ツーリングに行こう④
「えー、失礼いたしました。つい面白…いえ、興味深い状況でしたもので、お声をかけそびれてしまいましたわ」
穂先が金属環になっている槍を抱いた美女は、にっこりと微笑んでゆったりとした動きで挨拶をする。
槍は長さが三メートル近い。
環の素材は一見わからないが、石突の装飾は儀礼だけじゃなく実戦にも使えるものだ。
「ご機嫌よう、精霊様…いいえ、メル様。私はケイ=ララと申します。先ほど女官長が申しました通り、私どもは金星のエゲリア神殿にてあなた様が現世に結ばれることを、長い間お待ちいたしておりました」
たぶん、環も飾りではなく何らかの理合いで使うもの。
それなら、強度もあって重さも相応。
鉄製だとして、環の大きさが目測で内径四十センチ、外径は五十センチくらいか。厚みは装飾を無視したとして三センチ。
つまり自動車のタイヤホイールくらいの金属の塊を三メートルの棒に括りつけて、重さを感じさせないほど軽々と持てるってことか。
すげえ、こんな得物持って、あんなに優雅に動けるのか。どんな体幹してんだこの人。
はて? どうしてオレはそんな分析ができるんだろう。まあいい。
ケイ=ララと名乗った美女の持つ槍から手首、肩、腰、膝、足首と目を走らせたが、どこにも力みが見えない。
鍛錬を経て完成され、実戦で試され、自分の理合いを掴んだ達人を見る思いだ。
こんな人に挑んだら、きっと何もさせてもらえずに意識を刈られるか、子供をあやすように受けられて身の程を知るか、どちらかだ。
ケイ=ララはオレの視線に気付いたのか、目を合わせるといたずらっぽく笑うとヌなんとかさんに顔を向ける。
「女官長、こんな古典的なジゴロの遣り口に引っかかっちゃダメですよ? 本当にチョロすぎです。ガンマ様が悪人だったら、あっという間においしく頂かれて、今ごろ娼館に売られちゃってますわよ」
「ララ!? いつから見てたんですか!?」
「お判りいただけないとは残念です、とかドヤ顔きめて大物ぶってた辺りからですわね。ガチ泣きした後に、さらっと落として上げられちゃう女官長…とってもチョロ甘で可愛かったですわ♡」
「そんなぁ!? ジゴロって、ガンマさん私を騙してたんですかぁ!? 可愛いって言ってくれたじゃないですかぁ!」
その、なんだ。
騙してたのかと言われると微妙だが、ある程度こちらを信用させて話をいろいろ引き出せたらなーとか、交渉する必要があったら有利に運べたらいいかなーって。
あと途中から面白くなっちゃって悪ノリした部分もある。
でも実際の行為に及ぶつもりはなかったよ? メルの教育に悪いからね。
「おや。じゃあ女官長がキス待ち顔になったら、どうしました?」
「そんなの『もっと自分を大切にしろよ』に決まってんじゃん」
「うんうん、ですよねー♡ ちょっと私、ガンマ様好きかも♡」
ビシィとサムアップするオレとケイ=ララ。
この人とは旨い酒が飲める気がする。ヌなんとかさん涙目。
「まあまあ、女官長は少しくらい殿方に免疫つけませんと…将来ほんとうに騙されてボロボロになりますわよ?」
「わ、私の…寿退職が…すてきな旦那様と白いブランコのある小さなお家で、二人の可愛い子供にパイを焼いてあげる夢がかなうと思ったのに…」
いつの少女マンガだそれは。
よく行く定食屋に置いてあるマンガでも、もうちょっと気が利いてるんじゃないのか。
「あたしそんなマンガ読んだことあるなぁ…」
「地球のマンガは金星では知名度低いですけど、ファンいますからねえ。うちの女官長とか、神殿の私室に何冊も隠してますよ」
「ちょっとなんで知ってるの!?」
「あなたのお側役兼、護衛ですもの。ちなみに殿方に対する教育役も自認しておりますわ」
「祭具保管庫のカギは必ずかけていたのに…」
「あらあら。そちらは存じませんでした。ベッドの下に隠している本が定期的に変わるので、そうかなーと拝察していただけですわ」
そうですか祭具保管庫ですか。これは至急連絡しなくては、とケイ=ララは後ろに控えている四人娘に目で合図する。
四人は同じタイミングで胸に手を当てて一礼し、ヌなんとかさんの悲痛な懇願を無視してわいわい騒ぎながら広場の方に走って行った。
「私の聖典が…監査の目をかいくぐって集めたのに…」
「うちの神殿の監査って、結界破りまで使いますけど、どうやったんですの?」
「監査が諜報専門の術師を講師に呼んでましたから…私も立場を使って受講して…走査魔法に対抗するのではなく偽装する方向で術を組み立てて…」
「うわぁ…無駄に難度高い術を…たかがエロ本隠すためだけに…」
「エッ…! エロ本とか言わないでください!」
「それ見てキュンキュンきてモジモジしちゃったんでしょう? 健康な女性なら当然の欲求ですし、問題ありませんわ」
どうしよう。なんか聞いちゃダメな方面のガールズトーク始まっちゃった。
すげえ気まずい。ソフトクリームも食べたし、もう帰っていいかなあ。
ちょっとメルさん、ほら、もう帰ろう? もうちょっと聞いていたい?
うーん。
まあ…確かにいままで、歳の近い同性と話す機会なかったもんなあ。
バハアはアレだし、隠れて暮らすのもストレス溜まるだろうし…なんか自称・金星人の連中も悪い奴らじゃないっぽいから、知り合いになってくれたら少しはメルも気が楽になるかなあ。
やむなし。
今日くらいメルの気が済むまで付き合うとしよう。
だが、あちこちフラフラと話題が変わる女子トークに付き合う気はさらさら無いので昼寝する方向で。
弁当箱を枕にして寝転がると、木漏れ日がまぶしかった。
目を閉じて真っ先に思い浮かんだのは、ケイ=ララの槍だ。
金属環のついた長槍を活用する体術。
おそらく突き、上下の振り、左右の払いといった槍の基本動作の他に、環に相手の武器や手足、首なんかを引っかけて無力化する動作もあるんじゃないか。
オレは機械でも人体でも、何度か見て触れたものなら内部構造も含めて頭の中に再現できる特技がある。
学生の頃に先輩からエンジンが壊れたバイクを貰って、なんとか乗れるように修理しようと弄り回して、夢に見るくらい没頭してる間にできるようになった。
少なく見積もっても十五キロはあろう重い槍を軽々と扱う筋力と、それを支えて揺るがない体幹。
それを備えた人体を再現する。
そこに、ゲームアプリをダウンロードするように、考えられる技を修めた想像のケイ=ララを載せる。
いいぞ、優雅で洗練された動きだ。
自分を頭の中に再現して戦ってみても、素手では何をしても無駄だ。
彼女は微笑んだまま顔色一つ変えず、一歩さえも動かせずにすべて防がれる。
じゃあ次は、オレも得物を持ってみよう。
棒か槍を使う技術を多少習っていたようだし、身体が覚えている動きを数えながら何度もケイ=ララの幻と打ち合う。
ダメだねこりゃ。勝てる気がしない、というより相手にならない。
だけど、すごく楽しい。
ブン殴られた痛みも、それが自分の動きを鈍くすることも想像する。
一撃で骨が砕けるので得物で受けるか避けるしかないが、受けられるようなものじゃない。
避けられるのは後のことを考えずに転がって一度だけ。そして次の瞬間に潰される。
何度も挑んで、何度も骨を砕かれる。
想像の中の時間を止めて、工夫の余地を探り、それが自分に可能なのか検証する。
イメトレだけで強くなれるなら誰も苦労はしない。百日の訓練より一度の実戦が勝るというものだ。
イメトレと実戦で一番大きな違いとは何か。
それは痛みだ。
恐怖は痛さを想像してしまうから怖くなる。だから、痛みが一番大きな違いになる。
武術はその痛みを前提としている。
練習で少しずつ痛みに慣れるのも大事だが「自分はこれだけ練習した、だから痛くても勝てる、恐れずに戦える」と練習量を自信に変えていく作業という側面がある。
痛みの先にある死の恐怖を、自信で塗りつぶすわけだ。
死を目前にして、そこから生きて戻れた経験を持つ者は技術ではない強さを持っている。
きっとそれは死生観というやつなんだろう。
痛いのも死ぬのも怖いけれど、それでもやらなきゃならない事があると決意した人は、信じられないほど強いらしい。
ああ、そうだ。
その話をしてくれたのは師匠だ。思い出した。
槍術の師匠。
そっか、オレって槍を習ってたんだ。
お年を召されても矍鑠として、枯れ木みたいな手足だった。
柿渋色の作務衣が良く似合ってらっしゃった。
ツーリング帰りの夕暮れの山の中で、乗っていた大型バイクが故障して立ち往生してた師匠を、通りかかったオレが修理したのが出会いだった。
夏も盛りを過ぎれば、日が暮れると山の中は冷えてくる。
たまたま積んでたキャンプ道具で簡単な食い物とお茶を出したら、こっちが恐縮するくらい喜んでくれたっけ。
それで仲良くなって、お互い名前と連絡先だけ交換して別れた。
それから連絡が来たり、オレから電話したり、何度か一緒に走った。
細い身体なのに、大型バイクを軽くひらひらと操る姿に感心したものだ。
一緒にキャンプした夜に話を聞けば、なんと元白バイ隊員だったとか。
そりゃあ巧いはずだと笑ったら、白バイは半分趣味で本業は逮捕術の師範だという。
逮捕術とは何だと聞いたら、警察官が習う武術で相手も自分も傷つけずに制圧するものだとか。
その中のひとつ、杖術の師範だったとコーヒーを啜りながら話してくれた。
今は退官して、年金暮らしの道楽ジジイさとタバコに火をつける。
その生き方というか、あり方にオレは憧れた。
その場で警官じゃないれけど、その杖術を教えてほしいと頼み込んだが断られた。
お前らの安全を守る必要があるから、俺たちは武を学んでいるんだ。
お前が武を学ぶ必要はない。俺たちが守るんだからな、と言われてしまうとぐうの音も出なかった。
それでも、武術よりも師匠の生き方を学びたいと地面に額をこすりつけて頼んだ。
何度断られても、それでも、それでもと。
そのうち根負けしたのか、師匠はバイクの面倒を見ることを条件に弟子入りさせてくれた。
あの日から何年も師匠と過ごした。
いろんな話をしてもらったのに、思い出せないのがもどかしい。
でも、師匠が身体を悪くして寝込みがちになった頃に、ご自宅から物を持って来いと言いつけられて病院へ見舞いに行った時の話が、なぜか今になって鮮明に蘇る。
なあガンマよ、覚えているか。
お前は忘れっぽいから覚えちゃいねえかもしれないが、俺はちゃあんと覚えてる。
弟子にしてくれって鼻水垂らして土下座したときだよ。鼻水なんか垂らしてねえ?
ボケちゃいねえんだ。お前は垂らしてたよ。こう、びろーんってな…ひでェ面だった。
思い出すたびに笑えるぜ。
まあ、大事なのはそこじゃあねえ。そんなに怒んなって。まったく、まだまだ小僧だなお前は。
いいから聞けって…ありゃあ、そうだ。
何度も断ったのに、それでも、それでもってお前が言うんで俺ぁもう面倒くさくなっちまったんだがな、そん時に思い出したんだよ。
俺もお師匠に、そうやって頭ァ下げてなぁ…へへっ、懐かしくなっちまったんだ。こうやって人の縁ってのは繋がるんだろうなぁ。
ガンマ、おい、まだ俺ァいまわの際ってわけじゃねえんだ。辛気臭ェ面すんな。
だが、まあ、一応だ。
お前に取ってこさせた箱な、そいつは俺がお師匠から頂いた奥伝だ。
大事なモンだからお前に預ける。
うちの婆さんが間違って捨てちまったら、お師匠が化けて出るからよ…
……本当はな、お前にこんなモン渡す気はなかったんだ。
教え子なんざ警察に何百人だっているからな。
だがな、だからこそお前に渡すんだ。
仕事でもねえのに、杖より槍を教えろなんて生意気ぬかしやがるから、悪い考えなんざ起きないくらい徹底的に絞ってやったのに喰らいついて来やがって。
気が付いてみりゃ、お前がオレの一番弟子ときたもんだ。まったくよ、それでも、それでもって馬鹿の一つ覚えみてえによ。
やい、ガンマ。
いいか? これで修業が成ったとか思い上がるんじゃアねえぞ。
だが、まあ、一区切りではある…だから、俺の見つけた秘伝をお前に教えてやる。
やい、ちゃんと継げよ。
これで俺もお師匠から独立して自分のカンバン揚げられるってもんだ。
理合いでもなんでもねえがな。
小便漏らしてでも生き残れば勝ち、潔くても死ねば負け。
それでも勝てなきゃ、笑って死ね。そんだけだ。
今は師匠の顔も名前も思い出せないけれど、そう言って笑った師匠の声だけは忘れていない。
「それでも勝てなきゃ、笑って死ねよ…か」
言葉に出してみると、自分が情けなくなった。
オレと師匠の「それでも」は言葉の重さが、覚悟の密度が違いすぎる。
確かに、オレは事故でいちど死に直面した。歯の根が合わなくなるほど怖かった。
けれど、それはいちどだけだ。たったの一回ぽっちだ。
何度あんな思いをしたら、気負わずに師匠のように語れるのだろう。
メルが不気味だとか、そんなの、どうだっていいじゃないか。
いまオレは生きてるじゃないか。
メルに救われて、生きてるじゃないか。その恩人を信じない? 恥を知れ!
メルが何者だろうと、あいつの相棒として隣にいるんだ。
借りは返す。恩も返す。
笑って死ねるほどの覚悟なんかできちゃいないけど、それでも、いつかそうなってやる。
大きく息を吸って、肚で溜める。丹田に意と気を込めて、熱を感じる。
また一つ思い出した。ぼんやりと師匠の理合いが手のひらに戻ってくるようだ。
ゆっくり息を吐いて目を開けると、メルの笑顔があった。
「ガンちゃんおはよ」
「よく眠ってましたよ、ガンマ様」
目をつぶるだけのつもりだったけど、いつの間にか眠っていたのか。
ケイ=ララはヌなんとかさんと座ってソフトクリームを食べている。目の隠れた四人娘もスプーンを咥えて楽しそうだ。のどかだね。
「いい夢見たの? なんかすっきりした顔してる」
「うん。ケイ=ララにボッコボコにされて、師匠に叱られたよ」
「…それ、いい夢なの…?」
若干引き気味のメル。
ああ、うん。ちょっぴり言葉が足りなかったかもしれない。
ボコられて叱られて、いい夢見たぜって贔屓目に見てもドMだ。
不肖このオレ、性的な倒錯とは無縁である。なお、興味がないわけではない。
お年頃だからね、仕方ないね。
「それはいいとして、話は聞いたのか?」
「何の?」
こてん、と首をかしげて赤い目をパチパチするメル。
なんというか、動きがいちいち可愛いなこいつ。
「ほら、金星がどうとか。あいつら、メルを探してたんじゃないのか?」
「「「あっ」」」
メル、ケイ=ララ、ヌなんとかさんが綺麗にハモった。
「わ、私は護衛ですので? そういうお話をするのは女官長のお仕事です(キリっ)」
「ちょ! ララ!? あなた副官でしょ!? 代わりにお話しても問題ないんですけど!? むしろ率先して上司の補助するのが仕事じゃないんですか!?」
「とんでもない! 最年少で【守り人】に選ばれた、名誉あるヌのバローラ様を差し置いて精霊様にお話なんて、そんな畏れ多いこと私には…」
「(ブチッ)ねえそれ嫌味!? お尻触った元老院のジジイに呪いかけたのバレて、地球なんてド田舎に左遷された私に対する嫌味なの!?」
「(ブチッ)いぃえぇ? 私は別に上司が問題起こして、それに巻き添え喰ってこっちは冗談じゃ済まねえんだよ実際! だとか、レディコミ読み漁って妄想ばっかりしてるくせにブッてんじゃねえよ! だとか、エロ本経費で買いこむから使途不明金の額がハンパなくて、監査にネチネチ突っ込まれて、私がどんだけ苦労して誤魔化してんの解ってんのか毎度毎度さァ! なんて、申し上げておりませんよぉぉぉ?」
「あーっ! あーっ! そんなこと言うんだ!? 言っちゃうんだ!? あんたが祭具の補修費って計上した予算の半分が何に使われてるのか知ってるんだけどね! 領収書がこっちに回って来てんのよ! 何なのよ金星第一工務店から飲み屋の修繕費用とか! エゲリア総合病院から治療費だとか! 酔っぱらって大暴れしてるんでしょ!?」
これはひどい。
金星とやらの宗教はよく知らんが、間違いなくこいつら二人ともナマグサだ。
横領とか背任とか、そういうやつだ。
「ねえねえガンちゃん、何の話してるの?」
メル、人を指さしちゃだめですよ。あと、見ちゃいけません。
「…ララ、お互いに誤解があるようですね。この件は後でじっくり話し合いましょう」
「かしこまりました。きっちり話し合いましょう。ええ、きっちりと」
メルのぽかんとした視線に気づいて仕事を思い出したのか、ナマグサどもがそそくさと体裁を整えて正座して真面目な表情を作る。もう付き合うのやめようかなこいつら。