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病院。
面会時間。
「おはよう」
「……おはよう」
ぼくは、病室の扉を開けて部屋に入って、挨拶を交わした。
挨拶を返してくれたのは、入院しているぼくの姉だ。
「調子はどう?」
「……どうといわれてもね。相変わらずくそったれとしか言うしかないさ」
「そっか。辛いんだね」
「……お前に同情されたくはないけどね」
「うん」
生気の失った目でぼくと応答し、生きることを諦めているかのような口調で姉は話す。
ぼくはベッドの傍にパイプ椅子を立てて、姉の近くに座った。
「ねえ」
「あん?」
「ぼく、姉さんに会えなくて寂しかったよ」
「そうかい」
「姉さんは寂しくなかった?」
「寂しくはないね」
「ほんとうに?」
「寂しくないさ」
「そんなこといわれると、ぼくは寂しいな」
「嘘だよ。ほんとうはお前に会いたかったさ」
ぼくは俯いて、すこし嬉しんだ。
姉さんから会いたいと思われていることが嬉しかった。
「で、どうなんだ」
「どうって?」
「小説だよ――新しいの書けたから来たんじゃないのか? わたしはそれを楽しみにしてたんだがね」
「あ、うん。書けたよ」
「読ませてくれ」
「うん……」
ぼくは肩からぶら下げているカバンに手を入れて、顔を赤らめながら原稿用紙の束を姉に渡した。
姉はそれを片手で受け取る。
「おい」
「うん?」
「机に置いてあるタバコとライター、取ってくれないか?」
「……まだ禁煙してなかったの? 体に悪いって」
「バカなこといってんじゃないよ。吸わないから体が悪くなるんだ。イライラしてしょうがないんだよ」
「もう……」
ぼくは立ち上がって、向かい側にある机へと歩いていく。
姉のいるこの病室はちょっといいところの個室なので、配置されている机も木造のデスクとすこし高級だ。ワックスでテカテカとしている茶色の面には、ぼくの顔が反射するほど。
おそらくベッドの上から投げ捨てられたであろうタバコとライターをひょいひょいと拾って、それを姉に手渡した。
「ん。サンキュ」
「どういたしまして」
「ちゃんと言うこと聞けて偉いな」
犬を褒めるみたくぼくを褒めつつ、姉は、タバコを咥えてライターで点火する。
すー……。
ふー。
主流煙を吹いて、初めて笑ったような顔つきになった。
「今のわたしには、これが生き甲斐なんだよ」
「そんなにタバコが好きなの?」
「タバコじゃない。お前の小説がさ」
手の甲で原稿用紙をぱんぱんと叩く。
ぼくは戻ってパイプ椅子に座った。
「どうせ助かる見込みなんてないしな。せいぜい弟の進歩を楽しむ余生だよ」
「……まだ助かるかもしれないってお医者さんは言ってたよ」
「あんなのは適当に言ってるだけさ。わたしは延命措置を受けてまで生きようとは思わないんでね」
「…………」
「ははっ。そんな顔しやがって……、わたしが死んだら悲しいか?」
「悲しいよ……」
「そうか。そりゃすまんな」
ふー、とまた主流煙を吐いた。
けほ、とぼくは咳き込む。
「ま、いいじゃないか。こうして今を楽しむことができるんだ。わたしは今確かに幸せだ」
「長く続かない幸せなんて、偽物だよ」
「そんなことないさ」
「そうかな……」
「そうだとも。一瞬でも笑顔になれたら、それは幸せに違いないんだ」
吹かしていたタバコを灰皿に置いて、いよいよといわんばかりに原稿用紙に手をつける姉。
ぼくのほうを見てはニマリとして、それから期待するようにいう。
「その一瞬の幸せをくれるお前は、ほんとにいいやつだよ」
「…………」
「わたしの大事な弟だ」
「…………っ」
ぼくは泣きそうになって、深く俯いた。姉から優しい言葉をかけられるほど、ぼくの胸には切なさが走る。それはきっと、この優しさがいずれは死んでしまうとわかっているからなのだろう。
しかも姉自身は、取り立てて生きようとも思っていない。死を受け入れている。
ぼくにはそれが悲しくて、切なくて、とても寂しいのだ。
「んじゃ、読ませてもらうね」
「うん……」
涙声だとバレないように、小声でぼくは返事した。