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「おいおい。最近お前の小説面白くなくなったんじゃないのか?」
「そうかな……」
「暗いんだよ、話の設定が。わたしは笑いたいんだぞ? こんなんじゃぜんぜん満足できないね」
「ごめん……」
「やれやれ。しょうがない子だね」
ぼくは手を差し出して、原稿用紙を受け取ろうとする。
が、姉は持っている原稿用紙を離そうとはせず、視線をそのままそれに向け続けていた。
?
なんで返してくれないんだろう?
「どうしたの姉さん」
「いや。面白くはないんだが、これは預かっておくよ」
「え、どうして?」
「……お前の小説は、一度や二度読んだ程度じゃ意味のわからない場面が多いからね――なんども読んでいくうちに味が出てきたりする」
「そうなの?」
「ああ。スルメみたいなもんさ」
「スルメ……」
「ま、読み返すうちに面白くなってくるかもしれないからさ、これは預かっておくよ」
「うん。それなら……」
姉が面白いといってくれるなら、書いた小説は上げてもいい。
そのためにぼくは小説を書いてきたのだから。
「っていうか読み返してくれてるんだ」
「あたぼうよ。これを読むしかやることがないんだ。面白くなくても読むっての」
「そっか」
ぼくは笑った。
姉は、ぼくに指差す。
「でも! 次は一発で笑わせてくれるやつを書いてきてくれよ?」
「うん」
「わたしもね、お前といっしょにいるときに笑ってみたいんだから」
「うん……。頑張るよ」
姉はタバコを吸った。
咥えたままでいう。
「で、最近どうだい?」
「最近……」
「身の回りのこととか、変わったこととか」
「……なにも変わらないかな」
「そうかい」
「……辛いよ」
「なにが?」
「優しい姉さんが、いずれは死ぬってわかってるから」
ぼくは涙目になったので、手で顔を隠した。
姉は、フッと似合わない微笑を浮かべて、タバコを灰皿に置き、それから優しい声音で言ってくる。
「こっち来な」
ぼくはパイプ椅子を浮かせて、無言で姉の傍に寄る。
そうして俯いていると、姉に頭を撫でられた。
「しゃあねぇな。まったく」
「ごめん……」
「今は落ち込んでもいいからな。小説を書いてきたご褒美だ」
「う、ぐす……」
「いい子だよ。よしよし……」
慰められる立場なんかじゃない。
ふつうならむしろ病人である姉のほうをぼくが慰めるべきだ。
けど、悲しくてしょうがない。
「甘えん坊め……。わたしがいないとほんとにダメなやつだな……」
姉が慰めてくれて、心も幾分か軽くなった。
ほんとうはもっとこうしていたいけれど、わがままは言っていられない。
安心させるためにも、ぼくは早く大人にならなくちゃ。
ぼくは顔を上げた。
「ん、もういいのか?」
「うん」
「嘘つけよ。ほんとはもっと甘えたいんだろ?」
「そんなこと……」
「ならお前の小説、どうしてあんなに主人公が甘えん坊なんだよ?」
「う……」
「しかも甘える先が必ず年上のお姉さんじゃねぇか。あれは願望の表れだろ?」
「ぐ……」
「そうだろ」
「うん……、たぶん……」
「やっぱりな」
嬉しそうな声音で姉はそういって、引き寄せるようにぼくを抱きしめた。
ぼくの顔が、おっぱいに埋もれる。
柔らかい。
微かにいい匂いがする。
落ち着く、とても。
眠りたいくらいに――気持ちいい。
姉は笑う。
「はは。お前、いま勃起してるだろ?」
「……姉さんっ」
「なんなら手コキしてやってもいいんだぞ?」
「お願いやめて。いい雰囲気をぶち壊さないで」
「冗談だよ。姉弟でそんなことするわけないだろ」
姉はけらけらと笑った。ぼくをからかう時はほんとうに楽しそうにしてくれるお人だ。
バカにされている気がするけど、それで姉さんが笑ってくれるなら、ぼくはそれでいい。
姉は腕をほどいて、ぼくは椅子に座る。
姉はニッとする。
「んじゃ、次は面白いものを頼むぞ?」
「うん。頑張ってみる」
「いっとくけどな、速筆とか多作とか、そんなことを気にして面白さを疎かにするなよ?」
「う……」
痛いところを突かれた。
まさにそこを気にして、ぼくは面白さを疎かにしているような気がする。
「時間をかけてもいいんだ。面白いものを頼むぞ」
「でも姉さん、そんなことしてる間に姉さんが大変なことになったら」
「そんなこと気にするなよ。それでつまらないものを量産されたって、こっちは困るだけなんだ」
「う……」
「時間をかけてもいいから面白いものを書け。わたしは待ってるから」
「うん……」
「ん」と、時計を見上げて、「もうこんな時間か」
「ほんとだ」
「面会時間、終わるな」
「終わっちゃうね」
「寂しいか?」
「寂しいよ」
「そうか。じゃあ――」
姉はベッドから体を浮かせて、パイプ椅子に座っているぼくに寄ってきた。
そして唇にキスしてきた。
「!?」
ぼくはパニックになる。
「な、な、な、なにするの姉さんっ!?」
「いいじゃないか。口が寂しかったんだよ」
「口が寂しいって……、タバコがあるじゃないか!」
「もう残ってないんだよ。それに」
「それに?」
「ん…………」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない」
「……なんだよ」
そのときの姉は、これまで見たことないような表情をしていた。
儚げ、だった。
ぼくはその表情の意味を考えて、黙ってしまう。
それを突き放すように姉はいってくる。
「新しい小説、待ってるぞ」
「……うん」
「笑える小説を読ませてくれよ?」
結局答えが出ないまま、ぼくは病室を出た。