002 窓際の一番後ろの席
悠斗は教室の自分の席に座る。
窓際の一番後ろという誰もが羨ましがる絶好のポジション。
この位置は席替え時のジャンケン大会で、悠斗が勝ち取ったもの。
運が良かったから勝てたとういものではない。紛れも無い悠斗の実力だ。
ジャンケンは『グー・チョキ・パー』の三種類の指の出し方で、三すくみを構成し勝敗を決める手段。発祥は日本であり、今では世界中に普及している。
勝敗は完全なランダムだと思われがちだが、そうではない。
どの手が出されるのかは、法則である程度予想できる。
例えば、初対面同士でジャンケンをする場合〝パー〟を出す確立は低い。
これは心理的状態と出す手が連動している為である。
初対面だと相手がどういった人なのか分からない。そんな人に自分の手の内を見せたくない。という心理から〝パー〟を出すことに躊躇してしまうのだ。
さらに日本人は『グー・チョキ・パー』の順番に手を出す人が多い。
連続であいこになる場合、この順番でループしていることがほとんどだ。
これはジャンケンを『グー・チョキ・パー』の順番で覚えている為である。
無意識に頭の中で『グー・チョキ・パー』と唱えて、それを手にしてしまっている。
ちなみに英語圏では『ロック・ペーパー・シザーズ』の順番。
こんな風にジャンケンには、相手の手を予想する法則が多く存在する。
悠斗がこの法則を知っていて、ジャンケン大会で勝ったかというと、そうではない。
単に目が良いのだ。正確には動体視力が優れている。
ジャンケンは腕を少し上げて、振り下げると同時に出す手が変形し始める。
そして振り下がった時点で手が確定する。
振り下げてから手が確定するまでのわずかの時間で、相手の出す手を見破り、自分が勝つ手を出した。
至ってシンプルな方法で悠斗は勝利した。
人によっては、後出しだと批判するかもしれない。
だが後出しではない。
悠斗もこの方法で勝つことは良くないと思っていた。
なので早出しを心がけた。
相手の手が変形を始めたのを見てから、少しだけ早く自分の手を出していた。
悠斗は早出しをしているのだが、相手はもう自分の手を心の中で決めているため変更が出来ず、そのまま負けるといった具合だ。
クラスメイトたちは悠斗がワンテンポ早く手を出すのに、なぜか勝つので、ただ運が良い奴だなとしか思っていなかった。
悠斗は自分の目が良いことを他の人に教えていない。
目のことを知ったクラスメイトたちが騒いで、自分が話題の中心になるのが嫌だし、あまり目立つことは好きではない為だ。
ジャンケン大会でも順調に勝ち進んだが、優勝すると目立つので、最後の勝負ではワザと負けている。
優勝者が窓際の一番後ろを指定すると思ったが、なぜかその横を指定したので、運良く悠斗がゲットした。
悠斗は初めから目が良かった訳ではない。
小学生の時、事故で脳を損傷してナノマシン治療を行なっている。
ナノマシンは治療だけに留まらず、脳機能を大幅に向上させた。
さらにVR格闘ゲームをやり込んだおかけで、動体視力が鍛えられた。
腕前はプロレベル。大会で何回も準優勝をしている。
だが優勝は一度もない。
この時代、高校生のプロゲーマーは珍しくない。小学生でさえも数多くいる。
悠斗にはプロチームからの勧誘が相次いだ。
だが目立ちたくないという理由で断り、今はVR格ゲーもほとんど引退している。
幼少期の悠斗にとって、格ゲーは無縁のものだった。
暴力は良くないと、幼いながらに思っており忌避していた。
反対に可愛いものが好きで、ぬいぐるみでままごとをするのが好きだった。
悠斗の意識が変化したのは、妹が怪我をして泣いた時だ。
『僕が妹を守らなくちゃ。守るためには強くならなくちゃ』
と強さを求めて格ゲーと出会う。
自分と同じ名前のキャラが格ゲーにいると知り、ゲームを始めた。
最初はVRではなくゲームパッドで操作する格ゲーをやっていたが、あまり上達しなかった。
恐る恐るVR格ゲーを始めたら、見る見るうちに上達していった。
悠斗は相手を殴ることに抵抗を感じていたので、最初は攻撃をせずに逃げ回った。
そのおかげで、相手の動きを見てどんな攻撃が来るのかを見破れるようになった。
最小の動きで攻撃を回避して、カウンター攻撃を決めるのが、悠斗の得意な戦法。
格ゲー時代は〝無冠のカウンターオーガ〟として名を馳せた。
「おっはー八神」
前の席の滝川新一が、振り返って挨拶をしてきた。
「ああ、おはよう」
悠斗は素っ気なく挨拶を返す。
席替えをしてから、悠斗は滝川にちょくちょく話しかけられていた。
特に仲が良いというわけではない。
席替え前は、ほとんど会話をしたことがなかった。
「面白いもんがある。ちょっと見てみろよ」
滝川は椅子の背もたれを股に挟む体勢で、全身を悠斗の方に向けた。
悠斗は滝川の視線移動を見逃さない。
滝川が立ち上がって、座り直す間の一瞬、視線が悠斗の隣の席の人物に向けられていた。
滝川が悠斗に話しかけるのは、本来の目的ではなく。
悠斗の隣の席の人物の気を引くのが本当の目的なのだ。
だから、仲良くも無いのに滝川は悠斗に話しかけていた。
悠斗はそのことを分かっているので、態度が素っ気無い。
だが滝川はそんなのを気にせずに、悠斗に話しかけてくる。
「面白いもんって?」
「ああ、これだよ」
滝川の両手が机の上に差し出された。
その手のひらには何も乗っていない。
何もないただの空間を滝川は、そっと机の上に乗せた。
「え? 何もないけど?」
「ああ、何もないなリアルだと。ってあれ? お前まさかコンタクトしてねぇの?」
滝川は掛けているメガネの内側から、自分の人差し指をグイッと突き出した。
網膜投影型スマートメガネなので、レンズはない。
フレームの内側に超小型プロジェクタが組み込まれており、目に映る風景の上にデジタル映像を直接上書きすることができる。
そのため実風景と投影映像のピントずれが起こらない。
最近ではレンズのないメガネの方が主流だ。
フレームの外側に超小型カメラがあり、その映像を網膜投影する。
近視でも遠視でも問題なく視力サポートができる。
「コンタクトはしてる」
「そっか、ならVAMの〝ミラー〟で見てみろ」
滝川の言うミラーとは、VAMのMR対応の第1世界ミラージュのことだ。
MR対応の世界を〝ミラーワールド〟と呼んだりもする。
現実のオブジェクトをそのまま仮想空間に落とし込んだ世界。鏡写しのような世界。
ちなみに第0世界が現実世界のことで、第2世界以降は完全な仮想世界になる。
第1世界は現実と仮想のちょうど中間のような世界。
悠斗は視線でメニューを操作して、第1世界ミラージュの映像に切り替えた。
何もなかった机の上には、白い箱が置かれていた。