闇の中に見ゆるは
ふわりと風が髪を撫でた拍子に頬がくすぐられて、目を覚ました。あたりには夜の帳が下りて、春らしい涼しさ混じりの気温が心地いい。
どうやら僕はベンチで眠っていたようで、臀部や腰が少し痛む。
「あ、起きた。もう7時だぜ、怒られちまう」
「もう、そんな時間?ていうかなんで起こしてくれなかったの」
暗くなる前に帰れと言われたのに、これでは本当に怒られてしまうではないか。
「あ、悪い、怒られるってのは冗談だよ、電話で連絡したんだ」
電話……僕達は携帯電話を持っていないから、公衆電話を使ったのだろう。
「そっか、待たせるのも悪いし、早く帰ろう。夕飯の準備しないと」
「連絡した時に作っといてくれるって言ってたぜ、たまには休め、オレとイチャイチャしろ」
「イチャイチャは賛成しかねるけど、気遣いには痛み入るね、休みなんていらないんだけどなぁ」
「そういう人間が社会に出てから散々こき使われて潰れちまうんだぜ、専業主夫なんて休んでなんぼだろ」
それは偏見だと思うし、そもそも僕の将来は主夫で確定なんだろうか。
ツッコミたいのは山々だが、ここで望と問答を続けていたらいくら時間があっても足りない。適当にあしらいつつ、自転車置き場に向かうのだった。
この時間に車は少ない。というかそもそも田舎なので普段から多くはない。夜風を楽しみつつ、悠々と走行していると、えもいわれぬ心の浮わつきを覚える。
「ねぇ望、ちょっと遠回りしない?」
広史さん達を待たせているというのに、気付けばこんな言葉が無意識に出ていた。
「ん、いいぜ、オレもこのまま帰りたくない気分だ」
普段なら暗い路地裏を使って近道をするのだが、今日はすぐ大通りに出て、広々したところを走りたい。
いつもより5分程余分な時間をとって、僕達は帰宅した。
「ただいまー」
「ただいま帰りましたー」
「おかえりなさーい」
間延びした挨拶にリビングから間延びした挨拶が返ってきた。
香ってきたのはカレーの匂いだ。
「やったぜカレーだ!」
望が目に見えてはしゃぐ。彼女はカレー……というか子供が好きなような料理が大概好きである。その割に嫌いな食べ物はないから、献立を考えるのが楽でいい。
ちなみに僕も今日はカレーにするつもりでいた。昨夜の肉じゃがが余っていたから、それをそのまま具にして手抜きポークカレーを作ろうと考えていたのだ。糸こんにゃくの食感が意外にもマッチして美味しいのである。
怜美さんもそれを察してくれていたようで、肉じゃがカレーは好評の内に平らげられた。しかしそれでも余るのがカレーである。
「明日の朝はカレーを乗せて焼いたパン、昼はカレードリア、夜はカレーうどんにしよう」
「まてさっくん、糸こんにゃくが入ったカレーでそれは危険だと思うぞ!?」
「大丈夫だよ、食べるの僕だけだから。普通のを食べたくなったら言ってね」
余り物の有効活用と消費は僕の役目である。僕は飽きを知らない性格であるから、何食同じメニューが続こうと文句は言わない。
「さっくんは偉いなぁ、こんなに家のことをしてくれる中学生が他にいるかね」
「探せばいますよいくらでも。世界は広いですから」
「そうやって真面目なのも可愛いわよねぇ、もっと子供らしく甘えてもいいのよ?」
「母さん、いい歳して子供をたぶらかすの、良くないぜ」
「あら、私は広史さん一筋よぉ?」
家族漫才が始まった。こういった他愛ない会話ができるのは幸せだ。家族の一員になった感じがする。
「さっくん、最近どうだい、楽しいかい?」
母子の漫才が続く中、広史さんが突然そんなことを聞いてきた。
「楽しいし、幸せですよ、毎日当たり前みたいに過ごせてますから」
「そうかい、当たり前であることの幸せを感じられるんなら、さっくんは凄いな」
そうだろうか、これだけ毎日能天気に生きていられるのだから、とても幸せだと思うのだけれど。
「考え込まなくてもいいさ。幸せなら、引き取った僕達も嬉しい」
広史さんはたまによくわからないことを言う。大人というのはやはり頭がいいんだなと、こういう時に実感する。
「ふふ、望とおしゃべりするのは楽しいわ、でもそろそろ食器を片付けないと」
「あ、それは僕がやりますよ、お仕事で疲れてるのに、家の事までさせてしまったら立つ瀬がありませんから」
「これはかたじけない」
わかりにくい駄洒落に、怜美さんを除いた3人から失笑が漏れるのだった。
その晩、望と共有している2段ベッドで寝ていると、不意に目が覚めた。
勉強机(あまり使われていない)の上に置いてある時計を見れば、深夜2時。草木も眠るらしいがどうやら僕は例外らしい。
11時に床に着いてからあまり時間は経っていないのに、意識ははっきりしている。このままでは到底眠れそうにないので、折角だからと夜風にあたることにした。
夜中に家を出るというのは、なんとなく背徳的に思えてくる行為だ。外に出てみれば明かりは無く、自身の手もまともに見えない。
だというのに、暗闇の中で尚視認のしにくい黒尽くめの男2人組の存在には、一瞬で気付いた。
「あなた達、僕達の家の前で、何してるんですか?良くない事だというのは、なんとなくわかりますけど」
優しい家族の中にいて、発揮されない僕の特殊能力、人の下心、もっと言えば悪意じみたものを見通す僕の瞳は、不審者の悪意を闇の中でもしかと捉えていた。ここで家の中に戻って、警察に通報するのが、一般的に正しい選択なのだろう。しかし今目の前にいる何かはそれを待ってくれないのを確信する。
暫く待つが、返答の代わりとばかりに、男達はファンタジーじみた銀色の長剣を構えていた。
「嘘ぉ……!?」
いつもなら使わないような言葉が口から出た。いくらなんでもマズい状況だというのは、暢気な僕でも用意に察することができた。
男達は揃って無言で突進してくる。必死で避けたが、玄関の扉に傷がついたのはいただけない。なんとかして無力化しなければ、警察に連絡も出来ないだろう。
武術の心得がありそうな鋭い斬撃をかわしつつ、なんとか距離を取る。リズムゲームで培った反射神経が幸いして、掠り傷で済んでいるが、斬られた腕が熱く痛む。昔料理で失敗して包丁で指を切ったのとは比べ物にならない。人を殺傷するためだけに作られた純粋な武器というものは、こうも恐ろしいのかとしたくない経験をするはめになった。
男達はフードを被っていて顔も見えない。せめて正体を確かめてやろうと手頃な石をいくつか投げつけてやった。
どうやら想定外だったようで、全弾クリーンヒットだ。
上手くその内の1つが片方の頭に当たり、フードが外れる。暗闇に慣れてきた目でその顔を見ると、
この世のものとは思えない、狼の頭をした怪物が、僕を見据えていた。
スマホの反応が荒ぶって書くのに苦労しました。まだ1年しか経ってないのに、致命的です。
と、愚痴ってすみません。本編はそろそろ殺されるだけの主人公を卒業してくれました。
こうやって書いていると文章の悪癖が見えてきて、反省するばかりです。拙作ですがご意見ご感想心待ちにしております。