第五章「金髪の悪童」
第五章「金髪の悪童」
1
今日も一日、朝から水を配達してまわった真帆は、道中和明と出くわして、共に帰途を歩んでいた。
ふと細い一本道に差し掛かったところで、前方の曲がり角からスーツを着た二人組の男が現れた。ポケットに手を突っ込み、肩肘を張りきって、こちらに向かって来る。
「……」
男たちの目つきから、何やら不穏なものを感じ取った和明は、真帆の袖口を引いた。
「こっち」
「え?」
まだよく状況を飲み込めていない真帆の手を半ば強引に引いて、和明は進路を変更。
家と家の狭間にある細い路地裏に入ろうとして、思わずぎょっとした。
「……っ!?」
既に向こう側からも、スーツ姿の男たちが黙々と歩いて来ている。
慌てて今来た道を引き返そうと背後を振り返って、和明は、自分たちが完全に囲まれていることを知った。
前後左右、すべての退路を塞がれた和明と真帆は、自然、立ち往生を余儀なくされる。
続々と集まって来た、都合六人の男たちが無言のまま二人を取り囲んだ。
只ならぬ気配に、真帆はおろおろと身を竦ませて震え出す。
和明はその小さく華奢な体つきで、必死に怯える真帆を庇いながら言った。
「なんですか、あなたたちは?」
明らかに堅気の者ではない人相風体をした男たちは、和明の問いに答えることなく口角を歪めて不気味に笑い、そして唐突に――襲い掛かって来た。
「おらァア!」
「う、くっ!」
咄嗟に身を引き、腕を振るって抵抗するも、和明の細い腕では到底払い除けることが出来ない。思い切り襟首を掴まれて、そのまま乱暴に捻じ伏せられる。
「カズくん!」
真帆は手のひらを突き出し、即座に能力を発動させようとする。
しかし、彼女の背後に迫る男の姿を見て取った和明は、苦し紛れに叫んだ。
「ダメだッ、真帆ちゃん! 逃げろ!!」
「――んん、ぐっ……!?」
真帆は背後から羽交い絞めにされ、ハンカチで口元を覆われた。
布に染み込ませてあった薬品を嗅がされて、意識を失う。
「真帆ちゃんッ!」
身を捩ろうとした和明は髪の毛を掴まれて引きずられ、顔や腹を思うさま殴られた。
気絶した真帆を担ぎ上げて、男たちは引き上げて行く。
「うぅっ、く、そ……」
和明は苦痛に悶えながら地面に横たわり、血の滲む奥歯を噛み締めた。
ダメだ。敵わない。
もしもこの場に居合わせたのが、自分ではなく他のメンバーだったら、あるいは男たちを返り討ちにすることが出来たかもしれないというのに……。
遠ざかる意識の中、和明は己の非力さを酷く怨んだ。
2
真帆が連れ去られた。――
僕は傷つき倒れた和明をベッドまで運んだあと、すぐさま広場まで走って、剣道教室を終えた梨香にそのことを知らせた。居所の分からない隼人と琢磨には、梨香から思念を送ることでその旨を伝達してもらう。
「ねぇ、一体ナニがあったの!? 詳しく話して!」
僕は梨香と共にアジトへ走りながら、道中、彼女に事情を話した。
「夕方、近所の人から知らせがあって僕が駆けつけると、和明が倒れてたんだ。僕の呼びかけに薄っすらと意識を取り戻した和明は、途切れ途切れに説明してくれた。複数の男たちに襲われて、真帆が拉致されたこと……それからたぶん、相手は〝龍神会〟だろうって」
「チッ、またあいつらか……!」
僕と梨香が帰還して、しばらくすると勢い良く放たれドアから、深刻な表情で白衣の裾を大きく靡かせた隼人が現れた。
「和明の容態は?」
「こっぴどく痛めつけられたらしくて、今は眠ってるわ。一応、私たちで手当てはしたけど、体に異常がないか、詳しく診てあげて?」
隼人はすぐさまベッドに横たわっている和明の手を取って脈拍と体温を測り、それから腕や足、胸、腹、背中、口内と念入りに負傷の深度を調べ始めた。
一頻り診察を終えて、聴診器を耳から外した隼人は、落ち着いた声で告げた。
「骨や内臓器官に異常はない。打撲と擦り傷、それから口の中を数箇所切っているが、消毒してしばらく安静にしていれば、すぐにでも良くなるだろう」
僕と梨香は揃って安堵し、深々と溜息をついた。
隼人はそれから僕らの方を振り返り、ふと尋ねる。
「琢磨はまだか?」
梨香は苦虫を噛み潰したような表情で、首を横に振った。
「念話で呼びかけたけど、応答が無かったわ。全くこんなときに、一体何処ほっつき歩いてんのかしらあの馬鹿はッ……!」
梨香の気持ちもわからないではないが、今はそんなことに感けている場合じゃない。
「なぁ、梨香。奴らの居場所は、わかるのか?」
梨香はかぶりを振る。
「あいつらは、龍神会の中でも一番下っ端の雑魚よ。正式な組員じゃないから、龍神会の事務所とは、たぶんどこか違う場所に隠れ家を持ってるはず」
「――自治会執行部を訪ねろ。そこに昨日、車で事故を起こした男が拘束されてる。その男から必要な情報を聞き出すんだ」
隼人の助言を受けた梨香は、素早く胴田貫を携えて踵を返した。
「隼人、アンタは和明の看病をお願い! ユーキ、行くわよ!」
「ああ!」
僕は梨香と共に、真帆の救出に向かった。――
3
指定暴力団・龍神会の本部事務所で、会長・大井戸権蔵は背凭れの大きなオフィスチェアーに踏ん反り返ったまま、幹部の男から報告を受けていた。
「――薬で眠らせた娘は、ひとまず倉庫に鍵を掛けて閉じ込めています。一応、見張りを一人つけておきやしたから逃げ出される心配はないかと。建物の周辺は、予定通り組員を総動員して固めてありやす……」
「餓鬼どもの始末は?」
「そちらも、会長の指示通りに片を付けました……」
「フフ、そうか。ご苦労だったな」
「いえ……」
権蔵は丸々と肥え太った身体を椅子から起こし、ブラインド越しに窓の外を眺めながら朗々と語り始めた。
「あの薄汚く人間で溢れ返った街は、すべて俺の物だ。例え餓鬼どもの不始末とはいえ、仮にも〝龍神会〟の名を背負った者が、あの街の住人に屈する事などあってはならん。だからこそ組の名に泥を塗った餓鬼どもには、相応のケジメを取らせた。……そして、まかりなりにも龍神会の名に叛いた者たちには、骨の髄までたっぷりと思い知らせてやる。俺たちに逆らったら、どういうことになるのか。自治会や他の住人どもへの、見せしめにもちょうどいい。クックック……!」
金色の指輪を填めた手で悠然と葉巻を燻らせ、大井戸権蔵は歪んだ笑みを浮かべた。
「――娘が目を覚ましたら、若い連中にくれてやれ。そのうち娘の仲間がやって来るはずだ。ノコノコと出向いて来たところを一斉に捕らえ、男はサンドバック、女は公衆便所にしてやればよかろう」
幹部の男は萎縮したように頷き、深々とこうべを垂れた。
4
自治会執行部へと赴いた僕と梨香は、それから即座に連中の居場所を聞き出した。
わざわざ口を割らせる必要はない。質問を投げかけ、男がその答えを脳裏に思い浮かべた瞬間、梨香が精神感応によってそれを読み取れば、話は終わりだ。
速やかに該当の場所へと向かう。
既に日が落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。
「ここよ……」
貧民街の外れにある、荒廃したコンクリートの建物が立ち並んだ区画。
梨香が示したのは、シャッターで閉ざされた何かの倉庫のようだった。
――どうやらここが、男たちの隠れ家らしい。
出入り口を探して周囲を散策すると、裏口のドアが開いていた。
中に入ると、床には所々、煙草の吸殻や空き瓶の類が散乱しており、複数の人間がここで生活をしている痕跡があった。
息を潜めて暗い廊下を歩きながら、不意に梨香が言った。
「気をつけて……。此処、何か変よ……」
精神感応の能力者である梨香は、――視覚、聴覚、嗅覚などの感覚神経も常人に比べると数倍鋭敏であり、念のために能力を発動させている今は、ある程度の索敵が可能だという。しかし彼女曰く、この建物の内部からは、人の気配が全く感じられないらしい。
「それじゃあ、奴らは居ないのか?」
「……わからない。けれど、何かそれとは別の……すごく嫌な感じがするの」
地下へと通ずる階段を見つけ、慎重に下りて行く。
「この先よ……」
梨香の言葉で、僕は扉の前に立ち、じっと耳を済ませた。
何の物音も聞えない。
しかし、ここに来てようやく僕にも、漠然とした不安が湧いて来た。
何だろうこの感じ。本能がここより先に行ってはいけないと、警告を発しているようだ。
梨香は殺気立った目をして胴田貫を鞘から引き抜いた。
僕も懐のホルスターから拳銃を抜いて、激鉄を起こす。
ごくりと唾を飲み込んで、ノブに手を掛けながらタイミングを示し合わせる。
瞬間、僕は思い切って扉を蹴り飛ばし、その隙に刀を構えた梨香が中へと踏み込んだ。僕も銃を構えながら空かさず後に続いて……。
『――っ!?』
目の前の光景に凍りつく。体中の体温を、根こそぎ奪い取られるかのようだ。
「なんだよ、これ……」
全身が総毛立った。これまでに嗅いだことのある、どの悪臭とも異なる強烈な臭気。
どす黒く変色した血溜りの中に、六人の男たちが折り重なるように倒れていた。
抱き起こすまでもなく、気づいた。
……死んでいる。
みんな……みんな、死んでいる。
冷え切ったコンクリート剥き出しの室内に、人の温もりは欠片も残っていなかった。
生まれて初めて見る人の亡骸。生々しく絶命する瞬間の苦痛を刻み込んだまま、青白く冷え固まった彼らの顔には、見覚えがあった。昨日、百鬼夜行通りで戦った男たちだ。
「どうやら、仲間内で粛清されたみたいね……」
梨香は顔に掛かった縦線を濃くしながら、冷静に死体を検分してそう言った。
男たちの顔は見るも無残に腫れ上がり、胸や頭には致命傷と思われる銃創が見られた。
恐らくは集団でリンチを受けたあと、拳銃でトドメを刺されたのだろう。
「酷い……」
龍神会ってのは、こんなことを平気でやる奴らなのか。
僕は思わず目を逸らし、吐き気を覚えて口元を押さえ込んだ。
「急ぐわよ!」
焦りを孕んだ梨香の声に、ハッとなって振り返る。
「真帆が危ない!」
5
その頃、龍神会の事務所では複数の組員が廊下を駆けまわり、怒号が飛び交っていた。
「――チッ、おい! 見張りの奴はどうしたんだっ!?」
「わ、わかりませんっ! 自分が見つけたときには、もう……!」
「ちくしょう、どこに行きやがった!?」
「ともかく俺は会長に報告して来る。お前らは手分けして娘を探せ! いいなァ!?」
幹部の男は速やかに指示を飛ばし、第一発見者の組員を連れて会長室に走った。
「会長ッ、大変です! 娘が逃げ出しました!」
「……なんだと、どういうことだ?」
第一発見者の組員がそのときの状況を説明する。
「自分が通りかかったとき、既に扉は破壊され、娘は姿を消したあとでした!」
「まだ、それほど遠くには行ってないはずです。今、手分けして周辺を探させています」
「……いや、それはいい」
その言葉に、幹部の男は不審を抱いた。
オフィスチェアーに深く座ったまま、背を向けた権蔵の姿は、その大きな背凭れに隠れて窺えない。ただ、燻らせる葉巻の紫煙のみが、終始、背凭れの向こうからプカプカと浮き上がっている。
「今すぐ全員をここに集めて来い。大事な話がある」
「……か、会長?」
第一発見者の男が不思議そうな顔をして何か言おうとするのを、異変に気づいた幹部の男は言外に制して、顎をしゃくった。
男は戸惑いながらも頷き、すぐさま廊下を駆けて行く。
会長室に残った幹部の男は声を低くして、威圧するように言った。
「テメェ、何のつもりだ……?」
途端、オフィスチェアーが、くるりと回転してこちらを振り返る。
襟足の長い金髪、赤のタンクトップに派手なアロハシャツを羽織り、胸にはペンダント型のネックレスが、くすんだ光沢を発している。
――見張りを申し付けられていたはずの男が、そこにいた。
悠然と脚を組み換え、アームレストに肘を乗せて片手に葉巻、もう一方の腕で、眠ったままの少女を横向きにして、そっと抱いている。
複数の野蛮人が、廊下を駆けて来る慌しい足音。
続々と集まって来た組員達は、その光景を前にして、悉く驚愕と混乱の入り混じった声を上げた。
「お、おい、何でオメェがそこにいる……!?」
「どういうことなんだ、これは?」
「説明しろッ!」
金髪の悪童は、彼らを高所から見下ろすように、不敵な笑みを浮かべてのたまった。
「――今日から会長になった、桐生琢磨だ。早速だが、みんなに大事なお知らせがある。この龍神会は、本日を持ってめでたく解散、お遊びの時間はもうお終いだ。……みんな、今までご苦労だったなぁ?」
一斉に騒ぎ立て始める総勢十数名の組員たちを、幹部の男が一喝した。
「落ち着け、お前らッ!!」
それからゆっくりと会長の座に鎮座した琢磨の方を振り返り、睨み殺すように問うた。
「琢磨ァ、オメェ、会長はどうした……?」
「あぁ、元・会長な? へへっ、あの豚野郎なら、ちゃんとここにいるぜ?」
サディスティックに笑った琢磨は、足元にある何かを蹴飛ばすような仕草を見せる。
次の瞬間、気絶して机の影に凭れ掛かっていた大井戸権蔵が、組員達の前にごろんと転がり出て、そのだらしなくたるんだ腹を衆目に晒した
「――かっ、会長っ!!」
組員たちの間にどよめきが走る。
幹部の男が目の色を変えて、凄まじい殺気を放った。
「テメェ、自分のやったことをわかってんだろうなァ……?」
琢磨は尚も挑発的な態度で、頬に含んだ葉巻の煙を、ふうーっと男の顔に向けて一気に吐き出してみせた。
「さぁな、教えてくれよ? 一体、どうなるってんだぃ?」
「……こうなるんだ」
男の指示で、組員達が一斉に懐から拳銃を取り出して構えた。
現在、この国で正式に拳銃の所持を許可されているのは、警察と軍、並びに『OLYMPOS』の関係者だけである。
従って男たちが手にした拳銃は、モデルガンをベースにした改造品であった。手製であるが故、機構は脆く暴発の危険性は高いが、それでも殺傷能力は十分にある代物だ。
「殺れ!!」
男の掛け声と共に一斉にトリガーが引かれれば、十数の弾丸が音速を超えて一気に殺到し、琢磨は成す術もなく蜂の巣になるだろう。この距離ではまず避けることなど不可能だ。
しかし、実際にはそうはならなかった。
男たちは引き金に指を掛けた状態のまま、何故か動かない。
「どうした……?」
琢磨は葉巻を銜えて顎をしゃくりあげ、やさぐれたように目を眇めながら促す。
「ほら、撃ってみろよ? 俺ァ別に、逃げも隠れもしねぇぜ?」
――男たちは撃たないのではない、撃てないのだ。
『……ッ!?』
全身の筋肉が金縛りにあったように硬直している。指一本動かすことが出来ない。
視界が上下左右に激しく乱れ、頬の筋肉が痙攣して、ぎちぎちと奥歯が鳴っている。
「ガガッ、ギ、……な、んだ……こ、れ……ぇ」
辛うじて搾り出した声は、途切れ途切れで酷く震えていた。
――男たちは知らない。
目の前に居る金髪の少年が、雷遁を司る〝特殊能力者〟であることを。
――故に理解が及ばない。
床を伝って流れた電流が、自分達の身体を蝕んでいることなど、気づくはずもない。
「踊り狂え……」
悪鬼羅刹の如く、底冷えのするほど邪悪な笑みを浮かべた琢磨は、短くなった葉巻を指先で弾き飛ばした。
くるくると回転しつつ、放物線を描いて飛んだ葉巻の吸殻は、床に落ちる寸前、稲妻に焼かれて、塵に変わる。
「――電光散華ッ!!」
凄まじい雷の閃光が、蜘蛛の巣のように広がり、空間を埋め尽くした。
無数の矛先が際限なく爆ぜ続けるその音は、雷鳴というより、壮絶な金切り声に近い。
『ぐぅあああアァアア、ギッギギギギギィィイイ、ガガガガガガガァアア……――ッッ!!!!』
荒れ狂う電撃の大波に飲み込まれた男たちは激しく感電し、怒涛の火花が散る中で、縦横無尽に全身を掻き乱して絶叫する。さながら、へヴィーメタルのサウンドに乗ってヘッドバンキングをかます、狂酔者たちの群れだ。
術者の意志に伴い強い攻撃性を持った電流の華は、男たちを圧倒するだけでは飽き足らず、有り余った力を使って部屋中の物という物を悉く破壊した。
壁や床を抉り、窓ガラスを粉砕し、観葉植物を真っ黒に焦がす。戸棚に並んでいた酒瓶とグラスは一斉に弾け飛び、そのうち棚ごとひしゃげて、木屑に変わった。
頃合を見計らった琢磨が放電攻撃を打ち止めにすると、あとに残ったのは、まるでここだけ嵐が過ぎ去ったかのような惨状だった。
荒れ果てた部屋の中、十数人の組員たちは、全身ボロボロになって昏倒している。
体に流す電流の量は、見た目とは裏腹にかなりセーブしていたので、死んではいないはずだ。もっとも火傷の痕は少なからず残るだろうが。
「まっ、別に殺しても良かったんだけどよ……あいつらに軽蔑されたくねぇからな」
そう独り言を漏らした琢磨は、真帆の体を抱きかかえて、椅子から立ち上がった。
直後、残っていた雷の残滓が背後で一閃。――落雷に打たれたかのように火花を撒き散らして、オフィスチェアーが木っ端微塵に四散した。
「……」
真帆の体を一旦机の上に横たえた琢磨は、ひしゃげた金庫の中から龍神会の資金、およそ数千万円分の札束を取り出して、持参の紙袋に詰めてゆく。
――今回の仕事の、いわば正当な報酬だ。
貧民街に麻薬が出回り始めるようになった半年前から、琢磨の任務は始まっていた。
十二年前のテロによって、家族や友人、職や財産を失った者たちが身を寄せ合って暮らすあの街には、心に深い傷を負った者たちが大勢いる。故に現実逃避や自暴自棄の手段として、麻薬の需要には事欠かない。
貧民街に薬を捌いているのが龍神会だと知った琢磨は、まずその組織内に潜入し、新米組員として雑用係を務めながら、密かにその製造ルートを探っていた。
以降半年間に渡る地道な潜入捜査の末、先日になってようやく製造元の所在を掴むことが出来たのだ。目的を遂げ、そろそろ龍神会には片をつけようかと思っていた矢先、真帆が拉致されて来て、ある意味、今度のことはちょうどいい機会だった。
顧客のリストは隼人を通じて自治会にまわし、自分は次の仕事として製造元を叩く。
これが琢磨の仕事――害虫駆除であった。
乱暴なだけで、他に何の取り柄もない自分には、打ってつけの商売だと思う。
悪党をしばいて、そいつの溜め込んだ金を根こそぎ頂戴する。単純明快。そして何よりも他の商売とは報酬額が桁違いだ。
ただし、仲間に知られると(特に梨香からは)何を言われるかわからないので、琢磨はずっとこの仕事の事を黙っていた。それによって(特に梨香から)穀潰し扱いを受ける破目になったことだけが、多少の難点だが。
「へへっ、まぁ、別にいいか」
それはそれで、結構楽しんでいる琢磨であった。――
真帆を背負い、札束の入った紙袋を両手に提げて、龍神会の事務所を後にする。
堂々と正面玄関から表に出たところで、通りの向こう側に目を凝らすと、息せき切って走って来る祐樹と梨香の姿が見えた。
「琢磨っ!」「桐生ッ!!」
二人ともぜぇぜぇ肩で息をしながら、驚いた顔で言った。
「おう、遅かったなお前ら」
軽く片手を上げて合図し、背中ですやすやと寝息を立てている少女を示す。
「真帆っ!」
「フフ、……ほら?」
琢磨は駆け寄ってきた梨香に、小さな眠り姫を抱かせてやった。
「どこも乱暴されてない?」
「ああ、心配いらねぇよ。薬でちょいと眠らされてるだけみてぇだ」
その点については保障できる。なんといったって、見張り役を任されていたのは俺だからな、と琢磨は心の中で付け加えた。
「良かったぁ……もう、心配したんだから」
梨香は心底ホッとしたように微笑んで、真帆の髪を優しく撫でつける。
祐樹がふと振り返って訪ねた。
「でも、琢磨はどうしてここに?」
「ん~? まぁ、たまたま通り掛ったもんでな?」
しゃがみ込んで真帆を抱いたまま、梨香は咎めるような目線を琢磨に送った。
「アンタ、今までどこに行ってたのよ。念話にも全然応じないし……」
「わりぃわりぃ、ちょっと忙しくてな」
「またそんな嘘ついて。アンタみたいな暇人が忙しいって言うなら、世の中の人はみんな過労死してるわよ! まったくもう……ん? その手に持ってるのは何?」
両手に提げた紙袋の中身を問われ、琢磨は短い逡巡の末、ニヤリと笑った。
「へっへっへ、エロ本だ。見るかぁ? ほれほれ~」
そう言って紙袋を突き出すと、梨香は予想通りに赤面して激しく拒絶を示した。
「ばっ、バカじゃないのっ……!? もうっ、近寄らないでよこの変態ッ!!」
すっかり怒ってそっぽを向いてしまう梨香を眺めながら、可愛いやら、哀しいやらで、琢磨は苦笑した。
「琢磨……」
不意に肩を叩かれ振り返ると、祐樹が何やら真剣な眼差しでこちらを見ていた。
「お?」
「――是非とも、見せてくれッ!」
思わずずっこけて、紙袋の札束を落っことしそうになる。
「あ、ああッ……! もろちんだ! 帰ったらたっぷりコレクションを見せてやるッ!」
「本当かぁっ!?」
祐樹と琢磨は、共に下卑た笑顔でがっちりと握手を交わした。
「いやぁ~、琢磨とは実に気が合うなぁ~!」
「いやぁ~、俺もお前が来てくれて嬉しいぜ~。ハヤトとカズは、どうもこの手の話に付き合いが悪くてよぉ~?」
梨香はそんな二人に軽蔑した眼差しを送りつけ、「あいつらと居る方がよっぽど危険だわ」とぼやきながら、真帆を背負ってさっさと歩き出した。