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第十六章「神へと至る塔」

第十六章「神へと至る塔」

                  1

 

 並び立った民家の戸が開かれ、次々とそこに住む人々が太陽の下に顔を出す。

 精悍な顔立ち、瞳に宿った強い意志の光。

 ある者はプラカードを手に、ある者は鉢巻を巻いて。

 鉄パイプや角材、金属バットで武装した者の姿も散見された。

 それぞれ声をかけあい、徒党を組んで、彼らは歩き出す。

 そうして次第に、列を成してゆく。

 無数の水脈が寄り合って、やがては大河となるように。

 その日、街は朝から凄まじい喧噪と熱気の渦に包まれ、今にも飛び上がるような威勢を醸し出していた。


 決戦当日。――天辺に貼りついた日輪がギラギラと照り輝く、正午。


 大通りは神に仇なすことを決意した数十万人の市民で一斉に溢れ返り、最盛時のストックファームを凌ぐ規模の、巨大なデモ行進の列が、見渡す限り続いている。

 全長数千メートルにも及ぶ人垣の先頭付近で、列を率いる自治会の面々と、最後の打ち合わせに勤しむ隼人の姿を眺めながら、僕たちは言葉を交わす。

「随分と集まったね」

 和明の感嘆に、梨香が、彼女にしては珍しくうわずった声で答える。

「自治会による集計だと、参加者はおよそ二十五万人ですって」

「それでも貧民街全体の人口から考えると、ほんの二割強なのか……」

 僕のぼやきに、和明は「十分だよ」と言って苦笑を漏らした。

「やっぱり、ハヤトくんのスピーチが効いたんでしょうか」

 真帆が言うと、煙草を吹かしていた琢磨が、ニヤニヤ笑いながら切り返す。

「いいや、それだけじゃねぇぜ。色々と大人の根回しがあったのさ……」

 ――あとから聞いた話だが、実のところ、金に物を言わせた買収活動が、密かにあっちこっちで行われていたらしい。

 琢磨は以前から、隼人や自治会とグルになって、財源の確保に一役買っていたようだ。

 混沌としたこの街には、胡乱な輩が蔓延っている。それを上手く利用した。

 分かりやすく言えば、悪党達がダニのように人の世の生き血を吸って膨れ上がったところを叩き潰し、奴らが腹に溜め込んでいた金を根こそぎ頂戴する。そんな危ない橋を、彼はこれまでにいくつも渡って来たのだという。

 そういえば以前、龍神会という暴力団組織と対立した際も、琢磨は謎の単独行動を取っていた。なるほど、あれはそういうことだったのかと、今更のように納得する。

 まぁ、結局は悪党から奪われた金を取り返し、市民のために還元しているわけだから、理屈は通っているのだろうけど、うぅーむ……なんともダーティな話である。

 表舞台では、あれだけ情熱的に弁を振るって人々を説き伏せておきながら、裏では着々と卑近な手法を積み重ねて堅固な土台作りに奔走する。

 その計算高さと要領の良さ。そして絶大な説得力。

〝神崎隼人〟という男がリーダたる所以を、改めて思い知った気がする。――


 僕たちがあれこれ話し合っているうちに、指示を終えた隼人が戻って来た。

「――さぁ、準備はいいな?」

 六人全員で視線を交え、しっかりと頷きあう。

 雑踏の方からは、マイクとスピーカーを使って、行進の指揮を執る自治会執行部の声が慌しく耳に届いてきた。開始の気配を悟って、街の喧噪が一段と膨れ上がる。

 いよいよ始まるのだ。

 運命の最終決戦が――。

 手のひらはじっとり汗ばみ、心臓はひっきりなしに早鐘を打ち鳴らしていた。

 緊張はいまや最高潮に達している。

 なんだか、マラソン大会のスタート合図を待つような心地だった。

 怖いけど、待ち遠しい。怖いからこそ心が逸る。早く、早くと、膝が笑う。

 然るのち、スピーカーを通して、出発進行の合図と思われる声が、酷く音割れして鼓膜を突き揺らした。

 瞬間、堰を切ったように喚声と雄叫びが沸き上がって、轟々と地鳴りが起こる。

 行列が、進み始めた。

 数十万人の民衆が声を高らかに、拳を突き上げながら一斉に繰り出すその光景は、まさに壮観というほかない。

 間近で目にするその迫力に思わず圧倒され、しばらく眺めたあと。

「……俺たちも行くぞ」

 隼人の指示に従い、別行動の僕たち六人は、デモ隊の行進に背を向けて歩き始めた。


                 2


 敵の本拠地・イーリアス=タワーでは、既に万全の迎撃の態勢が整えられていた。

 高さ五十メートルの特殊防壁に囲まれた半径約三百メートルの敷地内に、陸軍と『OLYMPOS』の私設軍隊であるサーベラスが、完全武装で二重構造に陣形を広げている。

 また防壁の外側には警察機動隊による大規模なバリケードが築かれ、さらに塔の外壁にはアイギスの技術を発展・応用させて作られた絶対防御の光線シールドが展開済み。

 ――外側から、警察、防壁、軍隊、サーベラス、特殊障壁という具合に、五重の防衛態勢で押し寄せる数十万人のデモ隊を迎え撃つ。

 遥か遠方から、物凄い質量の喚声と足音が重なり合って轟き、まるで地獄の底から吹き上げる強風のように、低い唸りとなって大地を振動させる。

 防壁より数百メートル先の大通りに、陽炎のような群衆の波を見て取ったサーベラスの指揮官は、迎撃用意を指示しながらも、心中では密かに勝負の行方を達観していた。

 いくら圧倒的な人数を誇るとはいえ、相手はろくに武装もしていない一般市民だ。

 大仰にプラカードや垂れ幕を掲げ、声を揃えて威勢良く叫んだところで、丸腰も同然ではないか。数など問題ではない、肝心なのは武力だ。

 戦闘に関する知識も経験も、兵器も持たない素人連中に対し、迎え撃つこちら側には、知識が、経験が、――拳銃が、機関銃が、大砲がある。

 それらを前にして、角材や鉄パイプなどという卑近な得物が、一体如何ほどの役に立つというのだ。素人が徒党を組んで押し寄せて来たところで、こちらは悠々と機関砲による一斉掃射を浴びせてやればいい。

 あまつさえサーベラス側には、特殊能力者による超人部隊まで控えていた。

 この上、どちらに軍配が上がるかなど、火を見るよりも明らかだろう。

 もとより自分たちが相手をするまでもないと踏んでいた。

 警察と防壁、軍隊だけでも十分だ。

 愚民どもは神の塔を攻め落とすどころか、所詮この敷地内に踏み入ることすら不可能だろうと、彼は高を括っていたのだ。

 大通りを鬱蒼と埋め尽くしながら進んで来たデモ隊の行進は、防壁の外側に展開する警察のバリケードに行き当たると、それから大きく左右に散開し、防壁の周囲をぐるりと取り囲むように広がった。

「……ん?」

 ――そのとき、一発の閃光弾が、空高く打ち上がった。

 防壁の外側、警察の布陣から放たれたものだ。

 何かの合図のようだが。

 サーベラスの指揮官たちは俄かに困惑する。

 なんだ……。あんなのは予定にない。

 そして、次の瞬間。――

「――何ッ!?」

 これまで背を預ける格好だった陸軍の陣形が、瞬く間に旋回。外側に向けられていた数多の砲口が、一斉にこちら側を振り向いた。

『撃てぇえええ――――ッ!!』

 嵐のような十字砲火が、サーベラスと背後のタワーに襲い掛かった。

 砲撃の切れ目も分からぬ、雷鳴のような閃光と爆音。

 叩きつけるような衝撃とともに、辺り一帯から猛然と黒煙が噴き上がる。

 塔へと飛来した砲弾は、光の障壁に阻まれて無効化されるも、完全に不意を突かれたサーベラス勢は、浮き足立ったまま次々と砲撃を浴びて、陣形を崩されてゆく。

 東西南北、四箇所に設置された防壁の門が内側から破壊され、機動隊による先導を受けて、押し寄せる津波の如き云万のデモ隊が、一斉に敷地内へと突入して来た。

「くっ……!」

 事ここに至って、ようやくサーベラスの兵隊たちは状況を理解する。

 ――警察と軍が寝返ったのだ。

 形勢は一気に逆転。五つあった関門のうち、瞬く間に最初の三つが破られて、神の頂を守るものは、もはやサーベラスと特殊光線のバリアーのみ。

「おのれぇええ、政府の犬どもめッ!」

 削られた戦力の穴を埋め、崩れた陣形を立て直すには、しばしの猶予が必要だ。

 サーベラスの指揮官は、超人部隊に指示を飛ばそうと振り返り、そして愕然とした。

 頼みの綱の能力者たちが、次々と倒れている。

 狙撃を受けていた。

 慌てて双眼鏡を取り、周辺の建物に目を凝らす。

 距離にして五百~六百メートルを隔てたところに乱立するビルの群の屋上に、都合数十名の遠距離狙撃班が、虎視眈々と精密狙撃用の大型ライフルをこちらに構えていた。

 サーベラスの超人部隊に所属する能力者たちは、攻撃性・機動性に優れた能力を持ち、相応の訓練を受けた精鋭たちである。

 しかし、それでもアポロンやアーレスのような、化け物クラスの能力者は存在しない。

 単純な能力値の問題として、力の及ぶ範囲外からの遠距離攻撃には為す術がないのだ。

 だが、そもそも能力者側にあるそんな欠点を把握されていること事態が予想外だった。

 実はそれも神崎隼人による作戦指示の一つであったことなど、サーベラスの隊員たちは知る由もない。

 残存する超人部隊を、慌てて陣の最後列へと引き下げ、砲弾による反撃に転じた。

「怯むなッ!! 撃てッ、撃てッ、撃てぇえええ――――ッ!!」

 数百の和太鼓を一斉に打ち鳴らすが如く、サーベラス側の砲口が猛然と火を噴いた。

 炸裂する火炎が、戦車を吹き飛ばし、人垣を真っ向から叩き散らす。

 アスファルトの地面は次々と抉られて、穴だらけになり、四肢を捥ぎ飛ばされた兵士の死体がゴロゴロと転がった。その血溜を踏みつけ、死体を飛び越え、両陣営から出撃した兵士たちが、敵味方入り乱れて壮大に鎬を削る。

 敷地内の至る所から火の手が上がり、魂を吐き出すような雄叫びが天にこだましていた。

 巻き上がる砂塵、鳴り渡る轟音、渦巻く熱気。

 刃が飛び散り、銃声が交差し、絶叫が耳を劈く。

 鼻を突くのは血と泥と、硝煙のにおい。

 ――今ここに、革命の火蓋が切って落とされたのだ。


                 3


 タワー周辺が戦場と化した頃、別行動の六人は人知れず地下道を進んでいた。

 洞窟の空気は埃っぽく、ひんやり乾いて土の匂いを孕み、ぴちゃぴちゃと、どこからか水の滴る音が聞こえていた。濃密な暗闇がぽっかりと口を開け、延々と続くそのさまは、まるで奈落の底へと繋がっているかのような連想を齎す。

 真っ暗で足場の悪いトンネルの中を、それぞれ手にした懐中電灯で照らしながら、慎重に歩を刻む。深い静謐の中、六人分の足音が閉塞的な空間で跳ね返り、鬱陶しいぐらいに大きく、長く、反響の尾を引いていた。

「ここって、元はどういう目的で使われていたところなの?」

 梨香の問いに、先頭を行く隼人が答えた。

「開発途中で放棄された地下鉄の路線だ。無論、地図にも載っていない」

 ――もともと、現在のイーリアス=タワーが建っている地点には、駅が新設される予定であった。しかし十二年前の全国同時多発テロと、それに端を発する『OLYMPOS』の設立によって、この計画は実権を握っていた鉄道会社ごと頓挫、以降この地下鉄路線の存在は人々の記憶からすっかり忘れ去られていたのだ。――

「今、大体どの辺りなんだろう……」

 和明が俄かに不安げな声を漏らす。

 無理もない。

 地下の空洞は、進めば進むほど迷路のように枝分かれし、ここで迷えば、もう二度と太陽の光を浴びることは出来ないのではないかという不安を無性に掻き立てるのだ。

 隣を歩く琢磨が、隼人に尋ねた。

「目的地までは、あとどれくらいかかる?」

「まだ大分先だ。少なくとも十キロ近くはあるだろうな」

 梨香と並んで最後尾を歩く祐樹が、懐中電灯で腕時計の文字盤を照らし、ふと呟いた。

「到着は夕方頃か……」

 不意にカサカサと、何か得体の知れない虫が、足元の地面を素早く横切って通る。

「ひいっ……!」

 怖がりの真帆は、琢磨・和明と、祐樹・梨香のペアに前後から挟まれた状態で真ん中を歩いているが、それでも鼠や蝙蝠を目にするたび、小さく悲鳴を上げて縮こまっていた。

「――」

 皆を先導して歩く隼人は、時折ライトで壁面を照らし、以前からそこに刻まれてあった印のようなものを確認している。彼はナイフか何かで彫ったと思われるこの印を辿って、タワーまでの道順を把握しているようだ。


 ――地上で展開する大規模な陽動作戦。

 二十五万人のデモ隊という圧倒的な存在で注意を惹きつけ、敵の主戦力をあらかた塔の外へと引っ張り出す。さらに共同戦線を結ぶはずであった警察と軍の裏切りによって、『OLYMPOS』サイドは間違いなく劣勢を強いられるだろう。表の連中が追い込まれれば必然、タワー内部の警護に割かれていた人員も続々と増援に借り出される。

 そうして、塔が蛻の殻となったところへ、密かに地下道を通ってやって来た隼人ら六人が潜入、本丸のアテナを奪還するというのが、今回の作戦概要だった。――


〝問題は、三柱がどう出るかだ……〟


 隼人は眉間に皺を寄せ、表情に一抹の懸念を滲ませる。


                 4


「始まりましたわね」

 煌びやかなミス・ロンリーの囀りには応えず、漆黒を纏った男は綽々と大画面に映し出される地上の戦況を眺めていた。

 ――イーリアス=タワーの頂上付近に位置する、神々専用のブリーフィングルーム。

 地上から一千メートル近くも離れたこの場所においては、玄関前で繰り広げられる一斉砲火の轟音とて遥かに遠い。一面ガラス張りの壁面から見下ろしても、肉眼では米粒ほどの火がぽつぽつと瞬いていることくらいしか確認できなかった。

「窮鼠猫を噛むと申しますが、この少ない期間で国家の犬を懐柔するとは、敵もなかなかさる者ですわね。番犬たちの方は、まんまとしてやられたようですわ」

 監視カメラからリアルタイムで中継されてくる映像を見る限り、サーベラスは、軍隊と警察の腹心によって明らかに分の悪い戦いを強いられていた。

 凄まじい轟音と衝撃に映像は激しく揺れている。

 噴き上げる炎、飛び散る土砂、四肢を捥ぎ飛ばされる兵士の群、飛び散る血飛沫でレンズは滲み、渦を巻く煙で一面は真っ白に包まれる。

「……」

 しかし、男の表情は一向に揺るがない。

 まるで、最初からすべてお見通しだったと言わんばかりの威風堂々っぷり。

 あまつさえ、彼は隼人と政府閣僚の接触を知りながら、あえてそのことを黙認していた節まである。

「それにしても、あの狂犬はまた別行動ですか……」

 淑女はアーレスの不在に、ほとほと呆れかえったような溜息を漏らす。

「まったく、この重要なときに、どこをほっつき歩いているのかしら……」

 男はさしたる興味もないようで、冷たい言葉を返した。

「しばらくは好きにさせておけ。あれでも奴の精神衛生上は必要な時間なのだろう」

 貴婦人は再度徒労の溜息を吐いてから、気を取り直したように話題を引き戻す。

「直人様? 女神の覚醒までは、あとどのくらいの猶予がご入用なのでしょう?」

「恐らくは今日の深夜から、明日の明け方近くということになるだろうな」

 素っ気ない男の答えを受けて、薄ピンクの唇にすっと人差し指を当てたミス・ロンリーは俄かに思案顔。

「サーベラスはそれまで持ち堪えられそうにありませんわね……。このぶんだと、全滅も時間の問題かと……。必要とあれば、ワタクシが援護に向かいますけれど?」

「構わん。このまま待機を続けろ」

「よろしいのですか?」

 確認を受ける男の瞳は動かない。

 その鋭い刃物のような双眸は青く燃えていた。

「どのみちシールドがある以上、表の連中がこの塔に攻め込んで来ることはない。もとよりあれは単なるデモンストレーションだ。所詮は俺たちの注意を惹きつける為の囮でしかない。そもそも前提からして違うのだ。敵の目的はタワーの占拠でも、『OLYMPOS』の打倒でもない。あくまでも引鉄実行の阻止――アテナの奪還にある。つまり、全面戦争とは名ばかりの建前であって、真の目的はスパイ活動というわけだ」

「なるほど、典型的な陽動作戦ですわね。すると、本命は……?」

「じきに現れるはずだ。――犬の群れに気を取られて隙だらけとなった猫を食い殺すために――薄暗い側溝の中を走り、どこからともなく懐の中へと忍び込んで来る……。――追い詰められた、六匹の鼠たちがな……?」

 

                 5


「……!」

 迷路のような地下道を歩く六人のもとへ、地上からの振動が届き始めた。

 砲撃の爆音が酷くくぐもって、空洞の中にズンズンと響き渡る。

「近いな」

 天井を見上げながらの琢磨の呟きに、隼人が冷静な声で答えた。

「ちょうど今、防壁を抜けて敷地内に入った辺りだろう」

「それじゃあ、いよいよか」

 祐樹が思わず拳を握って、梨香が不敵に笑った。

「もう一息ね……!」

 和明が力を込めて頷く。

「急ごう」

 歩くに従って、次第に音は大きく、振動は激しさを増し、天井からは砂埃がパラパラと音を立てて降り注ぐようになる。心なしか、全員の歩調も速まっていった。


                 6


 地上で繰り広げられる攻勢。

 敷地内で激しく火花を散らすサーベラスと軍隊による武力衝突とは別に、防壁の外側に集まったデモの群衆が、俄かに阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

「キャアアアアアアアアアアアアア――――ッ!!!!」

「助けてくれぇえええええええ!!」

「くっ、来る……! おぉい、こっちに来るぞぉおおお!!」

「急げッ! 早く逃げろ!!」

「いやぁああああああああ!! 来ないでぇえええええ!!」

「何でッ、何で俺たちが狙われるんだよっ!」

「うぅっ、うわぁああああああああああああああああッ!!!!」

 恐怖に表情を凍りつかせ、逃げ惑うの人ごみの最中。

 水を得た魚のように、嬉々として飛び回る異貌の影――。

「ヒャッハァアアー!!」


 ――“殺戮の神”が降臨していた。


 凄まじい速度で、無刃の斬撃が盲滅法に風を切る。

「ヒギぃっ!?」「ぐ、がッ……!」「イッタァアアアアアアイイイイイイ―――!!!!」

 腕が、足が、胴が、首が、一斉に撥ね飛ばされて宙を舞い、断末魔の悲鳴と共にバケツをひっくり返したような血飛沫が、四方八方から凄然と降り注ぐ。

「ウッシャアア!!」

 喉笛を裂かれ、眼球を抉られ、内臓を引きちぎられ、脳天をスライスされ、大勢の老若男女が、激しい苦痛と恐怖の中で壮絶死に至る。目を覆うような惨状。

 目の中が真っ赤に染まるような大量虐殺の風景。

「キヒヒヒヒヒヒヒッ、クァアーッハッハッハッハッハッハッ!!」

 混じりあった絶叫で殺戮のビートを奏で、溶け合った鮮血のシャワーを思いっきり浴びて喉を潤しながら、男は目を剥いて高らかに嗤う。

 人間の尊厳を踏み躙り、生命を強奪することを、至高の快楽とする狂鬼。

 壊れている。狂っている。完膚なきまでに。

 もはやまともな人格など、ひとかけらも残っていない。

 故に、頂点に君臨する神々の中でも、最も危険な存在として認知されてきた。

 ――最狂にして、最恐にして、最凶の男。

 久々に訪れた狩りの機会に、アーレスは激しく高揚していた。

 先の霊石奪還計画では、性格上の問題から蚊帳の外にされ続け、フラストレーションを溜め込んでいた。彼はその鬱憤をここぞとばかりに解き放ち、いまや正真正銘の悪鬼羅刹と化している。

 彼が軍隊や警察には目もくれず、一般人を襲っているのは単に嗜好心の問題だった。

 もとより都市一つを丸ごと壊滅させられるだけの力を持った彼にとってみれば、武装した軍隊も、丸腰の一般市民も大差ない。どちらも等しく雑魚なのだ。

 故にこの場合、彼の興味はただ一つ。

 どちらを殺した方が、より痛快かということに尽きる。

 アーレスは殺人という悦楽行為に対して、人一倍こだわりを持っていた。

 単に殺せばいいというものではない。

 彼は殊更に惨たらしいやり方を好み、特に相手の血相が、恐怖と、苦痛と、絶望に歪んでいく様に愉悦を感じる。そうなれば、罷りなりにも死を覚悟して戦っている軍隊や警察の連中など相手にしたところであまり面白くはない。最期まで兵士としてのプライドや、男の意地なんてつまらないものを張り通す輩も意外に多い。

 その点、いま彼の目の前に溢れ返っている無抵抗な兎たちは、実に可愛いものだった。

 追いかければ素直に悲鳴を上げて逃げ惑い、切り刻めば泣き喚いて命乞いをする。

 もとより彼は、屈強な男たちよりも、か弱い女子供を手篭めにする方が好みだった。

 アポロンからは、大事な素体をむやみに減らしてくれるなよと忠告を受けていたが、なにしろこれだけの数だ。

 例え千や二千、殺したところで、釣りが来る。

 つむじ風を纏った彼は、距離にして二十メートルを一気に跳躍。

 犇めき合う人だかりの渦中に、颯爽と飛び込んだ。――


 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――……殺す!!


 アーレスの傍から、一刻も早く逃げ出そうとパニックに陥った人々は、悲鳴を上げて押し合いへし合い、逃げるための空間を失ったまま団子になっている。

 人々の混乱と恐慌を前に、台風の目である男は舌なめずりをして不敵に嗤った。

「――完殺・挽肉製造(ミンチメーカー)ァアアッ!!」

 瞬く間に、煌く無形の刃が、容赦なく螺旋状に一閃――。

 水面に波紋を広げるが如く、彼を中心に、紅連の華が咲き乱れる。

 もはや断末魔の叫びさえ起こらない。

 居合わせた数百人分の上半身が、達磨落としのように次々と吹き飛んで行った。

 夥しい返り血が嵐のように吹き荒れて、空間を丸ごと塗り潰す。

 叩きつける真っ赤な豪雨は、太陽の光さえ遮って、たった一人佇んだアーレスの姿を、真っ黒なシルエットに仕立て上げた。

「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ、フゥー……あっはっはっ!」

 生きているという実感が、心身の両面に渡たって込み上げてくる。

 身体が奥の方からじーんと熱くなり、脳髄が痺れて、軽い眩暈を覚えた。

 あぁ、これだ……。空っぽの心が満たされてゆく。

 命を奪われた者たちの呪詛めいた叫びが、苦痛に歪んだ表情が、生臭い血のにおいが、己という存在の枯渇を心ゆくまで潤してくれる。

 自分は何なのか、人間なのか、身体の中に何色の血が流れているのか、傷つけると痛みを感じるのか、それが分からない。何もかもが曖昧で実感がない。

 殺しは、己に対するそんな不安を慰めてくれる。

 曰く、他人とは自分を映す鏡らしい。

 他人の身体から真っ赤な血が流れ、苦痛に声を上げ、恐怖や絶望で表情を失ってゆくのを見ているとほっとする。他人が死に至る瞬間を捉え、擬似的に己と重ね合わせてみることで、強く生を実感できる。心が安らぐ。己という存在を確かめられる。

 他人を死に至らしめることで、己の在り処を立証するのだ。

 この感覚は一度覚えたらやめられない。

 ロックも、セックスも、ドラッグも、この悦びには勝らない。


 ――殺戮こそが男の生き甲斐であり、究極の存在証明であった。


 恍惚とした表情を浮かべて、しばし呆然と立ち尽くす。

 足元は血の海。彼の周囲は、見渡す限り肉塊の山が埋め尽くしていた。

 この上ない開放感と、胸にぽっかり穴が開いてしまったような虚脱感。

 やがて、放心したようにぼそっと呟く。

「誰も、いなくなっちまった……」

 すっかり悄然として振り返ったアーレスは、そこではたと、小さな息遣いに気づく。

 自閉的になっていた気分が一気に沸騰し、イタチのようにおどおどとした瞳孔が、ぎょろぎょろ動き出す。そうして、バラバラ死体の埋立地に、息を潜めてひっそりとうずくまる、可愛い子兎の姿を見つけた。

 まだ幼い少女だった。

 大人の腰の高さよりも背丈が低いため、斬撃を免れたのだ。

 少女は父親のものか、母親のものかすらも、もはやわからない、切り落とされた腰から下の部分にしがみついて、声も上げずにわなわなと震えている。

 見るからに柔らかそうな肌、その下を流れる無垢な血はきっと最高の甘露に違いない。

「みぃーつけたぁーあ」

 アーレスは頬に笑みを湛え、ゆっくりと、怯える幼女のもとへ近づいて行った。


                 7


 戦火の爆音は苛烈を極め、頭上から叩きつけるように降り注いでくる。

 僕たちは一気に地下道を駆け抜けた。

 トンネルに伝わってくる砲火の衝撃はいよいよとその激しさを増し、ともすれば天井が崩れて生き埋めにされてしまうのではないかという恐怖感に襲われる。

 古い天井や壁はぐらぐらと軋んで嫌な音を立てていた。

 実際にもう何度か、僕らが通った直後に天井の一部が崩れている。

 早く、早く――。

 まだか、まだか――と。

 僕らは降り頻る砂埃をかぶって全身灰色になりながら、必死に目的の地点を目指して走り続けた。そうして、不意に。

「ここだ……!」

 隼人がそう言って立ち止まったのは、一見、これまで素通りして来た洞窟の風景と何ら変わりない地下道の途中だった。ここが終点行き止まりなんてことはなく、後にも先にも、まだまだ底知れぬ洞の暗がりは続いている。

 しかしよく目を凝らしてみると、壁際には細い梯子が掛かっており、それがムカデみたいに天井まで伸びていることに気がついた。

 そして梯子が伸びた先の天井には、一箇所だけ正方形の切れ目が入っている。

 あれは蓋だ。僕も実際に見たことはないが、床下格納庫を内側から見ると、大体こんな感じではないだろうかと思う。

 まずは僕らを待機させたまま、隼人が梯子を上り、蓋を下から持ち上げるようにしてゆっくりと開けて行く。そうして生じた僅かな隙間から視線だけを覗かせて、向こう側の様子を窺っているのだろう。

 どうやら安全を確認できた様子で、隼人はそれから素早く蓋を取り払うと、人一人がようやく通れるくらいの狭い入り口に身体を滑り込ませ、外に出た。

 それから声は立てずに、上から手招きだけして、僕らを促す。

 次に琢磨、和明、真帆、梨香と続いて、僕が最後に出た。

 ブゥウーンと、深夜に冷蔵庫から聞えて来るような重低音が折り重なって鼓膜を揺らす。

 そこはタワーの最深部に位置する、動力室か何かのようだ。

 大きな機械が犇めき合った、縦にも横にも狭い空間。

 薄闇の中、非常灯の明かりが仲間たちの顔をほのかに照らしていた。

 声を潜めたまま、一度全員で顔を突きつけ合い、短く点呼を取る。

 梨香はさっと背負っていた長櫃から胴田貫を取り出し、和明はリュックから取り出した機械製の球体を半分ほど琢磨に手渡した。僕も素早くホルスターから拳銃を抜いて、弾倉に込められた六発の弾丸を確認する。真帆は張り詰めた空気にごくりと生唾を飲み込み、隼人は全員の準備が整うのを待って、低く発した。

「……準備はいいな?」

 鋭い視線を交差させ、それから示し合わせたように全員で頷く。

 イーリアス=タワー内部への潜入に成功した僕たちは、これからいよいよ頂上を目指し、最後の戦いに臨むのだ。――


                 8


 ヴィィイイ――ン、ヴィィィイ――ン……!!

 警報が鳴り響き、真っ赤な回転灯が点滅する。

 それまで流れていた表の映像に割り込むような形で、ポップアップウィンドウが自動的に展開された。

「来たな……」

 映し出されたのは、一階ロビーに設置された監視カメラからの映像。

 姿勢を低くし、周囲を警戒しながら素早く廊下を走り抜ける侵入者たちの影。

「直人様の予想が的中しましたわね?」

 ミス・ロンリーは蠱惑的な笑みを浮べ、うっとりと男の肩に枝垂れかかった。

 男の冷厳な視線は、画面に映った六人の少年少女へと注がれたまま動かない。

「アーレスを呼び戻せ」

 命令を受けた貴婦人はたおやかに居住まいを正し、パチンと指を鳴らす。

 控えていたアルテミスお抱えの女衆が、暗闇から音もなく出現した。

「ワタクシも参りますわ……」

 ミス・ロンリーの申し出に、男は物言わず首肯した。――


                 9


 一階各所で待機していたサーベラスの内部警備班は浮き足立っていた。

 軍と警察の裏切りによって外の連中が大打撃を食らい、相当数の人員を増援に割かれた矢先に、今度は謎の侵入者ときた。まこと泣きっ面に蜂というほかない。

 そもそも、光線シールドが張られている以上、建物の中に侵入されることはまずありえないと聞かされていたので、彼らはすっかり油断していたのだ。

 幸いにも侵入者はごく少人数ということだが、一体どこからどうやって潜り込んだのか。

 さまざまな疑惑と混乱が通信機越しに飛び交う中、方々に散っていた隊員たちが、正確な情報を求めてエントランスホールへと集まってくる。

 そのとき、奥の備品倉庫へと繋がる細い通路から、素早く躍り出る影があった。――



 ――古代ギリシアの神殿をイメージしたようなだだっ広いエントランスホール。

 エレベーターのあるロビーには、三十人近くの兵士たちが慌しく行き交っていた。それぞれ手にはサブマシンガンを抱えており、見るからに剣呑な雰囲気を漂わせている。

 隼人の言った通り、既に僕らが潜入したことは知れ渡っているようだ。

 相手の獲物はマシンガン。運試しにはちょうどいいかもしれない。

「ナムサン……!」

 僕はタイミングを計って、一気に通路の陰から飛び出した。

 懐から抜いた拳銃を発砲して、注意を惹き付ける。

 兵士達もすぐさまサブマシンガンをこちらへと向けてきた。

 芸も華もない一斉掃射。堰を切ったように弾丸の雨が降り注ぐ。

「くッ!」

 ――走る、走る、走る。

 コンマ00数秒遅れて足元の地面が、背後の壁面が、みるみる蜂の巣になってゆく。

 僕は柱から柱へと。姿勢を低く保って疾駆する。

 遮蔽物を使って上手く身を隠しながら、散らばっていた兵士たちをなるべく一箇所に集められるよう、誘い込んでゆく。

 この頃すっかり板についてしまった陽動と撹乱。

 それもこれも、射撃の腕さえ本調子ならと思う。

 相変わらず、僕の撃った弾は一発も当たらなかった。

 これだけ犇めき合った大きな的なら、いっそ外すことの方が難しいくらいだと自嘲する。

 既にこの場に居合わせた兵士全員の視線が、僕の方を向いていた。

 そろそろいいだろう。

 ちょうどこちらの弾が切れたところで、観葉植物の鉢をなぎ倒しながら、眼前に迫っていたエスカレーターの裏側へと素早く転がり込む。

“今だ!”

 梨香の精神感応によってそれぞれの脳裏へと中継された僕の合図を機に、フロアと階段を挟んで反対側、通路脇に隠れていた五人が一斉に飛び出してきた。

 すかさず真帆が詠唱する。

「――〝聖なる水よ、包み隠す濃霧となりて、世界を覆い賜え〟――」

 ばっとスチームのように広がった細かい水飛沫が、瞬く間に兵士達の周囲を呑み込んで視界を遮断してしまう。

「「――ッ!!」」

 間髪入れず、琢磨と和明がそれぞれ手にした機械製の球体からピンを引き抜き、大きく腕を振りかぶって投擲。

 濃霧に撒かれて右往左往する兵士たちの渦中にそれを投げ込んだ。

 刹那、眩い閃光とともに稲妻が炸裂する。

 球体内部に蓄積されていた電流が噴出、黄金色の稲光が、霧を形成する微細な水の粒子を伝って縦横無尽に空間を駆け巡る。


『ぐぅあああアァアア、ギッギギギギギィィイイ、ガガガガガガガァアア……――ッッ!!!!』


 激しい点滅と共に渦中の兵士たちは一斉に感電(スパーク)した。

 インスタント式『電光散華(ライジング・シャウト)

 一斉に気を失って倒れた兵士たちを見て、琢磨は手応えを掴んだように笑う。

「こいつァ、使えるぜッ!! 和明ッ!!」

 彼も拳を握って、小さく頷いた。

「うん……!」

 これこそ、和明が開発した新兵器。

 ――蓄電手榴弾エレクトロニクス・ボム

 絶縁体であるピンを引き抜くと同時に電極部が露出し、数秒の誤差を経て、一気にスパークする。プロメテウスを倒す際に用いられた、漏電現象を引き起こすあの蓄電器の仕組みを応用して作られたものだ。

 アルテミスの毒に侵され、能力を封じられた琢磨のために和明が技巧を凝らしたもので、逆流しても人体に影響が出ない程度の微弱な電流を発生させ、それを内部のコイルへと長時間チャージして使う。

 繰り返し使用すること自体は可能だが、充電に時間が掛かるため、戦闘の場においては通常の手榴弾と同じく一発勝負の使い捨てだった。――

「急げ!」

 隼人と梨香は既にエレベーターへと乗り込み、扉を開けたまま僕らを待っている。

 ――僕が陽動、梨香が中継を担い、真帆・琢磨・和明が複合技で見張りの兵士たちを一蹴。そして、その間に隼人がエレベーターを確保する。

 作戦は成功した。連携は流れるように決まった。

 真帆が乗り込み、琢磨と和明はそれぞれ兵士の持っていたサブマシンガンを回収してから後に続く。

「ユーキ!!」

 皆から少し離れた位置に居た僕も、梨香の呼びかけで、すぐさま走り出した。

 短い階段を二段飛ばしで駆け上り、全身で風を切る。

 いざ、神へと至る頂を目指して――。

 僕が滑り込むと同時に扉は閉ざされ、籠は上昇を始めた。


                 10


 空が壮絶な朱色を帯び始める。

 きたるべき決戦に備え、男は女神の揺り籠がある最上階へと移動していた。

 一面ガラス張りの壁面から差し込む、眩いばかりの斜陽によって、広い室内は世界の終焉を髣髴とさせるような夕焼けに染まっている。

 首都近郊の地形すら見渡せる地上一千メートルの高さから眺める落陽の風景は、見る者に己という存在の小ささを、思い知らせずにはおかない壮大さを誇っていた。

「……――」

 水平線の彼方に沈み行く日輪をしばらく眺めていた男は、どこか悄然として振り返る。

 そこには子宮の形を模した高さ四メートル級のドームがあった。

 内側には、機械の軛に繋がれたアテナがいる。

 度重なる洗脳と人格矯正プログラムによって、器としての特性を極限まで高めた彼女に莫大なエネルギー量のPSI波が充填されてゆく、激しい駆動音と振動。

 刻一刻と、〝ゼウスの引鉄〟が完成に近づく中。

 男は分厚い合金の壁にそっと手を這わせ、寄りかかるようにして瞑目する。

 疲れた吐息を人知れず綻ばせ、それからくっと苛まれるように頭を抱え込んだ。

「もうすぐだ……。もうすぐ、すべてが終わる……」

 夕映えが漆黒を纏った男の背中に、光の粒子を散らす。

 床に落ちた影は、長く、濃く。

 彼の姿は、酷く度し難い何かに悶え苦しんでいるようにも見えた。――……


                 11


 籠の現在地を伝える操作盤上の表示が、ちょうど百階を超えた辺りだった――。

『……っ!』

 上昇を続けていたエレベーターが突然がくんと上下に揺れて、ばっと照明が落ちる。

 ワイヤーを引き上げる駆動音と足元に漂っていた浮遊感が途切れ、濃密な静謐がその場を支配する。

「停められたな……」

 ある程度予期していたと思われる隼人の呟きで、皆は事態を理解した。

 エレベーターの主電源を押さえられたのだろう。

 六人は地上数百メートルの高さで、宙吊りとなった狭い箱の中に閉じ込められてしまったのだ。

 じりじりと神経を蝕まれるような圧迫感。

 根源的な恐怖を詰め合わせしたような暗闇の中で、各々の息遣いさえ聞こえてくる。

「ひとまず外に出るぞ」

 隼人は速やかに空間把握能力の結界を広げ、扉を隔てて外側にあるフロアの空間情報を読み込んだ。数秒で部屋の造りから障害物等の位置関係を掌握、テレポートの準備が整う。

空間転移(Jump)〟――……

 ――刹那の浮遊感。

 頭上に奈落へと通じる亀裂が走り、そこに向けて垂直に堕ちてゆくような、あの本来有り得ない重力移動の感覚。

 僕たちは一瞬で、停止したエレベーターの中から脱出した。

「ふぅ……」

 息の詰まるような閉所から解放され、ようやく人心地がつく。

「それで、どうするの?」

 和明が発した問いに、隼人は思案するまでもなく答えた。

「ここからは俺の空間操作で最上階を目指す」

「あぁ、それなら頂上まで一気に行けるな」

 僕が思ったことをそのまま口に出すと、彼は苦々しく笑って首を振った。

「そういうわけにもいかんさ……。俺の空間把握能力が届く範囲はせいぜい三十メートル以内だ。転送自体は最大で一キロ近くまで可能だが、予め転送先の空間情報を掌握していない限りはそれも望めない……」

 そもそもそれが出来ていれば、最初からエレベーターなど使う必要はなかったのである。

 隼人によれば、空間把握無しに転送を行うという行為は、例えるならば目隠しをしたまま闇雲にボールを投げるようなものだという。どこに何があるのか、どんな危険があるのかまるでわからない。特に人間を運ぶ際は細心の注意を払わねばならないらしく、万が一転送先に障害物が重なってしまった場合など、最悪、死に至る危険性もあるそうだ。――

「細かい転送を繰り返して進むことになるだろう。だが、これだけの人数を抱えた連続転送は俺もさすがにきつい。神々との戦いに備えて、ある程度は力を温存しておきたいのでな、数階ごとにインターバルを置かせてもらう。異存はないな?」

「勿論だ」

 僕の返答を皮切りに全員が頷いた。

「それじゃあ、始めるぞ……」

 皆の承諾を得て、隼人が手を差し伸べようとした、そのとき――。

“!?”

 エレベーターの停止よりもなお唐突に、梨香が顔色を変えてあらぬ方角を振り返った。

「何か来るッ……!」

 僕たちは何事かと驚いて彼女を見た。

 梨香は矢継ぎ早に捲し立てる。

「――左右散開っ! 急いでッ!」

 ゴーッという風の音とともに、床がびりびりと振動する。

 何か途轍もなく大きな力が、周囲を巻き込みながら迫り来る気配。

 逸早く動いた隼人が真帆を、梨香が和明を、それぞれフォローして左右に跳び退り、僕と琢磨は自力でその場から離れた。

 刹那、フロアの案内図がかけられていた目の前の壁面が、爆発四散。

 コンクリートの壁を突き破って出現した真空の塊が、一瞬前まで僕らの立っていた場所をごっそりと抉り取って行った。

 砕け散った瓦礫をはじめ、あらゆる物が渦を巻いて吹き荒れる。

「くっ、何だッ……!」

 床に身体を伏せて難を逃れ、素早く起き上がりながら煙の向こう側を見渡した。

 ひたり、ひたり、と。

 粘着質に糸を引くような足音が薄靄を掻き分けて進んでくる。

 逆光が、空気中に舞い上がった粉塵を透かして、奥に立った人物の影をおぼろげに映し出した。

 先ほどの一撃で刳り貫かれた四部屋分の穴をくぐって、忽然と現れる。

 べったりと網膜に焼きつくような、赤、赤、赤――。

 頭の先から爪の先まで。

 現れた男は全身隈なく、真っ赤に染まっていた。

「――ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

 剣山のように鋭く逆立った髪、顔中至る所にピアスを開け、喘ぐように大きく開け放たれた口からは、だらりと長い舌が垂れ下がっている。

 せり上がった眼球、開ききった瞳孔。獣のように荒い息遣いからは、今にも湯気が立ち昇るようだ。

「うっ……」

 凄まじい臭気が鼻を突く。

 酷く生臭い、本能的に不快感をもたらす異様な臭気。

 振り向けば皆一様に口元を手で押さえ、顔をしかめていた。

 男が夢遊病患者のような足取りで歩を刻むたび、びちゃびちゃと滴り落ちる真っ赤な液体が床を汚していく。プーンと甲高い羽音に注意を向ければ、男の周囲を無数の蠅が飛び回っていることに気がついた。

 もはや疑いようもなく、理解する。

 理解せざるを得なかった……。

 男を染め上げている赤い色素が、信じられない量の返り血であるということを――。

「……っ」

 眩暈がするほど濃密な血のにおい。

 このぶんだと、犠牲者は十人や二十人ではあるまい。

 脳裏をよぎった殺戮の情景に、深く絶望するのも束の間。

 男は片手に、何かをずるずると引きずっていた。

 よく見るとそれは、人の足の形をしている。

 男が引きずっていたのは、――首のない少女の死体だった。

「きゃあああああッ!!」

 衝撃的な光景に、真帆が悲鳴を上げて目を覆う。

「へっへっへっ、キッヒッヒッヒィイイ!!」

 怪人然として嗤った男は、引きずってきた少女の死体を頭の上まで掴み上げ、樽に入った酒を豪快に浴びながら呷るみたいに。

 切り落とされた首の部分から溢れ出す少女の鮮血を、ごくごくと喉を鳴らして、さも旨そうに飲みはじめた。

 ……おいおい。

 なんだよ、これ……。

 何なんだよ、この化け物はッ!?

 頭皮の汗腺がかーっと開き、耳がきーんと遠くなる。

 脳が急速に収縮していくような、得体の知れない不快感に見舞われた。

「あぁー、足りねぇ……足りねぇなあ……」

 一頻り鮮血を飲み干した男は、絞り粕となった少女の亡骸をぞんざいに放り捨て、改めてこちらを振り向いた。

 張り詰めた殺意に、時間が凍る。

 やがて真っ赤な口元が耳まで裂けるかのように、男はニターッと嗤った。

「もっとだ……。もっとくれ……。今度はお前たちの痛みを見せてみろ。叫びを聞かせろ、血を出せッ、脳味噌を撒き散らし、はらわたを掻き出してやる! 激しい死を以って、俺の命を潤してくれェ……」

 ――かつてない戦慄が、僕たちを襲っていた。

 恐怖の根源とは、未知であることだ。

 見えざること、曖昧であること、不明であること。

 理解の及ばぬことにこそ、潜在的な恐怖は存在する。

 その意味でいえば、眼前に立った男はその最たるものだ。

 以前、僕はメデューサとの対話によって、邪神と呼ばれる彼らもまた、多くの懊悩や欠陥を抱えた人間ではないかと考察した。

 しかし、その認識は聊か改める必要があるのかもしれない。

 そもそも人の定義とは一体何なのか。

 生まれたときの姿が、生物学的に人間であれば、それは人としてカテゴライズされるべきなのか。――無論、その答えは否だ。

 いくら人の形をしていても、いくら使う言葉が同じであっても、これはもう、完全に何か別のモノだ。人間の皮を被った未知なる存在。未来永劫、人とは相容れないモノ。

 こいつは、神でも、人でもない。

 強いて言うなら、そう、悪鬼羅刹の類――。

 僕は懐から引き抜いたコルトパイソンの銃口を、躊躇なく男の眉間へと向けた。

 殺すしかない。

 もうそれ以外の選択肢などありえないと思った。

 プロメテウス、メデューサ、アルテミス……これまで邂逅してきたどの神々も、この男に比べると遥かに人間の匂いがした。意思疎通を図る余地があった。まだまともだったとさえ思える。ここまでの感情は抱けなかった。

「ッ……!」

 心臓が早鐘のように鼓動を打ち鳴らし、息が切れる。

 血の気の引いた指先が痺れはじめ、どうしようもなく照準は狂っていた。

 ダメだ……。勝てない……。

 このままじゃあ、間違いなく殺される――。

 何よりも致命的なのは、今の僕たちが相手に対して恐れを抱いているということだ。

 モチベーションとは実力を発揮するための尺度である。

 空疎な現実主義に虚飾されたニヒリズムによって、いまや愚の骨頂のように語られることの多い精神論だが、こと兵法者にとっては馬鹿にならない問題である。

 たとえどんなに力の強い者、武芸に心得がある者でも、引け目を感じた時点で敗北はほぼ確定する。敵に対して恐怖を感じたとき、人はあらゆる策を講じるための余裕を失い、ただ怯えるだけの人形になってしまうのだ。

あまつさえ、力量は相手の方が圧倒的に優位なこの状況で、精神まで萎縮してしまってはもはやどうにもなるまい。

 力で負け、気迫で負け、この上どこに勝機を見出せるというのか。

 ふと仲間たちの顔を見渡せば、みんな酷い有様だった。

 真帆は怯えきり、和明は息をすることさえ忘れたように硬直している。

 梨香は刀に手をかけ、臨戦態勢を取っているようだが、どちらかといえばそれも防衛本能による反射に近い。超感覚系の能力者である彼女は、目の前に立つ男の危険性を最も敏感に感じ取っているのだろう。その証拠に足腰はがたがたと震え、顔はもう真っ青に染まっていた。普段気の強い彼女も、こうなってはライオンを前にしたウサギと同義だ。

 そして、頼みの綱であった隼人までもが表情を引き攣らせ、俄かに言葉を失っている。

 これまでどんな事態に際しても冷静に対処してきた彼がこんなふうになるなんて、もはや疑う余地もなく、いよいよと僕の胸にも弱気の虫が這い寄り始める。

 ――怖い。気持ち悪い。恐い……。この男は狂っている。イカレてる。壊れてる。頭がおかしい。あまりにも異常だ。常軌を逸している。

 如何様なる言葉を用いて捲くし立てても、この絶望感は筆舌に尽くしがたい。

 圧倒的な脅威の存在を目の前に、僕たちは案山子も同然だった。

 ふと、そんなとき――……。

 敗戦ムード一色に染まっていた空気を、俄かに打ち破る者があった。

 きっかけはライターの着火音。

「……!」

 不意に構えた銃口の先が、横から現れた影によって遮られる。

 泰然とした足取りで視界に割って入り、僕らの前に立ち塞がった背中。

 立ちのぼる紫煙。ほろ苦い煙草の匂いが鼻腔をくすぐる。

 襟足の長い鮮やかな金髪が、微かに揺れ動いた。

「――隼人、そいつら連れて先に行け。此処は俺が引き受ける」

 先頭に立った琢磨は、僕らに背を向けたまま、低く腰の据わった声でそう告げた。

 途端に痺れが解ける。最初に開口したのは梨香だった。

「なに、言ってるのよ……。そんなわけにはいかないでしょ!」

 彼女の声は焦りに満ちていた。

「みんなで一緒に戦うの!」

 梨香は自らを誇示するかのように慌てて刀を引き抜こうとする。

 だが、琢磨はそれをなだめ賺すように、落ち着いた口調で淡々と論った。

「時間がねぇんだろ? いちいち全員で相手にしてたんじゃあ、とても間に合わなくなっちまう……。もっと効率良く行こうぜ?」

「そんなぁ……。無茶だよ、タクちゃん……」

 和明が尻窄みがちな声で答えた。

 目の前に敵がいるため、はっきりと口に出すことは出来ないが、琢磨はアルテミスとの一戦によって再起不能の重傷を負っている。

 焼け爛れた右腕には深刻な後遺症が残り、あまつさえ能力を封じられた身なのだ。

「そんな体で、いくらなんでも無謀すぎる。第一、全員で戦ったところで勝てるかどうかわからないくらいの相手なのに」

 しかし琢磨は、そんな和明の言葉を逆手に取って、自らの正当性を説いた。

「だったら尚のことだ。こんなところで全滅するわけにはいかねぇだろ。どうせ今のお前たちじゃ、まともに戦えねぇよ……。この野郎と戦えるのは俺しかいねぇ」

 恐怖に取りつかれた今の僕たちではまともに戦えない。

 それは僕自身感じていたことであり、恐らくは全員の胸にあったことだ。

 故に返す言葉もない。現状の主導権は沈黙のうち、彼の方へと傾いていた。

「逆に言えば、俺はこっから先、一緒に居ても役に立てそうにねぇからよ? まぁ、世の中には適材適所って言葉があるくれぇだ。それぞれ自分にやれるだけのことをやればいい」

 琢磨はゆっくりと首を巡らせて、肩越しにこちらを振り返った。

「なぁ。そうだろ、隼人……」

 琢磨はふざけるでも、馴れ合うでもなく、真剣な眼差しで隼人を睥睨した。

「……」

 隼人も柳眉を逆立てて、そんな琢磨を一心に睨みつける。

 互いに威圧し、ナイフを片手に懐を探り合うような鋭い視線の衝突。

 時が止まったように思えたその数秒間、二人は静かに火花を散らしていた。

 そして、琢磨と隼人はそのとき確かに、目と目で語り合っていた。

 これ以上ないというほど、しっかり通じ合っていた。

 留まる者と、先を行く者。

 一歩間違えば、この世で最後かもしれない邂逅。

 二人が何を思い、何を語り合っていたのかはわからない。

 憶測するのも野暮というものだろう。……ただ。

 一つだけわかった。

 それは、もはやどんな言葉も不要であるということだ。

 やがて、琢磨が首を戻すと同時に止まっていた時間が動き出す。

 ばっと白衣の裾を翻し、隼人は琢磨に背を向けて歩き出した。

「――行くぞ。この場は琢磨に一任する」

 遠ざかる隼人の背中を一瞥し、僕は最後に一度、琢磨の背中を振り返った。

 少し考え、僕は笑って声をかける。

「琢磨、頼んだぜ?」

 彼は後ろ手に親指を立て、それをちらちらと振って見せた。

 僕は頷き、それっきり隼人の許へ走り出す。

「タクちゃん……」

「よろしくお願いします」

 和明と真帆も、それぞれ短く声をかけ、振り返りながらあとに続いた。

 しかし、梨香は最後まで、琢磨の傍に残っていた。

 先に離脱した僕たちは、少し離れた位置に立って、彼女を待つ。

 琢磨はサーベラスの兵士から奪い取ったサブマシンガンを片手にアーレスと向き合いながら、隣に立った梨香を諭した。

「なにしてんだ……。お前もあいつらと一緒に行け」

「いやよ、私もここに残る。二人でなら、きっと倒せるわ」

「奴には借りがある。これは俺の戦いだ。誰にも手出しはさせねぇ」

「だめ! そんなのぜったい許さないから!」

「梨香ッ!」

 それでも梨香は眼光を緩めることなく琢磨を見据えていた。

 引き結んでいた唇が堪えきれずわななく。

「だってアンタ、きっと負けるもの! 絶対に勝てっこない! ただでさえ手負いなのに、こんな化け物相手に一人で勝てるわけないじゃない! アンタは最初からっ――!」

「……ッ」

 キッと唇を噛んだ琢磨は、素早く身を翻すと、梨香にマシンガンの銃口を向け、低く恫喝するように言った。

「行け。俺の命令だ」

「琢磨……」

 一歩、二歩と後退りする。

 梨香の心が離れてゆくのを感じて、琢磨はとうとう本音を漏らした。

「なぁ梨香、俺と付き合うか」

 唐突にして、密かに待ち焦がれていた告白。しかしもう、遅すぎた。

 彼女の瞳が揺れているのを見て、琢磨は思い直したように虚勢を吐く。

「へへっ、何マジになってんだよバーカ。冗談に決まってんだろ」

 琢磨は笑った。

 思いっきりニヒルに、誠意を込めて。

「……はよう行けや」

 刹那の殺気――。

〝!!〟

 風を切って飛来した無形の刃を、隼人の空間歪曲が打ち消した。

「おいおい、いつまでやってんだァ~? あぁん?」

 痺れを切らせたアーレスが真っ赤な足跡を刻んで、じりじりと接近してくる。

「チィッ!」

 琢磨はすかさず機関銃を掃射、横一文字に弾幕を張り巡らせながら、声を荒げて叫ぶ。

「――隼人ォオオッ!!」

 雷鳴のような銃声が轟く。霰のようにバラバラと飛び散る薬莢。

 非情なまでに断固とした別れの訪れに、梨香は取り乱す。

「待ってッ! まだよ! 隼人、やめて!」

「行けッ!! 早くしろッ!」

「琢磨っ!!」

 吹き荒れる旋風の中、アーレスが高らかに哄笑する。

「クヒヒヒヒヒヒッ、ヒャハハハハハハハ――――ッ!!」

「いっけぇえええええええええええ――――――ッッ!!」

 光が差す。瞑目を捧ぐ。

 瞬間、隼人はすべてを断ち切るように、虚空を統べた。

空間転移(Jump)”――……


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