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【第03話】悲劇、再び

 

「初めまして、ニンゲンさん」


 上半身を少女の姿に真似たソレは、童顔の口元を三日月型に歪め、楽しげな笑みを浮かべた。

 ――鮫を連想させる――鋭い牙が隙間なく並んだ歯が上下に開き、中からヌルリと赤い舌が外に出る。

 

「ニンゲンの肉を食べるのは、初めてですね」


 極上の獲物を前にして、舌舐めずりをする猛獣のように。

 異形の姿をした蟻人ワーアントが、己の唇を舐めた。


「どんな味が、するんだろう?」


 好奇心を抑えきれない表情で、童顔の黒髪少女が、右手を俺の方へ伸ばす。

 少女が差し出した腕と同じ動きで、下半身の黒光りする蟻の腹部から生えた、細長い蟲の前右足が伸びた。

 蟲足のつま先から生えた、湾曲したかぎ爪が、獲物を掴もうとする動作で広がる。

 

 か弱そうな女性の半身に騙され、油断して挑んだ帝国軍兵士の悲惨な最期を、俺は忘れない。

 地を這うためだけの前脚と思っていたモノが、人の腕の如く器用に動くことを知った時には、兵士の身体は素早く動いた二本の前足に捕まれ、紙クズのように四肢を引き裂かれたことを。


 目を閉じても、あの恐ろしい光景が、瞼の裏から消えない。

 ナイフのように鋭く尖った爪が、俺の顔へ迫ろうとする。

 

「ヒッ」

 

 おもわず小さな悲鳴が、トウマの口から漏れる。

 尻餅を突いたまま、俺は後ずさった。

 恐怖から逃げるように、俺は眼前に迫る蟲足から、目を逸らしそうになったが……。

 

「いでッ、イデデデ!? エリスさん。耳が……耳が、ちぎれますッ!」

 

 ――蟻の下半身に繋がった、人間の胴体――少女の半身が、のけぞるように後ろへ傾いた。

 再び革手袋をはめたエリスの指が、黒髪少女の耳を摘まみ、おもいっきり引っ張っている。


「ねぇ、シラヌイ。わたし、トウマを食べて良いって、いつ言った? ねぇ、教えて。いつ言ったの?」

「い、言ってません! 私が勝手に、捏造しました!」

「そうよね。私も、言った覚えがないわ。ここに私が戻って来るまでに、村の人を殺せなんて、話もしてないわよね? 自分に都合の良いことしか聞こえない耳は、私はいらないと思うから、切り落としても良いかしら?」


 三白眼の中にある黒い瞳が寄り目になり、鼻先に触れたナイフの刃先を、シラヌイが青ざめた顔で凝視する。

 

「ヒィッ!? ごごご、ごめんなさい! 調子に乗りました! 第一村人に会ったら、魔王ロールをしてみたくて、ほんの出来心なんです! ホントごめんなさいッ!」

 

 涙目になったシラヌイが必死に懇願すると、冷めた顔をしたエリスがようやく、摘まんだ耳を解放した。

 ――天敵から逃げる――地を這う虫のようなカサカサした動きで、シラヌイがもといた木陰に潜り込んだ。

 千を超える帝国軍の兵士達を前にしても、怯むどころか高笑いをし、魔王の名に相応しい暴虐の限りを尽くしていた者と、同一人物とは思えない怯えた態度のシラヌイを見て、トウマは戸惑う。

 

「身体が蟲だと、頭まで蟲になっちゃうのかしらね?」

 

 ガタガタと肩を震わせ、樹から顔の半分を出して、こちらの様子を伺うシラヌイ。

 エリスが蟻人の少女から視線を外し、革手袋をはめてない左手を伸ばす。

 俺も火傷してない左手を伸ばし、エリスに手助けをしてもらいながら、立ち上がった。

 

「ありがとう……」

 

 礼を言いながらエリスに顔を向けると、俺の手首を掴んだ自分の手を、真剣な表情で見つめていた。

 エリスが緩めた指先を、俺の手首から掌へと、肌に浮いた血管をなぞるように滑らしていく。

 俺の指先まで到達したところで、エリスの指が俺の左手を、軽く握った。

 

「なんか不思議ね……。こうやって、誰かに触れる日が来るなんて、思ってなかった」

 

 握り締めた俺の左手を持ち上げ、エリスが自分の頬に当てる。

 目尻を下げたエリスが、優し気な笑みを浮かべた。

 あまり見たことの無いエリスの表情に、おもわずドキリとする。


「トウマ。私ね……」


 何かを言いかけたところで、エリスの目が鋭く細まった。


「血の匂いがするわね」

「え?」

 

 急に表情を険しくさせ、声色が硬くなったエリスが、銀色の瞳を横に動かす。

 その視線を追うように俺も顔を動かし、自分の故郷を見下ろせる、崖がある場所を見つめた。

 ……村?

 

 ――心臓が、ドクンと跳ねた。


 絹を裂いたような、女性の悲鳴が耳に入る。

 エリスの手を振り解くように離し、村を一望できる場所まで駆けた。

 崖下にある民家が視界に入り、目に映る光景を見た俺は、すぐさま踵を返す。

 

「トウマ、どうかしたの?」

「村が襲われてる!」


 エリスに説明する暇もなく、すれ違いざまにそれだけを言うと、俺は坂道を全速力で駆ける。

 過去をやり直すために戻って来たのに、なにをやってるんだ俺は!

 エリスのことばかりで頭がいっぱいだったせいで、同じ日に起きた、もう一つの事件を忘れるなんて……。

 

 転びそうになりながらも、下り坂を走り続ける。

 崖下にようやく辿り着き、石造りの民家が目に入ったタイミングで、おもわず足を止めた。

 目を逸らしたくなる惨状に、血の気が引いてしまう。

 

 おそらく背中を擦り付けながら、地に腰を落としたのだろう。

 赤いペンキで壁を塗らしたように、縦に伸びた血糊のすぐ下に、壁に背を預けて座り込む、村長の姿があった。

 退役軍人である村長の足元には、剣が転がっている。

 

「お母さん……。おぎでよぉ、おがぁさん」

 

 泣き声のする方へ目を向ければ、十歳を迎えたばかりのケティーが、地に倒れた女性の背中を、必死に揺すさぶっていた。

 さっきまで元気な顔で、近所の人達と井戸端会議をしていたナミタさんが、斬り裂かれた衣服に赤黒い染みを広げて、うつ伏せに倒れている。

 一目見て致死量と分かる、大量の血だ……。

 

 視界に入った山賊は、四人。

 相手の人数が多くて、俺一人では勝てそうにない……。

 俺の足元に転がる、血溜まりに沈んだ男性に、チラリと目を落とす。

 

 村では一番の実力者で、戦争経験者でもある傭兵のグレンさんでも、アイツらには勝てなかった。

 さすがに、多勢に無勢……。

 刃を赤黒い液体で濡らした山賊達が、倒れた母親の傍で泣きじゃくる子供へ歩み寄る。

 

 山賊達はケティーに気を取られて、まだ俺には気づいてない。

 今なら、俺だけでも逃げられる……。

 グレンさんの横に転がる剣に手を伸ばしながら、俺はそんなことを考えた。

 

 でもな……。

 今回は、あの時とは違うことがある。

 俺は歯を食いしばった。

 

 勝てないと分かっても……。

 もしかしたら、今度は助けれるかもと思ったら……。

 一度大きく深呼吸すると、俺は意を決して走り出した。

 

 ――見て見ぬふりが、できねぇんだよッ!

 

「やめろぉおおお!」

 

 恐怖を振り払うように、目一杯の大声を出して、山賊達の注意を俺に向ける。

 ここまでは、過去の記憶通り。

 賭けにはなるが、あの時と同じ行動を、アイツらがしてくれたら……。

 ケティーを斬ろうした剣を、俺に向けた男の懐に、あの時と同じように飛び込もうとする。


 が、その直前で足を踏み込んで、急ブレーキをかけた。

 俺の鼻先を、一本のナイフが通り過ぎる。

 

「なッ!」

 

 誰かの驚いた声が、聞こえた気がする。

 ――あの時は避けられなかった――投擲ナイフをギリギリでかわし、俺はすぐさま剣を横薙ぎに振るう。

 俺の胸元めがけて、相手が突き出した剣の刃が、俺の刃とぶつかった。

 

「痛ッ」

 

 予想以上の激痛から、おもわず剣を手放してしまった。

 地面に跳ねた剣を、山賊が靴底で踏みつける。

 

「なんだ。ガキが、もう一人いたのか?」


 とりあえず、生き延びることはできたか……。

 身体が戦争で培った記憶を覚えており、思い描いてた動きができたのは、ありがたかった。

 

「大丈夫か、ケティー」

 

 目の前にいる山賊達を経過しつつも、チラリと後ろを見て、ケティーに声を掛ける。

 身体をビクリと跳ねたケティーが、恐る恐る俺を見上げた。

 

「……お兄ぢゃん? ……お兄ぢゃん。おがぁさんが、おぎないの……」

 

 目元からボロボロと、大粒の涙を流すケティーに、俺は何も言えなかった。

 歯ぎしりをしながら、俺達を取り囲む山賊達を睨みつける。


 過去の記憶のおかげで、山賊の仲間が投げたナイフを肩にもらうのは、回避できた。

 前回は、肩に刺さったナイフの痛みで剣が振り抜けず、正面の男が突き出した剣が、俺の胸元を貫いて気絶した。


 過去と同じ過ちは、繰り返さずに済んだけど。

 本当は最期に、相手の剣を弾く予定だったが、やっぱりボロボロの右手じゃ、無理だったか……。

 

「お姫様を助ける、勇者気取りか? 威勢がいいのは、結構だが……。この人数相手に、武器も無しに勝てるのか?」

 

 くやしいが、山賊の言う通りだった。

 この日に戻っても、やっぱり俺だけでは、子供一人も守れない……。

 

「そのまま隠れていれば。生き残れたかもしれんがな」

 

 たしかに、その通りだ。

 あんたが正しいよ。

 剣をまともに握れない、手を負傷した状態でここに立ってる俺が、馬鹿野郎なんだろうな……。

 ケティーを背中で守るように、後ずさりをしながら、俺は正面に立つ山賊を睨みつけた。

 

 右手に握り締めた剣を、男が振り上げる。

 山賊の肩越しに、青白い閃光がキラリと光るのが見えた。

 対峙していた俺達の前にボトリと、ナニかが落ちる。

 俺達の足元を、剣を握り締めた右手・・が転がった。

 

「……あれ? 俺の……右手は?」

 

 何が自分に起きたのか理解できぬ顔で、己の手首から先のない右腕を見つめた後、何かに気づいた山賊が視線を上げた。

 山賊の頭上でフワリフワリと浮かぶ、刃を赤い血で濡らした氷の剣を、呆けた顔で男が見つめる。

 

 右手を無くした男の背中を、いきなり氷の槍が貫いた。

 斜め上から一刺しに、地面へと串刺しにされた、人だったモノのオブジェが完成する。

 

「うわっ!」

「魔法使いか?」

「ど、どこからだ?」

 

 ようやく魔法による奇襲だと気づいたのか、山賊達が氷の槍が飛んできた方角へ、同時に顔を向ける。

 人の手が簡単に届かぬ場所、地上から数メートルはあろう絶壁の頂きに、氷のオブジェを作った張本人がいた。

 先程まで俺がいた崖上に立つ、褐色肌の少女。


「……エルフ?」

 

 精霊族エルフに特徴的な、横に細長いエルフ耳に気づいた男が、ボソリと呟いた。

 

「駄目じゃない、トウマ……。弱いくせに。私のあげた血を、無駄にするつもりなの?」

 

 掌の先に、青白く光る魔法陣を展開したダークエルフが、不機嫌そうな顔で俺にそう告げた。


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