30 無意識
一人行動を控えようと決めて迎えた今日も、具体的な策は練っていないために初っ端から手詰まりとなっている。
休暇期間は終了しているため、知り合いの居場所はそれぞれ違い、また連絡を取る手段もイマイチ理解していない私は、彼らを探すには歩き回るしか手段は取れない。
そもそも、見つけたところで何をするかだ。
あれ? 遠くに見知ったピンクがいるぞ。
後ろ姿しか見えないけれど、あれはきっとリリアンだ。高い位置でピンク色に染められたわたがしのような髪を束ねている子は、リリアンしか知らない。髪型自体は被る確率はそれなりにあるだろうけど、わたがしの飾りに使っているのは、私との友情の証のバレッタだ。
「リリアン?」
距離を詰めてもなんの反応もしなかった彼女が、柔らかな髪を激しく空に打ちつけ、勢いよく振り向く。
手に持っていたものを背に隠し、下手くそに笑った。
……怪しい。
「あら悠陽。私、ちょっと用事を思い出しましたの。しばらくは忙しくて会えないでしょうし、またの機会に」
「なんか隠してるでしょ」
「なんのことかしら。この手紙のことでしたら、プライベートな事ですし、お教えしませんわよ。いいから、貴方は……!」
「……わかった」
あっさりと背中に隠した手紙を見せ、身の潔白を主張したリリアンに、私は静かに頷いて見せた。
ほっと息を吐いたリリアンに背を向け、私は歩く……素振りを見せ、自分の体を壁にするようにして声をかける。
「私、その手紙のデザインも、印も、字の形も……見覚えがあるんだけどな」
ちらりと顔を斜めに向けてリリアンを見れば、手紙を胸元に抱え込んでビクリと肩が跳ねるのを確認した。
「じゃあね。また、いつか」
再び前を向いて、別れを告げた。
それがリリアンと私とで、同じ意味に取れたかどうかは知らないけれど。
中庭へ歩みを進めながら、リリアン宛らしき手紙について考察を進める。
昨夜私の元へ迷い込んできた手紙と無関係のはずがない。デザイン、印、筆圧から形までの全てに見覚えがあった。
ではなぜ、同じ人間がリリアンにも手紙を出したか。
考えられるのは、同じくテッドに近しいとされる女性を排除すること。しかし、なぜだかテッドはリリアンに近寄ろうとしないように思える。偶然に偶然が重なっただけかもしれないけれど。
そして、自意識過剰かもしれないけれど、私はもう一つの可能性が濃厚に香っていると感じている。
それは、私という人間を孤立させるため。そうすることで、手紙の信憑性を高めようとしているのだ。あとは、そうだな。私が神子と持ち上げられているのが気にくわないから、とかさ。熱烈なテッドのファンあたりがやってそうじゃないか?
腕を組んで、コンクリートで固められた通路の感触を確かめるようにゆっくりと歩きながら考えていると、前方から気配を感じて左に避ける。
が、相手はその場で私を待ち受けるようにして立ち止まった。
顔をしっかりと視認できる距離まで詰めると、それがグレープ少女だと判明した。
手を伸ばしても触れるには少し遠い距離にいるグレープ少女は、形の良いぷっくりとした唇を小さく動かす。そこから生み出される音は、風が吹けばそのままかき消されそうなほどに小さい。
「あなた……それでいいの?」
私の足が、無意識に反応してピタリと止まる。
それとは反対に、私を責め立てるように瞳を鋭くさせた彼女は、ズカズカと私の元へと詰め寄る。
「言いたいこと、あったんじゃないの」
今度は、はっきりと聞こえた。
芯のある低めの声の中に、女性らしい美しさの要素が加わり、グレープ少女の人物像が少しずつ浮き彫りになる。
「中途半端に関わるだけ関わって、結局は何もしないのね。少しでも自分を否定する要素があれば、自衛でもするかのように離れていくのね? そうして貴方は、結局独りになる」
なんだ、この人。
知ったように口を聞いて、ほぼ初対面の私の内側をフォークで抉っては口の中に運ぶ。美味しいか? 私の苦しんだ様子は。
「これを言われて怒りを感じているはずなのに、それを表に出さない。言葉に表さない。内側を曝け出さない人間に、誰が心を開くのかしら」
目を伏せ、長い睫毛で目線を隠した彼女は続けて言う。
「それでも、貴方を想って心を裂いた人間もいるのよ。ついさっき、貴方が突き放してしまったけれど」
言いたいことは言い終えたのか、顔にかかった髪を払いのけた彼女はくるりと背を向けて、転移魔法を使いながら歩き出す。
数秒後には魔法陣の中に消えた少女の背を見送りながら、桃色の孤独な女の子を思い出す。
その背に下手くそに隠した手紙には、何が記されていたのだろうか。それを聞きたかったのだけれど、必死に隠す彼女の姿を見て、何だか腹が立った。
友人だと私を呼んだのにも関わらず、友人らしい事をさせてくれない彼女に腹が立ったのか。……いや、違う。
きっと、私は、こういった時にどうしたら良いのかがわからずにいた。友人という存在にどこか夢を持っていて、友人になれば何でも話してもらえると思い上がっていた。それが、自分の思い通りにならないからと、子どものような癇癪を起こした。
それは、回りくどい言葉で飾られた、絶縁宣言。またいつか、と言いながらも、本当は会うつもりはない、という副音声が付いていた。喧嘩という喧嘩ではないけれど、あの時確かに私たちの間に空白が生まれた。
「悠陽さん、どこか痛いところでも?」
いつの間にか、私はエイナル先生の部屋にいた。
グレープ少女との話から後の記憶がおぼろげだ。
ただ呆然としながら歩きまわり、力の入らない手足でここに向かっていた事は何となく思い出したが、なぜここに来たかったのかはわからない。
そもそも、視界も靄がかかったみたいに不鮮明だったのに。
そして、私の元へ来て膝を曲げたエイナル先生が、人差し指で私の右の目元をこする。
その指の先は濡れていた。
泣いて、いたのか。
あぁそうか、不鮮明だったのは、そういうことか。
「エイナル先生、も、表情筋、結構、動くんじゃん。誰だよ、無表情だとか言ったやつ……」
眉を下げて私を見つめるエイナル先生にそう言うが、エイナル先生は不思議そうに首を傾けると、無表情に戻る。
「何があったのかは知りませんが、ひとまず休憩しましょう。紅茶でも、入れましょうか」
紅茶が塩辛くなるのは勘弁なので、溢れる涙を拭い去り、深呼吸をして心を落ち着かせた。
紅茶が程よい苦さになるまでの間、ひっくり返されたひょうたん型のガラスの中で砂が落ちていくのを見て、私の残り時間はいつまでなのだろうか、と考えていた。
「さぁ、お好きなお菓子をどうぞ」
甘そうなお菓子を私に差し出す先生の手は、私の涙を拭った温かさを持っているとは思えないほどに骨ばっていて、大きくて、やはり男性なのだ、と改めて思った。
この人の大きな手の中になら、答えはあるだろうか。
そう期待を込めて、先生を見つめた。
先生はいつものように、起伏のない表情で話しを促した。




