第三章「剣の少女・水の少女」
第三章「剣の少女・水の少女」
1
晴れて『KRONOS』の一員となった僕は、その日から彼らと共同生活を送ることになった。そこでまずは暮らしてゆく上で必要不可欠なこの土地の情報を得ることにする。
――僕が今いる建物は、貧民街の第十三区域という場所にあるらしい。
五年前まで廃墟となっていた三階建ての雑居ビルを彼らが修繕し、そのまま住処としたようだ。
推定三百万人といわれる避難民が犇めくこの貧民街は、未だ治安維持の手が行き届いておらず、混沌と化しているらしい。
生活水準は、僕の世界線における発展途上国のそれ。
電気と水道は一応通っているようだが、水道から流れ出る水はお世辞にも清潔とはいえず、飲用には適さない。電気の方も何かにつけてはしょっちゅう停電を起こすらしい。
この貧民街に住まう者たちは誰も彼もが皆、十二年前のテロによって全財産を失い、行き場を求めて天下のお膝元に集ってきた貧乏人たちである。
この街においては、何をするにも資格や免許は一切不要。
それぞれが需要を見つけては露店を開いたり、物資の配達をしたり、誰に構うことなく商売を行い、そこから収入を得ているという。
それは僕が出会った五人の男女も例外ではなく、各々非公式な仕事に就いて、生活費やその他諸々の費用を賄っているそうだ。
医学に知識のある隼人は巡回医師として病人のいる家を診てまわり、梨香は近所の子供たちを集めて剣道の先生をやっているという。
メカに強い和明は廃品となったガラクタを拾って来ては部品を組み替えて道具を作ったり、家電の修理も請け負っているらしい。
真帆は自身の能力によって精製した清潔な水をタンクに詰めて売っているそうだ。
ただ一人、自由人の琢磨だけは何の仕事もしておらず、たまにその辺の川で魚を釣ってきたり、近所の爺さんから酒を貰ってきたりするそうだが、基本的には日がな一日、ふらふらと遊び惚けているらしい。
それに対して梨香は口酸っぱく文句を言っていたが、当の本人に悪びれた様子はなく、また梨香以外のメンバーはそんな琢磨のスタンスを心なしか許容している様子だった。
一頻り説明を受けたあと、僕は彼らと共に夕食を頂くことになった。
猫の額ほどの中庭に出てテーブルの前に座る。椅子もテーブルも不安定で、なんだかガタガタだった。どうやら梨香に言いつけられた琢磨が嫌々作ったものらしい。
当の琢磨は現在、調理台の方で、なにやら楽しげに梨香と真帆をからかっている様子。
和明は隅の方で機械の部品を弄っていた。
夕食の準備を女性陣(と琢磨)に任せ、僕は隼人と少し今後のことを話す。
「計画のことなんだけどさ、具体的にはいつ決行する予定なんだ?」
「まぁ、さすがに今日明日中、というわけにはいかんだろうな……。作戦自体はそれほど複雑なわけではないが、なにぶんにも相手が相手だ。包囲網を敷くための根回しには、まだもう少し時間が掛かる。最低でも二ヶ月といったところか……」
「僕に何か手伝えることはないか?」
隼人は小さく笑みを浮かべて、かぶりを振った。
「そっちは俺に一任してくれて構わない。他の者にもそう伝えてあるからな」
「そうか……」
「まぁ、君が少女を案ずるよく気持ちはわかる。だが備えを疎かにして失敗したのでは元も子もない。それに君はまだこの世界のことをよく知らない。とりあえずは、ここでの生活に慣れることを念頭においてくれ。詳しい話はまたそれからだ」
「ああ、わかったよ」
それからふと、隼人は僕の胸元にあるブローチに目を留めて言った。
「話は変わるが、その宝石は……?」
「あぁ、例の、ティアラが残して行った物なんだ。よく分からないけど、これともう一つの赤い石がどうやら異次元跳躍の引き金になるみたいで」
「ふむ……。すまないが、少し見せて貰ってもいいか?」
「ああ、いいよ」
服から取り外して手渡すと、隼人はしばし神妙な顔をして宝石のブローチを凝視した。
「……」
鋭く眇められた眼光、時折顎に手を当てて考え込むようなその仕草から、僕はふと気になって尋ねる。
「何か、わかるのか?」
刹那の沈黙を置いて、隼人はブローチを僕の手元へと返した。
「……いや、少々珍しかったものでな?」
誤魔化すようなその微笑が、なんとなく心に引っ掛かった。
もちろん彼が嘘を言っているという確証はないし、僕の思い過ごしかもしれないが……。
「――さっ、準備出来たわよ? 食器運ぶの手伝って?」
鍋を運んできた梨香の一声に促されるような形で逡巡を打ち切り、結局、深く追究することはやめておいた。
夕食の献立はカレーだった。
六人で囲むと、立て付けの悪いテーブルは少し狭い。
だが、妙に温かかった。こうして同い年ぐらいの子たちと、わいわい騒ぎながら食事をするというのはやっぱりいいものである。
「おい、カズ。あれ出してくれ」
「えー、またぁ?」
「いいじゃねーか、味見だよ味見!」
「味見って……もうこれで三本目だよ?」
「まぁ、そうケチケチすんなよ。今日は新しい仲間が入った祝いだ」
もうと不服そうに唸って席を立った和明は、一升瓶を持って戻って来た。
「おぉ、これだこれだ!」と琢磨は嬉々として栓を抜き、白く濁った液体を湯飲みに注いで盛んに呑み始める。
「何それ?」
僕が尋ねると琢磨はニターッと笑い、「精……」と何やら馬鹿な事を言おうとして梨香からぶっ飛ばされた。和明が代わりに答える。
「これは、濁酒だよ」
「ど、ドブロク……?」
「炊いた米に麹を混ぜて発酵させただけの濁り酒だ。俺たちが作ったんだぜ?」
「へぇ~」
「まぁ、実際に作ったのは僕と真帆ちゃんだけどね?」
とくとくと内容液を注いだ湯飲みを、琢磨がこちらに差し出して来た。
「飲んでみるか?」
「え? いいのか?」
好奇心に誘われた僕は試しに一口含み、耐え切れずすぐさま吐き出してしまった。
「うぇ……変な味。これはちょっと、僕には早すぎるみたいだ……」
「無理も無いわ。この中でこんなもの好き好んで飲むのは、そこのバカぐらいよ?」
やれやれと肩を竦める梨香。和明も困ったように苦笑しながら琢磨を見た。
「露店で売ろうと思ってるんだけど、タクちゃんが味見と称して全部飲んじゃうものだから、全然売り物にならなくて」
「ホントにロクなことしなんだから、アンタはッ!」
いくら叱られても琢磨はへらへらと笑ったまま、一つも堪えた様子が無かった。
2
夕食を終えたあと、僕はしばし和明の横について、彼の行う作業を眺めていた。
「それは何を作ってるんだ?」
「ああ、これは蓄電器だよ。この辺はよく停電が起こるからね、タクちゃんの能力を有効活用できないかと思ってさ」
蓄電器に琢磨の発生させる電気エネルギーを溜めておき、停電になった際はすばやく内部電源に切り替えることで問題を解消しようということらしい。
メカに弱い僕には、その仕組みや配線なんかはさっぱり分からないけれど、和明は大小様々な工具を駆使して、ボルトや導線を手際よく繋いでゆく。
しばらくして、梨香と真帆がやって来た。
「先にお風呂もらうわね?」
「あ、うん」
女性陣二人はタオルと着替えを持って、和やかに談笑しながら中庭の隅にある木の小屋へと歩いていく。不思議に思った僕は和明に尋ねた。
「風呂場が建物の外にあるなんて珍しいな」
「もともと、このビルには浴室がなかったんだよ。それで、この街にはまだ瓦礫の山がたくさんあるからさ? 使えそうな木材とかバスタブを拾って来て、自分達で作ったんだ」
「へぇ、そんなことまで自分たちでやっちゃうのか。すごいなぁ」
「まぁ、さすがにシャワーやガスを通すような技術はないから、真帆ちゃんの能力で水を張って、あとは昔みたいに薪を焚いて沸かす仕組みなんだけど」
「まぁこれも、能力の有効活用ってわけだ」
「フフ、そうだね」
ドタバタと騒々しい足音を立てて、今度は琢磨がやって来た。
「――おいッ! カズ、ユーキ! 行くぞ!!」
僕は少々面食らって訊き返す。
「行くって何処に?」
「バッカ、おめぇ決まってんだろ!? 裸見に行くんだよッ!」
「よし行こう」
僕は立ち上がったが、和明は困ったように苦笑して小さく首を振った。
「いや、僕はいいよ」
「そうか。ほいじゃあユーキ! テメェ、遅れずについて来いよ!?」
「応!」
僕はその場で和明と別れて、琢磨と共に風呂小屋までダッシュした。
小屋からは既に灯りと湯気が漏れ、二人の話し声が聞えている。
さて、覗き穴はどこにあるんだろう……などと僕が甘い事を考えている間に、琢磨はさっさとベニヤ板の壁をよじ登り始めた。
「ええ!? ちょっ、待ッ……!」
僕は声を潜めつつ、慌てて琢磨の袖口を掴んだ。
「あぁん!? なんだよ!」
琢磨の不満そうな声が頭上から降り注ぐ。
「いや、なんだよじゃなくて、バレるって! ナニ考えてんの!?」
そんな僕の言い分を、金髪の悪童は嘲笑うかのように一蹴した。
「フン、バレるかどうかは重要じゃねぇ、裸が見えた時点で俺たちの勝利だ!」
大胆不敵というか、常軌を逸した馬鹿というか、どちらにせよ究極的な考え方だ。
「御託はいい、やるのか? やらねぇのか? どっちだ」
「やろう!」
僕も急いで壁をよじ登り、息を殺しつつ琢磨と肩を並べる。
しかしこの期に及んでまだ恐怖を断ち切れずにいる僕は、たぶん臆病者なんだろう。
「バレたらたぶん、僕ら殺されるよ?」
「心配すんな。〝肉を斬らせて骨を断つ〟って諺があんだろ?」
「肉を斬られた時点で死んでなきゃいいけど……」
「へへっ、もう少しだッ!」
二人で一斉に壁の頂上部に手をかけ、一気に身を乗り出そうと腕に力を込める。
と、そのとき――。
バキッ、なんだか嫌な音がした。
「「あ……」」
もともと廃材であり、さらに湿気を吸って脆くなっていた壁板が、二人分の体重に耐え切れず折れたのだ。そうと分かったときにはもう遅い。
「「おわぁあああーっ!?」」
僕と琢磨は前転するように、放物線を描きつつ空中へと投げ出されていた。
あとは成すすべもなく、ただ重力の流れに従って落下するのみ。
派手に飛沫を上げて頭から浴槽に墜落、二人揃って犬神家状態となった。
「ぷはぁーッ!」
酸素を求めて水面から顔を出し、僕は途端に凍りついた。
「うひゃあ、ブーッ! あーあ、ひっでぇ目に遭ったぜぇ――って……」
遅れて顔を出した琢磨も石化したように硬直する。
「……」
薄いタオル一枚で体を隠した梨香が、冷ややかな目をして僕たちを見下ろしていた。
「何してんの、アンタたち?」
真帆も梨香の背後に隠れつつ、不安げな目をしてこちらを窺っている。
一瞬そろそろと顔を見合わせた僕と琢磨は、意を決してトボけることにした。
「あぁ~、こりゃあ、いいお湯ですなぁ~」
「ホントだねぇ~、あっはっはっはっ!」
「……ッ」
そのとき、梨香のこめかみに浮かび上がった太い血管が、ブチッと音を立ててはち切れたように見えたのは、あなたがち僕の幻覚でもなかったのだろう。
「アンタら、覚悟は出来てるんでしょうねぇ?」
梨香の肩が怒りに震えていた。声も震えている。
その瞬間、僕は悟った。
あぁ、もうダメだ……。
こうなった以上は、二人ともボコボコにされて叩き出されるのが古今東西、ラブコメにおける定石である。僕が諦めて、大人しく運命の采配に身を委ねようとしたそのとき。
「俺たちの戦いは、まだ終わっちゃいねぇええええ――――ッ!!」
魂の咆哮と共に、琢磨はバスタブの底を蹴って大きく跳躍。
派手に飛沫を撒き散らしながら、狼の如く目の前の獲物・梨香に飛び掛った。
「真帆、退がって!」
「は、はいっ!」
僕と真帆の意表を突くことに成功した琢磨の不意打ちだったが、肝心の梨香はどこまでも冷静に慎重に、その直線的で芸のない動きを見切っていた。
「貰ったァア!!」
「甘い!」
タオルを剥ぎ取ろうと繰り出した手は、寸分のところでかわされ虚空を掻く。
「チッ……!」
空中でバランスを崩した琢磨は、どこもかしこも隙だらけ。
梨香があえて距離を取ることなくギリギリまで琢磨を接近させたのは、次の瞬間に訪れる反撃の機会を、最大限活かすことの出来るこの間合いを作り出すためだったのだ。
「――チェストォオオ!」
鞭のように撓った梨香の回し蹴りが、琢磨の脇腹に鋭く突き刺さる。
「ぐあ、ッ――」
傍目から見ていてもわかるほどに強烈な一撃。
まともに食らった琢磨は体をくの字に折り曲げて、枯れ枝のように吹き飛ぶ。
だがその刹那、金髪の悪童は凄まじい執念によって苦悶を堪え、ニヤリと笑った。
――〝肉を斬らせて骨を断つ〟
狩りにおいて最も危険なのは、獲物を仕留めたその瞬間だという話を思い出した。
「なっ!?」
体に巻きつけたタオルが内側から引っ張られる感触に気づき、梨香は驚愕した。
先の回し蹴りを放った際、彼女の体を覆うタオルの裾が僅かに翻り、琢磨はその隙間を狙って足のつま先を滑り込ませていたのだ。
「ユーキぃいい!! しかとその目に焼き付けておけぇえ……!」
掠れた声を力一杯張り上げて謳い、琢磨は離れ際、つま先に引っ掛けたタオルを天井目がけて思い切り蹴り上げた。
「これが俺たちの勝利だぁあああああああ――――ッ!!」
今度こそ意表を突かれた梨香は、咄嗟にタオルを押さえ込もうとするが間に合わず、薄っすらと漂う湯気の中に、その裸体を惜しげもなく晒すこととなった。
「……きゃあああ!!」
可愛らしい声を上げながら身体をくねらせ、まずい部分を隠そうとする梨香。
「おお~っ!!」
僕は思わず立ち上がって拍手を送った。
しかし、残念なことに琢磨は梨香の裸体を拝むことなく壁際まで吹き飛び、そのまま燃え尽きて真っ白な灰になってしまった。青空バックにキラーンと親指を立てて笑う彼の姿が一瞬目に浮かび、慌てて振り払う。
そんなことより、今は我々の勝利を目に焼き付けておくことの方が先決だ。
そう思って無防備な梨香の姿態に目を向けた瞬間、――視界がぼやけていた。
あ……れ……?
ごぼごぼと開いた口から気泡の玉が溢れ出る 。
「がんばごげ(なんだこれ)!?」
浴槽に溜まっていたお湯が、一本の水柱となって僕の体を包んでいた。
それが真帆の能力によるものだと気づいたとき、鼻から思い切り水を吸い込んでしまった僕はもう手遅れに近かったと思う。
水中でむせるという感覚を初めて体験し、思わず気が遠くなる。苦しい。そして怖い……。何の心の準備もなく顔が水に浸るというのは、これほど怖いものなのかと思い知る。
パニックに陥って溺れそうになる僕を紙一重のところで正気に繋ぎとめたのは、青空バックにキラーンと親指を立てて笑う、琢磨の姿だった。
そうだ、彼の犠牲を無駄にしてはいけない。
僕たちの戦いは、まだまだ終わっちゃいないんだ!
頑強な意思によって混乱を押し殺し、カッと眼を見開く。
〝――裸をッ、見ねばッ!〟
曲げた膝に力を留め、そこから一気に跳躍。さらにもう一段壁を蹴り、三角跳びの要領で真帆の水牢を脱する。
「――っ!」
やはり、思った通りだ。
能力の使い手が真帆である以上、彼女の認識力・反射神経を上回る速度で動けば躱せる。
そして失礼ながら真帆は結構、いや、かなりトロいッ……!
さあ~て、梨香はどこだぁ~?
「ここにいるわよ、ユ・ウ・キ・くん?」
信じられない至近距離でいきなり目が合い、僕は唖然とする。
彼女は僕の認識力・反射神経を大きく上回る速度で、こちらの懐に潜り込んでいた。
くっ、……まずいっ!
思考は追いつかず、反射神経だけで咄嗟に距離を取ろうとするが間に合わない。
僕は既に、彼女にとって必殺必中の間合いにあった。
「三嶋流・徒手合戦礼法 内の一つ」
梨香の足が――腰が――腕が、ギリギリと外側に向かって引き絞られ、莫大なエネルギーが螺旋状に渦を描きつつ、彼女の体内、その一点に蓄積されてゆく。
こ、これは……!?
「――絶招・焔穿拳」
捻りを加えた威力抜群の正拳突きが迫り来るその瞬間、僕は悟った。
〝あぁ、やっぱりダメじゃん……〟
どうやら、ラブコメの掟には逆らえぬようだ。
閃光のような一撃が、僕の鳩尾を深く抉った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
――――。
その後、僕と琢磨が全身ボロボロにされた上、こってり一時間近く説教を受ける破目となったことは言うまでも無い。
僕がこの世界に来て初めて体験した異能力戦は、なんとも情けない結果に終わったのだった……。
3
翌日、僕は埃っぽく殺風景なコンクリートの部屋で目を覚ました。
ここは……。
目を開けてから頭が覚醒し、現状を認識するに至るまで少し時間が掛かる。
あぁ、そうだ……。
――昨日はあの後、物置となっていた一室を急遽片付けてもらい、そこがそのまま僕の私室としてあてがわれたのだ。この部屋唯一の備品である簡易ベッドは、隼人が自分はソファーで寝るからと言って譲ってくれた物。
知りたいことや聞きたいことはまだまだ山のようにあったが、ゆうべは僕も色々あって疲れていたから、それはまた明日にしようと決めて、さっさと眠りに就いたのだった。
「……」
硬いベッドの感触、錆びついたスプリングが立てる軋んだ音を聞きながら、僕は改めて昨日見聞きした出来事の数々を、もう一度冷静に振り返ってみた。
ここは僕の住む世界とは別の運命を辿った日本。――その点、完全な異世界というよりは、一種のパラレルワールドと考えた方がいいのかもしれない。
驚くべきことに、この世界には超常現象を自在に引き起こす特殊能力者が実在した。
空間操作に精神感応、雷を操る力、物を発光させる能力、水を統べる力……僕の居た世界では、それこそマンガやアニメの中でのみ存在していた夢の具現化である。
しかしこの世界の実状は僕が子供の頃に憧れ、無邪気に夢見ていたファンタジー世界とは程遠い、殺戮と阿鼻叫喚の地獄絵図が下地となって出来上がったものであった。
強大な力を持った異能力者――俗に〝邪神〟と呼ばれるテロリストたちの侵攻よって、全国各地にあらゆる暴虐、破滅、混沌、恐怖、そして数多くの死が齎らされたのだ。
そして現在、その流れを汲む超法規的機関『OLYMPOS』が、事実上この国の支配権を握り、僕はそれに反旗を翻さんとする革命組織・『KRONOS』の一員となって、これから途方も無く無謀な戦いに、この身を投じて行こうとしている――。
……なんというか、考えれば考えるほど、信じがたい話だ。
あまりにも現実離れしていて、頭では既にある程度理解していても、今ひとつ実感というものが湧いてこない。
実は僕が植物人間で、今までのことはすべて泡沫の夢だったというオチがあるんじゃないかと、密かに疑っている。
父さんがこの話を聞いたら、何て言うだろう? ……いや、変人考古学者の異名を持つ父さんだったら、存外すんなりと受け容れて、納得してしまうかもしれない。
「ふわぁ~あ~……んんっ」
とりとめのない思考が脱線を始める前に、僕は大きく欠伸をしてベッドから降り立った。
なんだか、鳩尾の辺りがきりきりと傷む。
「昨日、梨香から食らった一撃か……。あれ、凄かったもんなぁ……」
あの完璧な踏み込みから、技を打ち出すまでの隙の無い身のこなし方、あれはもはや達人の域ではなかろうか。
僕もそれなりに研鑽を積んで来たつもりだったから、まさか特殊能力とか一切関係なく素手で女の子に負けるとは思ってもみなかった。
しかも梨香は確か、近所の子供たちを集めて剣道の先生をやっているとか聞いた。
つまり空拳で放たれたあの技は、まだまだ彼女の本領ではないわけだ。全く恐れ入る。
「えーっと、確かこんなふうに……」
僕は試しに、腕を捻りながら拳を突き出し、彼女の動きを真似てみた。
「――焔穿拳!」
うーん、なんか、違うなぁ……。
微妙な手ごたえに首を傾げつつ、身支度を整えて部屋を出る。
それから一階にある流し台で顔を洗っていると、中庭の方にふと真帆の姿が見えた。
大きな荷車に、水の入ったタンクをせっせと積み込んでいる。
「おはよう」
「――ひっ!?」
僕が近寄って声をかけると、真帆はビクッと肩を震わせて怯えたように身を竦ませた。
「ぁ……あの、その……」
慌ててこちらを振り返り、真帆は蚊細い声を喉の奥から絞り出したように言う。
「お、おはよぅ、ございます……」
「う、うん。他のみんなは?」
「えーっと……ハヤトくんは巡回に出掛けました。そのあとで、各区域を取り仕切る人たちと大事な会合があるそうです。……梨香ちゃんは剣道の講習に、カズくんは修理を頼まれていた機械を届けに行ってます。琢磨くんは……たぶん、まだ部屋で寝ていると思います……」
「そっかぁー、みんなもう出掛けちゃったんだ」
「は、はい……」
真帆はスカートの裾をぎゅっと掴んで、じっと顔を伏せている。
彼女はまだ僕のことが苦手みたいだ。昨日はあんなことしちゃったし、そういえばまだきちんと謝ってなかったっけ。
「なんていうか、その、昨日はごめんね?」
真帆は首を横に振る。
「い、いえ……私もその、失礼なこと、しちゃって……」
「いやぁ、それは気にすることないよ。悪いのは僕だし、正当防衛だと思ってさ?」
「私もそんなに、気にしてませんから……。琢磨くんは基本的に、毎日、ああいうことしてますし……」
「えっ、毎日やってんの!?」
真帆はこくんと頷いた。
それは、なんというか……まぁ、同罪を犯した僕が言うべきことではないと思うが、彼女たちの気苦労が窺えるな。
「……でも、昨日はその、琢磨くんもちょっとやり過ぎたというか……たぶん、ユーキくんが新しく来て、嬉しかったんだと思います……」
「あ、ああ、そう……ははは」
なんとなく決まりが悪くて、僕は話題を変えようと荷車の方に目をやった。
「これから、お仕事?」
真帆は頷き、遠慮がちに答えた。
「注文してくれた人のお宅に、水を配達するんです……」
「そう。けっこう重そうだね、手伝おっか?」
真帆は慌てたようにかぶりを振った。
「迷惑かい?」
少し意地が悪いかなと思いつつ問い掛けてみる。
真帆は一層狼狽した様子で、ぶんぶんと首を横に振った。
「い、いえっ……! そんな、迷惑じゃないです……けど……」
期待通りの返答に笑顔を作りつつ、僕は率先してまだ積み終わっていない水のタンクを両手に抱える。
「だったら手伝わせてよ。どうせ暇だし、新参者は役に立たなきゃね?」
「あ、ぁ、うぅ……」
真帆は正直に言ってあんまり良い顔をしなかったが、僕はこの機会に是非、彼女とも親睦を深めておこうと思ったのだ。
協力してタンクを荷台に積み込んだあと、真帆の遠慮を押し切って配達にも同行した。
荷車を引く役目は男の僕が担い、彼女には道案内を頼むことにする。
僕は真帆の指示に従って荷車を引きながら、周囲の光景に目線を漂わせていた。
時折見かける信号機は、電気が通っていないのか完全に機能を停止している。
標識は錆びて朽ち果て、もはやその役割を果たしていない。
道路は一応舗装されているが、それにしてももう何年、人の手が加わっていないのだろう、アスファルトは至る所が凸凹にひび割れ、その亀裂から雑草が伸びている。
そして、和明が昨日言っていた通り、建物が倒壊した跡と思われる瓦礫の山が、今も街のあちらこちらに散見された。
「……あの、ユーキくん」
不意に声をかけられ、僕は真帆の方を振り向いた。
「珍しい、ですか……?」
「あぁ……うん、ちょっとね」
僕の住んでいた世界では、東京のど真ん中でこんな光景を目にすることなど、まずありえないからな。
しかし、考えてみれば十二年も前に起こったテロの爪痕が、ここまで色濃く残り続けているというのもちょっと異常だ。
真帆に尋ねてみたところ、それはここだけの話ではないという。全国各地の地方都市も同じように、十二年前の惨劇からほとんど手付かずの状態で放置されているらしい。
きちんと整備された区画に住むことを許され、安定した生活を享受しているのは、政府関係者と、『OLYMPOS』に協力的な一部の金持ちだけ。
そんな無茶苦茶なやり方で、国としての体裁を保てるのだろうか。
いや……隼人に言わせれば、きっとこの国は疾うに崩壊しているのだろう。
徹底的な鎖国政策によって、世界から完全に孤立したこの国には、外部からの圧力や干渉が存在しない。つまり、権力者と被権力者の関係を客観的・道徳的に見つめ、裁く者がいないということだ。故に、狭い内側の世界では如何なる無法も平然と罷り通る。
〝神〟の発する、勅令の名において。
「……」
ふと、背後の空を仰ぎ見る。
そこには圧倒的な存在感を放って、あのイーリアス・タワーが轟然と聳え立っていた。
あんな超近代的建物がある一方で、薄皮一枚隔てた先には、こうして荒んだ貧民街が広がっている。景観の強烈なコントラストが、まさにこの国の内情を切実に物語っていた。
4
真帆と二人で歩きながら、僕は暇つぶしに向こうの世界のことを色々と話した。
ただまぁ、彼女はコミュニケーションが苦手なので、ほとんど僕が一方的に喋る格好となったが、それでも気まずい沈黙が続くよりはマシだろう。
それに真帆と話していると、僕はなんだかティアラのことを思い出した。
饒舌に話す僕と、時折小さく相槌を打つ真帆――この構図は、まだ子供だった頃の僕と、感情に乏しかった頃のティアラという、かつての状況を俄かに彷彿とさせた。
配達先となる家の前に来ると、僕は彼女の指示に従って積荷の中から注文分のタンクを下ろし、玄関先まで運び込む。真帆は家の人に声をかけ、御代を貰う役割だ。
「真帆ちゃん、いつもありがとうね」
「い、いえ、あの……ども、です」
ぺこりと頭を下げた真帆は、さっさと戻ってくるなり、僕の袖を引いた。
「い、行きましょう……」
またお願いするわねー、という和やかな声が後ろから追ってくる。
ふぅむ、お世辞にも社交的とは言い難いが、それなりに上手くやっているようだな。
それから三軒、四軒と家々を廻ったが、その都度、真帆はそこの人たちから色々と声をかけられていた。
「――毎日、ご苦労様」
「――真帆ちゃんの持って来てくれるお水は、いつも清潔だし、美味しくて助かるわ」
「――アンちゃん、見かけねぇ顔だな。へっへっへ、さては真帆ちゃんのコレかぁ?」(←下卑た笑顔で小指を立てている)
真帆は声を掛けられる度、おどおどしながら頭を下げて逃げるように去って行くが、皆もう彼女のことは良く理解しているようで、むしろ、真帆のそんなところを可愛がっているようにも見える。
僕はなんだか、どっかで見たことのある光景だなぁと思い、しばらくして、――あぁ、これは時代劇でよく見かける、江戸時代の長屋の情景にそっくりだと気づいた。
十軒近く廻ったところで荷台は空になり、本日の配達はこれでお終いだという。
――帰り際、ふと通り縋った空き地に、梨香の姿が見えた。
袴姿で竹刀を握った彼女の前には、十数名の少年少女たちが並んで体育座りをしている。
僕と真帆に気づいた梨香は、不意に講義を中断し、こちらに声をかけてきた。
「真帆、もう配達終わったの?」
真帆は僕や他の者には見せることのない安心しきった笑みを浮かべてこっくりと頷いた。
「随分早いわねぇ。アンタとろいから、いつもだったら夕方近くまでかかるのに」
「今日は、その、ユーキくんが手伝ってくれたから……」
「ふぅ~ん……」
真帆の言葉に、梨香の目線が僕に移ろう。
梨香は僕を値踏みでもするかのようにジロジロと眺めたあと、不意に口角の片方だけを吊り上げて、にいっとなんだか嫌な感じに笑った。
「な、なんだよ……?」
「フフーン。ちょうどいいところに来たわねぇ、ヘ・ン・タ・イ?」
「うっ……」
昨日の事を思い返して怯む僕。
梨香の口から出た『変態』という単語に反応して、子供たちが嬉しそうに「へんたい! へんたーい!」と僕の方を指差しながら一斉に囃し立て始めた。ちくしょう。
僕の屈辱的な感情などそっちのけで、梨香は「はいはい!」と手を打って生徒である子供たちを静めた。
「それじゃあ、みんな? これから先生が、この〝ヘンタイのお兄さん〟と実際にお手本をやってみせます。よーく、見てるように。わかった?」
『は~い!』
子供達の元気なお返事と共に、梨香は僕の方を向き直って言った。
「ユーキ。あなた、格闘技の経験があるわよね?」
「え? ……あぁ、よくわかったな」
「姿勢や歩き方一つ取っても、分かる人には分かるものよ?」
「けど、僕が習ってたのは徒手空拳だから、剣術じゃあお役に立てないと思うぞ?」
「あー、いいのいいの。あなたにやってもらうのは悪いお手本だから」
「それって、つまり……」
「――斬られ役」
言うや否や、梨香は僕の意思などお構い無しに、竹刀を一本放って寄越した。
「さぁ、遠慮はいらないわ。どっからでも打って来なさい」
そんなこと言われたって、剣道なんて高一のときに体育の授業でやったきりだぞ。
梨香は中段で構えたまま、余裕の表情で僕の出方を窺っている。
わぁーと声援を上げる子供達からは、ところどころで『ガンバレー、へんたーい!』と馬鹿にしたような野次が飛ぶ。
クソ、ここまで舐められて大人しく負けるわけにはいかない。
ここは一つ、大いに番狂わせを演じてやろうと、僕は短く強く息を吐いて、一気に踏み込んだ。
「ハッ!」
正攻法に、まずは面を狙って素早く竹刀を振るう。
「遅い! 浅い! 甘い!」
一度に三つも僕の至らなさを指摘した梨香は、距離を取るでも迎撃するでもなく、自ら進んでこちらに踏み込んできた。――いや、踏み込みというより、それはもはや跳躍といった方が的確だろう。迅速に、そしてぐっと深く、梨香は一瞬で僕の懐中へと潜り込む。
その距離は、竹刀の長さが逆に仇となる間合い。しかし、その条件は梨香にとっても同じはず。ここまで間合いを詰めてしまうと、たとえ胴を打っても威力はほぼ皆無だ。
そう思った瞬間、限界まで姿勢を低くしていた彼女は、腰から上と下をそれぞれ反対方向へ、まるで自らの躯をぎゅっと引き絞るかのように捻じった。足元の地面から、渦を巻いた砂埃がさっと立つ。
「――なッ!?」
昨日の光景が、大きな衝撃となって僕の脳裏に蘇る。
梨香は螺旋を描きつつ僕の脇を擦り抜け、見事な一本をがら空きの胴体に刻み込んだ。
「ぐ、うぅっ……!」
予想以上に重たい一撃。旋回の動作によって発生した波動が体の内側に広がってゆく。
下手に耐えれば怪我をすると判断した僕は、大きく後方に跳躍しつつ、受身を取りながら地面を転がって威力を拡散させる。
「おぉ~、すっげぇ~!」「やっぱ先生、強ぇなぁ!」「かっけぇ~!」
オーディエンスの子供達からは口々に梨香を賛美する声と拍手喝采が沸いた。
ちくしょう、悔しい。
「さぁ、ユーキ! まだまだよ!」
梨香に叱咤され、僕は負けじと起き上がる。その際ちょっとしたパフォーマンスとしてネックスプリング(首跳ね起き)を決めてみせると、子供達の心を掴むことが出来た。
幸い、胴体に一本打ち込まれたことによるダメージは大したことない。昨日の一撃に比べたら、それこそこんなの掠った程度だ。まだまだ戦える。
「おおおおーッ!!」
己を奮い立たせるため、気迫を込めて咆哮する。子供達から一気に歓声が沸いた。
必ず一矢報いてやるぞと僕は竹刀を握り直し、再び梨香に向かって踏み込んだ。
5
「先生、さよならー」
「うん、気をつけて帰ってね?」
「はーい!」
講習を終え、生徒の子供たちが一斉に引き上げて行く。
へろへろになって地面に横たわった僕は、そのままぼーっと空を眺めていた。
「あのぅ……大丈夫、ですか?」
真帆が心配そうに僕の顔を覗き込む。僕は小さく手を振って気丈に答えた。
「ああ、別に怪我したわけじゃないから」
「そう、ですか……」
そう、どちらかといえば肉体的なダメージよりも、圧倒的な力の差を見せ付けられたことによる精神的ダメージの方が大きかった。
梨香の速度に、動作に、技術に、僕は全く追いつけなかった。攻めても退いても守っても、全く面白いようにぽんぽんと打ち込まれるあの途方もない無力感。
――結局、僕はけちょんけちょんにやられ、きっちり反面教師としての役割を果たしたのだった。
「はぁー……」
冷静に思い返せば、剣術に心得のない僕は、獲物であるはずの竹刀を全く活かすことが出来ず、むしろ、終始あれの扱いに振り回されていたように思う。
こんなことなら、まだ素手で戦った方が幾分マシだったかもしれない。まぁもっとも、素手ででも僕はまず間違いなく負けていただろうけど……。
「いつまで寝てんの?」
声のする方を振り向くと、腰に手を当てた梨香がやれやれと言った表情で笑っていた。
「もう、仕方ないわね」
ほら、と手のひらが差し伸べられ、僕は少し考える。
敗者が勝者のお情けに甘んじてもよいものか。取るべきか、取らぬべきか。
「おぉっ……」
つまらないことで逡巡をしている間に、さっさと手を掴まれていた。
ぐいっと引っ張り上げられ、のっそりと僕は上半身を起こす。
「悪かったわね、結局最後まで付き合わせちゃって」
「いや、別にいいよ。子供たちも喜んでくれたみたいだしさ」
「フフ、そうね……。みんなに一度は三嶋流の本格的な実演を見せてあげたいと思っていたんだけど、怪我をする心配があるから、相手は武道の経験がある男の人でないと駄目だったの。その点、桐生や和明はへなちょこだし、隼人に頼もうかなとも思ったけど、あいつはほら、計画のこととか色々忙しいでしょ? だから、あなたが来てくれて助かった。――感謝してるわ、ユーキ。これで昨日の件はチャラにしてあげる」
「そりゃどーも」
適当に言葉を返し、膝を折って立ち上がる。
「痛めたの?」
「え……」
梨香に尋ねられてから気づく。僕は無意識に鳩尾の辺りをさすっていた。
「あぁ、いや、これはさ、昨日のやつ……焔穿拳、だっけ?」
彼女はふっと嘆息し、それから腕を組んで斜めを向いた。
「あれでも随分と加減したのよ~?」
「そうなのか?」
「当たり前よ。本気で打ったら、内臓が破裂するんだから」
……うわ、なんか今、恐ろしいことを聞いた。
「さぁ、私たちも帰りましょ? 今日は夕飯の買出しにも行かなきゃならないし、一旦荷物を置いて着替えなきゃ」
僕は空のリアカーを引いて、梨香・真帆と共に広場を後にする。
帰り道、僕は梨香から彼女の家に代々伝わるという〝三嶋流〟の話を聞いた。
「――三嶋流の起源は戦国時代、無名の女流剣客によって生み出された武術だと伝えられているの。創始者の彼女は由緒ある武家の家庭に長女として生まれた。けれど後継ぎとなる男子が産まれなかったために、彼女が男として育てられたの。……まぁ、子供の頃はそれでなんとか誤魔化せていたんでしょうけど、年頃になるにつれ、彼女の体は誤魔化しようもなく女の器へと変化していく。……その頃は当然、女が刀を持つなんてことは許されない時代でしょ? 女でありながら剣を持った彼女は、周囲の者たちから蔑まれ、罵られ、酷い迫害を受けた。――だけどね、幼少の頃から『お前は男だ』と散々言い聞かされて育った彼女は、身体は女でも、心はもうすっかり男になっていたのよ」
「皮肉な話、嘘から出た誠というわけか」
梨香は小さく頷き、それから不意に、話の流れとはそぐわないことを詠唱した。
「――“静かに笑う花になるな、転がり続ける石であれ”――」
「……それは?」
「三嶋家代々の家訓、彼女が言ったとされる格言よ。その言葉通り、彼女は決して諦めなかった。心と身体のギャップに苦しみながら、女の柔い体で屈強な男たちに敵う為の闘法を、模索したの。その結果生み出されたのが、三嶋流」
故にこの流派は基本、一対多、自分よりも筋力・体格において勝る者を相手取る等、己が不利な状況を想定して編み出された戦法であり、そのための骨子が〝捻り〟であると、梨香は語った。
「己の躯を縄のようにきつく引き絞ることで力を圧縮し、矛先一点に集中させる。同じ力を込めた一撃でも、捻りの動作を一つ加えるだけで、その威力は桁違いに増幅するわ。それを解放と同時に打ち込むことで、相手の体内に衝撃の波を浸透させる」
それに――と、彼女は背負っていた長櫃から一本の刀を取り出して見せた。
柄に牡丹の彫刻があり、鞘は血を彷彿とさせるような黒く澱んだ赤で塗装されている。
「刀は捻りの動作と相性がいいの。西洋のツルギとは違って、日本の刀には、ほらこの通り、刀身に反りが入っているでしょう? これはもともと、力を込めて叩くためのモノじゃないのよ。弧を描きつつ、擦り切るためのモノ。だから力任せに扱えば、刀はすぐに刃こぼれを起こして、ただの鉄屑に成り果てる」
鞘から引き抜かれた刀身は、透き通るような白銀の輝きを放っていた。
「これ、本物?」
僕が尋ねつつ人差し指でつつこうとすると、梨香は平然とのたまった。
「下手に触らない方がいいわよ? 指が落ちるかも」
僕は慌てて指を引っ込めた。
「これは三嶋の家に代々伝わる宝刀・胴田貫――。一般的な日本刀と比べて、反りが浅く長尺で、切っ先寄りに重心がある。三嶋流の技を最大限に活かすための太刀よ」
僕は今までの説明を振り返りつつ考えて、一つ質問を投げかけた。
「三嶋流の秘訣が〝捻りの動作〟だってことはよくわかった。けどそれは、逆に大きな欠点にもなり得るんじゃないか?」
「なかなかに鋭い指摘ね。まさにその通りよ? 捻りの動作を加えるその一瞬こそ、三嶋流を操る者の、唯一にして最大の死角。だからこそ、その欠点を補うためには――〝瞬足にして、最大深度の踏み込み〟が必要不可欠なの」
それを聞いて、合点がいった。……なるほど、あの信じられない間合いの詰め方にはそういう理由があったのか。
「通常、人間は自分の腕の長さよりも内側に入られると、ほとんどの攻撃力を失うわ。あなただって最初は思ったでしょ? こんな至近距離からまともな攻撃を打てるはずがない、打てたとしても威力はほぼ皆無だろうって」
僕はかくかくと下顎を揺らして頷いた。
「けれど三嶋流にその常識は通用しない。捻りを加えて、身体の面積を限界まで収縮させることで、攻撃に必要な間合いを自在に作り出せるの。その気になれば、完全に密着した状態からだって、決定打を放てる自信が有るわ」
梨香はいとも容易く説明するが、そこに至るまで、彼女は一体どれくらいの年月を研鑽に費やしてきたのだろうか。
「梨香は、幾つの時から剣を握ってるんだ?」
「私は五歳のときからやってる。そういうアンタは?」
「僕が道場に通い始めたのは、中学に入ってすぐだから、十三歳か。――うぅ~ん、やっぱり年季が違うんだなぁ。どうりで敵わないはずだよ……」
僕は深々と感嘆の溜息を漏らす。
梨香は鞘に収めた胴田貫を、さっさと長櫃に戻しながら話を締め括った。
「まぁ、簡単にまとめれば、三嶋流はクセが強くて厄介だけど、極めれば無敵って話よ」
「へぇ、それじゃあ梨香は無敵なわけか」
「誰もそんなこと言ってないわ。私だってまだまだ修行の身なんだから」
「そうなのか?」
「そうよ……っていうか、そもそも私には自分のやっていることが、本当に三嶋流のあるべき姿なのかよく分からない。正当な継承者だったお父さんは、十二年前のテロで死んじゃったからね、それを知る者は、もう誰一人としてこの世にはいない……。私は残された秘伝の書を頼りに、自分なりの解釈で研鑽を積んだの。だからまぁ、ある意味では、三嶋流の原点に一番近いやり方なのかもしれないけどさ?」
6
アジトに帰還すると、中庭に琢磨と和明の姿があった。
和明はしゃがみ込んで、昨日見せてくれた蓄電器を操作している。琢磨はその横で突っ立ったままぷかぷかと煙草を吹かしながら、和明の作業が終わるのを待っている格好だ。
僕たち三人も近寄って行って、それに加わる。
「とうとう出来たのね?」
梨香の問いかけに、和明は蓄電器のつまみを調整しながら明るい声で答えた。
「うん、今からちょっと試験してみようと思ってね」
「大変だねぇ~、労働者諸君は」
琢磨は他人事のように言って軽佻浮薄に笑う。
「……アンタ、今日は一日何してたの?」
梨香からジト目で睨まれて尚、琢磨は何の気兼ねもなく「俺ァ、ついさっきまで寝てたぜ」と答えた。根っからのダメ人間である。
「よし、調整終わったよ。タクちゃん、お願い」
「へっへっへ、まったく、しょうがねぇなぁ~」
みんなの視線が自分に集まり、頼られているということを実感したんだろう。
琢磨は優越感に浸りきった笑顔で、ぽりぽりと頭を掻く。
「お前らァ、俺が居ないと何にも出来ないんだから~」
ホントに幸せな奴である。
「ほいじゃ、始めるぜ?」
「さっさとやんなさいよ」
「こっちは準備OKだよ」
和明から受け取ったプラグの先端を握り締め、琢磨は放電を開始した。
パチパチと静電気のように微細な破裂音が断続的に鳴り始める。プラグを握った彼の手元を見れば、極小規模ながら黄色い火花が纏わり憑くように発生していた。
和明は随時手元の電流計を確認しつつ、一分ほど経過したところで充電完了の合図を出した。
「こんなもんでいいのか?」
若干拍子抜けしたような琢磨の問い掛けに、和明は「いや、もう十分だよ」と甘い笑顔で答え、素早く配線を繋ぎかえる作業に移行した。
「それじゃあとりあえず、上にある電球を光らせてみるから」
頭上を見る。建物の内部から電線が引かれ、中央に裸電球が一つ吊るされていた。
電圧の調整を終えた和明が、機械の頂上部にあるスイッチを押した。
カチッ、と小気味良い音を立てて、頭上の裸電球に茫と灯りが点る。
「おぉ~」
全員が示し合わせたように感嘆の声を漏らした。
弱々しく点灯した電球の光は徐々に強く……強く、強く、強く?
あれ、なんかこれ、おかしくないか。
明らかに電球一個が放出する光のキャパシティを越えているような気がするぞ。
恐らくはその場に居た全員が同じ異常を感じたその瞬間、――一際眩しい、まるでスタングレネードのような閃光を発して、裸電球がいきなり破裂した。
「きゃあッ!?」
真帆が短く悲鳴を上げつつ、頭を抱えてしゃがみ込む。
「うぉっ!」
僕も驚いてその場から後退った。そして更なる異常に気づき、息を呑む。
蓄電器から、俄かに黄色い火花が発生している。
「まずい、漏電してる!」
和明が驚愕に満ちた声でそう叫んだ刹那、バチバチと激しい音を立てて、四散するように稲妻の華が吹き出した。
『うわああああーっ!!!!』
今度こそ全員が驚いて引っ繰り返り、慌てて身を寄せ合いながら、凄まじい電撃の乱舞を恐る恐る見守った。これは、そう、あれだ。――まるで、ドラゴン花火みたいだ。
二十秒ほど激しく火花を散らした漏電現象は、やがて溜め込んだ電気をすべて放出したことにより収束した。
しばし茫然とする一同。やがてわなわなと怒りに肩を震わせた梨香が拳を握り締め、琢磨の頭を思い切り殴ったことによって、沈黙が解ける。
「痛えええッ! おい、なんで俺が叩かれるんだよっ!?」
「アンタのせいでしょうが!」
「ミスったのは、カズだろぉ!?」
「うるさい、このバカ!! これしきのことでも役に立たなきゃ、アンタの存在価値なんてもうゼロよッ!!」
梨香さん、いくら琢磨が相手とはいえ、さすがにそれはキツ過ぎます……。
「ふぅー、びっくりしたぁ……」
真帆は地面にぺたんと座り込んだまま胸に手を当てて、呼吸を落ち着けている。
「失敗かぁ……。どこで間違ったんだろう……」
和明は蓄電器を前にして小首を傾げ、うーんと頭を悩ませていた。