槍使いのガンマ①
少し考えさせてくれ、とオレは金星人たちに言ったものの、だ。
回答まで三日の猶予をもらったわけだが、どうしたもんかねえ。
今のところ手元にある情報は連中から聞いたものだけであって、それ以外は何もない…と言っていい。
だけど選択の余地がない、なんて差し迫った状況でもない。
状況には多少の選択の余地が残っている、と思うわけだ。で、その辺のお話を聞きたいなーって。
ええ、そういうお話なんですよ。
「ガンちゃん…どこ向いて喋ってるの?」
「いつものことにゃ」
若干時間は前後する。
マオーイから下宿屋に戻ったオレたちは、帰り道でババアへの仕置き計画をじっくり練った。そのつもりだった。
いや、実際途中までは順調だったんだ。
マタタビの枝を買って、削った粉末を下宿の縁側で寝息を立てていたババアの鼻先にふりかけるまでは完璧だった。
マタタビ粉末の効果が予想以上だった事をのぞいて、オレたちの計画とコンビネーションは実に良く機能していた。
ババアは酔ってだらしなく舌を出して、縁側の床がきしむくらいゴロゴロと転がりまわっていた。その時はメルと二人で勝利を確信したんだ。
問題は、だ。
他の猫又、いやクァールか。そいつらまでマタタビの匂いを嗅ぎつけてオレに殺到してきたことだ。
金星人からクァールの幼生は猫サイズだと聞いていたから、下宿の連中は幼生だと思っていたが…あいつら、サイズごまかしていやがった。
本当はババアより一回り小さいくらいで、大型犬みたいな図体だったんだ。
そんなやつらが、討伐するのに屈強な兵隊が何十人も必要なクァールが、見えただけで五匹もマタタビ欲しさに正気を失くして飛び掛かってきたんだ。
もう分かるだろ。あんな猛獣に襲われて無事でいられるはずがない…よく生きていられたなオレ。
クァールの群れに全身あちこち齧られ…あいつらにしてみりゃ甘噛みなんだろうけど、古いアメ車のエンジンみたいなゴロゴロ音の洪水に呑まれて、着てた服はビリビリだわ、舐められるわ吸われるわ揉まれるわ…声がかれるほど叫んだのは初めてだ…オレ、汚されちゃった。
「まさに身も世もなく、という叫び声だったにゃ。生娘でもあんにゃ声は上げにゃいわ」
で、まあそんな理由で今のオレはボロ雑巾のように庭先で転がっている。
ちなみにメルは、大家の耳の後ろを思う存分カリカリしてやったとドヤ顔である。
それ普通に甘えさせてもらったのと何が違うんだろう。
「と、ともかくだ。バハアが金星のナントカ神殿にいたって事を聞いたんスよ。オレにも関係ある話だし、聞かせてほしいんスけどね」
「物覚えの悪いガキだにゃ。エゲリア神殿にゃ。大事な話にゃったらちゃんと憶えろバカ者」
「大家さん、あたしも聞きたい。教えて欲しいの…ダメ?」
「ぐぬ…メル、お前はここに居ればいいにゃ。何も心配いらにゃいんだぞ?」
あれ? なんか扱い違くないスか? メルはオレの右手なんですが。
「黙るにゃ。メルに比べればガンマなんぞ、お刺身のタンポホにゃ」
プスークスクスと周りのクァールどもが吹き出す。やっぱ扱いひどくないスかね。
「お前ら、今から大事な話をするにゃ。悪い子がおイタしないように、しっかり見張りにゃ!」
ババアが号令をかけると、クァールたちは猫サイズに縮んで「ナーオ!」と短く一声鳴いて弾けるように散る。
それは普段のごろごろだらだらと寝たり、お気楽に虫を追いかけたりする姿とは想像もできないほど統制されて、まるで軍隊のような姿だ。
「さて、メルの頼みだから仕方なく教えてやるにゃ。ついでだから、ガンマも特別に聞いてもいいにゃ」
「大家さん!」
「その前に晩飯にゃ。腹ペコだにゃ? それと…ガンマ、水でも浴びてくるにゃ。さすがに…くっ、くはははっ」
ババアは改めてオレの散々な姿を見ると、思わずといった風に笑い出す。
そのままくるりと背を向けて二股尻尾を振りふり下宿の中に戻っていくが、背中がひくひくと震えている。くそう、また今度おぼえてろ。オレは諦めが悪いんだ。
いったんオレも玄関から下宿に戻り、着替えを持って水シャワーを浴びた。
右腕以外の全身あちこち歯形だらけになった身体を洗うと、これがまた悶絶するほど沁みる。猫どものザラザラした舌で、垢すりよろしく無茶苦茶に舐め回されたせいだ。
たぶんクァールの舌ってのは、ワイヤーブラシみたいに硬いんだ。少年の柔肌を何だと思ってんだ、まったく。
「ガンちゃんだいじょうぶ?」
洗面所で髪を拭いていると、メルが少し心配そうに聞いてきた。猫どもも多少は手加減してくれたつもりなんだろう。
ヒリヒリしているが、しばらく経てば平気になる程度の痛みなので問題ない。
「平気さ。それより、ババアんとこ行こう。じっくり聞かねえとな」
「うん。ごはん食べて、ちゃんと聞こうね」
着替えを済ませて台所に行くと、晩飯の良い匂いがした。
出汁の効いた味噌汁と、白飯のほんのり甘い匂いと、少し焦げた醤油の香ばしい匂いだ。
ババアは気が向いた時しか作ってくれないが、かなり旨いメシを作る。
そんなに塩気もないし、これといって変わった料理でもない、ごくありふれた家庭料理だけど不思議に旨いんだ。
「おう、来たにゃ。もう出来てるから、そっちのちゃぶ台に運んで食うにゃ。あぁガンマ、この弁当箱…棒か何かで叩いたにゃ? べっこりでフタが開けられないにゃ」
oh…けっこう丈夫なハズの弁当箱が、棒状の何かで強打したように潰れている。
とっさにやっちまったとはいえ、ここまで力いっぱい叩きつけちまったのか…思わず腰が引けてしまう。
…役に立たなくなったらどうしよう? ダーウィン賞にノミネートされかねないぞ。この若さで男を引退するのはやだなあ。
「あ、あたし知らないもん! ガンちゃんが悪いんだもん!」
弁当箱のへこみ痕を見て思い出してしまったのか、メルは赤くなってふくれながら晩飯の載ったお盆を運ぶ。
あれは、なんというか二人とも普通じゃなかったのでノーカンということにしたい。
ババアは無言でお盆を運ぶオレたちを交互に見て何かを察したらしく、喉の奥でくつくつと笑ってちゃぶ台に座った。
「ま、それも青春ってことだにゃ。ちゃんと仲直りしたのかガンマ?」
「したスよ。な、メル」
「…うん。ちゃんとしたよ」
「なら良し。誘う時はムードが大切にゃ。そこちゃんと考えるにゃ。メルも流されてばかりじゃ飽きられるにゃ」
「…メシの前にそういうのカンベンしてくれよぅ」
「む。もっともな話だにゃ…ほれ、召し上がれ」
「「いただきます」」
下宿でメシの時、メルはババアに食わせてもらう事が多い。
握り飯とかパンみたいに手掴みで食うか、スープのようにカップに入れられないとメルの小さな手と口には普通の食器が合わないからだ。
オレたちがこの下宿で暮らし始めて間もないころ、ババアがメルにもメシを食わせると言い出した。
物欲しそうな目で見られちゃ食欲が失せるとかなんとか、あの時はそんな事を言ってた。
それでオレがつま楊枝みたいな箸だとか、ちょっと大き目の耳かきみたいなスプーンなんかを作ってみた。
だけど、どうにもサイズが合わなくて米粒くらいしか摘まめなかったり、ロクに飲めなかったりと役に立たなかったんだ。
オレたちと同じように食えないのが悔しくて、メルはもうごはんなんか食べない! ってかんしゃく起こして泣き出した。
それでババアは二股尻尾でメルをひょいと摘まんで、自分の皿の前にぽんと放った。
「箸にゃんざ使わなくってメシにゃんかいくらでも食える」なんて言って、刺身を爪で引っかけて口の中に放り込むと、ばくんと音を立てて食った。
ん、と促されてメルがそれを真似したら、ババアはメルの顔をべろんと舐めた。
トラよりでかい猫がやると、絵面的には衝撃映像だったなアレは。
オレがそんな事を思い出していると、ババアは猫の手で器用に焼き魚をほぐして小骨を取って皿のわきに置いていく。
メルはそれが終わるのをちゃぶ台の上で正座して待っている。
「ん」
爪についた脂を舐めながらババア。
「ん♪」
ほぐした焼き魚を手づかみで旨そうに食べるメル。
どっか変なのはわかってる。でも、これがオレたちのメシ時の光景だ。
もし金星に行くことになったら、こんな静かで温かい「いつも」もなくなってしまうのかもしれない。それは、なんか嫌だな。
「ごちそうさまー!」
「お粗末様にゃ」
やっぱりメル食うの早いな。急いでメシをかきこんでオレも手を合わせて箸を置く。
「大家さん麦茶飲むー?」
「冷ましたやつがいいにゃー。ほれ、手伝ってやれ」
「へいへい」
銀のラインを伸ばして台所の戸棚を開け、煎り麦の茶筒を出したメルはヤカンに水を入れて炭火コンロに乗せる。
オレも自分の食った茶碗と皿を流しの洗い桶に沈めて、急須と湯呑を三つ用意する。
「ん」
「ん♪」
「戸棚の饅頭も食っていいにゃー」
「おー。気前いいっスね」
オレとメルの麦茶は普通に淹れる。
ババアの分はヤカンに麦茶を入れて、洗い桶で冷ましてから茶漉しで注ぐ。
ちょいと手間が面倒ではあるが、これもまた日常の光景。
だけど、これからその日常を崩すかもしれない話を聞くんだ。
半年という短くない間で形作られた、それなりに居心地の良い場所を、自分の手で崩すかもしれない。
「さあて、にゃにから話したもンかね…お前らにアタシの話をしたってのは、何て名だにゃ?」
「ヌ=バローラって子スよ。ケイ=ララって腕の立ちそうな護衛を連れて」
「バローラ…ああ、思い出したにゃ。本ばかり読んでた娘にゃ。それで【守り人】にゃとか小賢しいこと言ってきた、と?」
「お察しの通り。顔見知りだったとは話が早いスね」
「神殿にいた頃は、あっちはただの女官で、こっちは女官長にゃ。直接話したことがあったかどうか。そんな程度だにゃあ」
あらま、そんなもんか。まあ、そうか。
神殿ってのが、どのくらいの規模なのか分らんがローラたちとの話から、数百人規模を下回ることはないだろう。
その組織のトップ…例えるなら社長や専務が、いち平社員まで名前と人となりを把握していられるわけないよな。
それなら、エゲリア神殿という組織そのものはどうなんだ。
ババアが女官長だったのなら、内情に精通しているはずだ。守秘義務とか言い出さないでくれよ?
「神殿にゃー。退屈で、大して意味のない儀式ばっかりだったにゃあ。そもそも、連中は精霊について勘違いしてるにゃ」
「どういうことスか?」
「精霊は、いつか星ににゃるとか言ってたにゃ? それは間違っていにゃいけど正しくにゃい」
つまり、とババアは麦茶をぺちゃぺちゃ舐めて言葉を切る。
「メルがいつも言ってるにゃ? にゃんにでもにゃれる、と。そういうことにゃ」
「いやわかんねえし。もうちょっと噛み砕いてくれって」
「シモにばっかり血ィ回してにゃいで、オツムにも回すにゃ。誰の道もひとつじゃあにゃいってことにゃ!」
それは【いつか星になる】のではなく【星になることもできる】ということか。
星になる運命というか、確定した将来のレールが敷かれていて、それに従うだけの生き方しか持てないのではなく、メルがそう望むなら星になれる。
そうではない生き方を望むのなら、別の道に進むこともできる。そういうことか。
「そうにゃ。メルに限った話じゃにゃいが、大昔は精霊を「星の娘」なんて言い方したにゃ。惑星霊の分霊にゃと考えられていたこともあるにゃ」
また新しい単語が出てきた。惑星霊って何だよ。
「にゃあ…話の腰を折る小僧だにゃあ。惑星霊ってのはにゃ、簡単に言うと星の真ん中にいる、ものすごく強力な精霊にゃ。メルを産んだ母親にゃ」
ババアは麦茶を飲み干して、お代わりをよこせと鼻先でオレの方に湯呑を滑らせてくる。
自分で言っといて、いいところで腰を折るんじゃねえよ。仕方ねえババアだ。
「ちゃーんと冷まして淹れるにゃー。まあ、広い意味では、この世の生き物はみんにゃ星の子供にゃ。メルだけ特別じゃにゃくて、みーんにゃ同じにゃ」
「あたしもおんなじ?」
「そうにゃ。みーんにゃ同じにゃ」
なるほどね。大人しく聞いてるメルが、話を悪い方に取らないよう気を使ってくれたわけか。
亀の甲よりなんとやら、だ。メルはババアに鼻先を擦りつけてられて、くすぐったそうに笑っている。
ほんと、ババアはメルに甘いなあ。
「あーガンマだけは別だにゃ。お前は別の世界から転がり込んできたから、星の子じゃにゃくて、よその子にゃ」
ほんと、ババアはオレにきついなあ。