名残雨
仁は幸之助と少し世間話をした後に自分の部屋へと向かった。仁の部屋には小さなテレビを見つけた。そこでは学生のころにはいろいろと見ていたのを思い出した。本棚には普通だとあまり似つかわしくない仏像などといった本が置いてある。住職になることを決めていたから、父親にせがんだのだ。その本を懐かしく思って手に取った。分厚い本でも好んで読んでいた。大学で教養で取った民俗学が楽しかったのもそのせいかもしれない。
「これも住職になるための修行だもんな。会社を辞めたらきっと父さんの手伝いからだろうな。」
仁は少し広い部屋で独り言をつぶやいた。望んでいるから会社を辞めるのにも抵抗はしない。テレビの前にあるテーブルに向かって座った。ぼーっとしているとノックする音が聞こえた。
「はい。」
彼が声をかけるとそっとドアを開けた。楓がお風呂に入ってパジャマ姿だった。先ほどの幸之助との会話を聞いていたのだろう。手にはお茶をもっていた。仁が入るように促すと楓はテーブルの向かいに座った。
「仁、残り1年という期間で新聞記者という仕事をやめて、本当にいいの?未練とかはないの?」
「母さんも知っているだろ。俺は住職になりたいんだ。修行は父さんの元で行うし。・・・新聞社に入ったのも社会勉強の一環に過ぎないんだから。母さんが別段心配することじゃないよ。」
楓はもともと有名な温泉街の旅館の娘だったのだ。そこの次女として生まれ、跡取りの話を子供の時から聞いていたのだ。その心配もあるのだろう。楓はその旅館を継ぐことはないが、今は姉と兄が跡取り候補としてせめぎ合っているのだ。楓は旅館について口に出すこともない。姉と兄は旅館以外の仕事についていたが、母親が倒れたという一方を受けて飛んできてそしてどちらもやめたのだ。今は姉はおかみとして、兄は板前として働いているが旅館内ではどちらを支持するかでもめているらしい。
「母さんのほうこそ、旅館は大丈夫なの?」
「大丈夫よ。だって私は旅館を継がなくてもいいとお祖母ちゃんに言われたんですから。最も旅館の株式の一部も受け取っているの。旅館の未来は私に託されていることすらわかっていないのよ。」
楓は何処か嬉しそうに笑った。旅館を継がなくてよかったことに加えて、自分の好きなこともできていることもあるのだろう。普段、家にいる時、楓が着物を着るのは旅館にいたときに子供のころにあこがれていたのだ。その名残が少しあるのだろう。