003 ミラーワールド -Mirror World-
「…………」
「どうだ? 見えたか? 見えたよな? なあ何が見える?」
滝川は反応のない悠斗が心配になり、顔を覗き込んだ。
「……滝川の顔が見える」
悠斗はあまりに滝川が必死なのが面白くて、少しからかうことにした。
「ちっげーよ! そうじゃねー。俺の顔以外に見えるモノがあんだろ? なあ? 白くて……」
「……丸い?」
「はあ? お前どこのアプリで見てんだよ? ちゃんとVAMのミラーで見ろって」
VAM以外にもMRアプリは存在する。
同じアプリで見なければ、同じ世界を見ることはできない。
しかし主流のMRアプリはVAMなので、それ以外を使っている人は少数派だ。
VAMが登場してからまだ一年も経っていない。
それなのになぜMRアプリのトップシェアを取ることが出来たのか?
それは元々トップシェアだったMRアプリ『ミラージュ』と統合したからだ。
従来のMRアプリ『ミラージュ』が第1世界。その上に98個の仮想世界が重なることで『ヴァルキュリー・アルカディア・ミラージュ』は構成されている。
「ああ、ごめん。白い箱があるね」
「……ふう、やっとか」
「それで、この箱は何?」
正方形の白い箱、大きさはバレーボールよりも一回り小さい。
「中に面白いもんが入ってる」
滝川は箱の上に優しく手を置いて、ニヤリと笑う。
MR世界は基本的に現実が優先される。
仮想の剣で現実の人間は切れないが、現実の剣で仮想の人間は切れる。
箱は仮想空間にしか存在しない。現実の手と現実の机に挟まれた仮想の箱。
もし、このまま手を下げて箱を潰すと、どうなるのか?
箱の素材が紙ならば、軽く押しただけで壊れるだろう。
だが金属ならば、軽く押しただけで壊れるのはおかしい。
箱がどんなに硬くても、手は箱の場所を侵食し仮想世界の物理法則に矛盾を生じさせる。
矛盾が生じた時、箱は矛盾を解消しようとする。
解消の方法は、三つの段階がある。
第一段階、不干渉。
例えば仮想の剣の柄を持つとする。手を半開きで持つことも出来るが、維持するのが難しい。なのでギュッと握り込む。すると指が柄の部分にめり込むことになる。
物理法則に矛盾する。
この柄と指が重なっている部分を触っていないことにする。つまり不干渉状態にすることで矛盾を解消する。
仮想世界の物体は、総体積の数パーセントを、現実世界からの不干渉値として持っている。
第二段階、形状維持。
仮想物に対して不干渉値を超える干渉を行った場合、仮想物は座標を移動し形状を維持をする。
つまり移動するのだ。
箱を上下から押しつぶそうとすると、ツルンッと横に滑って逃げる。
第三段階、消滅。
箱を前後左右上下から押しつぶすと、仮想物は逃げ場がないので消滅する。
ユーザーの呼び出し、または一定時間で復活する。
これら三つは、それぞれの仮想物ごとに設定される。
物体の場所が重要なのか、形が重要なのかで設定値が変わってくる。
形状維持をしない物や消滅しない物も存在する。
そういった仮想物は不干渉値が高く設定されていたりする。
「面白いものって?」
「それは開けてからのお楽しみだ」
悠斗の問いに、ニヤリと滝川が笑みをこぼした。
「開けて良いの?」
「ああ、きっと驚くぜ」
「…………」
悠斗は滝川の顔から視線を落として、白い箱を見つめる。
そして箱のふたに手をかけて、ゆっくりと開いた。
――プピイイイイィィィィ!!
甲高い音と共にクリームパイが飛び出し、悠斗の顔面に直撃した。
視界が真っ白に染まった。
悠斗ならば避けることは可能だった。
しかし仮想物をぶつけられても、痛くも痒くもないので、そのまま避けずにいた。
「あはははっ、大成功!」
滝川は悠斗の顔を見て、嬉しそうに笑っていた。
「うーん、視界が真っ白で見ずらい」
悠斗は目についた仮想のクリームを指で拭いた。
「八神お前、顔が真っ白だぞ? ぷはははっ。おもしれー顔、ぎゃはははっ」
「…………」
いつまでも大笑いをしている滝川に、少し腹が立ってきた。
悠斗は右手に仮想のクリームパイを呼び出した。
MR世界では、仮想オブジェクトを自由に呼び出すことができる。
仮想オブジェクトは、公式でも用意されているが、一般ユーザーが作成したものも数多く公開されている。
自分が作ったオブジェクトが他のユーザーに使用されると、使用回数や評価値に応じて、収益を得ることができる。
ほとんどのオブジェクトは無料で使えるが、中には有料のモノもある。
書籍、映画、音楽、フィギュア、キャラクターグッズなどの知的財産。
最近では紙の書籍を手に入れることは難しい。
なのでMRで、紙の書籍を呼び出して読書するといった人もいる。
「あはは、って? おい、まさか? やめろ!」
滝川はクリームパイに気付き、自らの行く末を案じた。
「ああ、そのまさかだよ!」
「うぎゃああああ!」
顔面にクリームパイを受けた滝川は椅子から転げ落ちた。
仮想のパイなので物理的衝撃はないが、無理に避けようとしてしまった結果だ。
「イテテッ、お前、よくもやったな!」
「これで、おあいこだろ?」
「ま、そうだな。それにしてもお前の顔、ぷぷ」
「滝川だって真っ白だ、あはは」
悠斗と滝川はお互いのクリームまみれの顔を見て笑いあった。
「ねえ、なにがおかしいの? 二人はどうして笑ってるの?」
悠斗の隣の席から、女子の声が聞こえた。