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炎の精霊と氷の精霊に挟まれている私は、彼らの正反対の性質に戸惑っている。
「わっち の名前はヒュドールでありんすぇ。氷の大精霊として名をはせていんす。これからもよろしくお願いしんす」
「結局は愛し子と契約した、欲に忠実なヤツだということだな」
「何か言いんしたかぇ?」
「……」
ヒュドールの自己紹介に、罵倒することで水を差した火男に、水よりも冷たく痛い氷の笑顔で圧を掛けて答えるヒュドール。言葉を返すことは無かったが、火男も勢いを無くすどころかさらに増してヒュドールを睨みつけている。
えっ、怖いんだけど。何しに来たんだこの人たち。龍神様が出てこないで、どうして精霊が出てくるわけ?
しかも喧嘩し出してるし!
「それはともかく、わっちたちは悠陽に警告をしようと来んしたんでありんす」
「わっちたちって、まさか俺を入れたわけではないだろうな」
ヒュドールは火男を無視し、
「ここに龍神は来ないと思いんす。気配は世界樹から動いてはいない。こなたの場所に長時間人間が留まると危険でありんすから、詳しくは地上でお話ししんしょう」
ヒュドールは私に手を伸ばす。
赤い髪の火男は、俺はもう帰る、と言うと、その痕跡である赤い炎を宙に残し、次の瞬間には霧散した。
私はヒュドールの手を取ると、ぐるりと一回転する感覚とともに、眩しい光と再会する。
地下入り口の前に立つ私の周りには、大勢の生徒がいる。各自さまざまな色で飾られたランタンを手にしており、私を視界に入れると、一斉に同じ行動をした。
「神隠しに遭う事なく、無事に地上に戻った、真の神子! 万歳!」
全員が、そのランタンを高く投げ上げると、ランタンは重力に従い、一斉に地面に叩きつけられる。どの方向からも、ガラスが割れたような高い音と、炎が燃え尽きたような虚しさのようなものを感じる。
不気味だ。どこか、宗教じみたものを、狂気を感じる。理解できないのは、私が異世界の人間だからなのか。
私の帰還に喜ぶ人たちを横目に、ヒュドールが私の背中を軽く叩いて耳打ちする。
「彼らが喜びに目が眩んでいる間に、この場を離れんしょう」
考え込む私の手を取ると、人の波を抜け、人のいない物陰へと移動するヒュドール。その行く先には、エイナル先生が立っていた。
「あの男はどこでありんすか?」
「……まだ、気まずいそうで」
ヒュドールが少し不機嫌そうに眉を寄せ、エイナル先生に問いかけると、エイナル先生は遠い目をしながらアロンドさんの不在を伝える。それを聞いたヒュドールさんのテンションは下がるばかり。加えて、小心者めが、と小声で吐き捨てるのを聞き逃さなかった私である。
ヒュドールが周りを見渡し、それから右手でパチン、と指を鳴らすと、視界が氷の結晶で飾られたと思うと、いつの間にか私の部屋にいた。ヒュドールと、エイナル先生もいる。が、何故か驚いた顔をしているアロンドさんもいた。
「おい、ヒュドール、何して、」
「情けなくて見てられん!」
アロンドさんからの非難の目に全く動じていない。それどころか目を見開き真っ向からアロンドさんを迎え撃ったヒュドールは、意表を突かれたアロンドさんを確認した後、腕を組んでそっぽを向くというなんとも可愛らしい怒り方をしている。
そんなヒュドールに、何か言おうと口をパクパクさせていたアロンドさんは、結局言葉が出てこなかったのか、項垂れる。やがてゆっくりと顔を上げると、私と目が合う。下唇を噛んで拳を握りしめる様は、子どもが叱られる前にする表情に似ていて、思わず吹き出した。
「もう、子どもみたい、ほんっとウケるんだけど!」
「なっ、何でだよ! これでもな、どれだけ最悪な事があっても受け入れる覚悟をしてだな……!」
「顔真っ赤だよ?」
煽ってんのか! と抗議するアロンドさんは、いつもと同じようには見える。けれど、どこか遠慮しているみたいで気持ちが悪い。そして、同じくらいに私も気持ち悪い。どうして、今からエイナル先生に私を殺してくれと頼もうとしていたのに、アロンドさんとの関係を戻そうとしているのだろう。必死になって、最初に出会った時のようなテンポで会話をしているの?
「ほれ、ちゃんと言葉にして仲直りをして、さっさと本題に戻りんしょう」
ヒュドールの一声で、アロンドさんは神妙な面持ちになると、私に向き直る。
「その……すまなかった。俺たちが禁忌を犯していたのは勿論、お前たちを苦しめたことも。今までの事全部、申し訳ないと思っている」
しっかりと頭を下げて謝るアロンドさんは、まだぎこちなさが残っていて、謝り慣れていないのかな、とか、恥ずかしがってるのかな、なんて思ったりする。不思議と、許す許さないの感情は出てこなかった。ただ、この子どもみたいにしょぼくれた男が面白くって仕方がない。
「私は平気。テッドのことは知らないけど、まぁそれはそのうちなんとかなるでしょ」
「そ、そんな軽く許していいのか」
「私、禁忌とかよくわかんないし。だって、異世界人だから」
すらすらと、アロンドさんを安心させるような言葉ばかりが率先して生み出されていて、自分でも驚いている。それでもやめないのは、本心では仲良くしたいと思っているから? なにそれ、そんなの私じゃないんだけど。
私の心に黒いもやが徐々に侵食していっているのを知らないアロンドさんは、眉を下げながら笑って、そっか、とだけ言った。
「さて、一段落したところ でわっち から警告をしんしょう 、悠陽。先に出会った赤い男は、炎の大精霊ヴァルカンといいんす 。彼が発した〝呪い憑き〟といわす言葉は的を射ていたんでありんす」
「炎の大精霊があの場所にわざわざ現れたのか?! あんな気難しい奴が、悠陽の所に来るなんて」
「しかも、ご丁寧に説明した後に警告も加えてくれたんでありんすよ。どなたとも契約しないと豪語して、偉そうに踏ん反り返ってありんす癖にね」
アロンドさんとヒュドールの話を聞く限り、赤い炎の大精霊ヴァルカンは、かなり気難しいらしい。いや、何となくはわかっていたけどね。かなり嫌味言われたし。
ついでに言うのなら、ヒュドールとヴァルカンは水と油の関係性らしい。
「悠陽。貴方からは〝死〟の香りがする。人間にはしない はずの匂い……それが、貴方からはする。それが、あの人の言いたかった事でありんしょう 。気をつけてくんなまし 」
私の顔を、青白く冷たい両の手で包み込み警告したヒュドールは、警告が済むと同時に手を離す。冷たい感覚だけが頰に残っていて、頰だけが冷えたはずなのに背筋まで冷たくなったような錯覚を起こす。
「なぁ、もう隠し事はしない。直接伝える。だからお前も、これからは本当のことを言ってくれ」
アロンドさんは、ヒュドールと立ち位置を交代して前に出ると、私と目と目を合わせたのを確認すると、一呼吸してから語りかける。
「お前、本当は死にたくないんだろう? 俺も、お前を殺したくはない。だから、お願いだ。せめて、自分を守るための術は身につけてくれ」
「……そうだね」
死にたいのか、死にたくないのか。自分でもわからない。ただ、面倒臭いことは嫌いだし、余計なことをしてその場から弾かれることも嫌い。辛いことも苦しいことも、経験したくない。だから、全てを消し去って欲しい。苦しむ前にそれを取り除いて欲しい。
簡単にそれを解決する方法が、殺してもらうことだと思った。だから、簡単に、一瞬で、痛みもなく殺してくれそうな子の人たちに頼んだというのが、私の本心。
そんな面倒臭い私のことを話すよりも、ただ黙って頷く方が簡単だと知っている私は、短い肯定の言葉で全てを終わらせる。
死にたくないと言えばそうだし、かと言って生きていたいわけでもない。
今のこの状況は応急処置のようなものだとはわかっている。応急処置をしたとしても、その後必ず病院で適切に、もっと適格に処置をしなければいけないことも知っている。
けれど私は、病院への道筋がわからなかった。だから私は、家で横になっているしかなかったのだ。
そうして今の傷跡だらけの私へと成長してしまったのかもしれない。




