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“禁忌”という言葉で、何かいけないことをしたのだろう、とは予測していた。
けれど、まさかアロンドさんが。なんていう思いは浮かび上がってくるわけで。
「やっぱ、考えちゃうよね〜」
はいどうぞ、と入れ立ての紅茶を持ってきたテッドに、ありがとうの意味を込めながらぺこりと頭を下げる。
革張りの、上質そうな、チョコレート色のソファ。思ったよりもふかふかしているけれど、革張りというところであまりリラックスはできない。
隣に腰掛けたテッドを横目で見つつ、カップを傾けると舌の先がピリリと痛んだ。……熱すぎでは?
「悠陽、これからどうする?」
火傷をして涙目な私とは違い、平然と紅茶を楽しんでいるテッドは、少しだけしんみりとした声を出す。気のせいかもしれないけど、ちょっと罪悪感はあるのかも?
「どうって言われてもなぁ」
「だよねぇ…………ごめん」
ごめんというのは、さっきの行動だろう。
あの状況で何もわかっていないのは、私一人だった。しかも、当事者なのに。話題の中心人物なのに。
ただ一つわかったのは、アロンドさんたちが、〝禁忌〟と呼ばれるものに手を出していて、それを私たちに勧めていたこと。それは、倫理に反していて、とてもではないが出来ないということ。それを全て見越した上で、エイナル先生は話をしていた。それが、テッドの怒りの原因だった。
「いいよ、別に。楽できたらそりゃあそっちに流れるけども、禁忌なんて言われちゃあね……」
流石にそれは無理だ、と笑ってみせる。
どうしてかわからないけれど、彼が申し訳なさそうにする姿を見ていることが出来なかった。今まで通り、おちゃらけた姿のままでいてほしいと思った。
腹立つし、自分勝手だし、未だによくわからない奴なんだけど、どうしてか、傷つけないように言葉を選んでいる私がいた。
以前の私なら……転移する前の私なら、どうやって接していたのだろうか。
「その、禁忌のことなんだけど」
テッドは、俯いていた。テストで取った、悪い点数を親に報告しようとする子供のように、視線を彷徨わせながらも、必死に言葉を紡ごうとしている様子が、それほどまでに言いにくいことだとを示している。
私がテッドに話を促すように視線を合わせようとすると、意を決したように唇を噛み締めたあと、少し息を吸ってから話し出す。
「アロンドのやつの平穏は、誰かの犠牲の上で成り立っている。アレは、人の魂を縛り付けるものだ」
そもそも、とテッドは話を続ける。
「アレは膨大な魔力を必要とする。生身の人間には到底手に入れることのできない力だ。だって、多くの精霊と対抗するためのものだから。そこで、第三者の協力が必要となる。魔力供給源さ。それも、自分を絶対的に守ってくれる存在だ」
一つひとつを、噛み砕いていくように丁寧に説明するテッドは、そうやって時間をかけていくことで、己自身にも、納得させているように思えた。
今のテッドは、感情の振れ幅が非常に不安定で、不気味だ。落ち着いているかと思えば、急に激昂し、声を荒げたり、そうかと思えば急に黙り込んでしまうこともある。
「さっき、俺は生身の人間では、到底手に入れることができないと言ったね。じゃあ、生身じゃなければどうだろう? 決まり切った器を捨ててしまえば、どうなるだろうね?」
再び、テッドの感情の波が高くなる。怒っているような、悲しいような、そして馬鹿にしたような表情からは、あまりにも情報量が多すぎて、何を考えているのかは読み取れない。肌がピリピリと痛むような、錯覚さえ感じる。
「魂は術者に縛られる。よくある物語の職業、ネクロマンサーみたいなものだ。あれは死者を操るが、この術は、生きた人間の魂を使う。それがどれだけ酷いことなのか、いくら悠陽でもわかるよね?」
生きた人間の魂が、術者により、永遠に縛られる。それも、魔力供給のためだけに。にも関わらず、他の人からも見つけてもらえず、物理的な干渉は一切できない。正に、生きながら死んでいると言ってもいい。アンデッドだ。
「俺の父さんはね、ある日突然消えたんだ」
幼い子供に言い聞かせるような口調だ。私と目を合わせているけれど、私という存在ではない何かに語りかけている気がする。それが何なのかまではわからないが、テッドにとっての大切な存在なのだろう、と察する。
何とも思っていない相手には、こんなにも優しい目はしない。
「あの女が、父さんは俺たちを守るために、お国のために忙しくしているというから、俺はそれを信じた。そうして何年も経った」
「俺には妹がいた。あの女と妹は、仲が良かった。あの女は妹を溺愛して、好きなように飾り付けた。お人形のようにね」
「あの女は、妹が去った部屋の中、愚かにも、大きな独り言を零した」
「この子のためにも、もっと魔力を集めて頂戴ね……テッド、ってね」
次々と語り出すテッドの過去。あまりにも衝撃を受けたものだから、返事も忘れてしまった。その間にも、テッドは恨みを吐き出すように、言葉の流れを加速させていく。
そして、やっと流れが緩やかになると、テッドの過去について理解できて、それに対する違和感にも気付くことができた。
「テッド? じゃあ、アンタは母親に狙われてるってこと? それに、魔力が欲しいってことは、その母親も!」
「そう。あの女は、父さんを犠牲にして、娘が奪われないようにした。俺はそう考えた。それと……テッドは、俺の名前ではない」
違和感の正体を口にすれば、それに誠実に答えるテッド。初めに会った時の印象はもう消えていた。本来のテッドは、こんな風に、思慮深く、落ち着いた人物なのだろう。
「テッドは、父さんの名前だ。俺は父さんの存在を、忘れさせないためにその名を背負って生きている」
言葉が出てこない。
テッドという名前は、実の父の名前?
それも、その存在を忘れさせないためって、一体どんな気持ちでその名前を呼ばれ続けたんだろうか。テッドという名で、大嫌いな女に好かれ続けて、テッド自身のことなんて、何も知らないのに。
でも、何も知らないのは、私もそうだ。
「じゃあ、本当の名前は?」
私の問いかけに、テッドは首を横に振ることで答える。本当の名前を教える気はないらしい。
ところで、なぜ私にそんな話をしたのだろうか。さっき怒りを抑えきれずに私に迷惑をかけたからとはいえ、それを贖罪するために過去を打ち明けるというのは、代償が大きすぎはしないだろうか。
テッドの表情から、真意を読み取ろうと努力はしてみるものの、遠くの方を見ているような、焦点が合わない目をしている。口元は、緩やかなカーブを描き、微笑んでいるように見えるのに。
彼が笑うのは癖なのだろうか。本心を隠すための、仮面なのだろうか。
「俺は許さないよ。禁忌を犯した人間を」
にっこりと、カーブを強めた口元とは対照的に、目元は全く変わらない。目は笑っていない。テッドの本質、それも、悍ましい姿を見てしまったような気がして、逃げるように目線を下に移す。
が、ハッと気付いて、身を乗り出すようにして提案をする。
「だったら利用しよう。あの2人を」
テッドは、目を何度か瞬かせた後、目を見開いた。どうやら気がついたらしい。
テッドが、父の名を未だに名乗っていることから、テッドの母は未だに魔術を使用していることが予想できた。つまり、父の魂は縛られたまま。禁忌の魔術を無効化するような方法には辿り着いていない。と、思う。だからこそ、同じく禁忌の魔術を用いたあの2人から情報を引き出す。それが、私の考えだ! テッドの母親が教えてくれるわけないし、むしろ聞きに行くことで、逆に私たちまで魂を縛られる危険性があるから。
その点、私はアロンドさん達にとっての良い実験体。一時の感情に任せて魂を縛られることはないだろう。たとえ縛られたとしても、解除方法が、もしかしたら明らかになるかもしれないからね。
「あぁ……、いいね、それ」
私の言葉で、やっと目元も緩んだ。
その表情を確認して、知らず知らずのうちに強張っていた体の力が抜けて、だらりと背もたれに体重をかける。
「ありがとう悠陽。君がいるからこそできる計画だ、本当に……ありがとう」
日も落ち始め、赤みがかった太陽の光が、窓から差し込む。太陽を背にするテッドの顔が、逆光で暗くなったことも原因か。
最初は疎ましく思っていたこの男の真意に気づき、震えそうになる手を隠すように押さえるしかなかった。




