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キャプテン・ノーフューチャー! 工具精霊とDIYで星の海へ!  作者: やまざき
第一章 修理屋のガンマ
5/51

ツーリングに行こう①

すんません長いです。

 翌朝。

 いい天気だ。オレはタンクトップにハーフパンツといった格好で下宿屋の庭先に出て、日課の体操をする。

 下宿の縁側や庭木の上で寝ている猫たちが片目を開けてこっちを見るが、毎朝のことですぐに興味が失せたらしく二度寝に入る。

 昨夜のトラウマで悪夢を見たようで、寝汗がすごかった。

 夢であったなら、どんなに良かっただろうか。

 悲しいけど現実なのよね。いつか出会うスイートハートに癒してもらうネタが増えたと思うことにしたが、どうにも「良かった探し」ばかり上手になっているような気がしてならない。


『なんか余計なこと考えてるでしょガンちゃん! 修行はマジメにやるんだよ!』


 頭の中でコーチ気取りのメルがなんか言ってるけど、そんな立派なものじゃない。

 武道の体捌きであることに間違いないけど、この辺の記憶があいまいだ。

 棒状の…槍かもしれないけれど、自分の動きを頭の中で俯瞰するまでもなく、上下の振り、左右の払い、前後の突きなんかは得物を使う前提の動き。


 たぶんメルはオレの動き方が何かの武道だから、イコール修行だと思っているのだろう。

 だけど、それなら修めるべき技というか理合い…その流派や戦い方の技術論とか考え方を体得するという目的があって、はじめて練習とか修行と呼べるものになる。

 ところがオレは、その理合いを忘れてしまっている。目的を見失っているのだ。

 これでは、いくら体を動かしても基礎体力がいくらか上がるだけで技を修めることにつながらない。

 だから、これは体操なのだ。


 精神的には、今日はフテ寝して惰眠をむさぼりたいところなのだが、この若い身体はムダに回復力にみなぎっている。

 昨日血を抜かれたのに、あっちの方も全快。

 体を動かして発散しないと、それこそ余計なことを考えそうで落ち着かないから、こうしているわけだ。


「身体が、覚えてる、だけで、よく、わかん、ねえ、からさ!」


『ふうん? 大家さんはスジがいいって言ってたよ?』


「スジも、何も! ケンカで、使う、もんじゃ、ないよっ…と!」


 いつもなら、しっかり三十分は体操するところだけど今日は身体をほぐす程度で止める。


「すぅー…はぁ…すぅー…ふぅ」


「おしまい? 今日はちょっと短くない?」


「うん。ツーリングだからな。作業場にバイク…いや、トライク取りに行かねえと」


 メルはそうだった、という顔になってソフトクリームの味についてあれこれ想像している。

 元の世界でなら何度も食ったが、こっちで言う【ソフトクリーム】が想像通りのものか見たことがない。

 そこまで深刻な違いはないと思うが、万が一メルの期待を裏切るようなモノだと後で機嫌を取るのが大変なので、ぜひその辺りに配慮して頂きたい。


「うふふー♪ 楽しみだなあ。お出かけお出かけー♪」


 まだ早朝なので下宿から作業場までの道は誰もいない。

 人目がないのをいいことに、メルは自転車をこぐオレの頭の上に乗ってご機嫌だ。

 ちなみに今日は裾に青の水玉模様がついた白いワンピースを着ている。

 前に大家のババアが「女子に服を贈る程度の甲斐性が無くてどうする」と珍しく正論を言ってきたので、型紙を起こしてオレが縫った。

 こう見えて、手先は器用なのだ。機械もいじるが、木工も手芸も楽しい。

 作るという行為が好きなんだ。


「誰かに見られないように気をつけろよ?」


「見られたらお人形のフリするからへーきー」


 それはアレか。

 ご近所におけるオレの立場が【修理屋の見習い小僧さん】から【少女人形に手作りワンピースを着せたあげく頭に載せて自転車で徘徊する、フェアリーさんとロマンチック(失笑)なデートしちゃってるつもりの気の毒な子】に変化するということか。

 キサマ、オレをどうするつもりだ。


「いますぐ降りなさい」


「えーいいじゃん! お洋服がパタパタして、風が気持ちいいんだもん!」


「とにかく降りなさい」


「ぶー!」


 そうこうしてる間に作業場についた。

 日頃の行いが良かったので幸運に恵まれたのだろう。誰にも見られずオレの世間体は守られた。

 昨夜閉めたカギでシャッターを開け、待っていた愛車を外に出してやる。

 タンクにガソリンを入れ、フレームがむき出しの車体にシートを取り付ける。


「これに座るの?」


「うん。将軍のとこで見つけて、どうしても欲しくてさあ」


 ジャンクヤードでひと目惚れしたシートは、レース車両用のようなバケットシートだ。

 ヒゲハゲ軍団のたまり場には、そういうお宝がちらほら見つかる。

 どこから出たジャンクなのかは教えてくれないが、その方が良いこともあるんだろう。


 次は親方に頼み込んで打ち出してもらった板金加工で作ったカウルを取り付ける。

 めぼしいジャンクも見つからなかったのでヘッドライトの類はないが、古き良き時代のアメ車っぽい形だ。

 オレが下手くそなイメージ図を描いたのだが、親方は顔に似合わず繊細でグラマラスな流線形の美しいボディに仕上げてくれた。

 嬉しくなってしまったオレは、メシを餌にメルを拝み倒してポリッシャーになってもらって根性で磨きまくった。

 うっとりするほどの鏡面を眺めるだけで苦労が報われるし、指先でそっと触れると、冷たくシルキーな感触に背筋がゾクゾクする。とてもいい。


「がんばってたもんねー。えらいえらい」


 メルはボディを鏡にして、くるくる回りながらワンピースの裾をフワフワさせて遊んでいる。

 なんか軽く流されてないか。

 自称・生後半年のメルに精神年齢アラフォーのオレが、手のひらで転がされている、だと…?


「大丈夫だいじょうぶ。ガンちゃんすごいって、あたしちゃーんと知ってるもん」


「お、おう。わかってんじゃん」


 気のせいだった。

 まあ、眺めるのはこの辺にしてツーリングに出かけようじゃないか。

 多少ぐずると思ったエンジンもスパンと快調に始動してくれたし、ニヤけてしまう。


 オレのロマンを詰め込んだ新しい愛車はオープンカーで、初期のF1カーやプロペラ推進の戦闘機みたいにバスタブに入るような方法で乗り込むものだ。

 けっしてドア作るのが面倒だったからではない。メル、信じなさい。


 エンジンの暖機をしつつ、シートに滑り込むと予想以上に視点が低い。

 尻の位置を微妙に変えても、視点は地面に座ったくらいの高さだ。

 どうやら設計したときのオレは自分がガキになっていることを忘れていたらしい。

 凡ミスである。今日のところは適当なボロ布でも丸めて座布団にしよう。


 半円形のハンドルを回したり、左手でクラッチとシフトレバーを前後に動かしたり、最終チェックをしていると、鏡で遊ぶのに飽きたメルが焦れたように早く行こうと急かす。

 このまま出発しないぞ。もう一度下宿に戻ってジャケットとゴーグル取ってくるんだから。


「えー早く行こうよぉ」


「まだ朝早いんだから、マオーイに着いてもお店開いてないよ」


「えーでも、大家さんは馬車で半日くらいかかるって言ってたよ? お昼過ぎちゃうと帰りに困らない?」


 なるほど。

 メルはこのトライクが馬車なんぞと同じような速度だと思っていたのか。

 それは大いなる誤解、杞憂というものだ。

 安心したまえメル君よ。そんなもんじゃあ、ないんだぜ。


「大丈夫だよ。ともかく下宿に戻るぞ」


「んぅう」


 右足のアクセルを軽く煽り、左手を前に押し込んでギアを一速に入れ、クラッチをつなぐと車体はゆっくりと動き出す。

 エンジン音を聴きながらタコメーターをチラ見。回転数は四千五百。

 耳が覚えている回転数とタコメーターの表示はぴたりと一致していて、勘が鈍っていないことに少しほっとする。


「動いた! ガンちゃん動いたよ!」


 トライクは走り出す。

 メルが赤い目をまん丸に開いて、左右に流れる景色にはしゃいでいる。

 どうだい、ヘルメットやゴーグルで目を保護しなくても大丈夫な、ゆっくり速度で走っても自転車より速いだろう?

 こいつはもっと速く走れるんだぜ。なんせオレがコツコツ整備したんだからな。

 ギアオイルやブレーキフルード、クラッチプレートなんかが手に入らないから、いつまで状態維持できるのか分からんけど。

 五分ほどで下宿に到着すると、耳慣れないエンジン音に何事かと大家のババアが窓から顔をのぞかせていた。


「朝っぱらから、ずいぶんと騒がしいにゃ」


「大家さん! ガンちゃんすごいの! すっごい速い!」


「…ま、まあ若いから?」


 若干不機嫌そうなババアだったが、大興奮のメルに飛びつかれて勢いに押されている。

 あとメル、喜んでくれるのは気分が良いんだが微妙に誤解を招きそうな表現は控えてくれると有難い。

 ババア誤解してるよこれ。オレは早くない。そのはずだ。


 二人に声をかけ、ギシギシきしむ階段を上って下宿の二回にある自室にライダースジャケットとゴーグルを取りに戻る。

 元の世界で着ていたチョコレート色の革ジャケットは柔らかくて着心地が良いシープスキンで、要所にプロテクターが仕込まれている。

 その割に全体のシルエットはシュっとしてオシャレなので、お気に入りだ。

 右腕には、何度か洗っても落とし切れない血痕がうすく残っているが、言われなければ気付かないようなものだ。

 オレが気にしていないのだから、それでいい。

 ゴーグルは競泳用の水中メガネみたいなクラシックなデザインのものを、作業場で余ったガラスと鉄板で作って、幅広の革ベルトで仕上げた。

 こっちも中々お気に入りだ。


 ジャケットに袖を通すと、指先が袖から出ない。

 本来なら腰丈の裾は股まできてしまっていて、なんともチビになってしまったものだとため息が出る。

 袖を捲って手を出し、ゴーグルを首にひっかけて玄関まで戻ると、ババアとメルがトライクのボディ先端にある穴を覗き込んでいた。


「この穴なんだろう?」


「椅子の右側までパイプでつながってるけど、それだけにゃ」


 特に隠してたわけじゃないが、気が付いちゃったか。

 もうちょっと後で教えてやろうかと思ってたんだけどな。


「お待たせメル。出かける前に、その穴の使い方を説明しようか」


 もったいぶるほどのものでもない。

 メル専用の特等席になるかな、と思ってつけただけだ。

 パイプの中に入って、そこから前を見たらきっと楽しいだろう。

 もし嫌がるようなら高級車っぽい飾りでも付ければ隠せるしね。


「すごいすごい! 特等席! ガンちゃん大好き!」


 言うが早いかメルはパイプに飛び込んで顔を出し、両手をパタパタさせてご機嫌だ。


「ほほー。いいとこあるじゃにゃいか、ガンマ」


「こんなに喜ぶとは予想外だったけどね」


「ほれ、弁当作ってやったから適当に食べるにゃ」


 ババアは仕事に行く時に使っている鉄の弁当箱を尻尾の先でこちらに放ると、メルに何事か告げてのそのそ玄関へ去って行った。


「あざーす!」


「いってきまーす!」


 弁当からは佃煮っぽい甘辛そうな匂いがする。

 なんだよチクショウ、帰りに土産でも買ってやろうか。

 特等席からの景色に夢中なメルの後姿を眺めながら、オレは気持ちスピードを上げた。

 目的地であるマオーイは、下宿のあるバラトから五十キロほどの距離だ。

 道路は突き固めた砕石の上にコンクリートっぽい灰白色の何かで舗装されていたり、石畳だったりするのでバイクのタイヤで走るのに不自由はない。


 そして、左側通行という慣習はあるが速度制限というものは存在しない。

 荷馬車なんかが珍しくない世界なので、制限するほど速度の出る乗り物が一般に流通していないからだ。


 つまり、ぶっ飛ばし放題。


「ヒャッハー!!」


『ひゃっはー!!』


 混雑する市街中心部を避けて、愛車の調子を見ながら走ってきたが異常の兆候は感じない。

 初夏の田園風景は、輝く緑に彩られている。

 マオーイまで続く長い長い直線道路。ここで最高速テストと洒落込もう。

 ゴーグルをかけて、五速で巡航していたギアを四速に下げる。

 アクセルをジワリと踏むとエンジンの回転数も上がる。

 五千、六千とタコメーターの針が昂っていく。


 七千を超えて七千五百まで針が進んだところから本番だ。

 ツーストロークエンジンの特徴というか、数少ない長所であるパワーバンドでの暴力的な加速力。

 これが大好きで、絶滅危惧種とか幻とか言われながらも大事に整備してきたんだ。


「来た来たァ! イィィーハァァー!!」


『いーはー!』


 やたら低いシート位置のおかげでバイクより体感速度がすごい。

 シートに背中が押し付けられる加速感がたまらない。

 パワーバンドを維持しながら五速、六速とギアを上げればトライクは青い煙の尾を曳く銀の弾丸だ。

 そうだ、こいつを〈銀の弾丸〉号と呼ぼう。

 ご機嫌な名前じゃないか!


『ガンちゃん! 飛んでるみたい!』


 鳥のように両腕を広げて走行風を浴びるメル。こっちは口を開くと風圧でえらいことになりそうだ。

 十数キロの直線を五分足らずで駆け抜け、目的地のマオーイに到着して広場の端に〈銀の弾丸〉号を駐車した。

 ちなみにパーキングブレーキなどという便利なものは無い。気休めにギアを一速に入れてあるだけだ。


 大した距離じゃないとはいえ、実に久しぶりのツーリング。走行風を浴びて胸がすく思いってやつだ。

 特等席から戻ったメルも興奮冷めやらぬといった様子で、びゅーんだのぐわーだのと擬音だらけの感想をあれこれ言ってはしゃいでいる。

 な? いいだろツーリング。オレの〈銀の弾丸〉号は最高だろ? 名前がちょい微妙? そうかなあ。


「うーん。やっぱり早く着きすぎちゃったな」


「え? そんなぁ…」


 マオーイの広場は中々の賑わいだ。

 市場までぶらぶら歩けば、武装キャラバンの大型荷馬車や近所の農家さんが牽いてきたリヤカーみたいな荷車が停められて、太い脚の荷馬やロバっぽい連中が水と飼い葉をもしゃもしゃやっている。

 人もいろいろいる。

 厚手の布エプロンのポケットに紙束を突っ込んで、仕入れに準備に余念がない商売人や、反対に一仕事終わったとばかりに武器を置いて肩を回したり、水筒の中身を飲み干したりするのは革鎧をがっしり着こんだ護衛の傭兵だ。

 傭兵相手に小遣い稼ぎをしているのか、バスケットに果物や駄菓子を詰めた、麦わら帽子の子供らがきゃあきゃあ言っている。


 北海道に似ているようで、まるで違うオレの暮らしているカムイ州は水が豊富で土地も広く、肉も魚も豊富に採れるし、穀物も野菜もよその州にどっさり売るほど収穫される。

 まじめに働けば食うに困ることはない、という場所なので街の裏で繁華街の縄張り争いをするような連中を除いて住民は適当というか、あまり小さなことを気にしない大らかな気質の人が多い。

 例えば、何か世話になってお礼を言ってもカムイの人は「どういたしまして」ではなく、照れたように笑って「なんもさ」と返す。これは「なんてことないから気にすんな」という意味だ。

 誰かの世話になってばかりのオレとしては、いつか自然に「なんもさ」と言える人間になろうと思う。


 さて、オレは下げたゴーグルを首に引っかけて、右手は不自然にならないようジャケットのポケットに突っ込んだ態にしている。

 これならメルはジャケットの内側なら自由にできる。

 こそこそと懐から顔をのぞかせて周囲を見渡すメルと市場までやってきたが、まだまだ開店準備の真っ最中で、野菜や果物、ちょっとした加工品なんかを忙しそうに並べているところ。

 遅く到着して何も買うものがないよりマシではあるが、これはこれで手持ち無沙汰だ。

 

「メル、もう少ししたらお店も開くだろうさ。弁当食おうぜ、腹ペコだよ」


「んぅ」


 市場から引き返して、広場の端に停めてある〈銀の弾丸〉号に置いたままの弁当箱を取ろうと歩いていると、武装キャラバンの商売人と護衛の傭兵思しき数人のおっさんがしゃがみこんでクルマを興味深そうに眺めている。


「一人乗りみたいだが、こいつは誰のだ?」


「こんな鏡みたいなボディ見たことないぞ…えらく凝ってるな。蒸気か? 炉は何だ?」


「さっぱり分らんが、さっき鉄砲玉みたいに吹っ飛んで俺の馬車を抜いてったぞ」


 そんな声が聞こえてくると、製作者兼オーナーとしては鼻が高い。

 こいつの良さが分かる人なら、ちょっとばかり自慢したくなるのが人情ってもんだ。


「よう、おはようさん。そいつはオレのクルマだけど、どうかしたのかい?」


 ドヤ顔で声をかけると商売人は紐で綴じた紙束に〈銀の弾丸〉号の絵を描きながら、傭兵はアゴヒゲを撫でて器用に片眉を上げたり、しゃがみこんだ姿勢のままこちらを振り向いた。

 みんな日焼けして、それぞれ自分好みに工夫したつばの広い帽子をかぶっている。


「お前のクルマなのか? まだガキじゃないか」


「いや、でもさっき見たのはこいつだ。こんな赤毛、めったにいないぞ」


 そういやヒゲハゲ軍団の連中はハゲだから除外するとして、それ以外の皆は黒とか茶とか、たまに金髪を見かける程度だったな。

 自分の毛色は水浴びする時くらいしか気にしたことがないので忘れがちだ。仕事中は頭に手ぬぐい巻いてるし。


「そうさ。なりはガキだけど、オレぁこれでもバラトの修理屋だ。親方にちょっと手伝ってもらったけど、自分で作ったクルマだぜ!」


「バラトの修理屋?」


「ああ、そういや聞いたことがある。しばらく前に港のゴロツキ連中が赤毛の子供をどっかから誘拐したとか…」


 んん?


「その話なら俺も聞いたぞ。無法者が子供をさらって、奴隷みたいにこき使っているらしい」


「そうだった。可哀そうに、その子を自警団が助けに行った時には、もうバラトのどこかに売られちまったって話だ…半年くらい前だったか。まったくひどい話だ…」


 なんだこの妙な流れ。

 そしておっさんども、オレを可哀そうな子供を見る目で見るんじゃない。


「赤毛…坊主、まさか…お前…っ」


「そのクルマを盗んで…逃げて、きたのか…」


「ちげーよ!」


 なんだそのスナック感覚で同情できる苦労人ストーリーは。

 ヒゲハゲ軍団がロクでもない馬鹿ぞろいなのは否定できんが、連中にも親方にも恩がある。

 そんな話が広まっていると知れば愉快なはずがない。


 それから三十分くらいかけて、馬鹿は馬鹿なりに人の道を守っているので、あんまり怖がらないであげて欲しいとキャラバンのおっさんたちの誤解をといた。

 ギラギラ光る筋肉ハゲの大男ども全員が、揃いも揃って山賊みたいなヒゲ生やして、溶接用の黒メガネしてたら絶対カタギにゃ見えん。ハブリックイメージの大切さを痛感した。

 こんど将軍に提案しようか。ご近所に親しまれるヒゲハゲ軍団…無理か。逆に怖い。


 おっさんたちと分かれて、広場から少し離れた丘に立つ松の木陰で落ち着くことにした。

 他に人もいないし、さわさわと風が抜けていく開放感が心地良い。

 つい最近に牧草として下草を刈ったのか、芝生に寝転ぶと草の香りがする。


「いい気分だなあ」


「そうだねえ」


 しばらく草の感触を楽しんで、メルと他愛もない話をした。

 まだしばらくソフトクリーム屋は始まらないので、胡坐をかいて弁当を食う。

 弁当箱には大きい塩握り飯が二つと佃煮、玉子焼きが入っていた。

 メルは胡坐をかいた足の間に陣取って、自分の顔よりでかい握り飯にかじりついてご満悦だ。

 市場の方を眺めると、野菜売りの店が始まったようで人だかりができている。


「んー、ごちそうさまぁ!」


 まだオレが食い終わっていないのに、メル完食。

 あんな小さい口で、よくそんなに早く食えるものだ。

 感心するべきか呆れるべきか迷うところだが、早食いは消化によろしくない。

 ちょっとひとこと言った方が良いかと考えたオレは、ふと前から持っていた疑問を思い出した。


 メルは食い意地が張っている。

 でも、こいつが食ったものはどこに行くんだろう?

 オレが食事をしてもメルの空腹は満たされない。

 その逆も同じで、オレたちは別々に食べる必要がある。

 そして生物なら、食えば出るものだ。メルは精霊だというが、そもそも精霊とはいったいどういう存在なんだ?

 ヒゲハゲ将軍やババアは何か知っている風だが、オレには詳しい話をしたがらない。

 何かの折に何度か聞いても、話題を変えてはぐらかしたり、その話は今度だと先に延ばしたり、可愛いんだから何でもいいと開き直ったり。


 どういうことなんだろうか。

 オレが知るとマズいことがあるのか?

 当事者だっていうのに伏せなきゃならないような事…なのか。

 だとしたら、もう片方の当事者は何か知っているんだろうか。

 まさか、と思うけれど、薄暗い気分が急に湧いて胸を覆いだす。

 木漏れ日が暖かいはずなのに、座り込んだ尻の下から薄ら寒い冷気が上がってくるような錯覚さえする。

 こいつも、メルまでも、オレに隠しているんじゃないのか…?


「…なあ、メル。精霊ってさ、何なんだ?」


 言葉を選んで慎重に、でも気付かれないように、ごく自然に聞き出さないとダメだ。

 雑談のひとつだという顔で、ちょっとした気まぐれで聞いてみただけなんだ、と。


「どしたの突然?」


 うん、まあ、まったく突然ではある。

 自然なトーク計画は早くも暗礁に乗り上げてしまった。

 この手の探りを入れる会話というものが、本当に苦手だ。

 素直に考えを伝えて、質問したら済むじゃないかと頭の中で別のオレが呆れる。

 岩間 透(いわま とおる)にそんな芸当ができると思っているのか、と。

 我ながら正しい意見だ。一考どころか即採用だ。そうとも、聞けばいいんだ。

 

「えーとな、オレたち二人きりになることって、下宿でも作業場でも…あんまりないだろ? 親方とかババアとか、他に誰かがいる時ばっかりでさ…」


「そういえばそうだねー。いっつもガンちゃんとあたしと、もう一人は誰かいるもんね。二人っきりって、初めてかも! そうだねえ…二人っきりだね…えへへ」


 オレの膝に座って、ワンピースの裾から伸びた素足をぱたぱたしながら嬉しそうに笑う。

 こんな無邪気なメルが隠し事なんかできるのか? とてもそうは思えない。

 けれどメルは、ひとつの出来事がどういう意味を持つ結果になるか、ちゃんと理解していない事がまだ多くある。

 例えば、生き物は血を多く失うと死んでしまうこと。

 水銀のような液状金属で身体ができているメルは、最初から血が流れていない。

 血に対して「赤い水かな」程度の感想しか持たず、それに対して恐れることもない。


 だから、重傷を負った人を見ても…半年前に死にかけてたオレと出会ったときも、まるで楽しいことでも探しているように「なにしてるの?」と声をかけてきたんだ。


「今さらって気もするけどな。ほんとにさ、メルなかったらオレ死んでたと思うんだ。もしメルが居なくなっちまったら…って思うと、な?」


「なあに? ガンちゃんはあたしに居なくなってほしいの?」


 少しだけ意地の悪そうな表情を作るが、メルはまだ笑っている。


「違うよ。メルがいなくなるなんて考えたくもない。でもオレ、お前のことを全然知らないんだ。知らないのは、その…」


 怖い、と言いそうになって言葉を切った。

 メルの何が怖いのかを言葉にしてしまうと、傷つけてしまいそうだ。

 生まれたばかりだというのに知性も言葉もあって、メシは食うのにウンコしないし、詳細を説明しなくても【記憶を読み取っている】みたいにオレが思った通りの工具に姿を変えるメル。


 絶対に口に出せないけれど、本音をありのまま言えば、それは不気味だ。

 気味が悪い。事故の時、オレは、バイクから放り出されて崖から落ちた。

 岩か何かに打ち付けたのか、右腕のひじから先がちぎれて、肋骨を何本かと右の鎖骨も折れた。

 そんな事故の直後では誰だって冷静ではいられない。

 オレだってそうだ。

 こんなギリギリの場面で救命医みたいに冷静で適切な応急処置を自分自身に行える奴なんか、いるわけがない。

 だけど、ここで泣き叫んでも助からないと考えることができた。

 無理やりにでも落ち着いて、自分自身を救わないと死ぬぞと。


 そうだ。

 血を吐いたんだ。あれは鼻血よりずっと鮮やかな赤と、ヘドロみたいにねばついて黒い赤だった。

 すごく寒くて怖くて、それでもバイクに積んでいたタープ用のロープで止血して。

 思い出してしまうと身体が凍えそうだ。

 奥歯を噛み締めて耐えないと、ガチガチ歯が鳴ってしまう。


「ガンちゃん、あたしのこと知りたいの…? いまより、もっと?」


 きょとんとして、赤い瞳が何かを探るようにオレの目をのぞき込む。

 数秒も見つめ合っただろうか。

 メルは何かに気付いたようにぴくりと肩を震わせると、そっと躊躇うように顔をそむけた。

 目を伏せたり、オレを見上げたりと視線がさまよって、何かを耐えるように唇を噛んでいる。

 何に気付いたんだ?

 いや、違う。

 メルは記憶ではなくオレの思考を読み取ったんだ。

 それで辻褄が合う。


「あたしね、なんにでもなれるの」


 そのセリフをオレは何度も聞いた。

 初めて出会った森の中でも、工具に変身できると知ったときも、メルは微笑んだり、ドヤ顔だったり色々だったがそう言っていた。

 でも、今はそのどれとも違う顔をしている。

 困ったような、はにかむような、切なそうな表情を浮かべている。


「でもね…でもね、ガンちゃん…」


 メルは言葉を選ぶように顔を伏せる。

 待ってくれ、その先は言わないでくれ。聞いちゃいけない気がする。

 呼吸が浅く早くなって、息がうまくできない。

 お前の右手になんてなるんじゃなかった、なんて言われたら耐えられない。

 何か取り返しのつかないものが壊れてしまいそうだ。お願いだから。


「でもね…その…お元気…」


 お元気?


「お元気をね、その…して、あげるのは…ちょっと…ううん、すごく…恥ずかしいけど…ダメじゃないんだよ? 絶対じゃないの…」


 恥ずかしいって、メルさん?


「いっつもね、夜に…ガンちゃん、はぁ、はぁって苦しそうなの知ってるし…大家さんにも相談したけど…ガンちゃんから言うまでダメって…だから…ずっと黙ってた…」


 さあ、と心地よい風が吹いて銀糸の髪が揺れる。

 うつむき加減で髪を耳にかきあげ、頬を薄紅に染めるメルは消え入りそうな声でぽしょぽしょと言う。


「二人っきりだし…ね? お外で開放的な気分になっちゃったの? で、でもね? まだ明るいし…あたしも初めてだし…いきなりだし…そんなのダメだと思うの…」


 生物は死の恐怖に直面したとき、本能によって自らの遺伝子を保存しようとする反応するらしい。

 何かで読んだことがある。

 膝に座っていたメルはモジモジと身体をよじると横座りになり、指先で自分の唇に触れながら上目遣いでオレを見つめてる。

 透き通る赤い瞳が、いまは濡れたように切なげな光を帯びて、頭の芯が痺れて目が離せない。


「でも…でも…ガンちゃんがどうしてもって…そしたら…」


 ふ、とメルが目線を外してくれたおかげで正気を取り戻せたが…なんたることか。

 メルがいま見つめているのは、オレをこの世界まで放り投げた、あの事故でブレーキを思い切り握ってくれやがった、クソったれの本能に導かれて、猛り震える臨戦態勢のマイボーイ。


「やり方はね、大家さんが…だから、いいよ…?」


 潤んだ瞳のメルは、熱に浮かされたように、おずおずと手を伸ばそうとするメルは、なんにでもなれるオレの小さな相棒は…いったい何になろうとしたのか。


 スタァァァップ!! やめてメルちゃんそんなところ触っちゃいけません!

 どうしてそこでガチガチになってんだボーイ!? 臨戦っつーか臨界じゃないの!?

 メルちゃんそれ爆発物だから! いまちょっとでも触られたら大噴火だから!

 お前このクソ本能!

 ここでそれか!? ここか!?

 節操のない悪い本能はここかーッ!!


 空になった鉄の弁当箱をひっ掴んで、思い切りそこへ振り下ろした。

 目の奥にチカチカと火花が散り、腰の奥から吐き気に似た違和感の塊が痛みとともに上昇する。

 メルの悲鳴が遠くで聞こえるが、オレの意識は…あの風に吹かれて飛び去っていた。


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