17
落ち着きを取り戻したように見えるアロンドさんは、私の顔色を窺うように、恐る恐る椅子に座る。
けれど、自分の手を組んだり、握ったり、マッサージをしたり、と動かしたままなのを見ると、抑えきれないものがある、というのはバレバレだ。アロンドさんの透き通った青い瞳が、右に左に忙しなく動いているのは、私の視線から逃れるためなのか。
「その、なんだ。騙すような感じになって悪いとは思ってる。だけど、それでも、何をしてでも探し出したいんだよ。やっとのことなんだ。だから、頼む。……もちろん、無償で手伝ってくれだなんて言わない。そのために、ここに連れてきたんだ」
アロンドさんは、ゆっくりと息を吸って、吐いて。それから、もう一度口を開いた。
両の手は、太ももの上に、行儀よく置いてある。今はちゃんと、視線を私に定めてある。
「交換条件として、お前を無事に元の世界に帰す方法を探る。
研究をしている間、お前の安全を保障する。俺と、エイナルの二人。場合によっては、それ以外の人も含めた複数人で。だから、頼む」
アロンドさんは、深く深く頭を下げる。
頭を下げられることに成れていないんだよ、私は。エイナル先生助けて。
そうやってエイナル先生に目を向けるが、エイナル先生も、お願いします、としか言わず、ただ私に選択権があるかのように示す。
実際は、そんなものないんだから、協力してくれるよね? といった雰囲気が見えないこともないんだけど、それでもアロンドさんは、真剣に私に頼み込んでくれた。ガキの私に、頭を下げるなんて、並大抵の気持ちではできない。それは、わかっている。
「悪いけど、私は……元の世界に、戻りたいわけではないんだ」
「、え?」
しん、とした部屋に、アロンドさんの間抜けな声が響いた。
頭の位置は低いままに、私の顔を見て、固まっている。
アロンドさんが固まって動かないでいた代わりに、エイナル先生が口を開こうとするのを見て、私は先に言葉を続ける。
「私は、元の世界に対する興味はもう薄れました。この世界も、確かに魔法やら幻獣やらで、知らないことばかりだとは思います。でも、結局はそれだけ。例えば、部屋の中だけで過ごすとすれば、それは元の世界で適当に生きているのと変わらない。だから、この世界も、元の世界も、もうどうだっていい。
研究をしたいのなら、これまで通り、お二人でどうぞ。
この世界に死が存在しないのなら、私はお二人が『死ぬ方法』を発明した時に役立ちましょう」
私の長ったらしい説明を聞いているうちに、二人の表情をみるみるうちに悪くなっていく。
エイナル先生は、変わっていく表情を見られたくないのか、片手で覆い隠している。口元だけを隠しているので、目元が丸見え。何か化け物でも見ているかのようなその目で、私が異質である、と非難しているように感じ取れてしまうから、なんというか、うん。
アロンドさんは、気持ち悪いものを見る目、というよりは、なんだろう。よくわからないけど、苦しそうというか、悲しそうというか。利用しようとしていたクセに、どうしてそんな顔をするんだろう、みたいな感じ。
「簡潔に言えば、私はここから逃げるつもりはない。でも、研究に常に参加するのは、面倒だから拒否。何か良いアイデアが思いついたとき……その時は、実験体になる。ただそれだけでいい」
それでいい。
私は、必要最低限以上の人間関係は望まない。面倒なことは嫌いだ。しっかりと避けて、避けたうえで、快適な生活は提供してもらう。そんなワガママも通用してしまえる世界なのだから。魔法という名の 便利ツールを最大限に駆使して、楽にしてほしい。
最初から、そう願っていたではないか。
見知らぬ土地で、アロンドさんという頼れる人ができて、少しだけ、らしくない考えをしていたよ。馬鹿だね、ほんと。私って。
「貴方は、どこにいようが、関係なく……死を望んでいるのですか」
エイナル先生が、必死に言葉を選びながら話すのを見ながら、きっとこの人も研究のために頑張っているんだろうな、なんて他人事に思う。
青紫の瞳は、差し込む光を背にしているせいか、暗く淀んでいるように見えてしまう。
それが、エイナル先生の心境を示しているように思えて、つい視線を外してしまった。
「別に、今すぐ死にたいわけではないです。でも、わざわざ生きようとも思わない。
だから、実験動物として利用されようが、結果として生き延びてしまおうが、どうだっていい。
私はただ、そのまま受け入れる。それが一番、楽だから」
特に何か感情を込めて言ったわけでもないのに、彼らは怯えた顔をする。
別に怒ってなんかいない。利用して、利用されるのは、前の世界でも同じ。
人である限り、その関係は変わらない。
だから、それを受け入れる。それだけの話なんだ。
でも、私に大きなメリットはないから、自発的に協力はしないけど、命に未練なんてないから、勝手に使ってどうぞ、ってことなの。
「楽だから、って……!」
「貴方たちの目的は、研究を完成させること。未知を既知にすること。
私を救うことではない。命を助けることでもない。そうでしょ」
それだけ言って、話は終わった、という姿勢を見せ、沈黙していると、動揺から立ち直れていないエイナル先生が、鎖骨あたりまで伸びた白銀の髪で顔を隠したまま、
「今日は、もういいです。お互いに、一度考え直しましょう」
という言葉を絞り出して、机の上で拳を握る。
研究室を出る前にアロンドさんを横目で見ると、アロンドさんも私を見つめていた。
眉を下げて、目や口元を歪めて作られた表情が何を語っているのかは、私にはわからなかった。
きっと、エイナル先生にもわからないだろうな。
完全に研究室を出て、私はそのまま長い階段をひたすら降りて、ぜぇぜぇ言いながら外に出た。
空は、私たちの空気とは大違いで、雲一つない晴天だ。
少し歩いて、気分転換でもしよう。本当は、部屋でごろごろするのが私の本来の生活なんだけど、今はそうする気にはなれない。
少しでも、あの二人から離れたかった。
散歩をしよう、とは思っても、悲しいことに私は土地勘がない。
誰かいないかな、と周りを見渡すと、遠くから手を振っている人物が見えた。
……赤い。
「やばいぞ、これは。あの色には覚えがある」
緊急事態を知らせる警報が、頭の中で鳴り響く錯覚がした。
赤髪はこの間にも、手を振りながら私の方に向かっているので、とりあえず逃げることにした。
くるっと方向転換をして、反対方向へ走り出そうとする。が、
「酷いな、逃げようとするなんて」
瞬間移動の魔法か何かだろうか。
方向転換をして、一歩踏み出そうとしたときにはもう、真横から肩を掴まれ、にっこりと笑いながら捕獲されてしまった。完全なる敗北だよ。まぁ、魔法使いに一般人が勝てるわけないんだけど。
「忘れていたよ。君は魔法使いだった」
「あは、皮肉かな?」
私が、意識的に嫌そうな顔をしながら、赤髪の正体であるテッドに負けを認めたことを告げるが、テッドはおちゃらけていて、にっこにっこと笑い続けている。
そして、前回と同様に、杖を取り出したかと思うと、一振りする。
私の右手が光り輝くと、そこから蝶がひらひらと舞いながら空へ飛び、霧散する。
また、居場所を探られていた。
「ねぇ、プライバシーって知ってる?」
「さぁ。魔法使いにはわからないな」
テッドは、わざと魔法使いを強調しながら言う様子を見ると、沸々と怒りが湧く。やっぱり、いちいち馬鹿にした態度をとるから、毎回ムカつくんだよね。
それに、魔法を何度もかけてくること!
「俺さぁ、聞いちゃったんだよね」
テッドに何か報復をしよう、と拳を構えながら一歩近づいたと同時に、テッドが話し始める。
何を、と聞き返す前に、テッドは言葉を重ねる。
「アロンド先生と、エイナル先生は、乙葉 悠陽を研究対象として見ている。
その理由は、アンタが異世界人で、この世界にはないものを知っているから。
……そうでしょ? 隠しても無駄だよ。全部聞いていたからね」
私の前を、右に歩いたり左に歩いたりと、わざと動き回りながら、しかもゆっくりと行動することで、私の怒りを更に煽ろうとしている。
しかし、自分でも驚くことに、怒りどころか、何の感情も湧くことは無かった。
どう返そうか、と悩んでいれば、テッドは私の真ん前に来て、体をひねりながら私の顔を覗き込んだ。
唇は弧を描いたまま、目を細めて、中にある炎のような瞳を隠して見つめ続けている。
「そうだった、君……無関心だったね。世界にも、人にも」
ほら。そうやって、馬鹿にしたようにして。まぁ、わかっていたからいいけど。
もういいや。アロンド先生やエイナル先生の言うことは、最初から聞く必要なんてなかったんだったって、さっきの研究と称した質問会でわかった。なんで言うことを聞いていたのかも、今となっては疑問だらけだけど、それももうどうだっていい。
今はただ、気分転換に失敗したから、大人しくお部屋に戻るだけ。
くるりと、再び方向転換をする。
また、テッドは私の目の前に現れる。今度は、魔法を使わなかった。
表情はそのままに、私の進路の邪魔をし続ける。
私が返事をしないからか、話しかける事もなくなってしまったので、ただ静かな戦い (そう思っているのは私だけだろうけど)をしていた。
あまりにもしつこいので、方向転換もやめた。
テッドは、私の手を強引に繋ぐと、“テレポート”と、ハートでも付いていそうな声音で言った。
驚いてそちらを見ると、杖を構えて、勝者の笑みを浮かべているテッド。
周りを見渡すと、全く覚えのない部屋の中にいることが分かった。
「どうしても、話したくって。でも、逃げるから、仕方がないよね?」
ぺろっと舌を出すテッドに、今度こそ怒りが湧く。
よし、殴ろう。今すぐ殴ろう。魔法使いだろうが関係ない。私には私なりの戦い方がある。いや、ないけど。
「あれ、今度は怒るんだ! 落ち着いてよ、質問に答えたら帰すからさ!
まぁでも、逆に答えなかったら、いつまで経っても帰れないけどね」
そう言うテッドは、アニメでよく見るような、悪魔だとか、魔王だとか、そういった類の生き物と同じような笑顔で、その顔とは正反対の爽やかな声で死刑宣告をした。
勘弁してよ。もう、ここ数日、私のぬるま湯ライフが奪われ続けているんだよ。
ここがどこだかわからない。ということは、自力で帰ることは、最高に難しい。
初心者なのに、いきなりハードモードでプレイしているような気分だ。
それも、他人によって無理やりやらされた感じね。
「わかった、わかった。それで? 魔王様は、どんな答えがお望みです?」
ヤケになりながら、降伏のポーズをとる私を見ながら、テッドは満足そうに頷く。
じろりと睨むけど、彼には全く効いていない。
「あー、とは言っても、大体は聞いちゃったからなぁ」
「は?」
いや、呼び出しておいて、それは何だ? 聞きたいことがあるから、わざわざ通せんぼをして嫌がらせをした挙句、こんな場所に連れてきたのでは?
なんだこいつ、なんなんだ!
「あははっ、ごめんって! でもさ、どうせなら雑談をしよう。僕らは仲間なんだから、仲良くしようよ!」
「私たちのどこが仲間なわけ……」
テッドの自由奔放さに呆れ、疲れているアピールを込めて、ため息交じりに言葉を返すと、あれ、知らなかったの! と、これまた馬鹿にされる。
「僕も君も、“精霊の愛し子”仲間じゃないか!」
精霊の愛し子。
それは、鏡の中の、もう一人の私が言っていた言葉でもある。
その意味は分からない。私がソレだということも、今初めて知った。
「精霊の愛し子……。それ、前にも聞いたことがある。それって何なの?」
「あー、そっか。君、そうだったね。君、異世界人なんだもんね」
それなら、わかりやすく、一から説明をしてあげよう!
テッドは、そう言って、神とペンを取り出した。
テッド先生の、初心者向け『精霊の愛し子』講座の開催が決定した瞬間だった。




