槍使いのガンマ②
麦茶のお代わりを淹れて台所から戻ってくると、ババアは饅頭を齧りながら尻尾でメルをぐるぐる巻きにしてふざけている。
「お茶っスよ。で、本題なんスけどね。オレたちは金星とやらに行った方がいいのか、ここで暮らして問題ないのか、その辺りを聞いていいスか?」
「ふーん? それ聞いてお前は言う通りにするにゃ?」
「まだ決めてないっていうか、決めるための情報集めの段階って感じスね」
「それにゃら、もう話したにゃあ。具体的に何を知りたいにゃ?」
うーん。そう言われても、オレとしては雲をつかむような話なんだ。たとえば金星での生活だとか、向こうで危険はないのかとか、いろいろ不安要素は尽きない。
「はぁ…馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、本当に馬鹿だにゃガンマ。いちばん肝心なことを忘れてにゃいか?」
「肝心なこと…?」
「そうにゃメル。いちばん肝心なことは、おまえらが行きたいのかどうかにゃ。後の事はどーうでもいい、ノミより小さいことにゃ」
あ、そうか。ローラたちはメルを【いつか星になる】からこそ、保護しようと考えている。
ババアは【星になることもできる】と教えてくれた。それはつまり、進路選択ということだ。
金星へ行ってエゲリア神殿付属幼稚園という名門にお受験して、エレベータ方式でエリートコースに乗って星になるのか。
地球でのびのび暮らして、成功も失敗も経験しながら将来の夢を見つけるのか。
なんか急に子育てしてる気分になってしまった。その前段階も未経験なのに。
ん? ところでメルって、仮に星になるとして…何年かかるんだ? 元の世界の知識だと、数十億年というタイムスケールだったような。
「そうにゃ。千年万年なんて短い時間じゃないのだけは確かにゃ」
「じゃあ、エゲリア神殿の連中は精霊を保護した経験っつーか実績あるんスか?」
「保護したらこうしよう、というカリキュラムだけにゃ。そもそも精霊が生まれること自体が数百年に一度あるかないか、というものにゃ」
おおお。名門幼稚園だと思ったら新設で園児ゼロだった! 保母さんも経験ゼロの新人! カリキュラムはペーパープランだけで実践されていない! ローラてめえ、うちの子をどうする気だァ!?
「何事も初めてがあるにゃ。とはいえ、メルがそいつらの教材になる必要は…」
「当然、ないっスね。てか他に精霊の子がいたらメルと友達になってくれるかと思ってたのに、論外っつー感じスわ」
金星行きはナシという方向に大きく気持ちが傾いてきた。なにが【守り人】だ。そんな連中にメルを任せたりしないぞ。
「うーん。あたしここにいたいなぁ…でも、ガンちゃんと遠いところに行くのもね、楽しかったの」
初めてのツーリングは、下宿と作業場周辺だけだったメルの世界を広げたようだ。
そうだな、知らない景色を見に行くのは楽しい。
道中で苦労しても、帰ってくる頃には楽しい思い出になっている。
オレはこっちの世界に迷い込んで、どこに行けば良いのかわからない。
でもそれは、どこに行ったって構わないってことだ。目の前にある道が近道なのか回り道なのか、行き止まりなのかさえもわからない。
そもそも道なのかすら怪しい。戻れないだけで、進むも止まるもオレ次第。
「そうだな。メルと一緒ならどこだって楽しい」
「うん!」
さて、方針は決まった。金星には行かず、ここに残る。
それなら次はここに残るために必要なことを考えよう。ローラたちに金星に行かないと伝えるだけで話は済む…わけないだろうなあ。
メルを欲しがるやつらと、最悪の場合は荒事になるのかもしれない。
下宿に隠れていればババアと手下のクァールたちがオレたちを守ってくれるだろう。
じゃあ仕事に出ている時は? ツーリングの出先で襲撃されるって可能性もあるんじゃないか?
それも一度で済むものじゃなく、何度も襲われたり、相手が複数だったりするとお手上げだ。
相手が一人だとしても、ケイ=ララみたいな奴を相手にしたら到底勝てると思えない。
ローラはオレがエーテルの塊だとも言っていた。
それはメルだけじゃなく、オレにもそういう可能性があるわけだ。
はっはっは。モテ期だな。泣きそう。
「まーおおよそ顔を見れば、何考えてるのかわかるンにゃけど…結論出たにゃ?」
「出たっスよ。オレたちはここに残る。それでいいか、メル」
「うん!」
「にゃ。それじゃあ次にすることは、ガンマ?」
「メルと自分を守る方法を身に着ける」
「ガンマにしては上出来にゃ。しかしにゃ、思い上がっちゃあいかんにゃ。守るゥ? くふふふっ」
「なにが可笑しいんスかね」
ババアは鼻で笑って辛辣な事を言う。
さすがにそれはオレだってムッとするぞ。多少は言葉に険が混じるのも仕方ない。
「くはははっ! 半人前がイキってンのほど面白いものはにゃいだろ?」
確かに半人前だ。それは認める。けど、いくらババアが強いからって笑っていいことと悪いことがある。それに、多少はオレだってやれるんだ。
「まあまあ、ガンマ。お前がそこそこできるってのは朝の鍛錬で見てるにゃ。ただにゃあ、そこそこ程度の腕で、守るってのはお前…くふ、ちょーっと思い上がっちゃってるにゃあ」
なにが気に入らないってんだ。技量の問題が一朝一夕に解決することなんか、普通に考えてありえない。
それを何とかしようと思うことも、ババアは思い上がりだと言うのか?
「お前、守るってどういう意味で言ってる?」
「え? そりゃ、オレたちに手を出すのは割に合わないって思わせて…」
「あほう。それが思い上がりにゃ。無駄な戦いを避けようという考えまでは良し。でもにゃ? 戦うなら、殺せ!」
殺せ、と言った瞬間、ババアの身体が膨れ上がったように感じた。
さっきまで猫っぽい笑みの形に細められていた目が、上弦の月のような半眼に開いている。
金色の瞳が油を薄く引いた鉈のようにギラギラと光って、呼吸が止まった。
毛穴がぎゅっと締まって、身体を空気ごと凍らされたように固められているのがわかる。
「それ見たことか。ちょっと殺意を向けられただけでそのザマにゃ。どうせお前、不殺にゃんて都合のいいこと考えてたにゃ?」
…考えていた。多少のケガは覚悟してもらうとしても、殺すまでしなくても、と。
「だから半人前が思い上がってイキってる、と言ったにゃ。不殺なんてお前、そんな温いことは圧倒的な強者の特権にゃ。どこでそんにゃ世迷言を憶えてきた?」
それは、と言いかけて続きの言葉が出なかった。
オレがこれまでの人生を過ごした世界…いや、日本では人殺しは法律がどうこうの次元ではなく、強い禁忌だ。
殺人より自殺の件数の方がずっと多い国で、他人を殺すくらいなら自分が死ぬという、どこか歪んでいる社会で、その共通認識の文化で生まれて育ってきた。
「ふーん。元の世界か…お前はいい場所で暮らしていたのにゃあ…羨ましいにゃ。本当にそんな場所なら、そこに生まれたかったにゃあ…でもにゃ、ガンマ。今はここがお前の場所にゃ。その思い上がりを、最初に殺せ」
「…はい」
「よし。忘れるにゃ? それと、メル!」
「は、はい!」
「ガンマは足りないアタマ絞って、ここまでお前のことを考えてるにゃ。どうする!?」
「が、ガンちゃんと一緒に、あたしも戦うっ!」
ババアの怒声が向けられた経験が、食卓のマナー以外で皆無なメルは声をひっくり返しながらも負けじと大声で答えた。
「よし。半人前が二人。これでにゃんとか、にゃ」
ちょババア!? 待てコラ、メルが戦うとか何言ってんだ! さっきのマタタビが脳に回ってラリってんのか?
「メルが戦えるワケねえだろ!? だいいち、右手がメルの方に持って行かれたらオレが戦えねえぞ!? それでどうしろっつーんだ!」
思わず大声を出したオレに、ババアはフレーメン顔で眉間にしわを寄せる。
メルはメルで、話がまとまったかと思ったら突然オレがキレたと思ったらしく、オロオロと「ケンカしないでー!」と慌てている。
「はぁー…にゃんかもう、疲れたにゃ…馬鹿も一周回ると可愛いかと思ったら、さらに斜め上をブッ飛んだにゃ…太陽系バカ選手権で優勝にゃ…何食ったら右手と左手でバラバラに戦うにゃんてクソ馬鹿な考えにたどり着くにゃ…」
バハアは心底疲れたとばかりに寝転がって、ぐったりしている。
オレとメルのどちらも十分な強さがあるなら、分かれて戦うのも選択肢に入る。
二対一の状況を作れたら、それはすごく有利だ。しかし現時点でその戦法はリスクでしかない。
〇.五掛ける二対一、というのは戦力が分散している分だけ一対一より戦力が低下するからだ。
「だーかーらー…お前が戦って、メルが武器ににゃればいいんにゃ…」
「「あっ」」
「剣でも槍でも、盾でもムチでも、仕組みさえ工夫すりゃ【にゃんにでもにゃれる】にゃ…」
「あたしが…武器で…」
「オレが…使う」
「これだけ教えたんにゃから、もういいにゃ? 疲れたから、もう寝るにゃ…くふああぁ…馬鹿の相手は骨が折れるにゃ…全身複雑骨折で面会謝絶にゃ…」
今夜の話は終わりだから帰れ、とばかりに尻尾をパタパタやるババア。
まあ確かに今夜できることは、もう残ってないか。
オレは食べるタイミングを逃した自分の分の饅頭をポケットに入れてババアの部屋から出た。
階段を上って自室に戻る途中、屋根の上から「にゃおーう」と猫の鳴く声が聞こえる。あれもクァールなんだろう。
この下宿はサファリパークかよ。出入り自由な「猛獣」放し飼いの…逆だな。
出入り自由な「人間」放し飼いのサファリパークだ。
ババアというリーダーがゆるく統率するクァールの群れが暮らす、猫の集会場。
とんでもなく危険だけど、だから安全な巣ということだ。
この下宿を紹介してくれたヒゲハゲ将軍にも感謝しなきゃなあ。
ついでに、いつも軍団の連中に作ったものを見せびらかされて、自慢とかされてオレだって悔しかったんだ。
〈銀の弾丸〉号を見せて、今度はオレが自慢してやる。
「…ガンちゃん、起きてる?」
寝袋と大差ないくらい薄っぺらの万年床に大の字で寝転がって、天井を眺めているとメルがもぞりと右手から起きてきた。
「起きてるよ。どした? 小腹が空いたなら、饅頭食っていいぞ。半分残しとけよ」
「ううん、いらない…あのね? さっきの話なんだけど…ほんとにいいの?」
「さっきの話の、どれについてのことかわかんねえな。でも、どれについても…」
首だけ右に向けてメルを見ると、双つ月の明りに照らされて銀糸の髪が青白く光っていた。
赤い目は伏せられて、いつものメルじゃない。
寝巻き兼部屋着で作ってやった飾り気のないキャミワンの裾を両手で握って、肩ひもそんなに引っ張ったら切れちゃうだろ。
カーテンという文化の香りは、そもそもオレの部屋に存在しない。
だから、昨日が満月だったという事を差し引いても闇に慣れた目には十分に明るい。
それで、小さなメルの細い肩にキャミの肩ひもが食いこんでいるのも、その肩が少し震えているのも見えちまう。
「どれについても、いいんだ。全部オレが自分で決めたから、いいんだ」
「でも…」
「メルはオレじゃダメか? いや、こりゃズルい聞き方だな。オレが強くなれないと思うか?」
「わかんないよ、そんなの」
「…正直な感想をどーも」
そうだ、メルと一緒に戦うという前提で試したいことがあった。
声に出さず、頭の中で会話ができるのか。それを試したい。
『メル、聞こえるか?』
マオーイで耳を澄ますように聞こうと集中したら、メルの声が…独り言っつーか文句が聞こえた。
同じように、口を閉じたまま声を届けようと右手に意識を向ける。
「え…っ、いまの、ガンちゃん?」
よしよし、成功したようだ。
『そそ。よかった、ちゃんと聞こえてるな』
『うん、聞こえる。今までこんなこと出来なかったのに、どうして?』
メルは目を丸くしてオレを見る。どうしてかって、そりゃアレだ。
盗み聞きしちゃったのをヒントにしたなんて言えるはずがない。
『ちょ!? 盗み聞きってなに!? どういうこと!? 説明!』
あれ!? なんだこれも聞こえちゃうの!? ダダ洩れなの!?
『聞こえてるよ! ていうか、あたしの中で暴れないで!』
いや初めてで加減がわからん。つかメルさんそれってなんかエッチくさくね? ああいかんこれも聞かれちゃうのか。
どうしたらいいんだこれ。オレの思春期がメルに伝わっちゃったらアウトじゃね? 落ち着けオレ。
たぶん変に意識するから余計に伝わるんだ。
頭の中にスイッチを作るイメージだ。メルとのホットラインをオン・オフするスイッチだ。
アポロ月ロケットの操作パネルについているような、カバーのついたトグルスイッチ。
それをオフにするんだ。
「…どーですかー?」
「…聞こえなくなった」
よ、良かった…! 本当に良かった…ただでさえ物理的なプライバシーが無いも同然なんだ。
これで精神的なプライバシーまでダダ洩れになった日にゃ、悟りでも開かねえと生きていけねえよ。
「あー良かった。思い通りに会話する練習しなきゃな」
「そんなにあたしの中でエッチなこと言いたいの…?」
うわあ。汚物を見るような目で見ないで。そうじゃない、そうじゃないの。
「いやそうじゃなくて。これは一緒に戦う、そのための手段だ」
「どゆこと…?」
脳内スイッチ、オン。
つまり、いちいち口に出して会話するんじゃ時間がかかる。
相手にオレたちが何をしようとしているかバレるし、一瞬の判断が必要な場面で絶対に不利だ。
この会話方法をマスターしたら、オレたちは化ける。
一人で強くなるより、何百倍も強くなれる。
脳内スイッチ、オフ。
この言葉を口に出したら、少なくとも十秒は必要だ。
だけど、この会話方法なら一秒未満。瞬きする間に遣り取りできる。
「はぇー…すごいこと考えるね…でも、そうかも。すごいかも!」
「だろ? もうひとつ試したいことが…あるんだけど、すげえ眠くなってきた…」
頭の中に鉛の塊があるみたいな重さを感じる。
こりゃたぶん、今までやったことがない部分の脳みそ使ったせいだ。
メルが何か言っているけど、頭に入ってこない。眠い…