
山賊にやられたわけではないけど、村長から闇精霊族に近づくことを禁じられていたことを思い出して、どう言い訳したものかと返答に窮する。
「トウマ。なにが……どうなってる?」
村長達を襲った山賊達を、蟻人のモンスター達が取り囲み、――人間の命を奪う魔女として、村の皆が恐れていた――闇精霊族が俺達を守るように背を向けた異様な状況に気づいた村長が、困惑した表情を浮かべた。
これは更に説明が難しいなと、俺は返答に逡巡した。
「トウマ。終わったわよ」
彼女達とは敵対してないので安全だと、村長に説明していた途中で、エリスが俺達に声を掛ける。
俺の説明に納得をせず、警戒心を強めた顔で睨み上げる村長をチラ見した後、すぐに興味を無くした顔でエリスが俺の方を向いた。
「トウマ。シラヌイが、ニンゲンの死体が欲しいって、言ってるの。村人じゃない方を貰っていくけど、良いわよね?」
「……分かった。でも、その前にモンスターを、皆が見えないところへ連れて行って欲しい。村の人たちが怯えている」
「……ふーん。そう、分かった」
こちらの要求を素直に受け入れてくれたエリスが、シラヌイに指示を出す。
地面に転がる山賊の死体や、一人目のシラヌイだった亡骸を、蟻人達が引きずりながら崖壁に開いた大穴へと持ち帰った。
蟻人達が巣穴に消えたことで、少しだけ警戒心を解いたのか、手招く村長のもとへ歩み寄る。
「すまんが、ワシは動けそうにない……。あのモンスター達のことは、後で話そう。先に、家に閉じこもった者達に、声を掛けて来て欲しい。山賊はいなくなって、もう安全だと」
「はい。とりあえず、シスターを呼んできます」
「そうだな……。いや、待て。トウマ。ちょっと、耳を貸せ」
俺が耳を寄せると、村長が声を潜めた。
「ワシの家の暖炉に、辺境伯の、いや、貴族のお嬢様が隠れておる。もうしばらく身を潜めて下さいと、伝えてくれ」
貴族の……お嬢様?
過去の記憶では登場しなかった人物の出現に、俺は困惑した。
どうやら貴族のお嬢様が、隠し部屋に内鍵をかけて、身を潜めているらしい。
村長から合図であるノックのやり方を教わり、村長の家にある暖炉へと向かった。
* * *
「トウマ。穴、掘り終わったわよ」
「……ああ。ありがとう、助かったよ」
「ん」
俺に礼を言われて、エリスが満足気な顔をした。
エリスが力仕事をしたわけではないが、手を痛めて上手くスコップを扱えない俺を見かねて、村人達の墓掘りの手伝いを申し出てくれたので、礼を言っておく必要はあるだろう。
エリスに命令されて、墓掘りをやらされていた蟻人のシラヌイは、盛り土にスコップを差して一息ついていた。
何か言いたげな顔で、遠くを見つめるシラヌイの視線を追うかたちで、俺もまた村人達が集まっている場所を見つめる。
地面に横たわる者達に、布が被せられていた。
不運にも山賊に襲われ、死を免れなかった者達。
生前は仲が良かった者達が、顔を覆った布を外しては、別れの挨拶をしながら涙を流していた。
村の者達が全滅した過去に比べれば、半数以上が生き残ったことは、良かったことかもしれない。
しかし、残された者達の悲しむ姿を見ていると、もっと上手くやれなかったのかと、後悔ばかりが募る。
「うぅッ……。お母さん……」
まるで生きてるかのような綺麗な顔で、二度と目を開けなくなったナミタさんの胸元に、ケティーが顔を埋めて泣き続けている。
まだ十を迎えたばかりの彼女には、この現実はあまりにも残酷過ぎる。
胸を締め付けるような光景から視線をずらすと、胸元に置いた両手を強く握りしめ、悲し気な顔で立っている少女の姿が目に入った。
もとは小綺麗な格好だったはずだが、暖炉の黒い煤に服を汚した貴族のお嬢様が、ケティーの横で複雑な表情を浮かべる。
「すまない。ナミタ……。すまない」
亡骸の前で村長が膝を折り、謝罪の言葉を何度も繰り返す。
彼女が殺された経緯はよく分からないが、山賊に追われていたお嬢様を守るために村長が隠した後、騒ぎを聞きつけた傭兵のグレンさんと近くにいたであろうナミタさんが、襲われた可能性は高い。
ナミタさんの性格的に、村でのトラブルには首を突っ込む性質なので、不運にも巻き込まれたんじゃないだろうか?
村長が泣き止まないケティーの背を撫でた後、グレンさんや他に亡くなった者達のもとへ向かう。
「お母さん……。おぎでよぉ、おがぁさん」
泣きじゃくる声を更に大きくして、母親の胸元にすがりつくケティーを、後ろにいた貴族のお嬢様がおもわず抱きしめる。
「ケティーちゃん。ごめんなさい……。私のせいで、ごめんなさい……」
その姿にいたたまれなくなって、周りから嗚咽の声が漏れる。
失った命は取り戻せない。
それこそ、人を超えた力を持つ神か、悪魔でもない限り……。
俺の前を、黒い影が通り過ぎる。
「ケティー。お母さん、生き返らしてあげようか?」