『意志のある光』
庭の木に触れると
太陽が照ってるときと
雨が降ってるときでは
手のひらに感じる肌触りが
まるで違うように、
光があるから
時間と空間があるのかもしれない。
ねぇねぇ♪
観光っていう言葉があるじゃない、
あれって、
光を観るって、書くでしょ?
「ああ、そうだね。」
ここで、窓の外の風景を
ずっと見てても、
四季によっても、
時間によっても、
見える光は変わるわけで、
家からどこかへ
出かけて見る光も変わるわけで、
光を観るで”観光”なんて
”言葉” 素敵ね
だれが思いついたのかしら?
(ウフ♡)
「(笑)、観光と書いても
それがそういうことだなんて
誰も思わないよ、」
「だけど、考えた人は
そういうことを言いたかったのかも
しれないね。」
ん♪ たとえば、
ハワイの光っていうのは
とても強烈なんだけど
そのままどこへもたまらず
地面の中へスゥーと吸い込まれていく感じで、
「うんうん、爽やかだよなー」
欧州で観る光はやっぱり
古いアパルトメントや
石の壁に吸い込まれていくんだけど
その中に光のエネルギーが
蓄積されていく感じなの。
「ああ、なんていうか
温もりがあるんだよな~」
日本の場合はねっ、
光が湿った空気の中に
墨絵のように滲んで
じわーっと、包まれている。
「(笑)、なるほどね、」
わたし、思うんだけど
そういう光の風土って、
人間性に影響を与えていない?
「ん~、一概にはいえないけど、、、
国民性はあるのかもしれないね、」
朝の窓辺をそよぐ風に
青い 青い 飛沫を映す。
透明さのシルエットの
煌きのひとつになる
さまざまな思いの故郷は
彼女の愛と
その動かない影をただよう。
(2017,8,7朝子)
あなたの光は何色ですか?