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第九章「‐罠‐BOOBY TRAP 」

第九章「‐罠‐BOOBY TRAP 」

                 1


 怒涛の火花を散らしながら、琢磨と僧侶の戦いは続いていた。

 火遁と雷遁の壮絶な鬩ぎ合い。しかし、琢磨にはいよいよと限界が見え始めていた。

「くッ……!」

 力押しでは敵わない。とはいえ、いくら小技を重ねたところで倒せる相手でもなく、このままではどのみちジリ貧だ。

 琢磨にはまだ一つ、切り札とも呼ぶべき大技が残されていた。

 しかしこれを放てば、恐らくそこで自分の全エネルギーは尽きるだろう。

 これで倒せなければ、終わりだ。

 一か八かと、琢磨が賭けに打って出ようとしたそのとき。

「――っ!!」

 梨香からの念話によって、天啓の如く作戦概要が脳裏に送られてきた。――

 ……なるほど。いかにも隼人が考えそうな策だと内心ほくそえむ。

 そんなことなどいざ知らず、眼前の火炎魔神は戯れに耽っていた。

「どうしたァア、雷獣使いッ!! 出力が落ちているぞ! もう限界か!!」

 バカヤロウ。心の中で呟いて、琢磨は呼んだ。

「真帆!」

 既に準備を整えていた真帆は、空かさず詠唱を開始する。

「……“聖なる水よ、伸縮自在の堅牢となりて、邪悪なる者を捕らえ賜え”――」

 突如として空間に出現した水の塊は、宙を漂いながら急速に寄り合い、巨大な渦となって業火の怪人を取り囲む。

「何ッ!?」

 琢磨はそれに合わせて雷霆の一撃を放った。

「電撃威華(エレクトロ・キリング)ッ――」

 水柱が電流を帯び、激しいアークを発生させながら煌々と閃光を放つ。

 豪雨のような水飛沫が噴き上がり、雷鳴による甲高い咆哮が大気を震撼させた。

 琢磨と真帆による、雷遁と水遁の融合技。

『捲土重来――怒髪天龍《スプラッシュ・ドラゴン》!!』

 駆け巡る電撃によって激しく蠢動し、上空から猛然と襲い掛かる水柱の姿は、自在に暴風雨を巻き起こし、数多の落雷を地上へと導く、凶暴な“竜神”を思わせる。

 真帆の水遁には、業火の熱を奪うだけでなく、稲妻の通電性を極限まで高めるという二重の効果があったのだ。

 まさに琢磨と真帆のコンビネーションは、炎の能力者であるプロメテウスにとってみれば天敵とも呼べる存在であった。だが、しかし……。

「おぉっ、これは面白いッ!」

 迫り来る水と雷の大海蛇(シーサー・ペント)を前に、業火の化身はあまつさえ愉悦の笑みを浮かべていた。

「そちらが天の龍ならば、こちらは地の龍をお目にかけよう!!」

 怪入道は、火炎の鉄拳を大地に向けて深く突き放った。

「――溶岩断脈!!」

 地面に亀裂が走り、頚動脈を掻き切ったかのように勢い良く吹き出した真っ赤な液体は マグマの奔流であった。急転直下の水柱を、吹き上げる火柱が真っ向から迎え撃つ。

 雷雨の賢獣は完膚なきまでに打ち砕かれ、数万度の熱気によって瞬く間に霧散した。

 真っ白な水蒸気が、煙幕の如く立ち込める。

 だが、第一陣としての役目は十分に果たしたと琢磨は確信する。

 所詮は隼人の指示を受け、即興で行ったコンボだ。

 もとより僧侶を打倒することなど期待はしていない。

“そう、これは単なる陽動(フェイク)だ――!”

 琢磨は魔人僧侶の後方を駆け抜ける、白衣の拳銃使い(ガン・スリンガー)へと目をやった。


                 2


 祐樹はアイギスの制御を和明に任せ、琢磨と真帆が派手な陽動を行っている隙に、敵の背後へと回り込んでいた。

 身に纏った白衣の裾を十二単の如く壮大に靡かせながら疾走する。

 走りながら懐のリボルバーを引き抜いて半身に構えた。

「ッ――!!」

 トリガーを引き絞り、撃つ、撃つ、撃つ、撃つ。

 折り重なって轟く銃声、鋭いマズルフラッシュの点滅。

 噴出す硝煙は置き去りの格好で、遥か後方へと消えて行く。

 もとより全身を揺さぶって走りながらの射撃である。照準は乱れ、命中率など知れたものじゃない。加えて祐樹は、現在、謎の絶不調に陥っていた。

 当然の如く弾は当たらない。一発たりとも当たらない。掠りもしない。

 怪入道は一度振り返り、祐樹を視界に捉えたが、さして興味がないと見え、再び琢磨と対峙していた。その代わりに出現した鬼火が、祐樹を狙って続々と投下される。

 祐樹はジグザグに駆けながら、鬼火の突進を次々と躱した。

 地面に着弾した鬼火は砲弾の如く、激しい炎を上げて爆ぜる。

 吹き出す火炎を飛び越え、湧き上がる土煙の中を突き抜け、砲弾の雨を掻い潜って走りながら、祐樹は――撃って、撃って、撃ちまくる。

 弾が切れれば速やかに薬莢を排出、スピードローターによって新たな弾丸を一息で補給。

 シリンダーをフレームに叩き込み、空かさずメクラ撃ちの要領で弾幕を張り巡らせる。

 そして円を描くように進路を取りながら、敵の周囲を猛然と旋回しつつ、徐々にその間合いを詰めてゆく。――


                 3


 プロメテウスは琢磨と対峙し、炎の刃を鳴らしながら、背後から盛んに聞えて来る銃声にも僅かに気を払っていた。

 ぶかぶかの白衣を纏った異世界の少年が、先ほどから立て続けに撃って来ているが、よほど下手なのか、それとも単なる牽制か、弾が飛んで来る気配すら微塵も感じられない。

 片手間で迎撃させている鬼火の方は空振りを続けているが、まぁ、あれは放っておいても構わないだろうと切り捨てる。

 拳銃の腕がからっきしとなれば、あの少年はもはや普通人と変わらない。

 捨て置いたところで、万が一にも脅威とはなりえないだろう。

 それよりも今は目の前の雷獣使いだ。力量こそ劣るものの、多彩な技の数々、大胆不敵な気構え、どれを取っても申し分ないほど、闘者としての気質を兼ね揃えている。

 願わくば仲間に引き入れ、能力を成長させた上で再び手合わせを申し入れたいところだが、本人にその気がない以上、それは叶わぬことだろう。

 ならば今此処で、存分に堪能しておこう。殺すのはいつでも出来る。

 まだまだこの少年は隠し玉を持っていそうだと悦に入ろうとしたところで、婆娑羅坊主はふと奇妙な違和感を覚えた。

 なんだ……。何か、忘れているような気がする……。

 ふと視線を前方に戻せば、そこには金髪の雷霆使いがいた。

 そして背後を駆けるのは、異世界の拳銃使い。

 少し離れた位置に女神の盾が展開し、現在その障壁を制御しているのは小柄な少年だ。そしてその隣には水遁の少女。貧弱そうな二人を庇うように立ち、こちらをじっと見つめている背の高い青年は、空間操作の使い手。

 合わせて、五人……?

 業火の魔人はそこまで考えて、ようやく違和感の正体に突き当たった。

 おかしい、一人足りない。


“女剣士は、何処へ行った!?”


 僧侶が疑問を抱くのと、梨香がはためく白衣の陰から飛び出すのは、ほぼ同時だった。

「三嶋流・影舞踊……!」

 その名の通り、祐樹の影となって疾走していた梨香は、瞬間、長尺の太刀を水平に構え一気に敵の間合いへと跳躍した。

「ッ――!?」

 魔人・入道は驚愕と共に理解する。

 拳銃使いは陽動(フェイク)――。

 本命の女流剣客を、こちらの懐近くまで潜入させるための隠れ蓑(カムフラージュ)だったのだ……!

 祐樹の着込んだ大柄な白衣は、彼女の握った胴田貫の長身を隠すためのもの。

 精神感応によって祐樹と思考を同期させた梨香は、その類まれなる身体能力を持って彼の一挙手一投足にぴったりと呼吸を合わせていたのだ。

 愉悦に浸るほどの余裕が、仇となった。

 琢磨に魅せられ、背後に迫る祐樹の存在を取るに足らぬと疎かにし、業火の化身はまんまと自らの意思によって脅威を呼び込んでしまった。

 息も吐かせぬ連携、フェイクとトラップの搦め手。

 だが、本番はまだまだこれからだと、隼人は密かに身構える。


                 4


 凄まじい速度で間合いを詰めて来る女剣士。

 強く短いその呼吸法、迅速な動作、揺るぎない双眸。――

 僧侶は一瞬で、彼女が一流の兵法者であることを看破する。

“いかん。アレを、近づけてはならぬッ……!”

 空かさず鬼火による迎撃を講じようとしたところで、魔神は更なる驚愕に襲われた。

「……何ッ!?」

 鬼火が発動しない――。

 いや、発動した直後に消失した。

 ハッとなって振り返る。

 遠くアイギスの内側から、白衣を脱ぎ捨て、漆黒のレザージャケットに身を包んだ背の高い青年が、こちらに向かって手を翳していた。

 鬼火は次々と、発現したその瞬間を狙って空間の歪みへと吸い込まれてゆく。

 ありえない反応速度だった。まるで行動を先読みされているようだと入道は思う。――

“空間歪曲(Warp)”

 ――梨香との連携によって、現在、隼人の脳裏には、僧侶の思考がリアルタイムで中継されていた。彼女が“精神感応”によって読み取り、それをそのまま隼人の脳裏へと転送する。相手がどこに、どんな攻撃を仕掛けようとしているのか把握できれば、あとはベストなタイミングでそれを潰してゆくことが可能だ。

 隼人が炎の萌芽を悉く摘み取り、その隙に梨香は敵陣深くへと突進する。

「――硝煙弾雨!!」

 理由は分からぬまでも、即座に物量で押し切る戦法に切り替えた入道の判断は正しかった。空を覆う無数の影。およそ数百の鬼火が一斉に降り掛かった。

 魔人と隼人では、根底にある能力の容量が大きく違う。

 いくら思考が把握できても、これでは対応が追いつかない。

「……チッ!」

 辛うじて人一人が通れるスペースを確保できるよう、襲い掛かる鬼火の中から選んだ物のみを空間の果てへと飛ばして行く。だが、それでもまだ間に合わない。

 隼人が捕らえ損ねた砲弾が、激しい赤熱を放って、梨香を襲う。

「――“聖なる水よ、冷たく清らかな盾となりて、賢者を守り賜え”――」

 真帆の参入によって、梨香を襲う鬼火の軌道上に分厚い水の壁が現れた。

 彼女の能力では、魔人の放つ鬼火を完璧に防ぎ切ることは出来ない。

 しかし確実にその熱を奪い、威力を殺いだ。

 梨香が宝刀の一振りによって、容易く斬り払うには十分なまでに。

「――ッ!!」

 高く突き抜けるような打撃音と共に、鮮血のような火花が飛び散った。

 真っ赤な蜘蛛の巣の如き炎弾の渦中を、梨香は駆け抜ける。

 右へ左へ、凄まじい反射神経によって襲い掛かる灼熱の彗星を次々と躱しながら、業火の核へと突き進む。

 しかし中心に近づけば近づくほど、砲弾の間隙は飛躍的に狭まり、隼人と真帆のバックアップも、もはや追いつかない。

 しかし、梨香はまだまだ接近する。

 彼女の太刀と技が、必殺必中の威力を発揮できる間合いは、ゼロから数えて二間(にけん)まで。

 己の身体能力を極限まで研ぎ澄まし、零コンマの世界で放たれる砲弾を紙一重のところで躱し続けながら、梨香はカウントに入る。

“四間(よんげん)……三間半(さんげんはん)……三間(さんげん)――”

「ウォオオオオオオオオオ!!」

 野獣の如き咆哮を上げ、獅子奮迅の気合いを見せる怪人入道。

 容赦なく襲い掛かる鬼火の牙が、幾度となく彼女の柔肌を掠め過ぎる。

 一面に咲き乱れる紅蓮の華。

 既に服はボロボロに弾け、少女の身を覆うものはほとんど小さな布切れだった。

“二間半(にけんはん)……! まだよ……まだ遠い、まだまだァ――”

 渦巻く炎の塊が、躱し切れぬ軌道に入った。大気を焦がしながら肉迫する鬼火の波動。

 梨香は空かさず、必殺の構えを取った。

“――二間(にけん)!!”

 一気に腰を落とし、己の肉体をきりもみ状に捻って限界まで引き絞る。

 瞬間、圧縮した力を爆発的に解放。高速旋回しながら大地を蹴って跳躍する。

 周囲を漂う砂煙が、渦を巻いて飛翔した。

「三嶋流奥義・秘刀“焔旋風(ほむらせんぷう)”――ッ!!」

 宙を円転する長尺の刃が、最大の遠心力を誇って地獄の炎を真っ二つに斬り裂いた。

「御見事ッ!!」

 一撃の下に鬼火を斬り飛ばした梨香は、空中でさらなる回転を加えつつ一息に魔人の直上へと迫る。刹那。

「――おい、誰か忘れちゃあいねぇかぃ……?」

「……ヌッ!?」

 梨香に気を取られていた僧侶が振り返ると、金髪の悪童が中腰のまま低く笑っていた。

 バキバキと骨を鳴らして折り畳まれる指。

 力を込めて擡げられた親指、人差し指、中指の三本に、脈動する毛細血管のような稲妻のアークが集中して流れ込み、黄色い閃光が眩い結晶を結ぶ。

「――電磁鉤爪(レィザーネイル)」

 激しいスパークと共に、巨大な雷霆の鉤爪が出現した。

 凄まじい切れ味を持った右腕を抱え込むようにして下段で構え、琢磨は叫ぶ。

「華麗なる終焉《エンチャント・エンディング》――雷神牙突《ライトニング・クラッシュ》ッ!!」

 光の速さで繰り出される雷轟の手刀が、虚空を貫き、鋼のような巨漢の胴体目掛けて一直線に突き進む。

 梨香に向かえば琢磨が疎かになり、琢磨に気を取られれば梨香への対応が間に合わなくなる。フェイクとトラップの雁字搦め。

 そして、その機を逃すまいと、既に隼人も必殺の一撃を備えていた。

 レザージャケットの前面を肌蹴ると、懐に収まっていたのは鈍色の小刀。しかし、持ち手の部分が奇妙なリング状になっている。

 素早くホルダーから引き抜き、指に引っ掛けてくるくると回しながら、腕を伸ばすと同時にグリップを握り込む。

 ジャキッ――と音を立て、畳まれていた残り二枚の刃がバネ仕掛けによって展開する。

 リング状の柄を中心に、弓なりに撓った凶刃が三つ。

 一見するとその形状は、小型のプロペラだ。

 大きく腕を引き、アンダースローの体勢でそれを構えた隼人は、梨香と琢磨が奥義を繰り出すその刹那、タイミングを合わせて、“三葉刀”を投擲した。

 ブーメランのようにカーブを切りつつ、敵に向かって飛来する凶刃の風車。

 隼人は凄まじい速度の空間転送によって、その軌道を自在に操った。

「連続転送(Fanning)――千刃魔空《Ace In The Hole》!!」

 怪入道は三度、驚嘆し、思わず圧倒される。

「これはッ……!?」

 空間を次々と跳び回り、無限の軌道を描いて襲い掛かる凶刃の嵐。

 その転移速度は、もはや点滅といった方が分かりやすい。

 連続空間転送による、残像分身。――

 まるで千の刃が、四方八方から一斉に降り掛かって来るかのようだ。

 一斉に炸裂した、三者三様の必殺奥義。

「フゥン――ッ!!」

 唸りを上げて弧を返す、剛剣の一太刀が上段から入道の首を狙う。

「貰ったァアア!!」

 落雷のような手刀の突きが、下段から心臓を貫かんと欲する。

“行けるかッ……!”

 三葉刀の斬撃に至っては、どこをどう狙うものかすら判らない。

 いずれも躱すことは出来ず、もはや防御も間に合わない致命的な間合いにある。

 絶対不可避の、断固たる窮地。

 すべてを悟り、諦めたかのように腕を組んだ僧侶は、静かに目蓋を下ろす。

 そして、直後に迫り来る壮絶な死の瞬間を思い、俄かに――笑った……。

『――!?』

 ドクンと、魔人から発せられたその波動を感じ取り、三人は一斉に顔色を変える。

 瞬間、爆発的な衝撃波が入道を中心に波紋を描いて広がり、周囲のものすべてが吹き飛んだ。大地が水面のように大きく起伏し、波を打つ。

 凄まじい突風が吹き荒れ、土砂の塊が猛然と飛び散った。

「くぅッ! なんだってんだ、チクショウ!」

 琢磨は砂塵に巻かれた回転草《タンブリング・ウィード》のように地面を転がった。

「ぐッ、かはっ……!!」

 空中で無理な体勢を取っていた梨香は受身を取ることが出来ず、背中から思い切り地面に叩きつけられて、刀を手放す。

 制御を失った隼人の三葉刀はシュルシュルと音を立ててあらぬ方に飛び、遠く離れた木の幹に深々と突き刺さった。

 間一髪、和明が展開させたアイギスの内側から、隼人は愕然と目を見開いて、その光景を直視する。立ち込める煙の中から、不気味なまでに暢気な声が耳に届いた。

「――いやはや、素晴らしい妙技の数々、貴殿らの底力を堪能した! まさかここまで追い込まれるとはな、さすがの小生も肝を冷やしたぞ?」

 地面が抉られて出来た巨大なクレーターの中心に、プロメテウスは悠然と立っていた。

「クックックッ……。これがなければ、やられていたなァ?」


                 5


 爆心地から少し離れた位置で待機していた僕は、その光景を前に、空かさず本陣へ向けて走り出した。

「ユーキくん!」

 駆け寄って来る僕に気づいた和明がアイギスを解除する。その間隙を縫って滑り込み、預けていた父なる霊石を受け取りながら隼人の隣に立つ。

「隼人!! 一体、何が起こったんだッ!?」

 彼は茫然と、震え上がるような声で言った。

「――第二の能力(セカンド・アビリティ)だ……!」

「セカンド・アビリティ? 何だそれは!?」

「――攻撃性・機動性に特化したファーストチルドレンのみに備わる、本来の個性(パーソナリティ)とは別種の複合能力だ! ヤツの場合は恐らく“斥力”のようなモノを操る力だろう」

「斥力って、あの引力と対になる反発力のことか! いくらなんでもッ、そんなものを操作することが可能なのかよ!?」

「それ以外に今の現象を説明できん! 神に俺たちの常識など通用しないということだ! 必要とあらば、物理法則すら容易く捻じ曲げてみせるのだろう!」

 激しい焦りが込み上げて来る。

「それでッ、どうするんだ!」

 恫喝にも似た僕の問いに、隼人は実にあっさりと答えた。

「どうにもならん……」

 ゾクリと、全身に鳥肌が立つ。

「――あれは言い換えれば一種の重力操作だ。そんなものを凌駕する力なんて、俺たちは持ち合わせていない!」

 近寄る者すべてを吹き飛ばす斥力の波動。

 そして、攻撃にはあの地獄の炎がある。

「それじゃあまるっきり、無敵じゃないか……」

 途方もない絶望感に打ちのめされながら、僕は漫然と業火の邪神に目をやった。

「フム、どうやら万策尽きたようだな?」

 鋭い慧眼によってこちらの心境を見透かした僧侶は、鈍く笑って両手を自由にした。

「さて、それではそろそろ本分に戻ろう。――霊石を回収させてもらうぞ!」

 敵の雰囲気がガラリと変わったことを察知して、僕は身構える。

 だが怪人入道が熾火のように光る目線を流した先には、地面に蹲ったままの梨香がいた。

「いかんッ!」

 隼人の一声で、瞬間、僕もそれを理解する。

「梨香ッ!! 逃げろ!!」

 叫びつつ拳銃を引き抜き、梨香に近づこうとする魔人を全力で射撃した。

 だが、当たらない。当たらない。当たらない。当たらない――!

「くそッ! どうして当たらないんだッ!?」

 鬼火の砲弾が飛来し、僕は射撃を諦めてアイギスを展開した。

「うぅっ、くっ……!」

 梨香は必死に体を起こして、歩み寄って来る巨漢の手から逃れようと身を捩る。

 だが、地面に墜落したときのショックは思いのほか深刻だったようで、その動作はあまりにも緩慢だった。立ち上がっては転び、地面を這うようにして逃げまわる梨香を、僧侶は不気味に笑いながらジリジリと追い詰めてゆく。

「――おぉい、ハゲオヤジぃいッ!! テメェの相手はこの俺だろうがァアッ!!」

 琢磨が血まみれの右足を引き摺りながら前に出て、なんとか僧侶の気を引こうと雷霆の一撃を放った。しかし、彼も体力の消耗が激しい。

 放たれた電撃は、これまでのどんな攻撃にも劣るほど勢いを欠いたものだった。そして、魔人がそんなものに興味を示すはずもなく、

「お遊びは終わりだ」

 瞬間、絶大な威力を誇る重力波が、金髪の悪童を塵芥のように蹴散らした。

「っ――……」

 レーザービームのように物凄い勢いで弾き飛ばされた琢磨は、数十メートル先にあった金網のフェンスを突き破って倒れ、そのままピクリとも動かなくなる。

 ダラダラと頭部から流れ出した鮮血が、彼の鮮やかな金髪を赤黒く染めたてた。

「琢磨!!」

 入道の巨躯が梨香に迫る。彼女は必死に手を伸ばし、墜落した際に手放した胴田貫を掴もうとするが、寸前のところで嘲笑うかのように得物を踏みつけられ、唇を噛んだ。

「梨香ちゃんっ!」

 真帆の操る水遁が、猛烈な勢いで入道を取り囲む。

「フン、小賢しいわ」

 纏わりつく蝿でも払うかのように、一瞬で分厚い水陣の壁を弾き飛ばした僧侶の豪腕が梨香の蚊細い首筋を捕らえようと差し伸ばされる。

「間に合うかッ……!」

 隼人は空間操作によって、梨香の体をアイギスの内側まで転送しようと構えを取った。

 だが、業火の魔神はそれさえも狙い済ましていたように笑い飛ばす。

「絶対防御の障壁――見切ったりッ!!」

 瞬間、アイギスの内側に只ならぬ熱気が立ち込めた。

“――!?”

 光の膜に覆われていなかった地面が激しく隆起し、亀裂が走ると共に夥しい量の溶岩流(マグマ)が間欠泉の如く噴き上がる。

「う、うわああああああああああ――ッ!?」

 僕は驚愕して咄嗟に飛び退いたが、和明と真帆は反応しきれず、バランスを崩して折り重なるように倒れ込んだ。

「ア”ァアアアァァァア――――ッ!!!!」

 直後に灼熱の飛沫を肩から浴びた真帆が、喉を焼ききるような叫びを上げて昏倒する。

「真帆ちゃん!!」

「……チィッ!」

 隼人は梨香に向かわせるはずだった空間転送の力を流用して数百万℃の奔流を押さえ込む。女神の盾は僕が呼吸を乱したためか、ボロボロに砕け散って霧散していた。

 僕はすぐさま和明と真帆に駆け寄る。

 隼人も向かおうとするが、魔神の追撃がそれを許さない。

「行くぞォオッ――気炎万丈ォオオ!!」

 轟々と唸りを上げ、空を覆う烈火の激流。――太陽が落ちて来る……そう錯覚するほど、巨大な熱量の塊が、圧倒的な力を誇って僕らの頭上に圧し掛かった。

「出力最大・空間歪曲(Warp)ッ!!」

 空に向かって両手を突き上げ、隼人が火焔の滝を受け止める。

「ぐぅ、ううううッ……!」

 だが、敵の攻撃は明らかに彼のキャパシティを超えていた。ギリギリと歯を食い縛って奮い立つ隼人。骨が軋む音さえ聞こえ、今にも彼の体躯はひしゃげてしまいそうだ。

 そこへ、更に。

「まだまだァアッ――十字砲火ァアア!!」

“野郎ッ、このまま力で押し切るつもりか!”

 さすがにヤバイ、そう思った僕はアイギスを召喚しようと試みたが、霊石は弱々しい光を発して沈黙した。明らかなパワーダウンの症状。さすがに使い過ぎたのか。

 僕が逡巡している間にも、鬼火の群れは一斉に左右から十字を切って襲い掛かる。

「……伏せろッ」

 血反吐を吐くような声で、隼人は息も絶え絶えにそう告げた。

 僕は和明と真帆を抱き締めて、二人を庇いながら地面に張り付く。

 隼人の断末魔のような咆哮を聞いた直後、あらゆる感覚が一斉に遮断された。

 大地を激震させる衝撃の嵐、数百と折り重なって轟く爆音が完膚なきまでに鼓膜を叩きのめし、体中が火の粉に包まれている感覚がある。

 背中を焼き切られるような激痛が走った。しかし、自らの苦悶すら耳には届かない。

 目を開けることは出来ず、まともに呼吸をすることすらかなわない。

 ただじっと息を殺して、僕は嵐が過ぎ去るのを待った。

 随分と長く感じられたが、実際は一分と経っていなかったのだろう。

 僕は和明に促されて、ようやくそれが終わったことを知った。

 体を起し、背中に手をやると、なにやらヌメリとした液体の感触。

「ユーキくんっ! 傷が!」

 鬼火に抉られたのだろう、背中がザックリと裂け、ドバドバと血が吹き出していた。

 だが我慢できない痛みじゃない。

「いや、僕のことはいい。それよりも――」

 歯を食い縛り、心配する和明を制して振り返った。

 シュルシュルと音を立てて、辺り一面から沸き上がる真っ白な蒸気。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 僕よりも、隼人の方が一層深刻だった。

 集中砲火の矢面に立っていた彼は、体中から湯気を噴き上げ、もはや負傷していない箇所を探すことの方が難しいような有様で、片膝をついている。

「隼人! 大丈夫かッ!?」

「……あぁ、まぁなんとかな」

 囁き混じりだが、はっきりと意思の通った返答。

 こんな状態になって尚、毅然と意識を保っていることが信じられない。

「――ほぅ、すべて受けきったか。これはまた見上げた根性だな」

 靄の向こうから朗々と届く、婆娑羅坊主の低い声。

「だが、終わりだ」

 業火の化身は傷一つないその巨体を、僕らの眼前に晒した。

 梨香の細い首筋を掴み、片手で苦もなく頭上の高さまで持ち上げている。

「梨香……」

 隼人の囁きは悲愴なものだった。

 彼女は既に気を失っているのか、眼を瞑ったままピクリとも動かない。

 特殊能力など関係なくとも、あの豪腕であれば少女の首の骨をへし折ることくらい造作もないだろう。

「――霊石を渡せ」

 その一言を最後通告と受け取った僕は、胸のブローチに指をかけ、取り外したそれを黙って隼人に差し出した。

「ユーキ……」

 振り返った隼人が何か言おうとするのを、僕はかぶりを振って制する。

「もうみんなボロボロだ。さすがに限界だよ。早く手当てをしてあげたい」

「……すまん、俺の力不足だ」

 悔いはないと、僕は微笑を浮かべてみせる。

「いや、十分さ……」

 隼人は僕の手から霊石を受け取ると、膝を折って立ち上がった。

「――プロメテウス、石を渡そう。但し、その女と交換だ」

 霊石を手に歩み寄ろうとする隼人を、僧侶は即座に抑止した。

「いや、待て。そこからこちらに石を放れ」

「それなら先に女を離してくれねぇか? どうにも苦しそうなんだ……」

「ならん。貴殿は少々侮れんからな。案じずとも、大人しく従えば剣士の命は保障しよう」

「……わかった」

 低く頷いた隼人は、入道に向けてゆっくりと石を投げた。

 山なりに弧を描いた霊石は地面に落ちて転がり、魔神の立った位置から数メートル手前のところで静止する。

「その場から動くことはならんぞ。妙な真似をすれば、即座に剣士の命を絶つ」

 怪人僧侶も、このときばかりはさすがに警戒の色を濃くしていた。一度は油断して、隼人の策略に嵌められかけたのだ。当然の成り行きではある。

「――念の為だ。躱すでないぞ」

 そう告げた入道は、眼前にぼぉっと鬼火の渦を練り上げた。

 僕は敵の意図を理解して、和明と共に表情を変える。

「まさか……!」

「よせッ! 隼人はもう何もしない! 本当だ!」

 これだけ傷を負った状態で、あんなの食らったら死んでしまう。

 だが、隼人は真っ直ぐな眼差しを魔人へと向けながら、低く、強く、頷いた。

「刺せ。――その代わり俺を刺したら、確実に女を解放すると約束しろ」

「フッ、友情とはよいものだな……。よかろう、約束は守る。安心して逝け」

 陽炎を巻いて猛進する業火の一撃を、隼人は正面から両腕を広げて甘受した。

「ッ――!」

 真っ赤な火炎の華が咲き、背の高い隼人の体躯が、枯れ枝の如く後方へと吹き飛ばされる。大きく両腕を広げた彼が、空を仰ぐように背中を投げ出してゆくその光景がスローモーションのように目に映る。僕は涙が込み上げてきた。

「隼人ぉおおおおッ!!」

 空中で一回転した隼人は、うつ伏せの体勢で地面に墜落し、そのままぐったりとして動かなくなった。

「馬鹿野郎ッ!!」

 和明は真帆を抱いている。もう石のことなんかどうでもいい。僕は傷つき倒れた隼人の許へ直走った。――


 業火の邪神は捕らえていた梨香の体を傍らに投げ捨て、今一度周囲を見渡した。

 雷遁の少年、水遁の少女、女剣士、空間操作の青年……。

 これで、脅威となり得る者は全員排除した。

 残る二人……異世界の拳銃使いと未だ能力の知れない少年については捨て置いても構わないと判断する。どのみち、既に戦意は無い様子だ。

 地面の霊石に目を留め、ゆっくりと歩を刻み出す。

 その際も、決して倒れた彼らから注意を逸らさぬようにと心がけていたが、生憎と不意打ちを狙うような気配は微塵も感じられなかった。

 一歩、二歩と足を進め、目的の石に手を伸ばす。

 カチッ――

 足元で何かが鳴った。靴底で何か硬い物を踏んづけたような感触。

“!?”

 ジジッ、ジジジジッ……。

 ステレオスピーカーから流れるノイズのような音が一瞬聞こえ、――入道はその正体を確かめる間もなく――激しく噴き出した稲妻のアークに全身を巻かれていた。


「グゥヴヴヴヴエエエエエッ、ガァアアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!」


 魂を吐き出すような絶叫と共に、魔人は眩い閃光の中で感電(スパーク)する。

 打撃や斬撃のような外傷ならばともかく、電撃は五臓六腑を駆け巡り、頭の先から爪の先まで、体を内側から破壊する。神経系統を滅茶苦茶に掻き乱されるため、当然、能力の使用は不可能。鍛え抜かれた鋼のような肉体も、この状況ではまるで無意味だ。


 ――隼人の下に駆け寄ろうとしていた僕は、突如として起こったその事態に足を止め、呆然と目を見開いて硬直した。

 凄まじい電撃の火花に揉まれて、のた打ち回るように悶絶するプロメテウスの姿。

 琢磨がやったのかと一瞬思ったが、当人は遠く離れた金網の外で今も昏倒している。

 およそ数十秒に渡って焼き尽くされた僧侶の巨躯が、糸の切れた人形のようにドサリと重たい音を立てて地面に崩れ落ちる。

 一体、何が起こったんだ?

「ぬぅうッ……ぐはッ!」

 倒れ伏した入道が激しく痙攣しながら身を捩り、痰の絡んだ声を喉の奥から絞り出した。

「おのれぇえ……ッ! 謀ったなァアア!!」

 背後で何者かが蠢く気配を感じ、ハッとして振り返る。

 腕をつき、膝を立て、むっくりと起き上がった隼人が、虚空に手を伸ばす。

 彼の空間操作によって、地中深く潜んでいたそれが、土砂のベールを脱ぎ捨てて僕らの眼前にその全貌を曝け出した。

『――アレは!?』

 僕は和明と共に驚愕する。

 こんもりと土を被ってそこに現れたのは、――数日前から行方不明になっていた、――あの“蓄電器”だったのだ。

 直後に理解する。

 プロメテウスはあの瞬間、地表に巧く隠されていた蓄電器のスイッチを踏んだのだ。それによって発生した漏電現象に巻き込まれて、倒れた……。

 あまりにもシンプル且つ、酷く原始的な仕掛け(ブービー・トラップ)。

 漏電現象を引き起こす蓄電器を応用した、文字通りの“地雷”――。

 あまりにも単純な罠だからこそ、一周まわって敵の意表を突いたのだろう。

「貴様の負けだ、魔神僧侶よ」

 隼人は口元の血を拭い、猛禽のような目をギラつかせて不敵に哂う。


 ――……神崎隼人は、今回の襲撃を予め予見していた。 

 だが、敵が『OLYMPOS(オリュンポス)』に属する者であり、その狙いが祐樹の持ち込んだ“父なる霊石”であろうこと以外は、何一つ判らなかった。

 敵がどのような力を持ち、如何なる戦法を取って挑みかかって来るかまでは到底、予測し得ない事柄である。

 只、それでもたった一つだけ、彼は最も根本的な部分において、ある確信を抱いていた。

 それは、襲撃者に対して――自分達の力が遠く及ばないということである。

 勝ち目などない。何をやっても、結局自分達は負け、最後にはきっと石を奪われるだろうと、彼は早々に勝負の行方を達観していたのだ。

 故に、何もかもが不確定な未来の中で、唯一、確実に訪れるであろうその瞬間に、彼は備えた。――敵の手に霊石を引き渡すその一瞬――その一点においてのみ、彼は罠を仕掛けていたのだ。

 あとは仕掛けた罠に、敵を誘導するための状況を作り出すのみ。

 だがその状況作りにこそ、隼人は病的なまでの慎重さを持って、力を注いだ。

 秘密を知るものは少ない方が良いと考え仲間にも明かさず、戦闘の際は空間把握能力によって随時、仕掛けた罠の位置を把握しながら立ち回り、場合によっては空間転送によってその位置を微妙にずらしながら、巧みにそれを管理した。

 そして、この罠は一度気づかれてしまえば、回避する方法などいくらでもある。

 だからこそ敵に違和感を抱かせることなく、確実にその轍を踏ませるためのシナリオが必要だった。――血の滲むような激闘の末に敗北し、泣く泣く霊石を引き渡すという、敵の油断を最も誘うであろう、今このシチュエーションが――。

 彼に言わせれば、これまでの戦いは、すべて壮大な“陽動(フェイク)”に過ぎなかったのだ――。

「和明、お前は問うたな? 俺たちに勝ち目はないのかと」

 隼人は呆然とする和明に、あのときは有耶無耶にしたその答えを返した。

「――そうだ、少なくとも俺はそう思っていた。しかし、だからこそ俺は、俺たちが負けるということ自体を利用して、そこに勝負を賭けたんだ……」

 隼人はそれから、ボロボロの白衣を纏った拳銃使いに目を向ける。

「祐樹、お前は言ったな? 諦めるなと。だが、悲観すること自体はあながち悪いことでもない。最悪の事態を想定してこそ、逆転の発想は生まれいずるものだからだ……」

 最後に、倒れ伏した僧侶に向かって隼人はこう言葉を投げかけた。

「プロメテウス、俺のやり口はお世辞にも正攻法とは言い難いだろうな? だが圧倒的な力を持った貴様らに正面から挑む道理などない。――〝如何にして裏を掻くか〟――それが、俺の戦いだ。出会った瞬間、俺たちを殺さなかったのは間違いだったな? この戦場に足を運んだ時点で、貴様はこちらの術中に填まっていたのだ」

「……フッ、忌々しい。策士めが」

 入道は苦しげに呻き、それからごろんと仰向けになって空を仰いだ。

「少々、戯れが過ぎたな……」

 その言葉を最後に、業火の魔神はまんじりとして意識を失った。――

 その直後に。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……――!!!!

 地響きと共にパラパラと音を立てて地面の小石が一斉に跳ねる。

 大気がぴりぴりと肌を刺し、突風が吹き荒れた。

「……ッ!?」

 何事かと振り返り、思わず驚愕する。

 突如として出現した巨大な竜巻が、廃墟と化した校舎を豪快にこそげ取りながら、凄まじい勢力を持ってこちらに向かって来ていた。

「――新手か!?」

 隼人の言葉には、さすがの僕も戦慄した。ともかく今はこの場から離れようと、僕は隼人に肩を貸し、真帆を背負った和明と共に、校庭の隅へと移動する。

 校舎を瓦礫の山に変えて、僕らのいるグラウンドまで侵入して来た竜巻は、そのまま一直線に進路を取り、廃校の敷地を抜けてしばらく行ったところで何事も無かったかのように消失した。

「一体何だったんだ、今のは……」

 僕の呟きに答えるような形で、隼人が低い声で言う。

「……逃げられたな」

 竜巻が過ぎ去ったあと、倒れていたプロメテウスの姿が消えていた。

「それじゃあ、今のはやっぱり奴の仲間が?」

「恐らくな」

 隼人は僕の支えを断って立ち、それから早々に次の指示を出した。

「すまんが、二人は梨香と琢磨の救護を頼む。真帆は俺が診よう……」

「ああ、わかった」

「ハヤトくんも無理しないでね」

 僕は和明と手分けして、すぐさま琢磨と梨香の許へ向かう。――


 ――二人が駆けて行くのを見送ったあと、隼人は緊張の糸が途切れたようにその場に膝をつき、がっくりと項垂れた。

「うぅっ、がはッ……!」

 梨香の解放と引き換えに食らった一撃は着弾と同時に空間歪曲を発動させることで威力を殺したが、それ以前の集中砲火はかなり響いている。

 全身から滝のように流れ出す汗は、血と泥と煤が混じり合って黒く濁っていた。

 体を覆うような激痛の波に、意識が飛びかけるのを強靭な精神力によって堪え、隼人は痛ましい姿で横たわった真帆と向かい合う。

 恐らく、彼女がこの場で一番の重症だ……。

 高熱の飛沫を浴び、溶けたビニールのようになっていた服を、慎重に襟元から破いてゆく。肌を露出させて傷の深度を確かめると、肩口から鎖骨にかけてまでの部分が酷く焼け爛れ、表皮が剥げて真っ赤な体液がじゅくじゅくと膿んでいた。

 深達性Ⅱ度の熱傷。――幸いにも傷を受けた範囲自体は狭く、命に別状はないが、それでも恐らく、痕は残るだろう……。

 プロメテウスの強襲を退け、父なる霊石の死守に成功したものの、その代償はあまりにも大きかった。

 一人で都市一つを壊滅させ、数万人の民を虐殺できる業火の魔神をたったの六人で、しかも誰一人として命を落とすことなく打倒できたことの奇跡性など、この現状を前にすれば単なる詭弁でしかない。

 少女に一生の負い目を与えてしまったという十字架が、隼人のボロボロの体躯に重たく圧し掛かった……。


                 6


 敗残した僧侶は、暗闇の真っ只中でふと意識を取り戻した。

 冷たく固い床の感触。自らがうつ伏せに横たわっていることを知覚する。

 罠に掛かった瞬間、体中を駆け巡った電撃の威力は凄まじかった。

 内臓をいくつか損傷しているのだろう、全身が鉛のように重たい。

 掻き乱された神経系統も回復するには至っておらず、まだしばらくの間は能力を使用できないだろう。

 濃密な闇の中、辺りに目を凝らし、ふと考える。

“ここは、何処だ……?”

 確か己は、廃校となったグラウンドで気を失ったはず。とすれば、あの者たちに捕らえられ、監禁されたのか?

 腕を立て、起き上がろうとしたところ、手の甲に鋭い痛みが走った。

 見れば何者かの足によって手の甲を踏みつけられ、踵でぐりぐりと捻られている。

 五本の指が容赦なく爪を立て、入道の坊主頭を鷲掴みにした。

「ぐぅッ……!」

 そのままギリギリと無理やり顔を持ち上げられ、血走りぎょろついた精神異常者の瞳孔とばったり目が合う。背筋にゾクリと悪寒が走った。

「――ッ!?」

 業火の魔神は驚愕し、直後に震え上がる。

 坊主頭に立てられた爪がブチブチと音を立てて肉に食い込み、鮮血が噴き出した。

「ヒギッ、……グァ、アアっ!!」

「キッヒッヒッヒィイイイッ!! しくじったなァ? 腐れ坊主ゥウ……!?」

 にちゃにちゃと狂気に満ちた笑いを浮かべる殺人鬼を前にして、僧侶は自らの境遇、そして、これより訪れる顛末の一切を、絶望と共に悟った。……――


 ――入道が任務に失敗し、逃げ帰って来たと報告を受けた衆道と貴婦人は、揃って平生は実験室として使われているその一室を訪れた。

 扉を開けた途端、噎せ返るような血の臭いが鼻腔を突き、二人は顔を顰める。

「……なんですの、このニオイは?」

 貴婦人がハンカチで口元を押さえながら、ヒールを鳴らして室内に踏み入る。

 陰間も鼻を摘みながら、あとに続いた。

 暗がりの中にぼおっと小さく点った火。マリファナの葉巻を吹かしながら、オレンジ色のつんつん頭が浮かび上がるように現れた。

「よぉ、お前らいいところに来たなァ? ちょうどこれから仕上げにかかるところだ。暇潰しに見物でもして行けよ?」

 そう言った彼はすぐ側の床に落ちていた黒い塊をぞんざいに蹴り飛ばした。

 壁で跳ね返り、ビチャッと音を立てて陰間の足元に、それは転がる。

「――っ!?」

 アフロヘアーの男は、大きく目を見開いて青ざめた。

 足元に転がったのは、太く逞しい、人間の腕。

「ヴ……ヴゥ……アァ……ッ」

 部屋の奥から聞えて来る力ない呻き声。

 衆道はすぐさま声のもとへと駆け寄り、その光景を見るなり絶句した。

 長身痩躯の男は低く、呆然とした声で問い掛ける。

「入道……。アンタ、入道なの……?」

 かつて業火を統べた巨漢の魔神は、――無残に手足を切り取られ、――体中を滅茶苦茶に切り裂かれた状態で血溜りの中に蹲っていた。

「――アーレスッ、ちょっとアンタ……! 一体ッ、何してんのよぉおおっ!?」

 怒りと、悲痛と、それ以上に恐怖を孕ませた声で、衆道は舌を見せて笑っている男を怒鳴りつけた。

「こんなのあんまりじゃない! いくら何でも酷すぎる! あたしたちはこれまで、ずっと一緒に戦ってきた仲間でしょう!?」

「ハアッ?? 一人で何言ってんだお前? 脳ミソ腐ってんじゃねーのか?」

 殺人鬼は衆道の言葉を鼻で笑って一蹴した。

 それに便乗する形で貴婦人までもが、嘲りを口にする。

「クスクスクスッ……! 出来の悪い者同士庇い合うなんて、良い心掛けですことね?」

「アルテミス、アンタまでッ……!」

 淑女は美しいブロンドの縦ロールを指でくるくると弄ぶ。

「勘違いをなさらないで頂けるかしら? ワタクシが御仕えしているのは、あくまでも直人様お一人ですの。あなた方のような輩に、同胞と思われるだなんて甚だ不愉快です」

「ケッケッケッ、だとよ? 分かったか、このホモ野郎」

 衆道はキッと唇を噛み締め、痛ましい姿の入道に目をやった。

 こうなってはもはや、人間というより一個の肉塊である。それでもまだ微かに息が残っており、途方もない激痛に欠けた身を捩る姿が一層悲惨だった。

 同じく僧侶の醜態を涼しげに睥睨していた貴婦人が、ふっと呆れ返ったように嘆息する。

「それにしても、何ですのコレ? まるで芋虫じゃありませんか。美しくありませんわね」

 高く澄んだ淑女の囀りには耳を貸さず、せめてもの介錯にと、衆道は催眠音波によって入道の痛覚を壊死させてやった。

 全身の関節という関節を須らくノコギリでぎこぎこと削がれる様な激しい苦痛が消え、僧侶は低くくぐもった声を発する。

「無念也、無念也、無念也ぃい……ッ!」

 ごぼっと喀血し、血涙を流しながら、死に行く業火の化身は辞世の句を謳った。

「我、傲岸不遜、厚顔無恥の婆娑羅者也! 死を恐れず、強者との闘争のみを渇望し、真理の道を志した! ……ただただ、このような最期を迎えしこと、誠に無念であるッ!!」

 入道の頭上に、真空の塊が渦を巻く。

「――テメェみてぇな二流の雑魚には、似合いの最期だぜぇええ!!」

 無刃の斬撃が一閃、蜘蛛の巣を払うように、巨漢の坊主頭を撥ね飛ばした。

 水道管が破裂したような勢いで、夥しい量の鮮血が一面に噴き上がる。

 貴婦人は流れるような動作で持参の傘を開き、可憐に汚れた飛沫を防ぎ躱した。

 白いレースの日傘を、禍々しい返り血模様がサッと彩る。

 殺人鬼は自ら進んで全身に血を浴び、小さく震えながら恍惚とした表情を浮かべた。

「あぁ~、気持ちいぃい~……!」

 大きく口を開け、降り掛かる鮮血で喉を潤している。

 べちゃっと床に波紋を広げて、血の池地獄に首が一つ転がった。

 公開断頭式を終えて、貴婦人は優雅に踵を返す。

「まぁ、醜男(しこお)の芸なんて、所詮はこんなものかしら」

 澄ました顔でくるくると傘の柄を回し、血を払いながら部屋を出て行った。

 全身赤黒く染まったの猟奇的な姿で振り返り、殺人鬼もコキコキと首を鳴らしながら出口に向かう。

 擦れ違い様、呆然と立ち尽くしていた衆道の耳元で男は囁くように告げた。

「テメェもしくじれば、すぐにああしてやるよ? クックック、三流野郎……!」

 二人が退出し、吐き気を催すような惨状の中に一人佇んだ衆道は、凍りつくような思いでその光景をサングラスの奥に隠した瞳へと焼き付けていた。――


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