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「いや~、俺を入れた初めての、大、研、究、会! 記念すべきこの日に、かんぱーい!」
「ちょっと黙ってくれるかな」
エイナル先生が、精霊の愛し子について、既にテッドから聞いたものとほとんど同じような説明をしてくれている中、テッドは邪魔をするようにはしゃいでいる。
私が注意をすると、一旦は黙るものの、しばらくしたらまた喋り出すから、そろそろ拳を構えようと思っていたころに、エイナル先生からの説明が終わった。
「さて、悠陽さんはどちらの方法を取るのでしょう」
エイナル先生は慣れたもので、テッドが騒いでいる間も、一度も説明を止めることは無かった。
今のも、無かったこととして、私との会話をしようとしている。
さすが、プロ。何のプロかは知らんけど。
「私は、テッドに魔術をかけてもらおうと思ってる。何度もかけ直す必要はあるけど、私自身は面倒なことをする必要はないし、最善策じゃないかって、前にテッドと話していたんだよね」
エイナル先生に、テッドを研究員に加えるようにお願い (テッドによる一方的な交渉とも言える)をした後、テッドと今後どうするかは話し合ってあった。
お互いに、楽な生活を送りたいという考えは同じだったので、テッドから提案を受けた時、よくわかっているじゃないか……。なんて、魔王様みたいな反応をしてしまった。
テッド曰く、魔術を何度もかけるのは大して面倒ではないらしい。
私のお世話をちょっとするだけで、今までより先生からの催促を受けることがなくなるのは、おつりがくるくらいに素敵なことなんだよ、と力説された。あの時のキラキラした目は、嘘を語っている目ではなかった。ただ、ちょっと距離が近かったかな!
「魔術、ですか。確かにそれも、一つの手ではあります。テッドさんは、才能も有ります。
何度か魔術をかけることで、テッドさん自身の経験を積むこともできます。ですが……」
「これは、研究です。私は実験体。それも、合意の上で私は実験体になっている。
だから、私が魔術によって負傷したとしても、貴重なデータとして記録することができる。
それは先生たちにとって、良いことじゃない? ほら、仮に死んだとしたらさ、一番望んでいる事じゃない」
この言葉も、テッドとの作戦会議の時に考えておいたものだ。
私の死生観も、研究に対する考えも、テッドは聞いていたからこそ、私たちの作戦はすぐに決まった。
お互いに、自由への執着心が強いな、なんて他人事のように思っていた。
エイナル先生は、少し顔に影が差したような、暗い表情をするが、口角が下がったりとか、眉が下がったりとか、そういう大きな変化は見られない。あくまでも、無表情。雰囲気で、なんだか暗いな、ってわかるぐらい。
どうしてか、昨日の研究会後から、暗い表情を見せるようになってしまって、こちらも困惑してしまう。
何かを言いかけようとしたが、それを取り消し、私の意見に賛成した。
ところで、忘れていたが、アロンドさんもこの場にいる。
だけど、部屋の端にいて、沈黙を貫いている。私たちの会話を聞いているのかさえ、疑わしいくらいに静かで、指一つ動かさないまま突っ立っている。
「ちょっと、アロンドさんは? 賛成なの、反対なの?」
端で突っ立ったままのアロンドさんに声を掛けるが、反応は無し。
仕方がないので、そのまま話を進めよう。
実際に、どのような魔術式で行うかは、魔術の先生であるエイナル先生の指導の下で行う。
テッドは、魔法、魔術、剣術など、多くの分野で才能を見せつけてはいる。しかし、精霊の干渉から守る魔術は、精霊の愛し子の少なさ故に、参考文献を見つけることが難しく、さすがのテッドも知らないそうだ。
ちょっと待って、だとしたら、精霊との契約をしていないテッドは……。
「あのね、魔法や魔術を極めて服従する意思は無いと伝えることと、あらかじめ他人から魔術をかけてもらって、精霊からの干渉自体を防ぐことは、前提が全く違うの!」
疑問を口にすると、テッドに説明で返されたので、なるほどと納得した。
つまり、本人に魔法や魔術に対する知識や経験が多い状態で対抗するか、全くの無力のまま他人の助けを得て対抗するかの違いというわけだ。
そして、私が納得したところで、エイナル先生は本棚の、奥の奥から一冊の本を取り出すと、あるページを開いて私たちに見せた。それは、精霊の干渉をはじくための魔術が記されているページだった。
所謂、魔法陣と呼ばれる模様の中に、読み書きが難しそうな文字がいくつか入ったもの。
そして、どれくらいの難易度なのか、などが詳しく書かれてある。
ただ、このページは手書きで記されているせいか、一部くしゃくしゃの文字になっていて、本当に大丈夫なのだろうか、と不安になる。
「ねぇ、これ、手書きだよね? 誰が書いたの?」
私と同じ不安を抱えたらしいテッドが、エイナル先生に疑問を投げかける。
エイナル先生は、少し気まずそうな雰囲気を出しながらも、やはり無表情は崩さずに、青紫の瞳をテッドに向けた。
「……私ですよ。かつて、アロンドさんが精霊による干渉で苦しんでいた際に、実験も兼ねて作り上げたものが、この魔術です」
随分と前のものですし、これはあくまでも応急処置のようなものです。
と付け加えたエイナル先生は、いったい何者なんだ。魔術って、そんなにホイホイ作れるもんでもないだろうに。
もしかしたら、私はすごい人たちに囲まれているのかもしれない。
才能マンに囲まれるって、最悪では?
「でも、そっか。魔術を開発した人がすぐ近くにいるなら安心だ」
魔術式を読み込んでいるテッドは、本から目を離さずに会話を続けている。これも、天才と呼ばれる理由の一つのなのか、と考えてしまった。ただ、笑顔を崩して、いつもとは違う真剣な顔をするテッド。そんな風にして、魔術の本を読んでいるところを見ると、今までの苛立ちがスゥっと消えていくような感覚がした。
まぁ、気に食わないんだけどさ。憎めないな、って思っただけ。
テッドは、とりあえず読み込むから、そっちはそっちで話を進めておいて、と言うと、再び静かになる。
エイナル先生と私で顔を見合わせた後、空気のようになっていたアロンドさんの方も見る。抜け殻のように、微動だにしないアロンドさんは放置して、とりあえずはエイナル先生と話をしよう。
「そういえば、アロンドさんも、魔術で精霊からの干渉を防ごうとしたんですね」
「……ええ。彼は、精霊と関わることを、極端に嫌っていましたから」
エイナル先生は、何かを思い出すかのように、目を細めた。
綺麗な青紫色の瞳が、近づき合う瞼のせいで、一部隠されていることで、瞳の中に闇が落とし込まれていく。
私はそれを横目で見ながら、アロンドさんだけではなく、エイナル先生の闇も深そうなんだよな~、と、これからの対応の仕方を考えていた。
「聞かないのですか?」
彼らの地雷を踏まないようにしよう、と決意していると、エイナル先生が不思議そうに問いかけてくる。
ただ考え事をしていたんだけど、あー、何の話だっけ。
自分から話し出しておいて、その答えをまともに聞こうとしていないの、通常運転って感じ。
よし、いつもの私に戻った。気がする。
「あー、うん。そこまで興味なかったかも。
とりあえず、今は私にその魔術が効くかどうかだよねぇ」
こんな会話をしている間も、テッドは集中を切らすことなく、魔術のあれこれを読んでいる。普段はちゃらんぽらんだけど、やろうと思えばやれる。だからこそ、あんな態度が許されているんだろうな。
羨ましい、と思っていると、テッドが急に顔を上げた。
何かに気づいたように、目を大きく見開いてエイナル先生を見ている。
やがて、燃えるような赤い目が、本当に燃えそうなくらい強い眼光を携え、眉をつり上げながら口を開いた。
「これ、禁忌に類されるものじゃないの」
今まで、ハリの良い明るい声を出していた人間と同一人物だとは信じられない、低く、静かな声だった。
本を読み込んで集中した影響か、という問題でもなさそうだ。たぶん。
ただ、言葉一つで抑えられるような状態でもなさそう。
テッドの質問に答えられる、唯一の人であるエイナル先生は、沈黙を守ったまま、語ろうとはしない。
それに苛立ちを隠せないテッドは、本を床に叩きつけた。
「こんなもの、実行できないってわかってただろ。変な希望を与えて、その後に絶望させて……、本当、最低だよね! だから俺は、お前たちの言うことを聞かないのさ! お前たちは俺たちに選択肢を与えたフリをして、本当は一本の道に絞り切ってる。それ以外の道を塞いでいる! 自分の描いた通りにしたいから!」
エイナル先生は、テッドの悲痛な叫びを伴った訴えを聞いても、いまだに無表情で、今のままでは、何を考えているのか、さっぱりわからない。テッドの言葉が、本当に耳に届いているのか、と疑うほどに。
エイナル先生が、顔回りを隠していた銀の髪を耳にかける。
その動作が、あまりにも綺麗で、上品で、こんな状況なのに見惚れてしまう。
「エイナル先生……。アンタだって、上から命令されて、ただ一つの道しか用意されていない苦しみは、わかるはずだろ……? なぁ、アンタ本当に、感情はあるのかよ?」
苦し気に歪んだ表情と、その切なげな声は、やはり年相応のもので、彼もまだ成長過程の子どもなのだ、と思った。
私と同じくらいの年で、同じように学生生活を送るはずで、笑ったり、怒ったり、時には傷ついたりして。
私も、そうであるはずだった。
エイナル先生は、テッドの問いかけには答えない。
薄桃色の、形のいい唇は、鍵がかかった扉のように、決して開くことはない。
その問いの答えは、鍵をかけられた故に、部屋から出てくることはないのだ。
「もう、いい。悠陽……、他の方法を探そう」
怒りが限界を超えて、一周回って彼は静かになる。
けれど、赤い瞳に宿った炎は、燃え続けている。少しでも触れれば、すぐに火傷をしてしまうのはわかりきっているので、それを否定したり、口出ししたりはしなかった。
私の腕を引いて、この場から離れようとするテッドに抵抗はしない。
顔だけをエイナル先生に向ければ、俯いていた。
アロンドさんが、今さらになって、こちらに焦点を合わせて、ただ、“違う”と言った。
それが、何を否定したのかは、私にはわからなかった。
私だけが阻害されていた。
本人の、はずなのに。
私の気持ちを知っているのか、知らないのかは定かではないが、テッドの私を掴む手に力が入ったことで、ちょっとした安心感を覚える。
この手は、確かに私を繋ぎとめていてくれるのだと。
「しばらくあそこには行かない方がいい。
アンタ、知らないうちにアイツらのいいように使われちゃうからさ」
ぐんぐんと前を行くテッドは、転移魔法を使うことを忘れてしまっている。
それを指摘する勇気も、気力も、残っていない。
今はただ、テッドのすることを眺め、肯定し、着いていくだけだ。
これから誰のもとに行き、どうやって過ごしていくかは、わからない。
それでも、どうしてか今は、テッドが私の身を案じているような気がした。
本当の友達とは、こういう人のことを言うんだろうか、なんて。
「俺は、アンタの味方だよ」
私の考えを肯定するかのように、テッドは言った。
一瞬振りむいて、私に笑いかけるテッドに、自然と笑みがこぼれる。胸の内にあった重たいものが、霧散していくような、不思議な感覚になる。
さっきまでの、テッドに対する嫌な思いは、もう無い。
あるのは、少しだけ軽くなった私の体と、心。
数百メートルも走って、やっとテッドが転移魔法を使えばいいことに気づいた時には、私はもう、自分からテッドの手を握っていた。




