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【二十八】幽霊からのメッセージ

 流木に腰を下ろす綾香は、鈍色の雲が広がる空を見つめた。


 由香里はどこにもいない。


 いったいどこに行ってしまったのか。


 自分たちにはまだ見ることができないゲートを通って現実世界に帰ってしまったのだろうか……。


 だとすれば、旅客機の墜落現場にひとりで向かったことになる。それも短時間で。校内にいるときのようにワープでもしないかぎり不可能だ。


 綾香は、空から一同に目を転じた。


 全員がいつもどおりの表情だ。それなのに、カラクリについて真剣に話し合おうとするたびに態度が変わる。だが、綾香も囁き声に反発するたびに、頭痛を感じていた。ときどき顔を歪めている健も頭痛に耐えているはずだ。


 囁き声が聞こえる理由を突き止めたいところだが、謎が明らかになればすべてわかることだ。しかし、肝心な謎が明らかになる日は遠い。お腹も空いた。


 由香里はあたしたちを見捨てたのだろうか……。


 いまごろ東京でパフェでも食べているんじゃないだろうか……。


 由香里はあたしたちを裏切ったの?


 そんなことない! 由香里が裏切るはずない!


 綾香は頭をよぎった不安を払拭して、スマートフォンの画面に視線を下ろした。


 <8月1日 火曜日 15:25>


 日付は相変わらず出航日で止まっている。この島に流れる時間は進んでも、自分たちの年齢は十七歳のまま。


 ツアー会社の名前が『ネバーランド 海外』だから『ピーターパン』と重ねてしまい、そう思い込んでしまっただけなのだろうか……。

 

 いや……ちがう……。


 表示された日付が止まっていることに気づいたあのとき、ツアー会社が関係していようがいまいが、自分たちの年齢が止まってしまったような気がした。


 でもなぜか、明彦でさえ、それを追究しようとはしなかった。


 もしかしたら、あの時点でカラクリの答えに恐怖を感じていたのかもしれない。


 それなら、年齢が止まってしまった謎も追究しなくてはならない。


 スマートフォンの画面を見つめている綾香に結菜が言った。

 「明彦たちと落ち合う時間まで由香里を捜そうよ」


 「そうだね」綾香は返事した。「もう一度、ジャングルを捜してみよう」


 綾香が流木から腰を上げると、一同も腰を上げた。


 健が綾香に顔を向けた。

 「よし、行こう」


 綾香は返事する。

 「うん」


 一同は靴に足をとおした。由香里が失踪した直後は靴を履く余裕はなかったが、ジャングルの大地には危険が潜んでいるので念のために靴を履く。準備が整った一同は歩を進めた。砂浜から湿った固い大地のジャングルへ移動し、霞がかった周囲を見回した。やはり、由香里の姿はない。名前を呼びながら歩を進めると、突然、前方にまなみが現れた。驚いた一同は後退る。


 「まなみちゃん……」健が話しかけた。「由香里の居場所を教えてほしい。本当は知ってるんだろ?」


 健の問いかけに答えないまなみに、綾香が声を張った。

 「小夜子のこともカラクリのことも知っていたって、明彦から聞いてる! どうせあたしたちの会話を隠れて聞いていただけなんだろうけどね! でも、本当に全部知ってるなら、あたしたちよりも島について詳しいよね!」


 健以外は、綾香の言葉に驚愕した。


 結菜が綾香に訊く。

 「小夜子のことまで知ってたの?」


 いまのみんなは、囁きに支配されている。詳しく説明したところで意味はない。綾香は、結菜の質問には答えずにスマートフォンの画面をまなみに向けた。


 「一部始終を見ていたなら年齢についても知ってるんじゃないの? あたしたちはこの島にいるかぎり十七歳のままなの? スマホに表示された日付と時間が関係してるんじゃないの? もしそうなら、なぜなの? どうなの? 答えて!」


 まなみは静かな声で言った。

 「あなたたちの推理したとおり、スマートフォンの時間は、この島に流れる時間。止まった日付は、あなたたちの年齢。そしてそれは、あたしたち死者からのメッセージ。もう気づいてもいいころよ。いいえ……本当は気づいているはず……あなたなら……」


 綾香は訝し気な表情を浮かべた。

 「死者からのメッセージ? どういう意味?」


 まなみは綾香を見据えた。

 「たとえこの島に百年いても、あなたたちはいまと変わらない。十七歳のまま。思い込みの空腹が頭を混乱させているだけ……」


 木陰から男が出てきた。

 「本当に空腹を感じているのか?」


 怖くなった綾香は、身を強張らせた。

 「当たり前でしょ。ほとんど何も食べてないんだから。汗だってかくし喉も渇く」


 男は綾香に質問を続けた。

 「本当に汗をかいているのか?」


 綾香は言う。

 「馬鹿げてる……かくに決まってるでしょ。炎天下を歩けば汗だくよ。全部見ていたならわかってるはず」


 斗真が小声で言った。

 「幽霊は何が言いたいんだ?」


 「さぁな……」斗真に返事した健が、男に訊く。「俺たちにわかるように説明してくれないか?」


 男は言う。

 「君たちを助けたい―――」


 健と綾香は驚いた。

 

 (助けたい? 明彦と純希から聞いた話と同じだ。だけど、連れて逝こうとしているようにしか思えない……)


 まなみは健に手を差し出した。

 「さぁ……あたしの手を取るの。真実はあたしの手の中にある。あたしの手を取って―――真実の中に現実がある―――」


 まなみと男の背後に、大勢の乗客の幽霊が現れた。霧がかった周囲の光景が不気味さに拍車をかける。


 「あたしたちを助けたいだなんて嘘だ!」綾香は一同に向かって声を張った。「逃げないと連れて逝かれる! 逃げて!」


 一同は一目散に逃げた。幸い浜辺に近かったので、すぐに退散できた。一同は、後方を見て幽霊を確認した。やはり、ここまでは追ってこないようだ。前屈みで息を整え、乱れた気持ちを落ち着かせた。


 光流が綾香に訊く。

 「スマートフォンの画面表示は、あいつら死者からのメッセージって本当だと思う?」


 綾香は否定する。

 「訊いたあたしが馬鹿だった。死者からのメッセージだなんて、意味がわからない。だいたいそんなことできるわけないじゃん。それにあいつらの目を見たでしょ? 殺意しか感じなかった」


 光流は周囲を見回した。

 「早くあの世に逝けばいいのに……どうして俺たちを見張っているんだろう?」


 綾香は言った。

 「あたしたちを道連れにしたいから、あいつらを見ているとそれしか考えられない」


 光流が言った。

 「道連れ……。やっぱり、そうだよな」


 恵が言った。

 「この世に未練があるから、生存者のあたしたちを妬んでる。あいつら、あたしたちを連れて逝くまでは、意地でも成仏しないつもりだよ」


 綾香は重苦しいため息をついた。

 「由香里……どこにいるの? こんなに心配してるのに……」

 

 腕時計を確認した斗真が言った。

 「あと五分で時間だ」


 綾香は背後が気になった。

 「ここは気分的によくないかな……。ベンチに戻って学校に行こう」


 場所を離れた一同は流木に腰を下ろし、倉庫に意識を移動させた。すぐに外気の変化を感じて目を開けた。類たちはまだ来ていない。

 

 (明彦と純希は、囁きと心の不安を類に説明できたのだろうか? あたしと健は、その機会を窺ったけどけっきょく言えずじまい。ここでのミーティングが終わったら、みんなに説明しないと、いつまでたっても先に進めない)


 綾香は、理沙に到着を知らせるために鏡に顔を向けた。その瞬間、信じ難い光景が双眸に映った。正午にここに訪れたときは、いつもどおりの理沙だった。それなのに、いまにも倒れそうなくらいに衰弱して見えたのだ。室内も異様に暑い。これでは熱中症になってしまう。だが、まばたきをすると、いつもの理沙に戻っていた。


 驚いた綾香は、ゆっくりと屈んだ。そして理沙を顔をまじまじと見つめた。

 「何? いまの……」


 健が綾香の耳元で小声で訊いた。

 「ひょっとして、見えた?」


 綾香は動揺しながら返事した。

 「う……うん」

 (これは幻覚じゃない。ガチだ……)


 健は息を吐きかけ、鏡に文字を書いた。

 《おまたせ》


 理沙は笑みを浮かべた。

 「その字は健。正午に見たからもう覚えたの。類よりは上手だけど、特徴的だったから。悪いことはできないね」


 健は微笑みながら鏡に息を吐きかけて、返事を書く。

 《いい子だから大丈夫》


 そのとき、類たち三人が現れた。類はすぐに鏡に息を吐きかけて《来たよ》と到着を知らせた。だが、類の笑顔とは対照的に、明彦と純希の顔に笑みはなかった。


 健が、綾香にも衰弱した理沙が見えた、ということを間接的にふたりに伝えた。

 「おつかれ。仲間がひとり増えた」


 健の言いたいことがわかったふたりはうなずいた。

 (ついに綾香にも……)


 結菜が明彦に訊く。

 「おつかれ、明彦。なんの仲間が増えたの?」


 こちら側に来てほしい。だが、いまの結菜は、囁きと恐怖心に負けてしまっている。

 「疲労困憊の仲間」


 結菜は苦笑いする。

 「そんなのあたしだって同じだよ」


 「ところで……」浜辺で待機している一同の中に由香里の姿が見えないので、明彦は訊いた。「まだ見つからないんだ」


 一同の表情は暗い。結菜は首を横に振る。

 「どれだけ捜してもいないの」

 

 明彦は深刻な表情を浮かべた。

 「本当にどこに行ったんだろう……」


 「三十分ほど前に由香里を捜しにジャングルに入ったときのことなんだけど……」翔太が話の途中で、理沙と楽しそうにやりとりしている類に目をやった。「真剣な話なんだ。集中してほしいかな」


 「あ、ごめん」類は、翔太に顔を向けた。「つい」


 綾香と健は、翔太に目を向けた。


 いつもどおりの翔太だ……。自分たちの体に起きた異変を確かめるために、海に飛び込んで無茶をした。いまもカラクリに真剣だ。 


 それなのに、囁きが原因でカラクリに恐怖心をいだくようになり、本来やるべきことではなく、真逆の言動をとるようになる。囁き声が聞こえる理由はわからないが、早くいつものみんなに戻ってもらわないと先に進めない。


 中断した話の続きを聞きたい明彦は、翔太に訊く。

 「で……ジャングルでどうかしたのか? また幽霊が出たとか言わないよな?」


 「そのとおり」翔太は、類を注意するために中断した話の続きをする。「俺たちを助けたいって言ってきたわりに、目の中は殺意に満ちていた」


 「そっちもか……」

 (俺たちも幽霊に同じことを言われた。翔太が言うように殺意に満ちた目をしていた。人助けをするような目つきじゃなった。やっぱり、俺たちを道連れにしようとしているだけなのだろうか?)


 綾香が言った。

 「なんでもお見通しってかんじだったから、試しにあたしたちの年齢についても訊いてみたの」


 明彦は訊く。

 「どうして俺たちが十七歳のままなのかはっきりしたのか?」


 綾香は首を横に振る。

 「死者からのメッセージだって言ってたけど……訊いたあたしが馬鹿だった」


 明彦は訝し気な表情を浮かべた。

 「死者からのメッセージ? どういう意味?」


 綾香にもわからない。

 「さぁ?」


 健が言った。

 「俺たちを連れて逝こうとしているのは確かだ。だけど……あいつらの言っていることのすべてが、本当にでたらめなのかなって思うんだ」


 同じ意見の明彦は、健に言った。

 「俺もそれは考えた。でも、追及しても具体的なことは何も教えてくれない」


 健はうつむいた。

 「由香里もそうだったな、何も教えてくれなかった……」


 綾香は真剣な面持ちで言った。

 「由香里は本当にカラクリを解いたのか、それともちがうのか、ずっとそればかり考えてる……」


 明彦は綾香に訊く。

 「由香里の行方は見当もつかないんだろ?」


 綾香は明彦に言う。

 「うん。だから困ってる」


 「そうだよな」


 「明彦たちは浜辺に引き返しているんだよね?」


 「あすの夕方には浜辺に到着すると思う。だけど、みんなが待機している場所に辿り着けるわけじゃないから、合流するのに少し時間がかかる」


 「わかったよ」


 心配そうな表情を浮かべた結菜が、明彦に言った。

 「また迷わないように慎重にね」


 「大丈夫、わかってるよ」結菜に微笑んだ明彦は、一同に言った。「みんな、今夜のミーティングは別々にしよう」


 類が明彦に理由を訊いた。

 「どうして?」


 理沙が衰弱して見える自分たちとみんなは明らかにちがう。みんなには囁き声が聞こえているはず―――


 囁き声に関して類に伝えたあと、強引に進む方向を変えた。それは二対一だったからできたのだ。囁き声に打ち勝つためには、強い精神力が必要。綾香と健は、七人を相手にどのようにして伝えるのか……。


 「理沙が衰弱して見える俺たちと、いつもの理沙にしか見えない類たちのあいだには、なんらかのちがいがあるはずなんだ。いまみんなと一緒に話し合っても、意見がくいちがうだけだと思から」


 「なるほどね、わかったよ」類は返事した。「俺らも由香里を捜すために知恵を出し合うよ」


 「ありがとう」明彦は反対されなくてよかったと安心する。「じゃあ、またあとで」


 綾香、健、純希は、明彦に歩み寄った。意識を集中させて自分たちの教室にワープした。


 四人は整然と並んだ机の上に腰を下ろした。そのとき、引き戸がひとりでに閉じた。現実世界の生徒が教室から出ていったのだろう。


 四人は窓の外に広がる景色に目をやった。見慣れた東京都の光景が広がる。眺めても虚しくなるだけだ、とため息をついたそのとき、わずかに開いた窓に気づいた。


 綾香は窓に歩み寄り、外の世界に手を出そうとした。だが、昇降口のドアと同じように弾き返されてしまう。指一本たりとも校外に出せない。ここは学校と鏡に閉じ込められた世界だ。諦めた綾香は、ふたたび机に腰を下ろした。


 「倉庫で見てわかったと思うけど、囁きのことをみんなに伝えられなかった。タイミングを見計らって打ち明けないとね。でもなんだか怖くて……」苦笑いする。「友達に怖いって言うのもへんだけどね」


 健が言った。

 「大袈裟かもしれないけど、俺と綾香を殴れって命令を囁かれたら、みんなはどうするんだろう……とか、そんなことを考えたら不安で言えなかった」


 純希はふたりの気持ちを考える。

 「逆の立場だったら俺でも躊躇ったよ」


 明彦は、健と綾香に真剣に言った。

 「ジャングルで類に打ち明けたとき、あいつ背中に何かを隠したんだ。もしかしたら俺たちを傷つけようとしたのかもしれない。わからないけど、いいかんじはしなかった」


 健と綾香は動揺した。


 綾香は信じたくない。

 「そんな……類にかぎって……」


 明彦は言った。

 「情に厚いあいつがって思いたいけど……類が一番重症のような気がする」


 純希は深刻な表情を浮かべた。

 「きな臭くなってきたよな」


 健が疑問を言った。

 「小夜子の頭の中にも、本来の自分と真逆の言動をとるもうひとりの自分の囁き声が聞こえていたのかな?」

 

 「さぁ……」明彦は首を傾げる。「類からは聞いてないけど」


 純希も健に言う。

 「俺も何も聞いてない。てゆうか、いま訊いたところでまともな返事はないと思うよ」


 質問の答えがわからずじまいの健。

 「絶対に嘘つくよな……」


 純希は疑問を口にする。

 「だけど、三十年前の展開とちがう点がいくつもあると、小夜子の時代とはちがうのかなって考えちゃうよな。たとえ結末が同じでも途中経過がちがいすぎる」


 綾香が言った。

 「漂流物や幽霊の出没も含めて三十年前と異なる。続編なんだと考えれば当たり前なのかもしれないけど、もしそうならゲームは別物だし、いままでしてきた推理のすべてが無駄になってしまう。そのことで頭を悩ませていたときに囁き声が聞こえたの。無駄にするべきだ、無駄にしたほうがいいって……」


 純希は言った。

 「ということは、無駄にするべきじゃないってことだよな」


 綾香も言う。

 「真逆に考えればね」


 明彦は胸の前で腕を組んで考える。

 「この島のすべての謎は、ひとつの共通点に繋がっている。それがカラクリの答えを解くために必要なキーワードになっているはずだ。そのキーワードに気づいた由香里は、ガチでカラクリを解いたんだ。そのあと、なぜか忽然と消えた」


 「由香里はキーワードにいつ気づいたんだろう……」と、ため息を綾香はぽつりと言った。


 島の謎の共通点を “キーワード” と言った明彦に続いて、綾香も同じ言葉を使った。このときから、ひとつひとつの謎の共通点を、カラクリを解くために必要なキーワードとして考えるようになった。


 明彦は真剣な表情で肝心な話を切り出した。

 「俺がミーティングを別にしたのにはわけがあるんだ。一番最初に理沙がゾンビみたいだと言ったのは由香里だ。そのあとカラクリの答えに気づいて姿を消した。

 もし、この中で誰かがカラクリの答えに気づいたときには、理解できないと勝手に判断しないでほしい。たとえ答えを理解できなくてもみんなで考えればいい。必ず教えてくれ。それを言いたかったんだ」


 三人はうなずいた。そして綾香が明彦に言った。

 「明彦もね」


 明彦も約束する。

 「もちろんだ。これから先、隠しごとはいっさいなしだ」

 

 純希が不安を口にした。

 「あのさ……カラクリの答えが解けた瞬間、体が消えちゃうとか、超怖いオチじゃないよな?」


 明彦が否定した。

 「ゲートを通り抜けて現実世界に帰ることがゴールなんだ。それはないだろ?」


 「だよな、それならいいんだ」純希は、綾香と健に言った。「由香里も心配だけど、お前らも心配だ。囁きや心の不安をいまみんなに打ち明けたほうがいいと思う。浜辺で話すとなれば七対二になっちゃうじゃん。心配だよ」


 だが、明彦は純希の意見に反対する。

 「俺はやめたほうがいいと思う。襲ってきた場合、校内だとワープが可能だから逃げ場がたくさんある。だけど、肝心な肉体は浜辺なんだ。それも眠りに落ちた無防備な肉体だ。誰かが浜辺に意識を移動させたらって考えると怖くないか?」


 顔を強張らせた純希。

 「考えすぎじゃね?」


 綾香も明彦に言った。

 「そうだよ。だって、それって……ガチであたしたちを殺そうとしてることじゃん」


 明彦は真剣だ。

 「いや……殺さなくても傷つけることならできる」


 明彦には大袈裟なところがある。それでも自分たちが置かれている状況を考えれば慎重に行動するべきだ。綾香は不安を感じた。

 「友達なのに……どうして……」


 「とにかく、いまは油断大敵だ」明彦は机から腰を上げた。「そろそろ戻ろう。怪しまれる」


 綾香も腰を上げた。

 「そうだね」


 目を瞑って倉庫に意識を集中させると、一同の話し声が聞こえた。四人は、同じタイミングで理沙に目をやった。かろうじて受け答えする理沙の姿が痛々しく思えた。


 時間ごとに衰弱しているように見える。室温も異様に高い。だが、まばたきをするといつもどおりの理沙に戻っていた。室温も適温だ。


 純希がぽつりと呟く。

 「理沙は大丈夫なんだろうか……」


 類が純希の呟きに返事した。

 「見てのとおりずっと元気だよ。またゾンビにでも見えた?」


 いまの類に何を言っても無駄なので、純希は返事しなかった。

 

 綾香が理沙に訊いてみる。

 《体調は?》


 理沙は、笑みを浮かべた。

 「体調? 元気だよ。この字は綾香ね」


 《そうだよ》


 「体調を気遣ってくれるのは嬉しいけど、あたしは綾香たちが心配だよ」


 理沙が衰弱して見えるのにも理由がある。鏡の向こう側にいるのは現実世界の理沙だ。その理沙が笑顔で元気だと言えば大丈夫なのだろう。現に体調がよさそうなので、たわいない会話をした。


 《あたしたちも元気 でもジャングルは暑いから かき氷がたべたいな》


 「あたしも。苺味がいい。綾香はメロンでしょ?」


 《うん》


 「子供のころからメロンが大好きだもんね」


 類も食べたいかき氷の味を書いた。

 《おれはブルーハワイ》


 理沙は微笑んだ。

 「去年の海水浴場を思い出すね」


 類はうつむいた。

 (胡散臭いモニターツアーなんかに登録しなきゃよかったんだ。今年も都内の海水浴場にしておけば、こんな目に遭わなかったのに……。みんなにも迷惑をかけたな)


 綾香は、類の表情から気持ちを察した。

 「現実世界に戻ったら理沙も一緒にキャンプしよ」

 (いまはいつもの類なのに……)


 「そうだな。現実世界の安全なキャンプだ」と綾香に言った類は、息を吐きかけて文字を書く。《今年も海に行くぞ!》


 理沙は目を輝かせた。

 「うん、行く! 楽しみにしてるね」


 類は綾香に言った。

 「現実世界にさっさと帰りたいよ。俺はカラクリの答えに恐怖なんて感じない。これ以上、理沙に心配かけたくないんだ。だから早くカラクリの答えが知りたいんだよ」


 囁きに支配されていたときは、早く答えが知りたいと思う自分と、不安や恐怖に駆られる自分がいた。そして、囁きには抵抗できなかった。囁きが聞こえている類の言葉を信じるわけにはいかない。明彦にも言われているように油断大敵だ。


 「あたしも早く答えが知りたい」と綾香は軽くあしらった。


 明彦は、壁にもたれて座っている結菜のところへ歩を進めた。

 「元気?」と話しかけてから、床に腰を下ろした。


 結菜は微笑みを返す。

 「正直、腹ペコ」

 (あたしは空腹なのに、あの幽霊は “本当に空腹なのか?” と訊いてきた。何が言いたかったのだろうか?)


 「俺もだよ」明彦は、真剣な眼差しで結菜の髪を撫でた。「結菜……」


 結菜は髪を撫でてきた明彦を見上げた。

 「どうしたの?」


 明彦は言った。

 「囁きに負けるなよ。不安に打ち勝つんだ。じゃないとこの島から脱出できない」


 結菜の顔から笑みが消えた。

 「ごめん……意味がわからない」


 「そっか……」

 (やっぱり、いつもの結菜とちがう。囁きが聞こえているんだろうな……)


 「そろそろ島に戻らなきゃ。ジャングルはすぐに暗くなるから、明るいうちに距離を稼いだほうがいいよ」


 「うん、そうだね」と結菜に返事した明彦は、純希と類に声をかけた。「戻ろう」


 純希が返事した。

 「そうするか」


 類は鏡に息を吐きかけて《また来る》と書いた。


 「待ってるね」理沙は笑みを浮かべた。「ずっと、待ってるからね」


 《あいしてるよ》


 理沙は嬉しそうな表情を浮かべた。

 「あたしも愛してる」


 明彦は、綾香と健に「気をつけろ」と小声で言ってから、結菜の顔を見た。

 

 いましがた冷たい表情を浮かべた結菜は、明彦と目が合うと「またあとでね」と、いつもどおり穏やかな様子で手を振ってきた。


 「うん」と、返事した明彦も手を振り返し、ジャングルへ意識を移動させた。





遭難五日目【七】全力疾走・・・・・・・・・・




 ジャングルに戻ってきた三人は腰を上げた。見上げれば鈍色の空。このまま曇りが続いてくれると歩きやすいのだが、この空も長続きしないだろう。それがこの島の天候だ。


 類はポケットからスマートフォンを取り出し、時間を確認した。


 <8月1日 火曜日 17:06>


 「日が暮れる前に歩こう」


 「うん」と純希が返事した。


 ジャングル一帯を見下ろせる場所を目指して歩いていた。浜辺に引き返すには、来た道を戻らなければならない。そのため、しばらくのあいだ下り坂を歩く。大地の泥濘に足を取られそうになりながら、ゆっくりと慎重に前進した。


 明彦は、足元に注意を払いながら類に訊く。

 「類、あのさ……囁きのこと、小夜子から聞いてないのか? 彼女にも聞こえていたかもしれないし……」


 類は曖昧な返事をした。

 「聞いてないような気がする。それに聞いてたら教えてるよ」


 「気がするって……」ずいぶんと適当だなと思った。類は嘘をついている。つまり、小夜子にも聞こえていたということだ。「そうか、わかったよ。聞いてないんだな?」


 類は言った。

 「うん、聞いてないね」


 三十年前と現在が繋がった。アメリカ人からカラクリの答えを説明されても理解できなかった理由は、おそらく囁き声が聞こえていたからだろう。小夜子は囁きに抗えずに、誰かを殺してしまったと考えるべきなんだろうか……。


 だとしたら……仲間を殺害した小夜子にカラクリの答えを説明するはずがない。何度考えても腑に落ちない。


 どちらにせよ、はっきりとした事情がわかってないのだから、類と浜辺で待機しているみんなを早く正気に戻さないと俺たちが危ない。衰弱している理沙が見えたとき、 ‟理沙の身を案じる必要はない” と囁いてくる声が聞こえた。俺はその命令に従わなかった。


 類……。


 囁きに負けて俺たちを殺すのか? 


 俺たちの友情ってそんなものじゃないはずだ。


 この囁きにもきっと意味がある。いまはわからないけど、そのうちすべての謎を明らかにしてみせる。


 「なぁ……」前を歩く類との距離が離れたところで、純希が明彦に小声で話しかけた。「デスゲームが起きたら綾香と健、ヤバくねぇか?」


 由香里が懸念していたデスゲーム。あのときは馬鹿らしいと思っていたが、いまは一番の不安要素になっている。明彦も深刻な表情を浮かべた。


 「俺もそれを考えていた……」


 「あす浜辺に到着する。それから俺たちを交えて、みんなに打ち明けたほうがいい。ふたりだけじゃ危ないよ」


 「そのほうがいいかもしれないな」


 「つぎに学校であったらすぐに伝えよう」


 「それまで何事も起きなければいいけど」


 「そうだな。ところで、もう囁き声は聞こえないのか?」

 

 「ときどき頭痛はあるよ。でも囁きに関しては、俺の精神力が勝ってから聞こえなくなった」


 「それなら安心だ」

 

 ふたりの会話がかすかに聞こえていた類の頭の中に囁き声が響いた。


 たとえデスゲームが起きてもカラクリを解いてはならない―――


 俺はこの島に残るべきなんだ―――


 囁きに支配されている類は、密かに笑みを浮かべた。

 

 (俺は島に残る。そして理沙と永遠に……)




・・・・・・・・・




 一方、浜辺で待機している一同は、流木に腰を下ろして頭を抱えていた。


 由香里を捜したい。それなのにジャングルの奥に行くのが怖い。


 幽霊の存在が捜索の妨げになっていた。だが、たとえ奥地まで捜索できたとしても由香里は見つからないかもしれない、と不安ばかりが募る。


 (絶対に由香里を見つけたい……それなのに……どうすればいいの?)


 重苦しいため息をついた綾香は、コップに目をやった。理沙が衰弱して見えた由香里は、学校から浜辺に意識を戻した直後、鍋の中の雨水を見て取り乱した。その理由は、水面に幽霊が見えたから。それに関しては全員が同じ意見だ。問題はコップと容器だ。


 流木から腰を上げた綾香は、コップに歩み寄った。砂が付着したコップを手に取り、側面を確認する。自分にも衰弱した理沙が見えた。もしかしたら何か見えるかもしれないと思ったのだが、何度見ても発見時と同じ。


 綾香の隣に屈んだ健もコップを見る。

 「変化はあった?」


 「ぜんぜん」


 「由香里のやつ……何を見たんだろう?」


 続いて容器を手にした綾香は、側面を確認した。これもコップ同様に発見時と変わらない。容器の側面にも何かが描かれているにちがいないのだが……。


 「カラクリの答えに対する不安感がみんなから消えたら、誰かひとりくらいは何か見えるかもしれないよね」


 (いまのあたしには何も見えない。明彦や純希が見たらどうなんだろう? 何か見えるだろうか?)


 「明彦たちと学校で落ち合う前に、本来のみんなに戻ってもらわないと、謎解きが進まないもんな」


 明彦と純希は、浜辺に到着したら自分たちを交えて話を切り出したほうがよいと考えていた。しかしふたりは、一秒でも早くいつものみんなに戻ってほしい。もちろん慎重に話を進めるつもりだ。覚悟を決めたふたりは、一同がいる流木に腰を下ろした。


 道子が綾香に訊く。

 「コップと容器に何か見えた?」


 綾香は答える。

 「何も……」


 「やっぱり由香里は幻覚を見ていたんだよ。綾香たちも幻覚を見ている。理沙が衰弱して見えるなんてありえないもん」


 「みんな異なるものを見ていたら幻覚だと思う。だけど、揃って衰弱した理沙が見える。つまり幻覚じゃない……」


 「幻覚じゃないならなんなの? あたしたちには、いつもの理沙にしか見えない」


 「それについて、落ち着いて聞いてほしい話があるの。みんなも聞いて」真剣な表情で話を切り出した。「島のカラクリを考えようとすると不安を感じていた。そのたびに、あたしと明彦には、もうひとりの自分が囁く奇妙な声が聞こえていた。その声は、本来の自分とは真逆の考えを囁いてくる。抵抗は難しい。現にあたしも頭痛が続いている状態なの」


 案の定、一同の顔から表情が消えた。綾香は、説明を続けることに恐怖を覚えた。


 だが、怖気づくわけにはいかないので、健が続けた。

 「俺にも不安感があった。でも純希にはなかったし、由香里にもなかった。はっきりとした将来の夢があるやつには、強い症状が現れるはずなんだ。

 俺には大きな夢がないから軽くて済んだ。そして純希は、つねに現実的だ。だからあいつにはなんの症状も出ていない。もしかしたら死神は、夢のあるやつを潰したいのかもしれない」


 美紅が言った。

 「由香里には、将来の夢があったよ。小さいころからスイーツに目がないのは知ってるよね? 由香里の夢は、スイーツを目的とした世界旅行をすること。だから英語の成績はいつも完璧だった。いまはフランス語を習ってるって言ってたけど、これも立派な夢だよね?」


 健と綾香は顔を見合わせた。


 美紅が言うとおり、由香里の夢はスイーツ食い倒れ世界旅行をすることだ。本人から何度か聞かされていた。つまり……将来の夢は関係ないということになる。


 それなら囁き声が聞こえる個人差をどのように説明すればよいのか……まちがいなく理由があるはずなのだ。だがいまは、個人差の理由を考えるよりも、彼らを正気に戻すことが先決だ。


 「と、とにかく……」綾香は話を逸らした。「カラクリを追究しようとするたびに、みんなは謎解きから逃げようとしている。いまだって、みんなには囁き声が聞こえているはず。囁きに支配されては駄目。囁きに負けては駄目なの。このままだと島から脱出できない。あたしの言っている意味がわかるよね?」


 美紅は綾香に言った。

 「わからない……わかりたくない……」


 一同の頭の中に囁き声が響く。


 綾香と健の口を封じろ―――


 カラクリを解いてはならない―――


 しかし、囁き声が聞こえた直後、本来の心の声が頭の中に響く。


 傷つけたくない―――


 友達だ―――


 だが、ふたたび囁き声が聞こえる。


 喋れないようにすればカラクリは解かれない―――


 ゲートは恐怖に満ちている―――


 囁きに支配されるまでは必死にカラクリを解こうとしていた。それなのにカラクリの答えを拒否したくなる。


 この島で起きている謎には理由がある。ひとつひとつに意味があるなら、カラクリの答えを拒むことにも理由があるはずだ。


 流木から一斉に腰を上げた一同は、大きく目を見開いて、綾香と健を凝視する。

 「カラクリに答えは必要ない……」


 同じ言葉を口にする一同が怖くなったふたりは、逃げたほうが賢明だと判断した。ジャングルに潜む幽霊の存在が怖い。しかし、見通しのよい浜辺を走るよりも、植物に囲まれた茂みに入ったほうが姿を隠せる。スマートフォンを手にしたふたりは、急いでジャングルへ向かって全力疾走した。


 一同は、逃げるふたりの後ろ姿を睨みつける。

 「追う……追え……」

 

 斗真は、視線の先に落ちていたバットほどの大きさの流木を拾い上げた。

 「追え!」


 結菜と道子が、逃げるふたりに向かって大声を張り上げた。

 「逃がさない!」


 光流もすさまじい形相だ。

 「カラクリは解かせない!」


 強い不安感と囁きから解放された時点で、なぜカラクリに恐怖を感じていたのか、その理由をなぜか覚えていない。潜在意識のどこかでカラクリの答えを理解しており、その答えは平和的なものではなく、自分たちにとって恐怖に満ちたものだったら、必死に抵抗する心理も理解できる。いま狂った一同に、カラクリの答えを訊いたら教えてくれるだろうか?


 ジャングルの手前に立った綾香は、「カラクリの答えにビビってる暇があったら、その理由を教えなさい!」と命令口調で問う。


 「馬鹿! 早くこい!」健は綾香の手を引いた。「何してるんだよ!」


 「あたしはどうしてカラクリに怯えていたのか覚えてない! 知りたいの! そうすれば答えがわかる!」


 「俺も覚えてないよ! だけど、いまのあいつらに何を訊いても無駄だ!」


 「この島からさっさと出たいの! 家のベッドで寝たいの! スマホだって使えない! もう限界なの!」


 「俺だって同じだ! でもいまは逃げるぞ!」


 綾香は、健とともにジャングルへ足を踏み入れた。身を隠すのに最適な植物が茂った場所は、もう少し先だ。必死で走るふたりは後方を振り返り、追いかけてくる一同に目をやった。


 先頭は斗真だ。流木を手にしている。斗真のあとに続く一同も、恐ろしい形相だ。殺せという命令を囁かれたのだろうか? 友達に強打されてあの世逝きになるのは、乗客の幽霊に呪い殺されるよりもつらい。


 息を切らして走るふたりは、背丈ほどの植物が茂った場所に目をやった。ここなら完全に姿を隠せる。急いでそちらへ走った。葉を掻き分け、茂みの中へ入っていく。すぐさま大地を覆う植物へと飛び込んだふたりは、腹這いになり、身を隠す。


 一同が茂みの中へ入ってきた。息を潜めて、葉のあいだから様子を窺う。周囲を見回す一同は、必死にふたりを探している。


 興奮状態の斗真が言った。

 「ここにはいない。もう少し奥に行ってみよう」


 翔太が返事した。

 「そうだな」


 結菜が言った。

 「あのふたりは由香里とはちがう。答えに気づいた時点で必ず口にする」


 斗真は、結菜に顔を向けた。

 「何がなんでも見つけ出さないと」


 結菜はうなずく。

 「絶対にね。じゃないとマズいことになる……」


 美紅が耳を塞ぎながら呟く。

 「答えなんて聞きたくない……聞きたくない……聞きたくないの……」


 道子が言った。

 「行こう」


 茂みの奥に入っていった一同を確認したふたりは、ひとまず安堵する。この隙に逃げよう。背を起こして、忍び足で引き返し、後方を気にしながら前進した。明彦と純希が浜辺に戻ってくるそのときまで、身を隠せる場所を探さなくてはならない。


 奥地に行き過ぎても遭難の心配や幽霊に遭遇する危険性がある。しかし……いまの一同に見つかってしまえば、それらよりも危険だと考えたふたりは、駆け足で奥地へ向かった。


 「なぁ……」息を切らしながら健は訊く。「本当にもうひとりの自分の囁きなのか?」


 綾香も息を切らして答えた。

 「自分の声が頭の中に響くんだから、そうでしょ?」


 「あいつらが俺らを襲うなんて信じられないよ」


 「でも襲われてる」


 「じっさいは死神の囁きかもしれないぜ。それぞれの声に似せた死神の囁きだとしたら……。それこそ、囁きに負けた時点でガチなデスゲームが始まる」


 「それが死神の狙いだって考えてるの?」


 「悲しみの結末だって由香里が言ってたじゃん。あいつはデスゲームを懸念していた。だからいくら捜しても見つからないんだ」


 「たしかに由香里はデスゲームを懸念していた。でも、よく考えてみると、あのときの由香里は、水面を見て取り乱した。そのあとコップと容器に驚愕して姿を消した。それがどうデスゲームと関係しているのか……なんかちがう気がする」


 「斗真なんか流木を振り回してたんだぜ。ラストがデスゲームじゃないなら、なんなんだよ? 怖すぎるだろ」


 「この状況はあたしだって怖いよ。だけど、もしも死神の狙いがデスゲームなら、ゲートを通れるのは勝者一名のみ。最後のひとりになるまで闘う、それがデスゲームの条件だよね? それもこの島のカラクリを解いたうえで」


 「カラクリを解く推理プラス、殺し合いっていう展開だったら、どうする?」


 喋りながら走る体力は残っていない。健との話を中断させて、前屈みで息を整える。

 「ちょっと待って、マジできつい……もう限界……」


 健も綾香と同じ体勢で息を整える。

 「俺も……」


 背を起こした綾香は、健の質問に答える。

 「本気でデスゲームが始まるなら、強い不安感から簡単に逃れられないと思うの。でも、あたしは逃れられた」


 「かもしれないけど……」


 綾香は、通常のデスゲームの流れを順序立てておおまかに説明する。

 「最後まで狂ったまま殺し合う。そして勝者になった瞬間、正気に戻る。そのあと仲間たちの死を嘆き悲しみ、深く後悔する。どう? ありがちな展開でしょ? だからちがうと思う。なんかもっと裏があるような気がする」


 「本格的なデスゲームが始まる前に、みんな正気に戻る展開だったら? そのあと、ガチで闘う」


 「冗談でしょ? 正気でデスゲームしなきゃいけないなら、喜んで一生この島にいるよ」


 「だよな、俺もそうする。この場でお前と殺し合えって言われても嫌だもん」

 

 「でしょ? みんなだってそうするはずだよ」突然、頭痛がした。脈打つような痛みに顔を歪めた。「いった……なんのなのよ……」


 「大丈夫か?」


 綾香の頭の中に囁き声が響く。


 カラクリを解いてはならない―――


 生きていたい―――


 「冗談じゃない……絶対にゲートを見てやる。むかつく……囁いている自分をぶん殴ってやりたいくらいよ……」


 「大丈夫か?」


 「うん、大丈夫だよ。負けてられないもん」


 「少し休むか?」


 「ありがとう。でも、休んでたらみんなに捕まっちゃう。そろそろ行かなきゃ」


 「あいつらを正気に戻せる方法があればいいのに」


 「ほんと」


 ふたりは前方を見渡した。旅客機が墜落した初日に、全員で浜辺を目指して歩いた。その道を大幅に逸れることになる。かなり不安だ。それでも進むしかない。


 ふたたび走り始めたそのとき、雨が降ってきた。鈍色の空に稲妻が走ると、耳をつんざく轟音が周囲に響いた。


 雨は嫌いだが、雨音が自分たちの足音を掻き消してくれる。それに身を隠すのにもちょうどよい。土砂降りのいまのうちに姿をくらませたい。


 綾香は、着生植物が根を下ろした樹木の太い枝に目をやった。この上で夜を過ごしたほうが安全そうだ、と思った。しかし、登るための足場がないので、諦めて前方に視線を戻した。


 そのとき、健が気になる茂みを見つけた。奥に進めば何かありそうな気がする、と直感が働いた。


 「隠れるのによさそうじゃない? 行ってみようよ」


 綾香は、健が顔を向けた方向を見た。

 「そうだね、行ってみようか」


 ふたりはそちらへ歩を進ませた。植物を掻き分けて進んでいく。すると、正面に洞窟が見えた。入り口は小さく、内部は暗くて見えないが、身を隠すために侵入することにした。


 健は、恐る恐る少しずつ歩を進めた。

 「蠍とかいないよな?」


 「怖いなぁ」


 「蠍がいないことを願って」


 「うん……」


 ふたりは洞窟に足を踏み入れた。天井のところどころに開いた穴から射し込むわずかな光が大地をぼんやりと照らしていた。内部は想像以上に広く、茶色く濁った水が流れていた。おそらく軽飛行機が墜落していた急勾配の下に流れていた川と繋がっているはずだ。


 周囲を見回したあと、奥まった場所を見つめた。この場に腰を下ろすよりも、洞窟の入り口から自分たちの姿が見えないところまで移動したい。このまま子供でも遊べるような足場が続いてくれればよいのだが……目を凝らして確認しようとした。しかし、ここからではよく見えない。


 「どうする?」健は綾香に訊く。「奥のほうは暗くてよく見えないけど行ってみる?」


 「行ってみよう」


 「そうするか」


 足元に気をつけながら歩を進めるふたりの耳に雨音が響く。外は土砂降り。しかしここは、雨水が滴る程度だ。


 「こんなにもいい場所があったんだね。わざわざ浜辺で雨に打たれなくてもよかったんだ。みんなが正気に戻ったらここにいよう」


 「賛成」


 「まずは、学校で明彦たちに現状を伝えないとね」


 「でも倉庫はマズいだろ?」


 「教室でいいんじゃない? あたしたちが倉庫にいなかったら、教室に確認しにくると思うの」


 「そうだな、明彦なら機転が利くから大丈夫だな」


 「純希だけだと心配だけどね」


 「言えてる」


 最高の隠れ場所を発見して安堵したふたりは、ゆっくりと歩を進めた。




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