ツーリングに行こう③
「おばちゃんミントソフト二つッ!」
休んでいた松の木から、武装キャラバンや荷馬車の間をすり抜けて本気の全力疾走で六十秒。
人間に出せる全力の限界に挑むような距離であった。
革ジャケットの下は汗だくだし、息も絶え絶え、きっと目も血走っているのだろう。
急激な疲労で震える指先でポケットから硬貨を取り出してソフトクリーム屋のカウンターにコトリと落とすと、愛想のよかった店員のおばちゃんがビクリと肩を震わせて「ヒッ」と悲鳴を飲み込む。
「…ミントね? あとはいいの? お金はあげるから…命だけは…」
なに言ってんだおばちゃん。とにかくミントソフトだ。話はそれからだ。
荒い息をしつつ、オレは目でおばちゃんに早くとお願いする
「そ、そんな目で…はあはあして…や、やだよこの子ったら…人妻にそんな目しちゃいけないよ…」
「そんなの、どうでも、いいから、頼むよ」
「そんなにアタシを…? でも亭主が…」
いやんうふんと身をよじらせるおばちゃんだが、ちゃんと出すものは出したのだからソフトクリームを貰っていこう。お釣りはないので問題もない。
ソフトクリームは乳白色のガラス小鉢に入れて、木のスプーンを挿して販売されていた。
見た目はソフトクリームというより、ジェラードのようだがアイスの類であることには変わりない。
最悪、温かい塩味の効いたスープ的な物も予想していたので、これなら全く問題ないと言える。
ミルク色の中に粗く擦りつぶしたミント葉の鮮やかな緑が涼し気で、甘い匂いの中にミントの爽やかな香りが良いアクセントになっている。
店の横には小鉢とスプーンを返却する水桶があるので、帰りにでも戻しておこう。
オレは両手のソフトクリームを落とさないよう気を付けつつ、絹糸より細く垂れたメルのラインに沿ってまた駆けだした。このラインって、最大どのくらい伸ばせるんだろうか。
なんかの童話か野戦電話のケーブル敷設兵みたいだ。
「ええと、お嬢様方。どうもお待たせいたしまし…た」
オレがパシらされてる間も自称・金星人はぐすぐすやっていたのだろう。メルは慰めていたようだが、その表情は「そろそろめんどくさいなー」という感じである。
ソフトクリームの入ったガラスの小鉢を差し出せば、口では戻ってくるのが遅いと文句を言うがメルの目は「この空気を何とかしろ」と切実に訴えてくる。
「ほら、あんたも食えよ。旨いらしいぞ?」
金星人にも小鉢を差し出すと、恐る恐るオレの顔色を伺ってメルに助けを求める。
大丈夫だと頷くメルに促されて、そろそろと手を伸ばす。
「あの…ありがとう、ございます」
メルは地面に置いた小鉢を相手に、スプーンをスコップのように両手で持ってすくい取ろうと格闘していたが早く食べたいのと面倒になったのか「ん!」とスプーンをオレに押し付ける。
「はいはい…」
「あーん♪」
右手に小鉢、左手にスプーンという態勢でソフトクリームをすくってメルに食わせた。
人形サイズなので、メルの一口は小鳥がついばむ程度の量にしかならない。
「おいしい!」
「そうかい。マオーイまで来た甲斐があったか?」
「うん!」
「あの…すみません。精霊様とお話しても…よろしいでしょうか?」
小鉢の中身に手を付けずに持ったまま、自称・金星人がおずおずと切り出した。
好きにすればいい。もうこいつに隠しておけないのだから。
オレが頷くのを確認すると、彼女は居住まいを正して深く頭を下げた。
「では…こほん。精霊様、改めましてご生誕をお慶び申し上げます。私は金星のエゲリア神殿が女官長に奉職いたしております、ヌ=バローラめにございます。こたびの惑星霊の合にて御身が現世に結ばれることを予期し、この星で半周期の間お探しいたしておりました」
なんだこいつ、まだ設定ネタを続ける気か、と血圧が上がりかけたが彼女は真剣な目をしている。
「エーテルの恵みが薄いこの星で、新たな精霊様が目覚めるのは稀な事です。ここはあなた様に相応しい環境ではございません。どうか私めを【守り人】としてお認めくださいませ! 神殿にて、神官一同あなた様を心よりお待ち申し上げておりますれば、なにとぞ…」
メルは赤い目に困惑の色をにじませて、すがるようにオレを見つめる。
『…このひと何言ってんの?』
「ちょおま、オレに聞くなし! アレだろ? なんかお前がアレだから連れていくとか、そういうアレなんじゃねえの?」
『アレって何よ!?』
「アレってお前、そんなもんアレだよ! 特別な存在だとか高貴な血統だとか、そういうアレだよ!」
物語でよく見かける、ラノベではお約束の展開というやつだ。
しかし、他人事として読む分には良いが現実にそういう展開を唐突に持ってこられても、その、なんだ。困る。
そしてメルは当然のことながら、そういう自覚も知識もない。
なにしろオレと暮らし始めてから【蝶よ花よ】ではなく【工具よ機械よ】と育てられたのだ。
深窓の箱入り娘ではなく、作業場の(工具)箱入り娘である。これほど残念な貴種流離譚もあるまい。
小説投稿サイトでこんな話だったらブラウザそっ閉じ待ったなし。
『ちょっとガンちゃん! 声大きい! しーっ! 聞こえちゃったら可哀そうでしょ!』
金星人のヌなんとかさんにメルの声は聞こえていない。
しかし、小声でもオレの言葉は聞こえてしまっているようだし、何よりメルはクセになっているのか身振りが大きい。
声に出さなくても言いたいことのニュアンスは伝わってしまうのだ。
「また可哀そうな子だとか思ってる…思ってるぅぅーっ!」
ほら見ろ、ヌなんとかさんに伝わっちゃったじゃないか。
また泣き出したけど、今度はオレのせいじゃないぞ。
泣ーかしたぁ泣ーかした。
あ、メルさんすんません。オレも一緒に謝ります。だから右手ビンタは許してください。あれ本気で痛いんです。
「ええと…なんていうか…ごめんな?」
「ごめんね? えと、ヌ…」
「メル、人の名前はちゃんと覚えないと失礼だぞ。ヌ…」
「ガンちゃんだって覚えてないじゃない!」
もともと人の名前と顔を覚えるのが苦手な方だが、ヌなんとかさんは耳慣れない響きなので一回聞いただけでは難しい。
ヌ=バニーラ? ヌ=カローラ? そんな響きだった気がする。
さすがに目の前に本人がいるのに聞き直さず名前を何度も間違う方が失礼なので、もう一度お名前を教えてほしいとお願いしよう。
「あー…その、もう知ってるかもだけど、オレは岩間 透って言う名前なんだ。こっちはメル。オレが名前を付けた。なんとか機嫌直して、あんたの名前をもう一回教えてくれよ」
「ぐすっ…ヌ=バローラ…でしゅ…ぐすっ…」
「ヌ=バローラさん、ね。オレのことはガンマって呼んでくれ。あんたは何て呼べばいい?」
改めてよく見れば、ヌなんとかさんの着ている服は安っぽい素材ではなく、高そうなサテンのように柔らかく上品な光沢だ。
そして仕立ても良い。これを作れるのは、専門の職人だろう。
髪もヅラ…ウィッグではなく自毛で、染めてもいない。
身に着けているアクセサリも精密な彫金細工が施され、メッキではない光沢だ。
なにより、彼女の耳だ。
笹の葉のように伸びて、まるでエルフだ。
何かの特殊メイクか加工品でもつけているのかと最初は疑ったが、ぐすんと鼻を啜る時に先端まで動く。こいつは本物に違いない。
そうなると、がぜん話は変わってくる。方針変更だ。じっくり話を伺うとしよう。
まずは、できるだけフレンドリーな空気を醸すことにした。
お互いを愛称で呼び合うことからスタートして、趣味とか音楽の話題をフックに心の距離を縮める。
その時はできるだけ相手の話を聞くことが大切だ。
理解と共感を示して、肯定的な相槌と興味をもっていると感じさせる質問を投げかけ、それに感謝を伝える。
そして頃合いを見て相手を称賛したり髪型とかアクセサリを褒めたりする。
若い頃に培った当たり障りのない会話の基本であり、つまるところナンパの極意である。
「えっと、ヌはこの星の言葉にすると、司教や枢機卿にあたるものなんです」
トークを始めてから三十分ほど経っただろうか。
オレはヌなんとかさんをローラと呼べるポジションを確立。
やだこの子チョロい。委員長タイプなのだろうか。
「ローラはすごいなあ。まだ若いのに、そんな役職なんだ。でも女官長って苦労も多いんじゃない?」
「そーなんですよ! 元老院のジジイとか色目使ってくるし! この前なんか議場の廊下ですれ違う時に、お尻触られたんですよ! ほかの女官の子なんか、スカートめくられたって泣いてましたもん!」
「あー…でもさ、それってローラのこと好きなんじゃないの? なんかわかるなあ。男ってさ、好きな子にイジワルしたくなるもんなんだよ」
そうは言ってみたけど、元老院って、オレのイメージ間違ってなかったら国会議員みたいな政治の中枢だよね?
ジジイがいい歳こいて痴漢行為にスカートめくりとか、小学校か。
「えー? 絶対そんなことないですよ。私は優しい人の方が好きだし…」
「可愛いなって思う子が怒ったり恥ずかしがったりするのって、男的にクるんだよね」
「私そんなに可愛くないですもん。性格とか…」
はい自己否定いただきました。ここからが本番ですよメルさん!
何の本番なのか分からない? まあまあ見ていてごらんなさい。
「可愛いって。髪すごく丁寧に手入れしてるのわかるよ。目だって、ずっと見てたいくらい綺麗だ」
「ちょ、やめてくださいよ…そんな…」
「オレ、さっきローラのこと泣かせちゃったけどさ…ごめんな。でも可愛くて、もっと見たくてさ…止められなくって…」
気持ち声のトーンを落として、息多めに、囁くようにするのがポイントだ。
そして、そっとヌなんとかさんの手を握り、彼女の手のひらをオレの胸に押し当てる。
指が触れ合った一瞬だけわずかに抵抗を見せたが、されるがまま彼女は胸に触れている。
勝ち申した。これは勝ち申したぞメル殿!
「わかる…? 今だって…すごくドキドキしてる」
「うん…」
胸に触れた彼女の手に自分の手を重ねて、熱を伝えるように力をこめる。
行ける、いけるぞ。しかし表情は真剣そのものをキープだ。ここでニヤリとしてはいけない。
「ガンマさん…あったかい…」
「ローラの手もあったかいよ…」
どうですかメルさん。もう落ちますよこれ。
雰囲気出来上がってますから、多少強引にチューとかしても行けますよ! やっちゃいますか?
「えーと、ガンちゃんその辺にしとこう? ほら、保護者の方も心配してるし」
「保護者?」
呆れ顔のメルが指さした方に首を回すと、ヌなんとかさんと同じような服を着て、先端に彼女の胸に下げられた金属環と同じシンボルが付いた槍のようなものを胸に抱いた美人がいた。
彼女はドラマでうぶなヒロインが悪い男に騙されて、濡れ場に持ち込まれる危機一髪なシチュエーションで盛り上がってるみたいに、ハラハラワクワクと目を輝かせている。鼻息も荒い。
その後ろにも四人。
これまた似たような服を着て、胸に金属環のシンボルを下げ、全員が前髪で目を隠した娘たちが小声で「いけ、そこだ!」「そのまま押し倒せ!」「行ったらんかぇ!」「ハァハァ…」などと、こちらも観客としてエキサイトしている。
「お母さん…と、お友達、かな?」
「たぶん違うと思う…」