番外編 さくぶん
月面の冒険も終わったので番外編です。
時系列では第一エピソード「修理屋のガンマ」より少し前のお話。
さいしょに目が覚めたのは、どうくつの中でした。
おかあさんが、遠くに行ってきなさいって言いました。
だから、あたしは遠くに行くことにしました。
どうくつから光がさす方に歩いていくと、外に出ました。
みどりの葉っぱや、お花がさいていました。
あたしはすごくきれいだと思いました。
うれしくなって、あたしは白いお花にさわりました。
あんまりいいにおいじゃなかったです。
何回か、夜になって朝になりました。
夜はねむいので、あたしはねました。
ずっと歩いていると、お花やはっぱじゃないにおいがしました。
くさいにおいです。
あとでガンちゃんに教えてもらったけど、がそりんのにおいです。
はながつーんってして、くさかったです。
それと、がそりんじゃないにおいもしました。
なんだかふしぎなにおいです。
がそりんはくさいけど、行ってみようと思いました。
そしたら、ガンちゃんがいました。
ばいくがたおれていて、ガンちゃんもたおれていました。
あたしはガンちゃんに「なにしてるの」ってききました。
ガンちゃんは「げんかくのくせに見てわからねえのか」っておこりました。
あたしはげんかくなんてなまえじゃないよって言いました。
そしたらガンちゃんは「げんかくじゃねえならなにもんだ」って言いました。
なにもんって言うのは、あなたはだれですかっていみです。
あたしはそのとき、メルって名前がなかったのでなにも言えませんでした。
ガンちゃんは「ばいくでこけて、右うでがちぎれてしぬところだ」って言いました。
それと「ついでにげんかくを見てるから、ながくねえな」って言いました。
あたしは「しぬってなあに」ってききました。
そしたらガンちゃんはもっとおこって「うるせえのっぺらぼう、とっととうせやがれ」って言いました。
あたしもおこりました。
だって、のっぺらぼうじゃないからです。
それなのにガンちゃんは「ばけもんなら、そこの右手をくれてやるからくってうせろ」っておこります。
あたしは「そんなのいらない」って言いました。
ガンちゃんは「それならおまえ、おれの右手になれ」って言いました。
どうしてそんなことを言ったのか、ガンちゃんに後できいたけどおぼえてないそうです。
ガンちゃんは右手がちぎれて血がいっぱい出たからしぬそうです。
しぬとうごけなくなって、ごはんも食べられないし、つーりんぐにいけないそうです。
つーりんぐは遠くに行くことです。
あたしはよくわからないけど、遠くに行けないのはかわいそうだと思いました。
だってガンちゃんも、きっとおかあさんに遠くに行ってきなさいって言われたと思ったからです。
だからあたしはいいよって言いました。
ガンちゃんの言うとおりにしたら、右手になりました。
ちょっとだけへんなかんじでした。
あたしの中に見たことがないのが、いっぱい入ってきてすごいと思いました。
そしてガンちゃんの名前を聞きました。
言いにくかったのでガンちゃんをガンちゃんってよぶことにしました。
あたしは「あたしも名前がほしい」って言いました。
だってガンちゃんだけ名前があってずるいからです。
そしたらガンちゃんはうーんうーんってうなりました。
後にしてもいいかって言うから、やだって言いました。
ガンちゃんは「だれかじょうだんだって言ってくれ」って言いました。
あたしが「じょうだんだ」って言うと、ガンちゃんはへんなかおしました。
自分で言ったのに、へんなかおするのはダメだと思いました。
それからガンちゃんは「すいぎんみてえなのっぺらぼう」って言いました。
そして「すいぎんはらてんごでめるくりうむ」って言いました。
あたしが何のことか聞いても、教えてくれません。
あたしがおこったら、ガンちゃんはびっくりしました。
ガンちゃんは「おまえ女なのか」って言いました。
ひどいと思います。
あたしは「あたしは女の子だよ」って言いました。
ガンちゃんは「ごめんな、じゃあおまえの名前はメルだ」って言いました。
あたしはメルになりました。
かわいい名前でうれしいです。
ガンちゃんありがとう。だいすき。
メル
どうにも眼が冴えて寝付けねえ。
メルは右手の中で寝ちまって、呼んでも返事がない。明日も仕事だから夜更かしすると作業に響くんだが…こんな時は濃い目のハイボールを一杯カッと飲んで寝るのが前の定番だった。だけど、残念ながらこの下宿にゃウイスキーなんて上等なモンがねえ。氷もねえ。
水でも飲んで寝るとしよう。ハイボールからウイスキーと氷と炭酸を抜けば水だ。だから水でもいいんだ。まったく良くねえけど。
ギイギイ鳴る階段を下りてババアの部屋の隣にある台所で湯呑を探していると、部屋の方から変な忍び笑いが聞こえてきた。
「ババア、起きてんのか?」
「おう。ガンマ、寝られんのか?」
「目が冴えちまってな。水でも飲んで横になろうかと思ってよ」
「面白いものがあるにゃ。メルは寝てるのか?」
「寝てるけど、面白い物って何だ?」
障子戸を開けて部屋に入ると、ちゃぶ台の上に数枚の紙を広げたババアが何か読んでいる。何度読んでも面白い、とか言うので覗き込んでみるとメルに書かせた作文だった。
しばらく前に、あんまりにも言葉を知らなさすぎるので菓子をエサに書かせたんだった。学生の頃は作文なんて大嫌いだったが、今思えばあれは書くことより考えることを目的としていたように思えるからだ。
上手な文章なんてハナから期待せず、自分の思い出や考えを頭の中から文字として出力することだけが目的。思考の言語化ってやつだ。嫌々ながらも書き終えたらしいが、あいつオレに見せてくれねえんだ。書いたって言い張るから金平糖やったけど、ここにあったのか。
「どこにあったんだ?」
「茶箪笥の奥の方に隠してあったにゃ。せんべい探してたら出てきた」
「いつ見つけた?」
「んー…半月くらい前かにゃあ。ちょいちょい読んで楽しんでるにゃ」
ずるいぞオレにも見せろ。うわ、字ぃ小っさ! そんですげえ下手だな。「わ」と「ね」の区別がつかねえぞ。「あ」と「お」も微妙だ…でも、一生懸命書いたんだな。それに、いっぱい書いたじゃねえか。メルえらいな。
作文はオレとメルの出会いのことだ。まだ半年も経ってねえのに、なんだかもっと昔のような気がする。それだけ密度が濃い時間という事かもなあ。実際、濃かったな…
「読んだ感想はどうにゃ?」
「初めての作文にしちゃ上出来だ。花丸あげたいね」
「くかかっ、親バカめ」
「抜かしやがれ」
また今度、時間のある時に書かせてみようか。そのためにも、さっさとトライク仕上げてツーリング連れて行ってやろう。スピード出したら、どんな顔するかな。怖がったりしねえよな?
「そりゃそうと、メルは最初のっぺらぼうだったのにゃ?」
「ん? ああ、そうだ。銀色の泥人形みてえだった」
「いつから今の形に?」
「メルが女だって分かんなくてさ、それ聞いた時に怒って右手から飛び出してきたんだよ。女の子だもんって。そん時にゃ、もう今のメルだったな」
ふむ、とババアは考え込む。
オレには心当たりがあるが、ババアがいくら考えても分かるハズねえよ。絶対に言わねえし、メルにも言えねえ。こいつは墓の下まで持って行く秘密だ。
ああ、とうに忘れて名前も思い出せない、初恋の子に似てるなんて死んでも言えるもんか。どうしてそうなったのかも知りたくねえ。アニマだとか言われた日にゃ恥ずかしくて自殺しそうだ。
ババアも気まぐれで聞いただけだろう。壁の振り子時計もいい時間だ。
「寝るわ」
「ん」
湯呑を流しに置いて、自室の寝床に戻る。カーテンなんて文化の香りがしない部屋は、双つ月が両方とも三日月になってるのがよく見える。薄っぺらい布団を顔まで上げて寝返りを打つと頭の中にメルの寝言がした。
『ごはん…こんぺいとう…えへへぇ』
おやすみメル。虫歯の夢なんか見ないように、ほどほどにな。
たまに気が向いたらこういうのも書こうかなーと思いました。
それにしても、意識して拙い文章を書くって難しい。
元々の文章も拙いのに、ガンマ視点になった時に引っ張られまくって焦りました。
メル…恐ろしい子…