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第二章「叛逆の神話」

第二章「叛逆の神話」

                 1


 サ――――――ッ、――……


 雨……。鉛色の空から降り注ぐ飛沫が、しとしとと顔を濡らす。

 頭が痛い。体中の血液が泥水に変わっているような疲労感がある。

 目がまわる。気持ちが悪い。

「うっ……!」

 そう認識した途端、喉を逆流して胃の中の物が一気にせりあがってきた。

 咄嗟に体を横倒しにした僕は、そこにあった小さな側溝に吐瀉物をぶちまける。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 吐けるだけ吐いて、胃の中を空っぽにすると、ようやく人心地ついた。

 それから濁った思考を巡らせて、途方もなく考える。

 ――ここは、どこなんだろう……。

 立ち並んだエアコンの室外機と、生ゴミの溢れたポリバケツが視界の端に映る。

 見たところ人気のない、どこかの細い路地のようだが……。

 それにしても体がだるい。妙な浮遊感が染み付いていて、手足の感覚がまるでない。

 到底起き上がる気にはなれず、僕は再びごろんと仰向けになって、分厚い雲に覆われた空を眺める。

 なんだか、随分と長い夢を見ていたような気がする。

 何かやらなければならないことがあったような気もしたが、今はどうでもいい。

 疲れた……。ただ今は、心行くまで、ぐっすりと眠りたい……。

 ――…………。

 足音が聞える。ぴちゃぴちゃと、アスファルトに溜まった黒い雨水を踏み躙りながら、誰かが、僕のもとへと近づいてくる。

「大丈夫ですか?」

 すぐ間近から声を掛けられ、僕は重たい目蓋をなんとか開いた。

 薄っすら霞んだ視界に、ぼうっと少年の顔が映る。

 童顔で優しそうな風貌が、心配そうに僕を覗き込んでいた。

「……」

 僕は何か声を発して応答しようと試みたが、生憎とそんな気力は残っていなかったらしい。諦めて、またぐったりと沈黙に身を委ねる。

 少年の背後には、女の子が二人居た。

 茶髪でショートカットの快活そうな子と、黒髪二つ結びの大人しそうな子。

「どうしたんだろう……。病気、なのかなぁ……?」

「うーん、なんだかよく分からないけど、すごく疲れてるみたいね」

 ちらちらと僕の方を窺いながら、少女二人は当惑気味に言葉を交わす。

 すると今度はその更に後ろの方から、金髪頭の少々柄の悪そうな少年がやって来た。

「おーい、お前らそんなとこで何やってんだー?」

 しゃがんで僕の顔を覗き込んでいた少年が、ふとその声に振り返る。

「あ、タクちゃん」

 がに股歩きでずりずりと草履の底を引き摺るように歩いて来たその少年は、そこで倒れている僕を見つけたらしい。

「なんだ、怪我人か?」

 少女二人が金髪の少年に状況を説明する。

「どうも行き倒れみたいなのよ」

「ふぅん」

「どうしよう……?」

 大人しそうな少女の問いに、金髪の少年はぽりぽりと頭を掻きながら苦笑を返した。

「どうしようってお前、まさかこのまま置き去りにするわけにもいかねぇだろ」

「そうね」とショートカットの女の子が神妙な面持ちで頷く。

「おい、カズ。こっち抱えるから手伝え」

「あ、うん!」

 金髪の少年と童顔で優しそうな少年に両側から腕を担がれ、僕はびっしょりと濡れた体を地面から起こす。少女二人はすぐ後ろについて、傘を僕の頭上に差してくれていた。

「パッと見外傷はねぇが、一応ハヤトに診てもらった方がいいな」

「そうだね」

「ハヤトくんなら、たぶん、巡回に行ってると思うけど……」

「大丈夫よ。私が今伝えたら、すぐに戻るってさ?」

 なんだか分からないが、ともかく僕は親切な人たちによって助けられたらしい。

 少しばかり気が安らいだところで、僕の意識はまた、排水溝に吸い込まれてゆく泡沫のように、眠りの淵へと堕ちて行った。――


                 2


「……ん」

 ほの暗い水の底から浮き上がる気泡のように、目が覚める。

 薄汚れたコンクリ打ちっぱなしの天井、ぞんざいに吊り下げられた裸電球がときおり痙攣するように光を翳らせている。

「ん、ん……っ」

 充分に休息が取れたおかげか、頭の中は幾分スッキリとしていた。

 自分が簡易ベッドに横たわっていることを認識しながら、僕はゆっくりと思考を巡らせ、己の置かれている状況を思い出す。

「あぁ、そうだ……」

 確か僕は、ティアラを取り戻すために異次元跳躍をして、それから――。

 それから……それから一体、どうなったんだ?

「――!」

 清潔な白いシーツを引っぺがし、僕は跳ね起きるように上半身を擡げた。

 ここはどこだ。異次元跳躍は、成功したのか!?

 ベッドから降り立って、室内の様子をぐるりと見渡す。

 壁際に古い木製の机があり、書物や書類が崩れるほどに折り重なっている。

 横の戸棚には薬品のビンが並んでいた。

 朧気だが、雨の中を通り掛った人たちに助けられた記憶がある。そこから察するに、僕はどこかの街医者にでも担ぎ込まれたのだろうか。

 そう思っていた矢先に、扉の向こうから足音と会話する声が聞えて来た。

 誰かが廊下を歩いて、この部屋へとやって来る。それも複数人。

 僕は気を払い、身構えながら来訪者が姿を現すのを待った。

 緊張の一瞬、ガチャッとドアが開かれて、最初に姿を見せたのは金髪頭の少年だった。

「おっ、目が覚めたみてぇだな」

 その風貌には見覚えがあった。雨の中、路地に伏せていた僕を運んでくれたうちの一人。

 だが、感謝の言葉などは二の次だ。

 今はなによりも、真っ先に知りたいことがある。

 僕は焦燥に駆られ、少年の襟首に掴み掛かる。少年の瞳が驚きに見開かれるのにも構わず、僕は一方的に質問を浴びせた。

「――おい、此処はどこだ!? 今はいつだ!?」

「……は?」

 彼に続いて部屋に入ろうとしていた少年と、少女二人も茫然とした様子で一人半狂乱になって声を荒げる僕を見ていた。

「なっ、なんだよ出し抜けに!? ちょっと、落ち着けって……!」

 困惑する一方で要領を得ない金髪の彼に、僕は苛立ちを募らせる。

「いいから答えてくれ!! 此処はどこなんだ!?」

「どっ、どこって、そりゃあオメェ……」

 僕が急かすように掴んだ首根っこを揺さぶると、金髪の彼は半ば投げやりに答えた。

「――とっ、東京だよ! 東京ッ!」

 その単語を聞いた瞬間、僕の体から力が抜けていった。

 金髪の少年は拘束力の緩んだ僕の手から逃れ、警戒したように距離を取る。

「な、なんだってんだ一体?」

 僕はがっくりと項垂れながら、茫然と聞きかじった事実を反芻する。

「東、京……。東京なのか、ここは……」

 気丈な雰囲気を纏った少女が一気に虚脱する僕を見て、訝るように言った。

「ちょっと、アンタ大丈夫? すごい汗だけど」

 大丈夫なわけあるもんか。

 頭を抱えて蹲る僕の姿を、大人しげな少女は怯えた眼差しで、童顔の少年はひどく困惑した表情でそれぞれ注視していた。

 ……よくよく考えてみれば、彼らは日本語を喋っているんだし、着ている衣服も現代のそれだ。わざわざ声を荒げて質問するまでもなかったなと冷静になって自嘲する。

 ――異次元跳躍は、失敗した……。

 これで、ティアラに繋がる手掛かりは、もう完全に潰えてしまったのだ……。

 気持ちに整理をつけるには時間がかかりそうだが、ひとまずここからは早々に立ち去るべきだろう。

 目の前で当惑している四人の男女。彼らには迷惑をかけた。無礼を働いたことへのお詫びと、介抱してくれたことへの感謝は、きちんと伝えておこう。

 そう思って顔を上げた僕は、ちょうど横手にあった窓の存在に気づき、――

「!?」

 弾かれるように立ち上がった僕は窓枠に張り付いて、外の景色に目を凝らした。

 心臓が大きく脈を打ち、強烈な違和感とえもいわれぬ高揚感が込み上げて来る。

 ここからじゃあ、見晴らしが悪い。

 そう思った僕は、もう居ても立ってもいられずに部屋を飛び出していた。

「お、おい! どこ行くんだよー!」

 背後から追って来る少年の声を無視して、僕は細い廊下を遮二無二駆け抜ける。



 突然部屋を飛び出して行った祐樹を見送り、琢磨は苛立たしげに金髪の頭を掻き毟った。

「ったく、今度は何だぁ……?」

 ふと考え込む表情を見せた和明が、不安げな口ぶりで言う。

「もしかしたら、意識が戻ったばかりで錯乱しているのかもしれない」

 若干暢気な男二人を急かすように、梨香が声を張った。

「そんなことより早く後を追わなきゃ!」

「わ、私、ハヤトくん呼んで来るっ……!」

 真帆はおろおろしながら、慌てて踵を返して行った。



 ――廊下を走りながら少し考える。

 どうやら僕が今いる建物は、それほど広くない雑居ビルか何かのようだ。

見たところかなり老朽化が進んでいるらしく、壁の至るところに入ったヒビを、素人の手によって修繕したような跡がある。

 しばらく行くと階段に突き当たり、僕はそれを上へ上へと駆け上がる。二階、三階と通過し、細まった階段の先に錆びついた鉄扉が見えた。

 近寄ってノブを捻ると、扉は軋んだ音を立てて抵抗を失う。鍵は掛かっていない。

 開かれる扉の隙間から緋色の斜陽が溢れ出す。

 僕は迷うことなく扉を押し切り、その先の屋上へと足を踏み出した。

 そして、思わず息を呑む。

「――――」

 なんだ、あれは……。

 僕の今いる位置から、直線距離にして大体二、三キロといったところ。

そこに、雲の上まで続いていそうな、巨大な搭が聳え立っていた。

 高さはスカイツリーと同じくらいか……いや、もしかしたら、それよりもまだ高いのかもしれない。円柱状のそれは、この距離から見れば、まるで天にも昇る螺旋階段のようだ。

 しかも、それは東京タワーやスカイツリーのような、鉄塔ではなく、――

 信じられないことに、それは途方もなく巨大なビルだった。

 ここが東京の、どの地区なのかは判らない。

 だが、それでもこれだけは断言できる。


“僕の知っている日本という国に、こんな建物は存在しない”


 黄昏時の冷気を帯びた風が、さらりと横薙ぎに吹き抜けてゆく。

 燃えるような夕焼け空の赤と、深く濃い影の強烈なコントラスト。

 ぞくぞくと背筋を這い上がる悪寒。鳥肌が立つ。

 僕は茫然と立ち尽くしながら、やがて理解した。



 ――ここは、異世界だ……。



 不意に、背後で扉が開かれる音。

 振り返ると、先ほどの四人が、息せき切った様子で僕を追って来ていた。

「バッキャロー! 早まるんじゃねェ!!」

 金髪の少年が泡食ったように叫んだ。

「落ち着いてくださいっ!」

 童顔の少年が僕を見る眼差しは、只ならぬ緊張感に潤んでいる。

「い、命は、大事にしないと……いけないと、思います……」

 大人しげな少女までもが、主張の弱い声でもじもじと訴えかけ、ただ一人、気丈な雰囲気を纏った少女だけが、「ん? あれ? なんか違うみたいね」と、何をどう理解したのか首を傾げている。

 ともかく僕は今、あらぬ誤解を受けているらしい。

 やれやれ。訊きたいことは山ほどあるが、まずは誤解を解いた上で、僕の素性から明かさなければなるまい。そう思っていた矢先。

「早まっているのも、落ち着くのもお前らの方だ」

 低く落ち着いた声で彼らを制し、白衣を着た長身の青年が現れた。

 薄いフレームの眼鏡に白衣、その落ち着いた挙動などから、理性的な人物と印象を抱く。

 しかし、それとはまるで相反するように、風で白衣の裾が靡くたびに垣間見える、革ジャンとレザースラックスの眩いほどの黒い光沢が、彼の持つワイルドさや男らしさといった部分を言外に主張していた。

「……」

 こつこつとブーツの底を鳴らして歩み寄って来た彼は、白衣のポケットに手を突っ込みながら、背筋を正して僕を見た。

「少し話を聞きたいんだが……いいか?」

 眼鏡の奥にある双眸の鋭さに気圧されつつ、僕は意を決して彼の問いに頷いていた。


                 3


 先ほどの部屋に帰り、僕はそこで、自分が違う世界からやって来た人間だと、五人の少年少女に打ち明けた。

 それから、僕の住む世界のこと、ティアラのこと、そして僕が異次元跳躍によってこの世界にやって来るまでのあらましを、順を追って話す。

 一通り話し終えたところで周囲の反応を窺うと、やはり皆、困惑している様子だった。

 無理もないだろう。僕自身、これが突拍子のない話であることは自覚している。

「う~ん、ちょっと信じらんねぇなぁ」

 最初に口を開いたのは金髪の少年だった。渋面を作り、ぼりぼりと頭を掻いている。

「異世界に、異次元跳躍……」

 童顔の少年も、その表情に一抹の疑念を孕ませ、大人しげな少女は雰囲気に呑まれたのか、おろおろと落ち着きなくみんなの顔色を窺っていた。

「確かに信じ難い話だけど、どうやら嘘をじゃないみたいよ」

 どことなく確信めいた口ぶりでそう言ったのは、気丈な雰囲気を纏った少女だった。

「なんだ、お前本気で今の話を信じてるのか?」

 金髪の少年の問いに、少女は苦笑を交えつつ言葉を返した。

「私の能力(ちから)がどんなものかは、知ってるでしょ?」

 しばし腕を組み、黙考に耽っていた白衣の青年が彼女に言った。

「梨香、彼の思考から記憶を読み取って、みんなに中継することは可能か?」

「まぁ、すべての記憶を、ってわけにはいかないけど、断片的にはね」

「構わん。やってくれ」

「わかった……」

 僕の思考から記憶を読み取って中継? 一体どういうことなんだろう?

 僕がそんな疑問を抱いた次の瞬間には、変化が現れていた。

“――!!”

 ただし変化したのは、僕と少女を除いた四人。とりわけ、金髪の少年と童顔の少年が驚愕した面持ちで眼を見開いていた。

「おいおい、マジなのかよこれ!?」

「彼がよほどの夢想家か、狂人でない限りはね?」

 少女の言葉に、全員の視線が改めて僕に集中した。

「へ?」

 僕には何が起きたのかさっぱり分からなかったけれど、どうやら正気を疑われているのだと知り、慌てて首を横に振ってみせる。

「フゥム……なるほど」

 顎に手を当て、情報を租借していた白衣の青年が顔を上げ、僕の方へと向き直る。

「大体のことは理解した。君の方から何か訊きたいことはあるか?」

 たった今何が起こったのかについても是非説明を求めたいところだが、まぁそれは別にあとからでもいい。今はもっと重要で、根本的なことがある。

「この世界のことを教えてほしい」

 漠然とした僕の申し出に、白衣の彼は少々考え込むような表情を見せる。

「さて、何から話せばいいものか……」

 しばしの逡巡の末、考えを纏めたように彼は口を開いて断りを入れた。

「とりあえずここでは、大まかな歴史について話そうと思う。君が求める情報の大部分はそれで得られるだろう。細かい文化の違いについては実際に街へ出てその目で見て貰った方が早いと思うのでな。まぁ、何か気になることがあれば、その都度、質問をしてくれ」

「わかった」

 僕が了承すると、彼は静かに口を開き、淡々とこの世界のあらましを語り始めた。


 ――ここは、別の運命線を辿った日本。

 僕の元いた世界の日本とは、様々な点において差異(ズレ)があった。

 まず、今から約四十年前、この世界線での日本は第二次世界大戦に事実上の勝利を収めたらしい。しかしそれは、輝かしい栄華からは程遠い、いうなれば泥沼の中で掴んだ藻屑のような勝利だった。

 長きに渡った消耗戦の末、当時の日本は既に破滅寸前、そんな折、内乱が起き、その鎮圧に追われる対戦国側が停戦を求めてきたという曖昧な結果に終わったため、賠償金や、植民地などの報償はほとんど得ることが出来ず、失ったものの方があまりにも大きかった。

 煮え湯を飲んだ日本は、それを機に強固な鎖国政策を敷き、世界各国との繋がりを一切遮断した。

 世界から完全に隔絶された日本国家は、その後、独自の技術を発展させることになる。

 その一つが、超常現象を自在に引き起こすことの出来る特殊能力者の開発。

 通称・『ゼウス=プロジェクト』である。

 異形の力を持った特殊能力者たちの戦闘部隊を編成し、再び世界を相手に戦争を仕掛けようというのが国家の狙いだった。

 その後、十五年間に渡る研究の末、とある鉱石から発生する極微弱な放射線が、脳の中枢神経に影響を与えることによって、特殊能力の発現を促す可能性があるとして研究された。のちにこの特殊な放射線を人工的に作り出す技術が確立され、仮に〝PSI波〟と呼称されるようになる。

 そして今から二十年前、当時六歳~九歳までの少年少女一〇〇〇人を対象に人体実験が行われた。

 結果はほとんどが失敗し、拒絶反応によって死に至る者まで出る始末だったが、そのうちの僅か一割が特殊能力の開花に成功。

 中でもとりわけ強力な能力指数を現していた五人の被験者からデータを採取、更に研究が進められ、二年後、今度は生後間もない乳幼児一〇〇人を対象に新たな実験が行われた。

 その結果、今度は約半数に特殊能力の開花が認められ、以降は、効率的に強力な能力者を排出するための技術研究にシフトチェンジされる。

 しかしそれから間もなく、異常気象に見舞われた日本は全国的な大飢饉に襲われ、深刻な食糧難に陥った。

 国家は速やかに鎖国政策を解き、世界平和連合への加盟、及び、その他諸々の条約に調印することを条件に海外からの支援を受ける。

 それを機に『ゼウス=プロジェクト』は凍結され、計画は歴史の闇へと葬り去られた。

 だが、それに反旗を翻した者たちがいた。

 国家の都合によって産み落とされた特殊能力者たちである。

 彼らは秘密裏に反政府組織を結成し、大規模なクーデター計画を企てた。

 そして、今から十二年前、――Government Of Darkness――“闇の政府”を名乗る強力な特殊能力者たちによって同時多発テロが起こる。

 全国各地で一斉に繰り広げられた破壊活動は、のべ数十万人の死傷者を出し、日本経済に壊滅的打撃を与えた。ほとんど機能を失った政府は彼らに降伏を宣言し、全面的にテロリスト側の要求を呑むと同時に、彼らを取り込んだ。……いや、厳密にいえば、政府が彼らによって取り込まれたのだ。

 そうして三度、世界から隔絶された日本に、――Government Of Darkness――のメンバーを主軸とした新組織・『OLYMPOS(オリュンポス)』が設立される。

『OLYMPOS』はその成り立ち上、官営組織でありながら完全に独立した権限を持ち、国家に対しても強い発言権と影響力を持った超法規的機関だった。

 そして、『OLYMPOS』の発足と、ゼウス=プロジェクトの再始動、技術力の粋を結集した国内最大の超高層ビルディング・イーリアスタワーの建造が当面の最優先事項と定められ、国内の復興が後回しにされたため、家族や住居、職を失い、行き場を求めた者たちが全国各地から、首都近郊に集中するという現象を齎していた。

 僕が今いるこの場所は、その現象によって生まれた〝貧民(スラム)街〟の一角。

 現在、貧民街は第一区域から第二十四区域まであり、人口は推定三百万人。――

 ……そこまで話したところでふと一呼吸置き、白衣の彼は僕に感想を求めた。

 うーん、なんというか、今度は僕が驚き、困惑する番だった。

 世界から完全に孤立し、特殊能力者によって支配された日本。

「正直な話、まるで現実感が湧かない」

 仮に異形の力を身につけた特殊能力者がいたとしても、話を聞く限りではかなりの少数派だ。その数百倍、数千倍の人数を誇る国家機関を相手に、それだけの人数で国を転覆させることなど本当に可能なのだろうか。

 実際、『OLYMPOS』に所属する研究員は約二万五千人。そしてそのほとんどが特殊能力を持ち合わせていない普通人(ノーマル)だと、白衣の彼は話してくれた。

 特殊能力者はそのうちの一割にも満たない。もっと言えば、十二年前のテロで日本を壊滅に追い込んだのは、事実上、たったの五人だったという。

 ――第一次特殊能力者開発実験によって、能力を開花させた者たちの中でも、特に強力な能力指数を誇っていたという彼らは、一人一人で都市一つを壊滅させることが出来るほどに凄まじい力を持っていた。

 関東地方では、空間転送によって巨大なタワーや高層ビルを次々と上空から街に降らせ、主要な道路、国会議事堂などを粉砕。首都近郊は瞬く間に瓦礫の山となった。

 東北地方では感染力の強い疫病が猛威を振るい、関西地方では巨大な竜巻が複数発生、中国・四国地方では強力な催眠音波によって狂乱した数万人の市民が一斉に殺し合い、九州地方では活火山が次々と噴火、凄まじい業火に包まれ、都市は一面火の海となった。

 警察や消防、軍の対応など追いつくわけがない。

 そもそも、空から一斉に降り注ぐタワーやビルの群れをどうやって防ぐというのか。

 荒れ狂う巨大な竜巻を、マグマの噴火を、とどめる術などあろうはずがない。

 死傷者はのべ三十万人を超え、破損した家屋や建造物は億単位、日本経済が被った損害額ともなれば、それこそ天文学的な数字になる。

 テロというよりは、もはや天災レベルの攻勢に、日本政府は成す術も無く陥落した。

 その間、僅か一週間の出来事だったという……。

「君たちも……その、彼らの脅威を体験したのかい?」

 僕の問いかけに、しばし重たい沈黙の張が降りた。

 白衣の青年が厳かに口を開く。

「ああ……。皆、十二年前のテロで家族や住む場所を奪われ、ここにやって来た」

「そうか……」

「そして、俺たちは“第二次特殊能力者開発実験の被験者”でもある」

「――って、ことはつまり……」

 白衣の彼は頷き、低い声で告げた。

「俺たち五人は、特殊能力者だ」

 僕は驚いて、彼ら一人一人を改めて見回した。

「そういえば、自己紹介がまだだったな」

 白衣の青年はそう言って立ち上がる。

「――神崎(かんざき)隼人(はやと)だ。能力は空間操作」

「僕は佐藤祐樹」

 よろしくと握手を交わしたあと、僕はふと気になって彼に尋ねた。

「空間操作って、具体的にはどういう能力なんだ?」

「ああ、主に空間転送と空間固定の二つに分けられる。空間操作ってのは、いわばそれらを総称した呼び方だ」

 隼人は白衣のポケットから硬貨を一枚取り出し、僕に見せた。

「百聞は一見にしかず」

 言うや否や親指を勢い良く跳ね上げ、コイントスをした。

 天井近くまで舞い上がった硬貨は、やがて重力に従って落下運動をはじめる。

「……空間固定(Still)

 だが、ちょうど僕の目の前を通り過ぎようかといった瞬間、彼の一声と共に硬貨は空中でぴたりと静止した。

 驚いて目を丸くする僕に、彼はこれが空間固定だと説明してくれる。それから。

「手のひらを出してくれ」

 僕は言われた通りに手のひらを上に向けて差し出す。

「――物品引寄(Apports)

 すると今の今まで空中で静止していたコインが、今度は一瞬のうちに掻き消え、気づいたときには僕の手のひらに乗っていた。

「おぉっ……!」

 感嘆する僕に、隼人は小さく微笑んで言った。

「これが空間転送だ。その気になれば、人間を跳ばすことも出来る」

「これって、いわゆるテレポートってやつ?」

「まぁ、そう思ってくれていいだろう」

 硬貨を隼人に返し、僕はそれを機に、他の四人とも改めて挨拶を交わしてまわる。

「――俺ァ、桐生(きりゅう)琢磨(たくま)だ」

 そう名乗ったのは襟足の長い金髪の少年。赤のタンクトップに白のポロシャツを羽織り、シルバーのネックレスをしている。派手でチャラついたルックスと砕けた態度から、なんとなくだが、渋谷や池袋のクラブ辺りで遊んでいそうなイメージを抱く。

「よろしくな、ユーキ」

「うん。こちらこそ」

 差し伸べられた手を握り、よろしくと言おうとした瞬間、僕はスパークした。

「よ”~ろ”~じ~ぐ~ヴヴヴヴ……!?」

 全身がぶるぶると痺れて、呂律が回らない。

 生まれてはじめて感電というものを体感する僕を眺め、琢磨はニヤニヤと八重歯を覗かせながら悪ガキのように笑った。

「ヘッへッへッ、これが俺の能力だ。どうだい、感想は?」

「ガガガ、ギギギギィ……は~な”~じ~で~ぐ~れ”ぇええ~」

「おぅ、そうか。わりぃわりぃー」

 琢磨の放電攻撃から開放され、ヘロヘロになって倒れかけた僕を咄嗟に支えてくれたのは童顔の少年だった。

「大丈夫?」

 背は低く華奢な体つきで、女性的な顔立ちをしている。

 なんだか彼には心配されてばかりだなと思いながら、僕はかくかくと頷いた。

「まったく何やってんのよアンタは!」

「いやぁ、ちょっとしたドッキリだよ。いっちょ和ませようと思ってさ?」

「ドッキリして心臓が止まっちゃったらどうすんのよ! このバカ!」

 悪ふざけの過ぎた琢磨はしっかり者の少女から思いっきり叱られていた。

 その間にも僕は童顔の少年と挨拶を交わす。

「僕の名前は木下(きのした)和明(かずあき)。よろしくね、ユーキくん」

 荒っぽい感じの琢磨とは対照的に、和明は優しげで穏和な雰囲気の少年だ。

「ハヤトくん、ちょっと部屋の明かりを消してもらえるかな?」

 握手を済ませたあと、和明はふと壁際に立っていた隼人の方を振り返りそう言った。

 ぱちんと音を立てて電灯のスイッチが切られると、既に日の暮れた室内は、ひっそりとした夜の暗闇に包まれる。

「……!」

 (ぼう)と暗闇の中から湧き上がるように、光が現れた。

 はじめに小さく灯った青白い光は、徐々に強まり、室内を幻想的に照らし出す。

 ふと首を捻って見渡せば、発光しているのは四方を取り囲む部屋の壁面だった。

 ぼんやりとした光は、やがて青から白、紅、黄、緑と変化してゆく。

 僕はなんとなくだが中学のとき、理科の授業で習った炎色反応の実験を思い出していた。

「これが僕の能力だよ」

 すっかりその光に見入っていた僕は、和明の控えめな声でふと我に帰った。

「物を発光させる力?」

 和明はやんわりと微笑みながら「そう」と頷く。

「それは、どんなものでも可能なのか?」

「生物以外なら基本的にはね? まぁ、対象の表面積にもよるけど、大概の物は光らせることが出来ると思うよ。色と光の量もある程度調整できるし、手のひらサイズの物なら、強く念を込めることで、僕が力を解いたあとも一定時間はひとりでに発光が続くんだ」

「へぇ、すごいなぁ」

 僕は素直な気持ちから感嘆したのだが、和明は何故か「そんなことないよ」と、どこか寂しげに苦笑を漏らして小さくかぶりを振った。

「ハヤトくんやタクちゃんの力に比べたら、僕の特殊能力(パーソナリティ)なんて地味だし、全然使い道もないから……」

「うーん、そうかなぁ」

 確かに、隼人の空間操作や、琢磨の雷を操る能力に比べたら、和明の“物を発光させる能力”というのは、あまり実用的ではないのかもしれない。けれど、――

「僕はいいと思うよ? そういう能力も、なんていうか……こう、夢があってさ?」

 実用性とか、そんなことは問題じゃない。何の能力も持ち合わせていない僕のような普通人からすれば、やっぱり和明の能力だって夢みたいなものなのだ。

「そうそう、良いこと言うねぇ。大体、カズは自分に自信が無さ過ぎるんだ。お前の能力だって、ほらあれだ、停電の時は役に立つじゃねーか」

 琢磨の言い分にショートカットの少女がすぐさま的確な突っ込みを入れた。

「アンタそれ、フォローになってるかかなり微妙よ?」

「うるせぇなー。細けぇこたぁいいんだよ。ともかく、シャッキリしろっつーこった」

 くすっとはにかんだ和明は、それからほんのりと頬を赤く染め、少々照れくさそうに言った。

「ありがとう、ユーキくん。少し吹っ切れたよ。タクちゃんもね?」

 幾分晴れやかな彼の笑顔を眺めながら、僕もいつしか頬を緩め、琢磨はもっともらしい表情でうんうんと頷いていた。

 部屋に電灯の明かりが戻り、気を取り直して僕はショートカットの少女と向き合う。

 これまでの振る舞いから、彼女が姉御肌で面倒見のよい性格であることは、僕もなんとなく把握していた。

 肩より上で切り揃えられた茶色の髪、背丈は僕よりも頭一つ分小さいが、女性として平均的か。整った顔立ちをしており、なによりもスタイルがいい。ボンっと出るところは出ていて、きゅっと締まるべきところは引き締まっているというか。健康的な美人だ。

“あら、それはどうもありがとう”

「……え?」

 咄嗟のことに少し驚く。

 やばい。いま僕は、思ったことをそのまま口に出していたのか。

 思い切り焦った途端、くすりと笑われた。

 羞恥にまみれて狼狽する僕に、彼女は社交的な笑みを浮かべ、――

“――三嶋(みしま)梨香(りか)よ。よろしく、ユーキ”

 あ、あれ?

 視界に映った彼女は、唇を引き結んだまま、ぴくりとも口を動かしていなかった。

 けれど今、確かに彼女の声が聞こえたような……。

 僕の目の錯覚か? はたまた幻聴? もしくは彼女の腹話術?

“いいえ、どれも違う”

 再び響いた彼女の声。

 しかしやはり、彼女の唇はきゅっと噤まれたまま、柔和な笑みを形作っている。

“私は今、あなたの脳内に直接語りかけているの。これが私の能力、精神感応よ。相手の思考を読み取るだけでなく、自分の思念を相手に送って、声を出さずに会話をすることが出来る。所謂、念話――テレパスってやつね”

 それじゃあ、今こうして君と話している内容は、他の四人には聞えていないのか?

“ええ。傍から見れば、あなたと私は終始無言のまま、ただじっと向かい合っているだけに見えているはずだけど”

 それは、なんと言うか……ちょっと不気味かもしれないな。

 いや、しかし驚いたよ。便利な能力だね。

“うーん、まぁ使い方によってはね……。実際、そんなにいいものでもないのよ?”

 そりゃまた、どうして?

“そもそも、相手の思考を読むってことは、人のプライバシーを侵す行為なの。誰だって他人には知られたくないことの一つや二つは必ずあるものでしょう? 本人が自ら口を開くこと以外では、絶対に知られることのない感情や記憶を、私は簡単に覗くことが出来る。それこそ、本人ですらも気づかないうちにね? もちろん、覗かれる方は堪ったものじゃないと思う。だけど覗く方も、これが結構しんどいのよ……。特に、人の心の暗部に触れてしまったりなんかするとね。ショックを受けたり、悩んだり、落ち込んだり。神経は磨り減るし、場合によっては、その人との関係が壊れてしまうこともある”

 なるほど。知りすぎるっていうのも、ちょっと考えものだ。

 僕の言葉、もとい考えに、彼女は穏やかな表情で頷く。

“幸い、私は自分の能力をコントロールできるから、有事のとき以外はなるべく使わないようにしてるの。その点、あなたには謝らなきゃいけない。実を言うと、これまでにもう何度か、無断であなたの記憶や思考を少し覗かせてもらってた。ごめんなさい”

 いや、いいよ。おかげでスームズに事が運んだわけだし。……ただ、まぁ、もし覗いた中に何か恥ずかしい記憶や感情があったら、是非とも忘れて欲しいかな。

“フフ、大丈夫よ。その辺りは私もきちんと心掛けてるから、安心して?”

 思念による対話を打ち切り、僕は彼女と握手を交わす。

 琢磨が下卑た笑みを浮かべ、からかい混じりに声をかけてきた。

「なんだなんだー、お前らー。初対面からじい~っと見つめ合っちまってよぉ! あ~やしい~なぁ~」

「いやぁ、違うんだよ? 僕は彼女のテレパスで、普通に自己紹介をね」

 誤解を解こうと躍起になる僕に、和明が苦笑を交えて教えてくれた。

「大丈夫だよ。タクちゃんだって、本当はちゃんとわかってるんだから」

「まっ、実際、何を話してたかまでは知れたもんじゃねーけどな?」

「アンタ、少しは自重しなさい!」

 おどけたように肩を竦めてみせる琢磨の頭を、梨香がスパーンっと叩いていた。

 ――さて。僕は最後の一人、大人しげな少女の方を振り返る。

 全体的に線が細く、梨香よりも小柄で、黒色の艶やかな髪は肩のところで二つに結ばれている。体躯も性格も、かなり控えめな印象だ。

「っ……」

 目があった途端、少女はなんだか怯えたように梨香の袖を引き、彼女の背後におずおずと隠れてしまった。やれやれと梨香はそんな少女を前へ促し、優しく諭すように言った。

「ほら、真帆。自己紹介しなさい」

 少女は伏し目がちに、時折ちらちらと僕の顔色を窺いながら言葉を紡いだ。

水原(みずはら)真帆(まほ)、です……。よろしく、お願いします……」

 消え入るような声。それから深々とお辞儀され、僕は少し困って頭を掻いた。

「あ、うん。よろしくね、真帆ちゃん」

 真帆はもう済んだとばかりに梨香を見て、許しを請う子供のような表情をする。

 しかし梨香はダメと意思を込めて、ゆっくりと首を横に振った。

「うぅ……」

 真帆は落胆したように肩を落とし、もじもじと俯いて自分の指を握っている。

 まだ何か話すことがあるのだろうと察した僕は、彼女が落ち着いて口を開くのをじっと待つ。やがて薄く開いた真帆は、蚊細い声を発した。

「あ、あのぅ……」

「ん?」

「手を、出してください……」

 握手を求められているのかと思った僕が右手を差し出すと、真帆は困った顔でふるふるとかぶりを振った。

「えっと、こういうふうに、です……」

 両手を重ね合わせて受け皿を作るようにとジェスチャーされ、僕はそれに従う。

 真帆の視線は、僕の手のひらにじっと注がれていた。そして、間もなく――。

「あっ」

 ひんやりとした液体の感触。見れば、何もない空間から蛇口を捻ったように透明な水が滴り落ち、僕の手のひらに溜まってゆく。

「これが、キミの能力(ちから)?」

 真帆はなんだか恥じるように顔を赤くして、こくんと頷いた。

 成り行きを見守っていた梨香が短く嘆息して、真帆の肩にそっと手を置く。

「ごめんなさいね。この子、人見知りなものだから。決してあなたに他意があるわけじゃないのよ?」

 僕は苦笑まじりに『わかってる』という意味を込めて首肯した。

 梨香が真帆の代わりに少し説明を加えてくれる。

「真帆は水を操ることが出来るの。こうして自ら精製することも可能だし、近くに川や池のような水源がある場合は、そこから召喚することも出来るみたい」

「へぇ、そうか」

 僕が視線を向けると、彼女はまた恥ずかしそうにきゅっと顔を伏せてしまう。

 あんまり怖がらせてもいけないし、このくらいにしておいた方が良さそうだな。

 一通り自己紹介を終えたところで、隼人がその場を仕切り直すように言った。

「――さて、話は変わるが、ユーキ。君がこの世界にやって来た目的は、連れ去られた少女を取り返すこと。そうだな?」

「ああ」

「その子の居場所は知っているの?」

 梨香からの問いに、僕は首を捻る。

「いや、それはまだ全然……」

「いい女か?」

「そりゃあもう、バッチリ」

「おっほぉーっ! なんやテンション上がって来たなァ!?」

 一瞬後に梨香の肘鉄を食らった琢磨は速やかに沈黙した。

「確かティアラといったな、その少女は」

「うん、だけどそれは向こうの世界で、僕と父さんが勝手につけた名前だから、たぶんこっちの世界では知られてないと思うんだ」

「本名は聞いてないの?」

 和明の問いで、そういえばと思い出す。

「彼女を連れ去った男の一人が名前を言っていたような……。確かえーっと……。アー、アー、ト……? いや、違う……。ウーン、なんて言ったっけなぁ」

「――アテーナー、か」

 隼人の一言に、ハッとなって目を見開く。

「それだ!」

 僕が指摘すると、他の皆も一斉に隼人を注視した。

「おいハヤト。お前その女、知ってんのか?」

 琢磨の問いを無視して、しばし考え込むような素振りを見せた隼人は、それから顔を上げて言った。

「いい知らせと、悪い知らせがある。どっちから訊きたい?」

「えーっと、それじゃあ、その、いい知らせから……」

 隼人は平然と、落ち着き払った口調で告げた。

「――君の探している少女の居所がわかった」

 僕は思わず立ち上がって、すぐさま隼人に詰め寄った。

「ど、どこなんだッ!? 教えてくれッ!」

「まぁ落ち着け。生憎と、そっちの方は悪い知らせなんだ」

 冷静に僕を宥めた隼人は立ち上がり、それからゆっくりと窓の方に歩み寄って行く。

「まさか……!」

 逸早くその意を汲んだ梨香の反応に、なにやら得体の知れない不安が背筋を這い上がる。

 窓辺に立った隼人は小さく顎をしゃくって、そこから見える建物の一つを示した。

 僕がこの世界の異変に気づく最初のきっかけとなった、あの地上数百メートルの馬鹿でかい円柱状のビル。

「イーリアス・タワー!!」

 和明は愕然とした表情でその名を口に出し、――

「“神へと至る塔”か……。フン、面白くなって来やがった」

 琢磨は歪んだ笑みを浮かべながら煙草に火をつけた。

 ――イーリアス・タワー。

 そういえばさっき、この世界の歴史のところで、ちらっと名前が出ていたっけ。

 不快感に顔をしかめつつ、梨香が低く押し殺した声で説明した。

「国家最高峰の技術力を結集した全長1,059メートル、地上259階建ての超高層ビル。紛れもなくこの国の中核であり、象徴……。あれこそが――『OLYMPOS(オリュンポス)』の本部よ」

 和明が青ざめた表情であとに続く。

「半径三百メートル圏内を高さ二十メートルの防壁が取り囲み、敷地内には幾重にも張り巡らされたトラップが。さらには完全武装した自衛隊が数百人規模で常駐してる。僕らのような一般市民は近づくことすら許されない。もしも許可なく防壁内に侵入しようものなら、問答無用で殺されるだろう。あれはもはや、ビルやタワーなんて次元じゃない……。“要塞”と言った方がいいだろうね……」

 ゆらゆらと天井の裸電球に向けて紫煙を吐き出しながら、琢磨が無感動な声で言った。

「まっ、実際そんなもんなくたって誰も近づきやしねぇよ……。なんたってあそこには、おーっかねぇ“神様”が住んでるんだからよぉ……?」

「っ……!」

 真帆が怯えるように身を竦ませ、梨香の肩に縋りついた。

「……神様?」

 僕の呟きに、和明が再び口を開いた。

「十二年前のテロで、日本を壊滅状態に追いやった五人の強力な特殊能力者たち。俗に“五大神”と呼ばれる彼らが、今もあの塔の頂上には君臨しているんだ」

 最後に隼人が締め括った言葉は、酷く絶望的な響きを持って僕の耳に届いた。

「――そして恐らく、君の求める女神は其処にいる。この国を滅ぼした、五人の邪神たちと共に……」

 僕は息を呑みながら窓辺に立って、神の住まう大いなる頂を眺めた。

「んで? どうすんだ?」

 机の上に足を投げ出した体勢で、琢磨はさもどうでもいいことのように投げかけてくる。

「どうするって……?」

 質問の意味を量りかねて訊き返すと、金髪の悪童は短くなった煙草を灰皿の縁に押しあてて、それからくるりと僕の方を振り返った。

「ったく、おめぇも要領の悪いヤロウだなぁ。――俺たちと一緒に“神”と戦うかどうかって話だよ」

 わざわざ説明してもらっておいて恐縮だが、要領の悪い僕は一層困惑していた。

「――“神”と戦う? 君たちと一緒に……?」

 ぐるりと皆の顔を見渡す。

 それぞれがそれぞれの意思を持って、中央に立つ僕を真っ直ぐに見つめていた。

「つまりは、その、手伝ってくれるのか?」

 うーんと首を傾げつつ、梨香が答える。

「まぁ、手伝うっていうのはちょっと語弊があるかもね。どっちかっていうと、ユーキが私たちの組織に加入する形になるわ」

「……君たちの組織?」

 和明と目が合う。彼は神妙な面持ちでこっくりと頷いた。

「『OLYMPOS(オリュンポス)』の独裁統治を終わらせるために、僕たちは水面下で各方面と手を結び、数年がかりで神と戦う準備を進めてきたんだ……」

「要は神様気取りのバカヤロウどもを、一人残らずブチ殺してやろうってこった」

 バキボキと指の骨を鳴らしながら、八重歯を剥き出しにして琢磨が笑う。

 非常に悪辣かつ粗暴な言い方だったが、実に単純明快でわかりやすい説明だった。

 ――叛逆(レヴォリューション)

 耳朶を過ぎったその言葉に、思わず鼓動が跳ね上がる。

 瞳の奥に青白い闘志の炎を滾らせながら、隼人は断じた。

「組織名は『KRONOS(クロノス)』――俺たちは、神に仇為す者だ」


                 4

 

 其処は人の住まいし大地から、遠く離れた天界の地。

 泥よりも、雲に等しく近い、選ばれし者の領域。

OLYMPOS(オリュンポス)』本部――神へと至る塔(イーリアス・タワー)の最上階。

 濃霧のような暗黒と静謐に包まれた一室で、一人の男が思索に興じていた。

 全知全能の神・ゼウスの長男として――“アポロン”の称号を冠する男。

 眩い漆黒のスーツに身を包んだ彼こそは、かつて反逆の信徒を従えて国家に仇為し、その凄まじき力によって首都を陥落せしめた〝破壊の神〟――数多の人類を超越した才を持ち、魑魅魍魎の如き異能の者たちを統率する、支配者であった。

 今、男の冷え切った双眸に宿るモノは、……達観、妄執、野心、そして些かの疑念。

「……」

 男の眼前には、円形状の巨大な門があった。

 金と銅の縁には象形文字にも似た奇怪な紋様があしらわれ、いくつもの機械の管が巨大な円を取り囲むようにして接続されている。

 それは、特殊能力者開発研究の第一人者・神崎総一郎が『ゼウス=プロジェクト』以前に傾倒していた異次元世界の研究において生み出された――“次元転送装置”である。

 五年周期で発生するという時空間の歪みに干渉し、これを拡張する作用を持つ。

 これ単体では些か次元転送装置としては未完成であったが、空間操作の能力を応用することによって、異次元世界へと通ずる回廊(ワープホール)を出現させることが可能となる。

 見方によっては“PSI波”と並ぶほどの歴史的発明品であるといえよう。

 しかし、異次元世界に何ら興味のない男にとって、これは単なる形見の一つでしかなかった。故にこの装置の存在を知る者は限られており、男は長年、これを備品庫に仕舞い込んだまま見向きもしなかった。

 ……今にして思えば、早々に破棄しておくべきだったと男は追悔する。

 男にとって眼前に居を構える異界の門は、忌まわしき疫病神に他ならなかった。

 これがあったがために、男の野望は三度、大幅な遅れを取ることとなったのだ。

 ――一度目は今から十年前に起こったアテーナーの逃亡。

“タルタロスの首輪”によって拘束していたアテーナーが、如何にして枷を逃れたのか、その過程については今も謎が残るものの、彼女がこの門を使って異世界へと亡命したことにより、『ゼウス=プロジェクト』は五年に渡って遅行を強いられる破目となった。

 ――二度目は、今から五年前。男は四人の“邪神”を引き連れて異世界の土を踏み、そこでアテナの捕縛・帰還に成功する。だが、ここでも一つ大きな誤算があった。

 アテナの策謀により、『ゼウス=プロジェクト』の最終段階に必要不可欠である、父なる霊石・“ゼウスの光輝”を、向こうの世界に取り残して来てしまったのだ。

 この失態により、計画は最終段階を残すのみとなりながら、さらに五年間の停滞を余儀なくされた。

 ――そして先日、五年ぶりに訪れた逢瀬の刻。

 再び異世界へと渡り、霊石を奪還せんとした男は、回廊への接続に失敗していた。

 原因は不明。一度確かに発現したはずの時空間の歪みは、男がゲートを潜るよりも前に突然収縮を始め、そのまま夢幻の如く消失してしまった。

「……」

 男は忌々しげな表情で、次元転送装置の動力部分に据えられた都合二十桁からなるパネルの数値に目をやった。

 次元転送装置とともに造られた演算計測器の示す“時空間変動率(ダイバージェンス)〟は、あの時を境に大きく変動したままである。

 全く不可解であり、これは異常な事態であると男は判断した。

 アテーナーが向こうの世界に渡航した時でさえ、これほど大きな時空間の変動は計測されなかったのだ。何らかの外的要因があることは間違いない。

 既に数百人の諜報員を下界に散らせ、情報を集めさせているが、現在のところ目立った報告は上がってきていない。

 世界に起こった異変。――

 自らの与り知らぬ所で密かに蠢動する何かを、神は空の上から静かに悟っていた。

「……」

 一面ガラス張りの壁面から下界を見下ろしていた男が、ふと背後の装置を振り返る。

 そこにあったのは、暗闇の中でただ一点に光明を浴び続ける、子宮の形を模した高さ約四メートル級のドーム。

 分厚い合金の壁で守られたその中に、機械の(くびき)に繋がれた〝白い眠り姫〟が居た。

 ――処女神(アテナ)の名を冠するに相応しい、息を呑むほどの美貌。

 一糸纏わぬその裸体には、淫らさや艶かしさをも超越した、聖女たる気品がある。

 薄く結ばれたその唇に吐息はなく、大きく起伏した胸が鼓動で波打つことも無い。

 時が刻むことを放棄したような絶対的静止の中で、少女はただ、どこまでも深く眠っていた――……。




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