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33 リンカブス騒動 4

 草原に一筋の切れ込みを入れたような道をのんびり歩くこと二十分、入り口はすぐそこに迫っている。街は二メートルほどの岩積みの塀に囲まれている。塀には足の踏み場がいたるところにあり、乗り越えることは簡単にできそうだ。魔物に対しての効果のみを期待して、人への効果はそこまで期待していないのだ。

 街の入り口には、観音開きの木門があり、それは三メートルと塀よりも大きい。

 街に入るには門番に目的を言う必要があるようで、二人はその列に並ぶ。前方から聞こえてくる声から、詳しい事情を話す必要はないらしいとわかる。


「お前たちはどうしてここに来た?」

「旅の宿を求めて」

「どれくらいで出て行く?」

「疲れを取ってからですんで、明日明後日くらいには」

「ふむ。見たところ傭兵だろう? 此度の戦いには参加しないのか? 稼ぎ時だろうに」

「結婚したばかりで、碌に夫婦生活を送れないまま争いに巻き込まれたくありませんの。そんな私のわがままを聞いて、今回は参加なしとなりました」


 言いながらそっとセルシオの腕に自身の腕を絡ませる。距離が近くなったことにセルシオは顔を赤くした。

 街に着くまで歩きながら決めた設定だった。


「そうか。争いを起こさず出て行くように。入っていいぞ」

「わかりました」


 門番に頭を下げ、二人は街に足を踏み入れる。


「怪しまれずにすんだかな」

「おそらく」

「んじゃ、離れてね」

「私とこうやって歩くのは嫌ですか?」

「嫌じゃないけど……恥ずかしい」

「うふふ、その初々しさに免じて今日のところは離れましょう」


 そんなことを小さく話しつつ、まずは宿を探す。どこでもいいわけではなく、格子のない窓から出入りできる宿がいい。

 二人部屋をとり、そこで武装を解いていく。久々のベッドに寝転びたい誘惑を感じつつ、イオネに話しかける。


「一寝入りする前に、街の散策しようか」

「そうしますか」


 イオネの視線がちらりとベッドに向けられた。寝心地のよさそうなベッドに誘惑を感じたのはイオネも一緒なのだ。

 宿を出た二人はぶらぶらと歩いていく。別荘のある方角には近づかない。怪しまれるのを避けたいからだ。そのかわり好奇心からといった様子で、路地裏に入り脱出する際の経路を確認していく。


「あまりうろつくのも怪しまれるでしょうし、これくらいにしましょう」

「そだね」


 宿に戻った二人は夜に備えて眠る。

 夕方になる前から眠り、起きたのは八時過ぎだ。

 空腹を抱えて食堂に向かう。その二人に女将が注文を聞きにやってきた。


「お客さんたち遅かったね。材料がなくなっていくつか出せない料理があるけど勘弁しておくれ」

「疲れからか、寝すぎてしまいましたわ。ハムステーキに温野菜のサラダ、カボチャのポタージュを頼めますか?」

「大丈夫だよ。そちらさんは?」

「……白身魚フライの餡かけ、ポテトサラダ、コーンスープをお願いします」

「ポテトサラダがないよ?」

「じゃあ温野菜のサラダで」

「了解さ」


 少し待ってなと女将は厨房へ向かう。

 食堂は酒飲みだらけで、夕食を食べている者はいなかった。

 なにか別荘関連の情報が聞けるかと二人は耳をすませつつ、料理を待つ。

 話はどこぞの夫婦が喧嘩したということや、仕事の自慢話失敗話、貴族同士の戦いについてばかりで、別荘に関しての情報は出なかった。

 

「ほいさ、お待たせ。餡もステーキ皿も熱いから気をつけな」


 餡がほかほかと湯気を出して、ハムステーキはジュワジュワといまだ焼ける音を立てている。

 女将に礼を言って、二人は早速食べ始める。ぺろりと平らげて、ジュースを頼みちびちびと飲んでいく。もう少し情報収集していこうと思ったのだ。

 収獲は、争いの巻き添えを避けたか貴族の家族が何組か別荘にいるということくらいだ。

 部屋に戻り、交代で少し眠り、十一時過ぎまで待機する。

 蝋燭の消費具合でおよそ十一時と判断した二人は、音吸いの指輪を嵌めて、ゴーグルをつけ、マスクをつけ準備を整えていく。武具には艶消しの薬も塗っていく。

 意思疎通の指輪の具合も確かめるため使ってみる。


『ほんとにしずかになっ』


 ほんとに静かになったねと言おうとしたのだ。十文字制限にひっかかり、途切れてしまった。それでもイオネは理解し頷く。


『ふぐあいなしですわ』

『そうだね』


 十二時になり、不自然なほど静かな部屋の窓を開け、屋根に上る。そこから気配を探りつつ、別荘へと走り出す。空には半月と雲が浮かび、ほの明るく地上を照らしている。

 音吸いの指輪のおかげで、屋根を踏み出るはずの音もなくなり、移動には人の気配だけに気をつければよかった。

 いくつもある別荘の中から、伯爵の別荘を探していく。


『あれ?』

『とおもいますわ』

 

 セルシオが指差す青の屋根の屋敷を見て、イオネは頷きを返す。

 煉瓦の塀に囲まれた別荘で、誰かいると示すようにところどころ明かりがついている。

 モラから指示されたことを思い出し、まずは周囲の偵察のためこそこそと移動していく。外回りの見張りはいないが、庭に立つ見張りがいる。それについてはモラから聞かされており予想外ではない。

 モラは番犬の存在も心配していた。いたらできるだけ避けるように言われていたのだが、見張りだけで番犬は見当たらない。


『はいろうか』

『ええ』


 通常ルートでいけると踏み、二人は潜入を決める。

 見張りの死角となるような位置の塀から庭に入る。その塀の近くに木と茂みがあり、まずはそこに身を隠す。その茂みから周囲を観察しろと指示されている。

 罠があるかもしれないと、罠発見に役立つ道具の貸し出しもモラは考えていたが、セルシオが探知のツール持ちと知り、必要ないだろうと判断した。


『わなどうですの?』

『ある』


 ダンジョンの罠と違い、程度のばらばらな罠が庭のあちこちと仕掛けられている。十階までの罠もあれば、四十階に出てきそうな巧妙な罠もある。それら以外はセルシオは見つけることはできなかった。ないのか、隠されているのかわからず、見つけられていないと判断し動くことにした。

 セルシオは罠のある位置を指差し、解除しないことを告げて、自身の後をついてくるように伝えた。

 それにイオネは頷き、先に行くように促す。

 

『いこう』


 交代か休憩かで見張りが見えなくなり、侵入する窓へと移動する。

 幸いにして見逃した罠はなかったようで、何事もなく窓の下へと着く。そのことに二人はほっと安堵の息を吐いた。

 部屋の中に人がいるか、窓に罠があるかを確認し、窓の鍵を開ける。窓は片上げ下げ式で、ネジ式の鍵を糸鋸で切った。

 素早く部屋に入り、窓を閉める。


『ここまではよし』

『どこからいきます?』


 書類によるとエルメアが閉じ込められている部屋の候補は三つ。屋根裏部屋か、地下室か、奥まった位置にある部屋。

 モラが指示した順序は地下室、奥まった部屋、屋根裏部屋だ。だが見回りのタイミングにより、ある程度自由に行けとも言われている。

 扉に近寄って気配を探り、とりあえずは指示通り動こうと決める。

 扉をそっと開けて二人は音吸いの指輪を外す。見回りに怪しまれないようにという助言と、気配を察しやすくするためだ。見回りの出す音も気配を探る大事な要因なのだ。

 部屋から出て、脳に叩き込んだ地図を頼りに進む。遠くから見回りの足音が聞こえるだけで、静かな屋内だ。

 地下室のある倉庫までは運良く誰にも会うことなく来ることができた。


『まわりにだれもいない?』

『いませんわ』


 念入りに気配を探った二人は音吸いの指輪を嵌めて、地下室への扉を開く。

 誰もいないという判断に間違いはなく、地下室には明かりも気配もない。ここは外れだろうと思いつつ、念のため調査することにした。

 あったのは食料とワインと宝石だ。この宝石は伯爵のへそくりだった。愛人に貢ぐためのお金がここから出ていた。

 伯爵の資金力を削れるかもと、大きく綺麗な宝石を腕輪に入れられるだけ入れる。金額にして九十万コルジだ。

 

『つぎいきましょう』

『うん』


 地下室から出て扉を閉めて、指輪を外す。

 そろりそろりと移動し、次に部屋を目指す。その途中で前方に気配を感じた。


『だれかくる!』


 どこか隠れる場所はと二人は慌てて周囲を見渡し、曲がり角に潜む。

 こちらに来たらセルシオが指輪をつけて物音を消し、イオネが締め落とすことにして、息を殺しじっと待つ。

 コッコッと聞こえてくる足音に、二人は神経を集中する。

 見回りは曲がり角手前で止まり、二人が隠れている場所へランタンを向ける。いつでも動けるように体に力を込めた二人の耳に、見回りの気の抜けた独り言が聞こえてくる。


「異常なしっと。眠い眠い、酒飲むんじゃなかったわ」


 欠伸をしつつ去っていく。いつもより多めの見張りがいるため、少しくらい大丈夫だろうと酒を飲んでいたのだ。見張りとしては失格だが、二人にとって助かることだった。

 完全に気配が遠のいてから二人は体から力を抜いた。手には汗がにじみ出ていた。

 再度慎重に進み、目的の部屋近くまで来た。


『みはりが』

『うごきませんわね』


 物陰から見ること十五分。扉の前に立つ兵二人は微動だにせず立っていた。

 あの兵たちはその部屋に重要人物がいるという証拠だろう。どうにかして侵入したいと二人は頭を悩ませる。モラだったらここは避けて先に屋根裏部屋に行くのだろうが、ここにいそうだと思い込んだ二人は侵入方法に頭を悩ませることになった。


『しょうめんむり』

『いちどはなれて』『かんがえる』


 どこぞの部屋に隠れて指輪なしで話し合おうと、イオネはセルシオの袖を引っ張る。

 なにか良い考えがあるのかと思い、セルシオはついていく。

 気配のない部屋に入り、そこで指輪を外した。


「指輪つけてるときちんと話せないから困りものですわ。便利ですけど」

「なにかいい考えがある?」

「それを一緒に考えようと誘ったのです」

「そうだったのか……とりあえず力尽くで突破は無理だよね」

「ですわね。倒せても見張りがいないと見回りに異変を悟られますし」

「窓は小さいのしかなかったんだっけ。そこからは入れないよね」

「犬猫なら可能でしょうが、私たちは無理でしょうね」

「扉も窓も駄目。見張りの隙を突くしかないのかな」

「一人だけならまだなんとかなるかもしれませんが、二人ですしね。片方をどうにかしている間にもう一人が合図をだしそうですわ」


 極短時間で二人同時に倒すのは、相手の実力が不明なこともあり難しいと考える。

 あれも駄目これも駄目で二人は頭を悩ませて、いっそのこと力技で通るかということになる。

 見張りを倒すのではなく、壁を壊す。


「まあ、そのまま壊すというのでは派手すぎますから、ばれないように壊すんですが」

「鉄拳で一発というわけにはいかない?」

「壁は壊れますし、音も指輪でなんとかなるでしょう、たぶん。しかし壁を壊した振動までは防げません。それを感知される可能性は高いのではありませんか?」

「ああ、たぶん伝わるね。じゃあどう壊すの?」

「あなたが剣で斬って。斜めに切れ込みを入れたらずれ落ちると思います。それを二人で受け止めて、そっと下ろせば大丈夫かと」

「……剣ってことはやるの俺だよね? できるかわからないよ?」

「一度やってみましょう。それで駄目なら別の方法を」


 この部屋の壁で実験してみることになる。

 周囲の気配を探り、誰もいないことを確認して、指輪をつけたセルシオは剣を抜く。艶消しを塗っているため刀身は部屋の暗さを写し取り、闇色に染まっている。

 壁に近寄り、まずは手で触れる。ひんやりとしていて、指で軽く叩くと中身の詰まった反応が感じ取れた。本当に斬れるのかと首を傾げる。


(挑戦してみるだけならタダだし、やってみようかね)


 剣を両手で持ち、上段で構える。呼吸を整えていき、


(斬閃撃っ!)


 スキルを心の中で叫び、剣を振り下ろした。

 剣が壁に食い込み、途端に感触が重くなる。ここで止められないと力を込めて振り下ろす。剣と壁の摩擦で火花が散り、部屋の中の暗闇が少し散らされた。音吸いの指輪がなければ、派手な音を立てただろう。

 それを見たイオネは、外にいるであろう見回りに気づかれたかもと窓に視線を向けた。誰かが近づいてくる気配はなく、気づかれていないと胸を撫で下ろした。


「成功したみたいだよ」


 基本構造は切り出した岩を積み上げているだけだ、鉄心を入れて補強しているわけでもない。これまで鍛え上げてきたことで、スキルを使えば岩ならば斬れる技量を手に入れていた。

 指輪を外し、外を警戒しているイオネに声をかける。


「入れそうですね。では移動しましょうか」


 頷き、二人は目的の部屋の隣室に移動する。そこに入るのもわりと難しかった。見張りが立っているということはなかったが、見張りが横を見れば見つかる位置に扉があったのだ。明かりはぎりぎり届いていなかったが、暗闇の中になにかいるとわかる程度には距離が近かった。

 緊張からにじみ出ていた汗をふき取り、壁に移動する。


「向こう側に人はいます?」

「んー……いる。気配捉えづらいし、じっと動かないし、これは寝てる?」

「時間が時間ですし、その可能性は高いですわ。騒がれないでしょうし好都合だと思います」

「そだね、じゃあやるよ」

「その前にカーテン閉めてきます。あと連続して斬らないで、私の合図で斬っていってください。火花で外に気づかれていないか確認してますから」

「わかった」


 再び指輪を嵌めて、斬閃撃を使う。合図を確認して四度剣を振る。そして四度目、


『あっ!?』

『どうしました?』

『けんがおれた』


 持っていた剣は半分以下の長さになっていて、剣先は床に落ちている。

 火花が出るほどの抵抗があるのだ、剣に相当な負担がかかっていたのだろう。

 四度目まで持ったのは運が良かった。買い替えだなと思いつつ破片を拾い、鞘に入れる。


『あなあけるよ』

『わかりました』


 イオネは窓から壁に移動し、セルシオは下の切れ込みに折れた剣を刺し込み、引っ張る。それにつられて壁も少しずつ手前にずれ、二人の手にのしかかった。


『おもっ』

『が、がまんです』


 ここで床に落としてしまうと、慎重に行ってきたことが無駄になる。ゆっくりと壁を床に下ろした。

 一息ついて縦四十センチ弱横五十センチの開けた穴を見る。向こうの部屋も明かりはついておらず暗い。

 鎧では少し狭い穴をなんとか通り、部屋に入る。きちんと飾りつけのされた部屋で、香水といった化粧の匂いも仄かに漂う女性の部屋といった感じがする。

 これは当たりかと二人は期待を持ち、ベッドに近づいていく。


『あら』

『これは』


 寝ていたのは四十手前の女だ。エルメアは二十過ぎで、ベッドで寝ている女とは顔つきも年齢もまったく違う。

 ここは伯爵夫人の部屋だった。夫から避難するように言われて、ここにきていたのだ。見張りがいるのだから、偉い人なのだろうと、無駄になった苦労に肩を落とす。


『ヒントあるかもさがす?』

『すこしだけ』


 イオネの誘いに頷き、テーブルなどをざっと探していく。長居すれば夫人が起きてくるだろう。なので必要以上に物を動かすこともなく、手紙や書類らしきものを持って部屋を出た。


『つきあかりでみよう』

『わかりました』


 窓に移動し、カーテンを開いて、入ってくる月明かりで持ち出したものを見ていく。

 手紙の内容で、ここにエルメアがいることがわかったが、どこにいるかまでは書かれていない。残るは屋根裏部屋だけなので、そこなのだろうと考える。残りの書類は領地の経営状況などで、二人には関係ないものだがチャンカには役立つかもと持っていくことにした。


『やねうらべやへ』

『ええ、いきましょう』


 部屋外の状況がわからない以上、扉から出るのは危険で、二人は窓から出て、最初に入った窓に移動する。

 そこから隠れつつ、二階へと移動し、屋根裏部屋に続く部屋の近くまで来た。見張りはいないが、少し外しているかもと二十分ほど待機する。


「いないのかな?」

「おそらく。警戒しつつ近づきましょう」

「了解」


 そろりそろりと近づき、扉の向こうの気配を探る。


「誰かいる。起きてると思う」

「一人ですわよね?」


 一人だけの気配を感じ取り、イオネは確認するように聞く。


「俺もそう思う」

「素早く気絶させられると思います?」

「わからない。ここが最後だし手荒にいってもいいかもとは思う」

「ですね」


 イオネは同意だと頷く。

 候補は最後だが、ここ以外にいる可能性がないこともないのだ。緊張からかそういった考えが抜け落ちている。


「入ろうか」

「セルシオが開けて私が気絶で。指輪はしておきましょう」

「うん」


 指輪を嵌めて、セルシオはドアノブに手をかける。そこで止まった。捻ろうとして微かな違和感を感じ取った。


『どうしました?』

『わながある、かも』

『わなですか、かいじょは?』

『やってみる』


 慎重に慎重に扉全体を調べていき、鍵を使わずに開けようとするとベルが鳴るものだとわかった。

 鍵はかけられていないので、そうと知らない者が開けようとするとベルが鳴り、事情を知らない者が入ってこようとしているとわかる。

 ベルを鳴らさないようにするには、鍵を使った時と同じように手順を踏んで開ければいい。

 ピッキング道具を使い、鍵部分を動かし、そっと扉を開く。中の温かい空気が二人に触れ、廊下の冷たい空気が部屋に入っていく。部屋の中は明かりをつけているようで、暗い廊下に明かりが漏れる。音が無く、少しだけ動いた扉に中にいる人物は気づかないようで、気配は動かない。

 セルシオはゴーグルを外し、同じくゴーグルを外したイオネに声をかける。


『ゼロであけるよ』

『いつでも』


 321と数えていき、ゼロで半開きにする。イオネは体を滑り込ませ、中にいた人物へと駆け寄った。

 中にいたのはメイドで、さすがに大きく動いた扉には気づいたらしく、近くのテーブルにあった球体を手に取ろうと動く。

 セルシオが中に入り、扉を閉め鍵もかけた時には、イオネはメイドをチョークスリーパーで頚動脈を締めて気絶させていた。


「彼女を調べますんで、セルシオはこっちを見ないでくださいね」

「わかったよ」


 背後からごそごそと聞こえてくる服を剥ぐ音に、書物で読んだことが思い出され、顔の熱が上がる。頭を振り、熱を冷まして部屋の中を見る。

 なにかある部屋ではなかった。天井には鍵のかけられた扉。そこへ上がるための簡易階段。部屋の中にはソファーとテーブルと小型の暖房器具。テーブルの上にあるのは、音玉に似ているが色が違う。触ると作動させてしまうかもしれないので、見るだけにとどめる。

 セルシオが部屋の中を観察している間に、イオネはメイドの服を全部剥いで細かく調べていきもう一度着せた後、手足を縛る。口も塞いで、セルシオに声をかけた。メイドが持っていた物は全て部屋の隅に置いた。

 実はここにつめる予定の者は荒事に慣れた者だったのだが、多くの下賎な者を屋敷にいれたくないという夫人のわがままで、人員不足から急遽メイドに代わったという事情がある。メイドではなく予定通りの者がいれば、ドアを開けた時点で気づかれ、合図を出されていただろう。


「終わりました。上に行きましょう」


 頷き、階段を上がったセルシオは気配を探り、天井裏にいる人物は寝ているらしいと判断した。次に扉の罠を調べて、ないことを確認した。

 寝ている者を起こさないよう指輪をつけて鍵を開けて、扉を押し開ける。明かりはついておらず、二人はゴーグルをかけた。

 天井裏というにはきちんと飾りつけられ、暮らしやすさを追求された部屋だ。窓はないし、広くもないので、窮屈さを感じずにはいられないだろうが。

 ベッドに近づき部屋の主を確認する。暗くてわかりづらいが波打つ金髪に、左目にある泣き黒子、すらっとした顎のライン、美人といえる顔のパーツは似顔絵で見たものと同じだった。


『ひめだよね?』

『ええ、ほんにんですわ』


 頷き合い、指輪をつけたままイオネはエルメアの肩を揺らす。それですんなりとエルメアは起きる。

 暗闇に目が慣れていないようで、目を細めて二人を見、扉から入る明かりを元にようやく二人の顔を捉え、驚きの声を上げた。その声は音吸いの指輪に吸われ、屋敷に響くことはなかった。声が出ないことにも目を白黒させている。

 

『おどろいてるね』

『むりもありませんわ』


 夜中にゴーグルとマスクをつけた二人が枕元で自身を見ていれば、誰でも驚く。

 二人は落ち着くように、危害を加える気はないことをジェスチャーで伝え、ベッドから少し離れて片膝を床につく。

 なにもされないということで、一先ず安堵したエルメアは落ち着きを見せる。その様子を見て、二人は指輪を外した。


「夜中の来訪、ご無礼お許し下さい。私たちはチャンカ侯爵の命により、助けに来た者です。街の外ではミドルとアズも待機しております」

「ミドルとアズがっ!」


 嬉しげな声音でミドルとアズの名を呼んだ。


「声は小さくお願いします。誰に聞かれるのかわからないので」

「ごめんなさい」

「起きて脱出の準備をしてください。できるだけ動きやすい服装がいいのですが、ありますか?」

「脱出する前に言わなければならないことがあります」

「それは?」

「この敷地内から出ると私は苦痛に苛まれるように魔法をかけられています」


 エルメアを助けにくるということは宰相も考えていた。だからエルメアが動けないように縛る意味で、その魔法を使用したのだ。一度出た場合の激痛を味合わせたうえで。これで助けに来ても断るだろうと思ったのだ。

 だがそれはエルメアを甘く見ている。


「ここから逃げる気はないということですか?」


 イオネの言葉に首を横に振る。


「私を気絶させてください。苦痛を我慢できるとは思えません。悲鳴を上げる者を連れ歩くと注目を集めてしまうでしょう? 気絶すれば大きく悲鳴を上げることはないと思うのです」

「よろしいのですか?」


 意外だといった表情でイオネは聞き返す。勝手に深窓の令嬢と想像していたのだが、強いところもあるのだと小さく笑みが浮かぶ。


「ええ、かまいません。すぱっとやってください」


 覚悟を決めた顔で頷いた。


「眠り薬で眠らせればいいんじゃ?」

「それが妥当でしょうね」


 セルシオの提案に、その方が痛みもないだろうと頷く。意識を失うのであればエルメアはどちらでもよかった。


「じゃ、煙幕出すよ」


 マスクをつけて、ポケットから眠り薬入りの煙幕玉を取り出す。

 ついでに屋敷中に煙幕をばら撒いていこうかと思ったが、庭にいる者には効果はないし、火事と間違われかえって注目を集めることになるかもと止めた。

 セルシオはイオネがマスクをしたのを確認し、煙を出し始めた玉をベッドの上に置く。

 エルメアはしばらく煙たそうに顔を顰めていたが、すぐにベッドに倒れこむ。


『ねた?』

『そのようですわ』『せおいますので』『しばってください』

『わかった』


 セルシオはベッドのシーツを裂いてよじり、血を止めない程度に縛っていく。

 イオネは少し動いて、落ちないこと確認すると脱出しよう言う。

 頷いたセルシオは先導し、見回りに注意して扉を開け廊下に出る。窓から出てもよかったが、人一人背負っている状態では、上手く着地できるかわからず、一階の窓から出ることになった。

 見回りを避けて、一階に下り、すぐ近くの部屋に入る。そこの窓の鍵を開け、周辺の気配を探って庭に出る。

 そのまま塀に近づき、脱出が間近と気を抜いたのが悪かったか、セルシオは細い糸を足に引っ掛けてしまった。途端に庭のあちこちからベルが鳴る。

 セルシオはしまったと顔を顰めて、視線だけでイオネに謝った。


「先に行って、煙幕とか使って時間稼ぐ」

「……わかりました。ですが無理しては駄目ですよっ」

「うん」

 

 イオネが塀を越えるのを見ずに、セルシオは急いでリュックから眠り薬と痺れ薬の入った煙幕を三つずつ取り出した。両手に三つずつ持つと同時に、見回りが集まってきた。


「ここにいたぞ!」

「集まれ!」

「たった一人でいい度胸だ!」


 見回りたちは声を上げさらに仲間を集める。一人という声に、セルシオは小さく笑みを浮かべた。自身に注目が集まればイオネが逃げやすくなる。

 見回りは続々と集まり、ランタンを持った者が集まったことで庭の明るさが少し増す。

 十人以上の見回りたちはセルシオを囲むように、剣や槍を向けて移動していく。闘争の気配に体が反応し少し力が抜けるも、始めから戦う気はないので動きが大きく制限されることはなかった。セルシオが苦手なのは対人戦闘で、人と接することまで苦手ではないのだ。戦いを避けるのならば恐怖に体はそれほど反応しない。

 罠に引っかかって三分弱、二階から顔を出した見回りが仲間たちにエルメアがいないことを知らせた。侵入者の報を聞き、念のため警護へと行った見回りが縛られたメイドを発見したのだ。


「こいつは囮か!?」

「何人か屋敷の外へ出るんだ!」

(もう少し時間稼ぎたかったけど、仕方ない!)


 持っていた煙幕玉を握り締め、発動させ庭のあちこちに放り投げる。


「ただの煙幕じゃないっ煙を吸うな!」


 煙色から副作用有りと見抜いた一人が警告を出す。

 その声を背にセルシオは塀へと駆け上がる。


「逃がすか!」


 煙が広がりきっていないので、逃げる姿は丸見えだ。その背に見回りの一人がサーベルを投げつける。

 剣は回転しつつ、セルシオの太腿を浅く裂いて塀の向こうへと落ちる。

 傷を受けたことでセルシオはバランスを崩し、地面に落ちた。受身は取れたので新たな傷は作らずにすむ。

 治療は後回しにして、今はこの場から離れることを優先し、痛みを無視して走り出す。手には自身を傷つけたサーベルを持っている。荒事になると折れた剣では不利でしかないと、咄嗟に掴んだのだ。

 ある程度走り、別荘地の端まで逃げ、明かりのついていない別荘の庭に潜んだ。警戒しつつ治癒薬で傷を癒す。痛みは引き、傷も塞がる。魔法での治療をしなかったのは、治療時に発する光でばれると考えたからだ。


「いたか?」

「いや、いない」

「どこかに隠れたかっ」


 そういった声が聞こえてくる。あちこちから聞こえてくる声から、セルシオを泥棒ということにして、あの屋敷の兵以外にも捕縛を頼んだらしい。


(数が少なかったら屋根伝いでいけそうだけど、これなら隠れつつ移動した方がいいか)


 もう一度リュックから煙幕を取り出し、ポケットに入れる。

 気配の無い方向から庭を出て、影から影へ移動していく。その時、頭上から窓が開く音が聞こえ、


「きゃーっ!」


 という悲鳴が住宅街に響く。

 兵たちの騒がしさに目を覚ました一般人に見つかり、悲鳴を上げられた。艶消しをしていないサーベルが光を反射して注意をひいてしまったのだ。


「あっちだ!」

「追えーっ!」


 悲鳴に反応した数は優に三十を超えていた。

 その場から急いで離れて、物陰に潜む。少し荒くなっていた呼吸を整えつつ、周囲を探る。マスクはずらしておいた、呼吸の邪魔でしかない。


(どんどん数が増えてるよ。このまま決めた脱出ルートを進むと、イオネが見つかるかも)


 注目をひきつつ、ルートからずれた方がいいかもしれないと思う。


(庭でもう少し時間を稼げてたらなぁ。仕方ないっ)


 気を抜いて罠に引っかかった自身が悪いと、囮続行を決める。

 わざと道の端に置かれていた空箱を倒す。派手な音が周囲に響き、足音が集まってくる。


「いたぞ!」

「逃げるのに集中して空き箱を倒したのかっ間抜けめ!」


 間抜けはそっちだと胸中で返し、決めていたルートからずれた方向へ走り出す。

 目の前に現れた見回りを塀を利用し飛び越し、背後から飛んでくるものは音を頼りに勘で避ける。必死に集中しているおかげか、投げつけられた物が風を切る音を聞き逃していないのだ。当たらなかったのは、もともと命中するものが少なかったということもある。


「見えたっ」

 

 まだ遠くにだが、街を囲む塀が見える。

 この距離ならばとセルシオは一時加速の指輪を使う。途端に体が軽くなり、走る速度が増す。初めて使うが、ここまで効果あるのだと少し感動した。運動のみだが一時的にレベルが50上がったようなものなのだ、明確な変化を感じて当然だろう。


「速度が上がっただと!?」

「逃げられるぞ! 魔法でも魔術でもなんでも使って捕まえるんだ!」

(一般人への迷惑考えろっ!)


 外れた魔法や魔術が家屋にいかないよう、セルシオは屋根に上がる。これならば外れても空へと飛んでいくだけだと思ったのだ。

 背後から迫り、耳元を通っていく炎や氷に肝を冷やしつつ、屋根を駆けていく。

 もうすぐ塀に到着というところで、屋根はなくなった。屋根と塀との距離は七メートルほど。セルシオは勢いを緩めず、むしろさらに速度を上げた。


「飛ぶっ!」


 塀の向こうは明かりが届かず暗く少し怖かったが、怯えて止まれば捕まってしまう。屋根の端を力強く蹴り、塀を飛び越えてやると跳んだ。

 今度は体を傷つけられることはなく、地面に着地し何度か転がり止まった。運動ツールのおかげで、ちょっとした衝撃以外に被害はない。

 若干目が回ったがそれを気にする暇などなく立ち上がり、塀を乗り越えようとしている追っ手たちに、煙幕を投げつけてその場から移動する。

 兵たちの何人かは煙をまともに吸って塀から落ちていく。

 そんな様子を見ずに、念を入れて遠回りに馬車へと戻ったので、イオネよりも一時間遅れての合流となった。


感想ありがとうございます


》またぞろ利用されている感じで嫌な感じですね

利用されてますね。姫様一番大事ですから、助けるためには捨て駒にできます


》囮にするのなら囮として、はずれの可能性が高いのならは~

信頼には信頼を、これ大事。でも貴族って悪巧みしてる方がそれっぽくないです?

まあ、裏はあるけどきちんとサポートしてるし、捨て駒は止めたので大目に見てもらえたらいいなと思のですが、どうでしょう?


》妹に必要以上の好意を向けられるなら~

やったらつけようという判断です。やる予定はないんでつけません

いきすぎた好意でも、想うだけならプラトニックでまだセーフと思いたい。あ、でも同衾してるからアウト?


》ひょっとしてセルシオの得るチート~

とりあえず反則とだけ。どうしてそんな能力があるのかは、最終話で明かされます

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