雪の妖精はいのちがけでも料理がしたい!
その日食べたおにぎりは、この世の何よりもおいしかった。
重厚な扉が勢いよく開かれて若い男が入室する。
「アッシュさん!!またレイアが料理中に溶けました!!」
「……またか」
ハァ、とため息を一つ吐いて青年は椅子から立ち上がった。
床に倒れ込んでいた少女に大量の氷水を掛ける。
通常なら苛めともとれる行為だが、今回のはれっきとした人命救助に他ならなかった。
「お前は何回コンロの火で死にかけるつもりだ」
「あっ、師匠」
瀕死の状態からケロリと回復した少女が顔を上げる。
「あ、師匠、じゃない。何回同じことをしたら学ぶんだ。お前に火を扱うのはまだ早い」
「師匠、人間は他の動物と違って火を道具として扱える種族なのですよ」
「ドヤ顔をしてるが、お前は人間じゃないだろ」
「そんなことは些細な問題なのです」
パタパタと自分の服を乾かしているこの少女は先程まで体が溶けかかっていた。そして、その背中には若干青みがかった薄い羽が生えている。そのことからも少女が人間でないことは明らかだろう。
死にかけた当の少女は呑気に濡れたエプロンを絞っている。
「お前は妖精らしさの欠片もないな」
「ふふん、そうでしょう。私はそんじょそこらの妖精などとは格が違うのです」
「お前と一緒にされる他の妖精達が可哀想って意味で言ったんだ」
「なんですと!?」
ショックを受けた少女は一般的にイメージされるような手乗りサイズではなく、小柄ではあるが普通の人間と変わらない大きさをしている。
「お前は一体何歳になると思ってるんだ」
「14歳」
「下二桁だけをとるな。四桁は軽いだろう」
「ギリギリ三桁ですぅ!」
人間よりも遥かに長生きしている少女はアッシュの腰にしがみついて喚く。その姿は人間の幼い少女と何ら変わりなかった。
アッシュは無表情でレイアの頭を荒く撫でる。
「レイア、今抱きつかれると濡れる」
「!乾かしましたっ」
レイアがピンッとアッシュの言葉に反応すると、一瞬にして濡れていた服と床が乾いた。妖精であるレイアはそんなことも朝飯前にこなしてしまう。
褒めて褒めて、と訴えるレイアの瞳に抗えずアッシュは再びレイアの頭を撫でた。レイアは嬉しそうにアッシュに抱き着く。
「アッシュさんって結局レイアに甘いッスよねぇ~……ヒッ」
ボソリと呟いた部下をアッシュはギロリと睨んだ。部下は直ぐ様口を閉じる。
特別な効果のある食材を塔に持ち帰って研究している無愛想な上司が、食材でなく妖精を持ち帰ったのは最近の話だ。
雪山に調査に行っていたアッシュが片手に少女を抱いて戻ってきたのにはここの研究員皆驚いた。
『……アッシュさんなんスかその子、食べるんスか?』
『食べない。今日から俺が養うことにした。年は食ってるが中身は赤ん坊とそう変わらないと思ってくれ』
『かわるのです!』
『はぁ……』
口では抗議をしている少女が必死にアッシュの持っているホットドッグにかぶりついているのを見て、全員がアッシュの言い分を信じた。もっきゅもきゅと両頬にホットドッグを詰め込んでいる少女はとても年上には見えなかったからだ。
だが、皆が何よりも驚いたのはアッシュの変わり様だった。
ほんの少しの差だがアッシュの口角が上がっており、何よりもこの男が気遣いを見せているのだ。ホットドッグを口まで運び頬に着いたソースは拭ってやる。さらに喉に詰まらせそうになったらすかさず飲み物を差し出す献身っぷりだった。
必要があれば哺乳瓶片手に授乳もこなしてしまえそうな勢いがアッシュにはあった。……顔は相変わらず鉄仮面だったが。
その日からだ、この塔が賑やかになり始めたのは。
「レイア、何を作ってたんだ?」
「鳳凰の唐揚げ」
「……また勝手に伝説の動物を狩ってきたのか」
「アッシュさん、そこはもう少し厳しく叱ってくれないッスかね。保護しなければって上に怒られるの俺なんスよ」
結局自分の養い妖精が可愛いアッシュは一見冷たい態度をしているがレイアに甘々だ。今も軽いデコピンだけで許してしまった。
その上鳳凰の唐揚げをレイアの為に作ってやるようだ。
「ウィング、文句を言っているがお前はいらないのか」
「いりますいります!!是非食べさせて下さい!!」
レイアが何度も狩ってきてしまうのにも理由がある。
鳳凰はとんでもなく美味い。とにかく美味いのだ。
「レイア、邪魔だ」
「気にしないで下さい師匠」
レイアはアッシュの後ろから抱き着いて作業を観察している。やりづらくはあるが、レイアのキラキラとした視線にアッシュは逆らえなかった。
暑さ対策に氷を仕込んだ頭巾をレイアに被せてやる。
「おお~快適です。ところで何でもっと早く出してくれなかったのですか?」
「お前が勝手に料理始めたからだ」
「なるほど」
「何か言うことは?」
「ごめんなさい」
レイアは素直に謝った。元来妖精は素直なものなのだ。
だが同じことを繰り返さないとは言ってない。
アッシュは幾度となく繰り返されてきたやりとりに一つため息を吐いた。
「ふんふん♪ふんふん♪」
唐揚げを揚げる音でレイアは既にご機嫌だ。味を想像しているのか、よだれが垂れている。
アッシュは無言でよだれを拭ってやった。
「ふおおおお!!」
レイアは盛り付けられた唐揚げに瞳を輝かせる。だがまだアッシュから食べてよいと言われていないので大人しく席に着いて待っているのだ。
レイアは"待て"の出来る妖精だった。
アッシュがエプロンを外してレイアの隣に座る。
「よし、食べるか」
「いただきます!!」
レイアは両手を合わせ、早速出来立ての唐揚げを口に入れた。
「はふはふ……ん~!!おいしいのです!!」
外はサックリ中はジューシー。噛んだ瞬間に溢れ出る肉汁はしっかりと味が染みている。
「うまうま~!」
レイアは次から次へと唐揚げを咀嚼していく。
「よく噛んで食べろ」
「ふぁ~い」
アッシュの言葉でレイアは素直に噛む回数を増やした。その間にアッシュは自分の分の唐揚げを確保する。
熱々の唐揚げを嬉々として食べるレイアをアッシュはジッと見詰めた。
「外部からの熱には弱いのに、熱いものを食べても平気なのは何度見ても不思議だな」
「流石にご飯で毎回死にかけたらやってらんないのです。ようは気の持ち様ですから」
「熱さへの苦手意識からダメージを受けてるってことか?」
「そのとーりです。仮にも雪の妖精なので」
「雪の妖精野菜も食べろ」
アッシュはキャベツの千切りを小さな口に突っ込んだ。レイアは大した抵抗もせずにモソモソと食べ進める。
「むむっ!このドレッシングおいしいです!!」
「当たり前だ。お前の味覚に合うように作ったんだからな」
「師匠大好きです!!」
「ん」
アッシュは満更でもなさそうにレイアの頭をなでなで。そして新鮮そうな檸檬を取り出した。
レイアの視線が檸檬に釘付けになる。
「ひやぁぁぁ!その丸々太った檸檬っ!!唐揚げにたっぷりかけてもいいのですか!?」
「いいぞ」
レイアは歓喜した。
半分に切った檸檬を搾ると漂ってくる、瑞々しい柑橘の匂いにさらに食欲をそそられる。
「んん~!!」
檸檬の果汁をかけた唐揚げを口に入れると、檸檬独特のさっぱりとした酸っぱさが濃い目の味の唐揚げとよくマッチしている。
そのままお腹がいっぱいになるまでレイアは夢中で食べ続けた。
まさに至福の時間であった。
「けぷっ、お腹いっぱいです~」
「レイア皿片付けろよ」
「は~い」
満腹で若干ウトウトしているレイアは使用済みの皿を洗面台まで運んだ。
「レイア、まだ仕事は終わってないぞ」
「ん~……ちょっと休憩なのです……」
レイアは目をくしくし擦って答える。
「ハァ、仕方ない。寝床に帰ってからにしろよ」
「ししょ~」
レイアはアッシュに向けて両手を広げる。
「……」
アッシュはレイアを見、続けて然り気無くその場にいたウィングをジッと見つめる。
「……」
「……大丈夫ッスよアッシュさん、俺はなんも見てません」
わざわざ両手で目を覆って見ていないことをアピールするウィング。彼は空気の読める男だった。
ウィングが見ていないことを確認すると、アッシュはレイアの脇に手を回して抱き上げた。既にほぼ夢の中のレイアはデロンとアッシュに体重を預ける。
ちなみに、ここまでの流れはほぼ毎回のことだったりする。
無言で部屋に戻るアッシュの背中をウィングは指の間から覗いて見送った。
「アッシュさんがレイアに甘々なのは皆知ってるんだから隠さなくてもいいのに……」
ウィングの呟きは宙に消えていった。
「レイア、降りろ。俺は仕事がある」
「や、です」
「……」
アッシュは寝床にレイアを降ろそうとするが、レイアは離れようとしない。夢うつつにアッシュにしがみついている。
無理矢理離すこともできなくはないが、レイアのことが可愛くて仕方がないアッシュにはそんな非道なことはできない。
「……分かった、離さないから小さくなってろ」
「あい……」
ポンッと音がしてレイアは手乗りサイズまで小さくなった。
小さくなったレイアを頭に乗せると、アッシュはそのまま仕事を始める。
鳳凰の唐揚げの効果、火傷防止、筋力アップなどを書類に纏めていく。食材は同じでも、料理法によって効果が変わってくるのだ。そして、それらを研究するのがアッシュ達の仕事でもある。
アッシュは頭に乗っているレイアが落ちないようにピンと背筋を伸ばして一時間程仕事を続けた。
コンコン
「アッシュさん入りますよ~」
「ああ」
アッシュの執務室に入ってきたのはウィングだった。
「またレイア頭に乗せてるんスか?」
「コイツが俺から離れないんだ」
「そうッスか……。てか最近レイアちょっと丸くなってきました?可愛いッスけど甘やかし過ぎは良くないッスよ」
「……」
返ってきた無言にウィングは上司が甘やかすのを止める気がないのを察した。
「んん~……」
どうやらレイアが起きたようだ。
レイアは寝惚けたまま伸びをすると、アッシュの頭から落ちた。すかさずアッシュがキャッチして事なきを得る。
「ししょ、ありがとです」
「レイア起きたか?」
「です」
コクンと頷いて寝起きの良いレイアはパッチリと目を見開いた。
アッシュの膝の上で人間サイズに戻る。
「レイア、それじゃあさっき食べた鳳凰の唐揚げの効果を数値化してくれ」
「ラジャなのです」
レイアはちょこんと敬礼して答え、アッシュが作った表の横にただ焼いただけの効果を基準とした数値を書いていく。アッシュ達の感覚でできないこともないが、レイアがやった方が正確なのだ。
ほんの数分で枠が全て埋まった。
「できました師匠」
「ん……頑張ったな」
「えへへ」
アッシュは膝上の妖精を優しく撫でた。
「イチャついてるところ悪いッスけど、レイアは料理の練習の時間ッスよ」
「やったぁ!すぐ行きます!」
レイアはアッシュの膝から飛び降りた。その際アッシュが少し残念そうな空気を醸し出すのはいつものことだ。
アッシュも立ち上がろうとしたが、それをレイアが手で制した。
「今日はクッキーの練習をするので師匠は来なくてもいいのです。サプライズで師匠にプレゼントするのです」
「……そうか。オーブンを使う作業はウィングに任せろよ」
「りょーかいです!」
優しい師匠は今言ったらサプライズにならないとは口に出さなかった。
「レイア、エプロンは」
「オッケーです!」
「手は洗ったッスか?」
「洗いました!」
「よしっ、じゃあ始めるッスよ」
「お願いするのです!」
レイアは元気よく片手を挙げた。
「まあと言っても俺はオーブン係ッスからね。生地作りは見守ってるッスよ」
「分かったッスのです」
「アッシュさんにキレられるんで俺の口調のまねは止めようか」
「りょーかいです」
レイアはアッシュに習った通りに生地作りを進めていった。一生懸命コネコネと生地を纏めていく姿にウィングは癒される。
「よし、ここで隠し味の投入なのです」
レイアは用意してあった食材をドサドサとボウルに投入した。チョコレートかなにかだろう。
ウィングはふと疑問に思ってたことをレイアに尋ねる。
「そういえば、レイアとアッシュさんってどんな感じで出会ったんスか?」
「聞きたいのですか?」
「まぁ、レイアが嫌じゃなければッスけど」
レイアは一度まぶたを閉じると、思い出すように宙を見た。
「あれはほんの数ヵ月前のこと―――」
「あ、そういう感じッスか」
同じ頃、アッシュも初めてレイアと出会った時のことを思い出していた。
一面の銀世界。
誰も立ち入らない様な雪山の奥深くで、アッシュは一人の妖精を見つけた。その妖精は人間の少女と何ら変わらない姿をしていたが、纏う空気やその背中から生える羽が人間ではないということを如実に表している。
妖精は凍り付いた湖の上で寝そべり、太陽の真っ白な光を受けるその姿は正に幻想的だった。
ふと、こちらを向いた少女と目が合う。
「……」
「……」
無言で見つめ合うこと数秒、少女の方が口を開いた。
「……人間?初めて見ました!こんなところに一人なのですか?ああ、巷で話題のボッチというやつですね!」
美しい妖精は口を開けば非常に残念だった。
「どこの巷かは知らないが、それを言ったらお前とてボッチじゃないのか?」
「?たまに他の妖精が遊びに来てくれるのでボッチじゃないのです」
「どのくらいの頻度だ?」
「人間が言うところの十年に一度くらいです」
「それは立派なボッチだ」
「そうなのですか……」
シュンとした少女に一抹の罪悪感を覚えつつも、アッシュはその場を後にしようとした。だが、少女の悲しそうな顔が彼の足をその場に留まらせる。
「……なんだ、お前、寂しいのか」
「……さびしい、とは何ですか?」
「長生きしてはいるが自分の感情も分からない子供か……」
アッシュは湖の縁まで歩いていき、視線を合わせるようにしゃがむ。
「お前、ずっと独りでいると胸が苦しくなることはあるか」
少女は頷く。
「誰かにそばにいてほしいと思うか」
再び少女は頷く。
「俺にもよくは分からんが、それが"寂しい"だ」
少女は自らの胸に手を当てた。
「さびしい……。私はずっと、寂しかったのですか」
アッシュはその時、人生で初めて自然と言葉を発するという体験をした。
「一緒に来るか?」
「え?」
「俺の所に来るか?」
「でも……妖精狩りをする人間もいるのですよね」
「何百年前の話だ。今は妖精は保護対象だぞ」
「そうなのですか」
少女はぱちくりと目を瞬く。
「ああ、だから怖いことは何もない。……おいで」
アッシュはそっと手を差し出した。
だが、少女はその手は取らない。
アッシュの懐に勢いよく少女がダイブした。そのままギュウウと抱き付く。
「んふふ」
幸せそうに微笑む少女にアッシュは一瞬呆けた。
「……なるほど、羞恥心も備わってない訳か」
アッシュは頬擦りをしてくる少女にされるがままだ。
しばらくはこのままだろうと予想をつけ、アッシュは腹ごしらえをすることにした。マジックバッグから温かいお茶とおにぎりを取り出す。
早速食べようと口を開くと、少女がおにぎりをジッと見詰めていることに気が付いた。
「人間の料理……」
「……食べるか?」
「いいのですか?」
アッシュがおにぎりをソッと差し出すと、少女の瞳が煌めく。彼女はアッシュの手から直接おにぎりを頬張った。
「んん~!!!」
少女の瞳から光が零れ落ちる。
そこからおにぎりがなくなるまで少女は夢中で食べ続けた。
「美味かったか?」
「とっても!!これはあなたが作ったのですか?」
「まぁ……」
「師匠!!」
少女はアッシュの手を握り締めた。
「私にも料理ができますか?」
「あ、ああ」
少女の勢いにアッシュは気圧される。この可憐な少女が望むなら料理などいくらでも教えてやりたいと思ったアッシュだったが、それよりも先に聞かねばならないことがあった。
「とりあえず、まずはお前の名前を教えろ」
「それってアッシュさん俗に言う一目惚れってやつじゃ……ゲフンゲフン。余計なことは言わないでおこう」
「?ウィング、できたので焼いてください」
コテンと首を傾げるレイアの頭をウィングは何度か撫でる。
「アッシュさんにペロリと食べられちゃだめッスよ」
「私は食材じゃないのです」
「……その辺の知識は赤ん坊だったッスね」
ウィングは何とも言えない気持ちでオーブンの余熱を始めた。
ズモモモモモ
キエェェェェ
「うわぁ。何入れたらクッキーが叫ぶんスか」
「聞きたいです?」
「……また希少そうな食材っぽいんで止めておくッス。上には怒られたくないッスからね」
木で編まれた籠に何故か叫ぶクッキーを入れ、レイア達は廊下を歩いていた。言わずもがな、アッシュの元へ届けるのだ。
「可愛いレイアの作ったものだからって毎回完食するアッシュさんを俺は心から尊敬するッス。てか、レイアは何で絶望的に料理センスないし死にかけるのに止めないんスか?作る度にアッシュさんにボロクソ言われてるし」
「センスないは余計なのです。妖精生活をしていた時は料理なんてなかったので仕方がないのです」
「おいしいものが食べたいならアッシュさんに作って貰えばいいじゃないッスか。多分レイアの頼みなら断らないッスよ?」
ウィングの言葉にレイアは少し唇を尖らせる。
「そうですけど……。師匠に自分が作ったものを食べて、おいしいって言ってほしいのです」
「いじらしいッスね」
「それに、師匠は一度もまずいって言ったことがないから、そこまでまずいわけじゃないと思うのです」
レイアは少し胸を張って自慢気だ。
「ただ気を遣ってるだけだと思うッスよ」
ウィングは可哀想なものを見る目線を隠せなかった。
レイアはアッシュの執務室に入るなり手に持っている籠を差し出す。
「ししょ~、率直な感想を言ってくださいなのです!」
アッシュはおぞましい形のそれを迷いなく口にした。
「まずい」
「うえぇぇぇぇぇぇん!!」
「!?」
「あ~あ」
ウィングはからかい半分にアッシュを責める。
珍しく狼狽えたアッシュは、レイアのご機嫌をとるために料理をめちゃくちゃ作ることとなった。
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