30 リンカブス騒動 1
奉納祭が終わってしばらく時間が経ち、セルシオの情緒も落ち着いて以前通りの日々が戻ってきた。
セルシオの対人戦での動きも少しずつよくなっており、能力的にはこの街に来た頃と同じ程度にまで上がっていた。経験や技術の蓄積があるので、もし昔のセルシオと戦えば勝つのは今のセルシオだろう。
今日も順調に探索を終えて、赤鳥の群亭に戻ってくる。
「セルシオ!」
帰ってきたセルシオに気づき、セオドリアが慌てた様子で近寄ってくる。
その珍しい様子に四人はどうしたのかと疑問を抱いた。
「アズが戻ってきたんだっ」
「えと、休みが取れて遊びに来たってこと?」
二ヶ月ほど前にきた手紙で、慣れないお城の仕事で大変だと書かれてあった。疲れを癒すため長期の休みを取ったのかと思う。
「詳しくは知らないが遊びにきたって様子じゃなかったぞ。すごく疲れきっていて、奥の部屋で休ませている」
「様子を見に行ってもいいですか?」
「ああ、もちろんだ」
「そう言うことだから、三人は先に上に行っててくれる?」
「わかったが、あとで話を聞かせてくれよ?」
話せるところはと返しセルシオはセオドリアと一緒に従業員用フロアへと歩いていく。
「以前の仲間でしたっけ?」
「たしかそう聞いた覚えがある」
「なんの用事で来たのか気になりますわね」
「事情を聞けることを期待しよう。とりあえずは部屋に戻ろう」
セルシオの歩いていった方向を不安げに見ていたリジィを誘い、三人は二階へと上がっていく。
アズは従業員が休憩に使っている部屋にいた。一年ほど前と比べて少しだけ大人びて見える。今はソファーに横たわり、すうすうと寝息を立てている。着ているものはあちこちと汚れ解れて、セオドリアの言ったように遊びにきたという様子ではない。
「ほんとにアズだ。しかもただごとじゃなさそうだし」
「すぐに起こすか?」
「疲れてそうだし、もう少し寝かせてあげたいんだけど」
「それはかまわないが、このままここに寝かせっぱなしってのもな」
「……俺たちの部屋に連れて行ってもいい?」
空いている部屋に連れて行くことも考えたが、見知った人間が近くにいた方がいいかもしれないと思い提案する。
「ベッドは一つ余ってるんだったな? いいぞ。宿賃もとらない。食費は別だが」
「ありがとうございます」
「お前が礼を言うことじゃないだろうに」
ソファーそばに置かれていた荷物を持ち、アズをお姫様抱っこで抱き上げる。アズの体の柔らかさに少し顔を赤らめたが、浅く深呼吸を繰り返し気を持ち直す。
熟睡しているのか少しだけ身じろぎしたものの、アズが起きることはない。
起こさないようにゆっくりと移動し、部屋前に来て足でノックして扉を開けてもらう。
「その人がアズ、さん?」
リジィにそうだよと言って、そっとベッドに下ろす。荷物もベッドにすぐ近くに置いた。
三人に起こさないであげてと言って、セルシオは部屋を出て行き、すぐに戻ってくる。水を入れた洗面器を取りにいっていたのだ。
ハンカチを水に浸し、よく絞って、顔や手の汚れを落としていく。
「あの、セルシオ?」
「なに?」
遠慮がちに呼ぶイオネに、手を止めず聞き返す。
「ローブを脱がした方が拭きやすいと思うのですが」
「できないんだよ。体についている傷を見られたくないって聞いたことがある」
「傷ですか」
「小さい頃に賊につけられた傷が体のあちこちにあるんだって。それを隠すためにフードつきのローブをいつも着ていたよ」
「そういった事情ならば勝手に脱がせられないな」
ある程度の汚れを落としたセルシオは布を洗面器に入れて、自分が身につけていた装備を外していく。
ベッドに腰掛けたセルシオの横に、リジィも座る。
「夕食をとろうと思いますが、セルシオはどうします?」
「そばにいようと思う。食べ終わってでいいんだけど、サンドイッチとかスープとかここに持ってきてもらいたいんだ」
「それくらいならお安い御用ですわ」
部屋を出ようと動くシデルとイオネと違い、リジィは動こうとはしない。
「リジィも食べてきたら?」
「……兄ちゃんはずっとあたしと一緒だよね?」
「いきなりどうしたの? リジィがそう望むなら一緒にいるよ」
「うん、居て欲しい。約束だよ?」
「わかった」
しっかりと頷いたセルシオに安堵して、リジィも夕食を食べるために部屋を出て行く。
アズは眠り続け、あまり寝顔を見るのも悪いとセルシオはベッドに寝転がる。
(なにがあったのかなぁ。手紙だと不安はなさそうだったんだけど)
読んだ手紙のことを思い出し、異変があったか思い返していく。だがやはり心当たりはない。
そんな風に静かに過ごしていき、三人が夕食を持って戻ってきた。
「起きました?」
「いや、まだ」
夕食の載ったトレーを受け取りながら答える。
コーンスープの甘い匂いが、食欲を刺激する。さっそく一口飲んで表情を綻ばせる。サンドイッチは卵やベーコンやレタストマトといったもので、相変わらず肉抜きだ。対人戦は解消されているが、肉の方はまだまだで少しも改善する様子が見えない。
アズが起きたのは、三人が鍛錬を終えて風呂に行っている時だ。
「……ここは?」
「起きた? 久しぶりアズ、どこか痛いところはある?」
「セルシオ?」
体を起こし、声をかけてきたセルシオを見たアズの目から涙が溢れ出す。
セルシオは慌てて、どうしたのかと聞いていく。
「どっか痛い? 我慢せずに言って? 治療魔法使えるからある程度なら治せるよ」
「違うの、ほっとしたら涙が出てきて。久しぶりセルシオ」
「うん、また会えて嬉しいよ」
「私も」
セルシオの笑みに、アズも涙を拭い小さく笑みを返す。
そうやって見合っていると、リジィたちが風呂から帰ってきた。
「起きたのか、事情はもう聞いたか?」
「起きたばかりでなにも聞いていないよ」
「セルシオ、あの年下の子が妹さん?」
「名前教えたっけ? リジィっていうんだ。助けることできた」
「よかったじゃない。私はアズ・ダンドっていって、一年前までお兄さんとパーティーを組んでいたんだよ」
その自己紹介にリジィは頭を下げて、セルシオの隣に座り腕に抱きつく。
甘えたがりの性格なのかとアズは微笑ましそうな表情となる。
「私はイオネと言います。今セルシオたちとパーティーを組んでいますわ」
「俺はシデル。同じくパーティーを組んでいる」
自己紹介してくる二人にアズは初めましてと頭を下げた。自分たちと別れた後も順調に探索していたのだとわかり、ほっと安心した思いを抱く。
「それで事情を聞きたいんだけど、遊びに来たわけじゃないんだよね?」
「ええ、力を貸してもらいたくて。少しでも仲間がほしくて押しかけてきたの」
「なにがあったの? 手紙だとなにか異変があるとか書かれてなかったけど」
「最初から説明していくね」
シデルとイオネもベッドに座り、話を聞く体勢となる。
「私たちが国に帰った理由は覚えている?」
「……たしか反乱が起きようとしてるからだったっけ」
「うん。それは起きて、国王側と反乱側の戦争が二ヶ月以上あって国王側が勝ったんだよ。担ぎ出された人やその人に協力していた人は処罰されて、反乱は終わった。その後始末は大変だったけどね」
「無事に終わったんなら問題ないんじゃ?」
「もしかして疲弊したところを近隣の国に攻め込まれたか?」
シデルの予想にアズは首を横に振る。
「反乱は私たち国王に協力する者たちを集めるために起こされたものだったの。宰相にとってはあの反乱で国王を倒せてもよかったみたいだけどね」
「黒幕はその宰相ですの?」
「うん。反乱軍にこっそりと支援していたらしくて、それを私たちは見抜けなかった。そのせいであの日、奉納祭に関連したことを決めるため主だった家臣が集まった日に、宰相の部下たちに不意打ちを受けたの」
反乱軍の兵がまだ城の中にいるかもしれないという宰相の言葉で、警備兵たちは宰相の息のかかった兵へと換えられていた。
その兵たちがほかの兵や使用人たちを抑え、アズたちへと牙を剥いた。
多数の捕獲者や死者を出しながらもアズたちは、城を脱出した。そしてオルトマンの時間稼ぎのおかげで王都から逃げ出すことができたのだ。
「わざと騒ぎを起こして王側の協力者を集めて、今後自身の敵になりそうなものを見極めて、油断したところを奇襲するっていう二段仕込の策だったようで、私たちは見事に引っかかった」
異変を感じていたアケレーオに言わせれば三段仕込の策だ。国王側かどうかわからない者を外に出し、騒ぎを起こして集めて、不意を突いて邪魔者を排除する。
「王都から逃げ出した私たちは宰相打倒、王様姫様救出のため動きだした。情報を集め、仲間を集め、誰が宰相と繋がっているわからないから慎重にね」
「兄ちゃんも巻き込むの? どれくらいかはわからないけど危ないってことはわかるよ」
責めるような目で見てくるリジィに、少し怯んだ様子となる。
そのリジィをセルシオは軽く小突いた。
「兄ちゃん?」
「そんなこと言っちゃ駄目だよ。アズたちがいなかったら、リジィたち助けられなかったんだから。その恩を返すためにも協力するよ」
「ごめんね、迷惑かけて」
心底申し訳なさそうに言ってくるアズに、気にしないでいいと手を振った。
「あたしも行く。一緒だって約束したからね」
「たまには遠出もいいものですわ」
「俺もついていくかな」
「皆さん……ありがとうございます」
深々と頭を下げた。
「明日にでも出発する?」
「ううん、私の役割はもう一つあって、この街で宰相の息のかかっていない貴族か商人の協力を得て、支援してもらうことなの」
「出発は協力を得てからか。ちょうど力の強い商人に知り合いが一人いる。その人から当たってみるか」
「本当ですか!? 是非お願いします!」
「今日はご飯食べて、お風呂に入って疲れを取るといいですわ」
「はい、そうさせてもらいます」
少しだけ荷物を下ろせたような表情で頷く。
ついていかなくて大丈夫かと言うセルシオに、大丈夫と答えてアズは部屋を出て行った。着替えなどもついでに持っていっており、以前と同じく風呂を借りるつもりなのだろう。
「国の諍いですか、規模が大きなことに参加していたのですね」
「ほんとについてくる気?」
「仲間だろう? セルシオとリジィだけで送り出すなんてできないさ」
「そうですわ。リジィの護衛は少しでも多いほうがいいでしょう?」
「ありがとう」
兄妹は頭を下げる。
「それにしても対人戦ができるようになっていてよかったな。きっと人間との戦いがあるぞ」
「そうだね。逃げるだけの戦いができるようになったのはよかったよ」
「以前のままでしたら、きっと止めていましたわ」
「うん。俺も躊躇ってただろうね」
それでもアズたちを助けるために行くという選択肢を取っていただろうが。それだけアズたち三人を大事に思っているのだ。
「なにか道具を仕入れていった方がいいかな?」
「あって困るわけじゃないだろうし、いいかもな」
「最大容量のビッグリュック買って、詰め込むことも考えとこ」
セルシオも風呂に入りにいこうと、一人宿を出て行く。
その間にさっぱりした様子のアズが部屋に戻ってくる。
「セルシオはどこに?」
「風呂に行ったぜ」
「そうでしたか」
見知らぬ三人に見られて、少し居心地悪そうになる。
そんなアズに、イオネがセルシオのことを聞く。共通する話題がそれしかないのだ。
その話で、最初に会った時の態度を聞いて、三人は今との違いに新鮮さを感じる。警戒心が高くつれない態度のセルシオなど今では見られない。アズも分かれた後のセルシオが辿った道筋に驚くことになる。お金を稼ぐためにオルトマン以上の相手と戦っていたことにも驚いたが、最大の驚きはやはり魔王級との遭遇だろう。
「私たちもそれなりに無茶はしましたが、さすがにそこまで格上の相手とは会いませんでした。よく生き残ることができましたね?」
「運としかいいようがないな」
「運がよかったのでしょうね」
魔王級やその子供と出会った時点で運がいいとはいえなかったりするが。
アズも運なのだろうなと思う。
「リジィちゃんも一緒に連れて行ったというのは感心しませんが」
アズもミドルも鍛錬は十三才頃から始めたが、実戦自体はアーエストラエアへの旅で初めて経験したのだ。リジィのように十代前半での実戦はオルトマンに止められていた。リンカブスでも若い傭兵は見たことあるが、リジィと同年代の者は見たことがない。
「まあ、魔王級に出会うとは思ってなかったからな」
「リジィも頼りになる私たちの仲間ですわ。雷術の冴えはそこらの挑戦者に負けません。それにセルシオから離れるのを嫌がりましたからね」
「陣地で待たせるという選択肢もあったと思うけど」
「それもどうかと、両親との問題もありましたから」
実際にテントにやってきていたのだ、一人残していれば鉢合わせし、どうなっていたかわからない。
、
「両親と再会したんですか」
「ええ、兵に捕まりましたので、セルシオたちに害をなすことはないでしょう」
「害?」
「この一年にいろいろとあったんだよ。詳しいことはセルシオが話すかもしれん。あまり俺たちがいろいろと言うのもな」
「そう、ですか」
曇ったリジィの表情を見て、これ以上は聞けないと引き下がる。本当にいろいろあったのだなとしみじみ思う。もしかしたら助力を得にきたのは早計だったのではないかと小さく溜息を吐いた。申し訳なく思っても、既に来て話をしてしまっている。後の祭りというやつか。
「ただいまー……なんか雰囲気沈んでる?」
「これまであったことをざっと話してたからな。両親のこと含めて」
「ああ、それで。もう忘れることにしたから気にしないでいいよ」
覚えていても精神的によくないだけだ。
「少し早いけど寝ようか。アズもまだ疲れは取れてないんじゃない?」
「うん。でもベッドはこのまま使ってもいいの?」
「大丈夫。いつも一つ空いてますから」
「いつも? どういう?」
「そこの兄妹が一緒に寝てますからね」
アズはきょとんとした表情を浮かべた後に、徐々に顔が赤くなっていく。
「い、一緒に!? 年頃の男女が一緒に寝るのはももも問題があるのでは!?」
「それはもう終わった話題なので、蒸し返されるとまたリジィが泣きます」
「えと、ごめんなさい?」
イオネの言葉に思わず謝った。
その後、気合を入れたような様子でリジィの寝ているベッドに入るセルシオを見て、やはりなにかしら思うところはあるのだなと、アズは思う。
擦り寄ってきて触れる体の柔らかさ、仄かに香る自身とは違う体臭、そういったものに大分慣れたとはいえ、一度意識したものは完全には払拭できなかった。耐えるためセルシオは毎回気構えをしてから寝るようになっていた。
そして翌朝、朝食を取った後、部屋に戻る。いつもどおり鎧を着込もうとしたセルシオの動きが止まる。
「シーズンズ家に行くんだけど、俺たちどういった格好で行けばいいんだろう? 普段着? 武装?」
「武装でいいと思うぞ。遊びに行くんじゃなくて、交渉に行くんだから正装が相応しい。俺ら挑戦者の正装は武装だろう?」
「そっか。じゃあ、ちゃちゃっと着替えるから、少し待ってて」
女三人にそう言って、セルシオとシデルは鎧を身につけていく。
「鎧とか買い換えたんだ。もう駆け出しには見えないね」
「あのままの装備だときついしね。お金も十分あったし、良い物買えたよ」
「みたいだね。二人の鎧とかお城の兵士が身につけているものより良い物に見える」
「城の兵の装備ってどんなの?」
「大抵は上質の革鎧か鉄の鎧。アケレーオさんみたいにジュエルメタルの鎧を持ってる人は五人もいないよ」
「ジュエルメタルとかすごいな。いつか身につけたいもんだ」
「今の収入だと一年貯金したら買えるかな」
「鎧だけ買うのに一年貯金か。貯めるだけの価値はあるんだろうが」
少し検討してみるかとシデルは考える。もし買うとしたら酒を飲むことも止めて、貯めることに集中しないといけない。
「セルシオの鎧は、なんの革なの?」
「アビロムカデ。鉄に負けない硬さで軽いんだ」
へぇっと感心し、アズは鎧に触れ軽く叩く。
装備し終えて、男二人は部屋を出て行く。
十分後にアズたちも出てくる。アズの姿はここに来た時のものや一年前のものと違う。白衣のように前の開いた紺のコートを着て、その下にシルクのシャツとワインレッドのロングスカートだ。コートの胸には以前見たアケレーオの鎧についていた紋章と同じワッペンがついている。頭には首回りも隠せる紺の頭巾を被っている。
「それがアズの正装?」
「うん。お城では毎日これだったよ」
「どこか凛として見えるね」
「そう? ありがと」
照れたように頬をほんのり赤く染める。
その様子を見てリジィが少し頬を膨らませて、セルシオの手を取って歩き出す。
「どうしたんでしょう?」
「嫉妬です。リジィはセルシオが大好きですから」
「なるほど、取られると?」
「んー……取られるとまでは、どうでしょうね。逆に取る気はあるんですの?」
「今は姫様救出でそれどころでは。でも逞しくなったなとは思いますね」
「少し脈あり?」
笑みを浮かべて聞いてくるイオネに、少しと人差し指と親指で示しアズも笑みを返す。
そんな二人を最後尾を歩くシデルが苦笑を浮かべて見ていた。
シーズンズ家に着き、シデルが門番に話しかける。
「おはよう。サマスさんに会いたいんだが、大丈夫だろうか?」
「おはよう。ウィントア様じゃなくて、サマス様に会いたいということはいつもの訓練とは違うのか?」
「ああ、サマスさんに会いたいって奴を連れてきたんだ。おそらく商売がらみの話になると思う」
「わかった。伝えてくるから待っててくれ」
用件を伝えに屋敷へと走り、十分ほどで戻ってきた。
「会うとさ、玄関まで行けばメイドが客室まで案内することになっている」
「ありがとう」
五人は門番に頭を下げて、敷地内に入る。
玄関を開くと、ララムがいて声をかけてくる。
「おはようございます、皆様。申し訳ありませんが、武器とリュックはこちらの棚へ置いてもらえますか」
素直に従い、五人とも置いていく。その時にアズはリュックから必要と思われる書類を取り出す。
皆が置いたことを確認するとララムが先導し歩き出す。
客室には、既にサマスがいて上座に座っており、メイドが六人分のお茶を入れていた。皆は見慣れていたが、アズはお面のサマスを見て少し動揺している。
「皆さん、おはようございます。そちらの方は初めまして、シーズンズ家の当主でサマスと申します」
仮面を取り一礼し、すぐにつける。相変わらず顔は赤かった。
「恥ずかしがりやな性分でして、お見苦しいかもしれませんが、どうかごかんべんを」
赤い顔を見て、納得したアズはコクコクと頷く。アズも帽子を脱げない理由を話して、被ったままでいることを許してもらう。
サマスは長机の左に座っていて、その近くにアズとシデルが向き合うように座る。セルシオはアズの隣、リジィはセルシオの隣。イオネはシデルの隣に座る。
メイドが皆にお茶を配り終えたことを確認して、サマスは口を開く。
「それで今日は私に会いたいということですが。そちらのお嬢さんの用事でいらっしゃったのですかな?」
サマスの視線がアズの顔を見た後に胸の紋章へと移る。アズはその視線を感じつつ立ち上がり、
「リンカブス国、エルメア姫に仕えるアズ・ダンドと申します」
名乗った後に一礼し座る。
「やはりリンカブスでしたか。今、騒動が起きているようで」
「知っているのですか?」
「トップでごたごたがあったというくらいは。詳しいことはわかりません」
「宰相に反乱を起こされまして」
「そうでしたか」
まったく動揺するそぶりを見せないサマスを見て、詳細を知っているのではとアズは感じた。
「用件は支援をしろ、ということでよろしいですかな?」
「はい。ぜひともお願いしたく」
「ふむ……ところで、あなたとシデルさんたちとの関係はどのようなもので?」
突然変わった話に、アズは少し呆けて、慌てて表情を真剣なものに戻す。
「私とセルシオが一年前までパーティーを組んでいました。シデルさんイオネさんリジィちゃんとは、セルシオを通してしか繋がりはありません」
「そうですか」
シデルとリジィはシーズンズ家に深く関わりつつあり、イオネには迷惑をかけたという借りがある。だがセルシオはシーズンズ家に直接の関係はない。
これは彼らとの関係を考慮し、サマスが譲歩や遠慮をする必要はないということになる。
「私は商人でして、利益がないことには動きようがありません。あなたたち国王派はどのような利益を提供できますか?」
「それについてはこちらに」
書類の一枚を確認し、サマスへと差し出す。
サマスは受け取り読んでいく。内容は短いので、すぐに把握できた。
「侯爵家領地での商売許可ですか。はっきり言ってしまえば、弱いですな。これだけではリスクに追いつきません。こちらとしては無理して遠い国外にまで商売の手を伸ばす必要はありませんし」
リスクは宰相派に目をつけられること。リンカブス王国はここマレッド王国との間にエルゼラン帝国を挟んでいるので、直接宰相の影響が届く地ではない。しかしエルゼランに宰相と親しい貴族がいて、その貴族が宰相の頼みを聞いて、シーズンズ家に嫌がらせしてくる可能性はあるのだ。そのリスクに、関税などの免除も特定商品優先売買契約もないただ商売していいという許可だけでは支援しようという気にはなれなかった。ついでにいうと王国内の商売ではなく、侯爵領内という狭さもマイナス点だ。
「ではその条件に追加してこちらではどうでしょう」
もう一枚書類を渡す。
「ふむ……今度は国内商売許可と少しの税免除か」
「どうでしょう?」
サマスは商売を展開した場合、援助した分が取り戻せるか考えていく。マレッドとリンカブスの特産品を考えていき、自分が取り扱っている商品を脳内で並べ、運用費用も加味して、出た結果は厳しいものだった。
「残念だが、私の家からは支援はなしということで」
「そうですか。最後にこちらを読んでもらえないでしょうか?」
最初の二枚はアズも読んだが、これは侯爵から読むことを禁じられており、内容は知らない。アズはさらに条件を追加しているのではと思っている。最初の二枚と内容が変わらないのならば、読んでも問題ないのでもしかしたら別のことが書かれているかもとは思っているが、その場合の内容は想像できなかった。
これを出す時に注意されたのは、信じられそうだと思える者にのみ渡すということだ。最初の二枚でけんもほろろに断れた場合は出さないように言われている。
「……」
内容を読み進めていき、サマスは仮面の向こうで表情を驚きに変えた後、綻ばせた。
読み終わった侯爵からの手紙を丁寧に折りたたみ、アズに返す。
「うちからは支援はないということに変更はない」
その言葉にアズは落ち込んだ表情となる。
「だが紹介状くらいは書いてあげよう。もしかすると少しくらいは援助してもいいという家があるかもしれないからね。私の扱っている商品ではそちらの国では儲けはないのだよ。しかしほかの家の商品ならばこの条件でも儲けが出る可能性があり、頷くかもしれない」
「ほんとですか!?」
ぱっと表情を輝かせたアズに、サマスは頷く。
「少しアドバイスというか、それに近いものをしてあげよう」
「アドバイス?」
「うん。支援を受けられなくとも落ち込まなくてもいい」
「どういうことですか? 宰相をどうにかするためには他の協力が必要と聞いていたんですが」
「言い方は悪いが、君に期待はしていないと先ほどの手紙に書かれていた」
「期待されていない? え、でも!?」
椅子から立ち上がり、声が荒くなる。それに落ち着くように手の平を向ける。
「今回の助力を願うための出張は、君の気分転換らしいな。落ち込みが激しく使い物にならないため外に出したと。以前の仲間に会えば少しは気分が上向きになるだろうという考えらしい」
「そ、そうだったんですか」
「手紙の最初の部分で私たち商人に詫びているよ。利用したようで悪いと」
「……チャンカ様に気を使わせてしまったのですね」
「そうなのだろうな。あとは外交官としての経験を積ませるためとも書かれていたが、主な目的は気分転換だろう」
他の助けがほしいというのは本音だろう。そのためにチャンカという侯爵は、きちんとした外交官を出してもいる。そういった外交官は近隣の国に出ている。
アズの持っていた書類に書かれていた示せる利益が低かったのは期待が小さかったからで、ここらの貴族や商人に本格的な支援を期待していないからでもある。
「侯爵の思いに答えたいならば、君が働けるようになればいい。それでこの街に来た目的は果たせるだろう」
「はい、教えてくださり、ありがとうございます」
落ち着いた様子で頭を下げて、椅子に座る。
アズに頷き、サマスの視線はシデルたちに向けられる。
「さて次は君たちにだが、これからどう動くのかな?」
「彼女についていくつもりだ」
「そうか」
シデルの返答にやはりと小さく頷く。
「シデルとリジィになにかあれば娘たちが悲しむ。ウィントアもだろうが、それは置いといて。どうだろう? リジィをうちで預かろうか?」
魔物と戦えるとは聞いているが、人間同士の戦いに連れて行くことはあるまいと提案する。
それに誰よりも先にリジィが口を開き、答える。
「兄ちゃんと一緒にいたいので、断らせてもらいます。ごめんなさい」
「そうか、仕方ないか。では君たちが無事に戻ってこれるよう、少し助けよう。旅や争いに必要な物はもう揃えたかね?」
「まだです、これから揃えようと思っていました」
セルシオは首を横に振り答えた。
「私が安く売ってあげよう。といっても二割引が限度だろうし、高すぎる物は調達するだけで安くできないが」
それでも大いに助かる提案だった。
相談するといいと言って、サマスは冷めかけたお茶を飲み始める。
「なにを買おうか」
「荷物を入れるリュックは買うことにしてたからな。サマスさん、ビッグリュックって安くなります?」
それなら大丈夫だとサマスは頷く。
「じゃあ、予定通り大容量のリュックを買うとして、小治癒薬を四十、中治癒薬を十、もしもの時のために大治癒薬を一つ。小気力回復錠を二十。薬入りの煙幕二十。粘着液二十。音玉も十個買っとこうか。あとは食料を一ヶ月分に包帯とか?」
「待ってセルシオ、そんなに買うお金あるの?」
全財産使う勢いで買おうとしているのではないかと、アズは心配し聞く。
「大丈夫。これだけ買って……いくらになるんだろう?」
「えっとね、割り引いて十四万くらい」
買う予定の物の値段を思い出し、リジィが暗算する。
「二十万を目安にしてたけど、まだ余裕あったんだ」
「二十万ってわかれて一年も経ってないのに、そんなにお金を稼いだの?」
「お金集めする時に集めすぎたんだよ。手持ちのお金は八十万と少しあるから予算的には大丈夫」
「まだそんなにありましたのね」
サマスが少し感心したような声を漏らし、アズは表情いっぱいに驚きを表している。
アズは給料を毎月四万コルジ貰っており、貰いすぎだと思っていた。それの二十倍ほどだ、驚くのも無理はなかった。使おうと思えば使えるお金が五百万以上あるとわかれば、もっと驚くことになるだろう。
アズが驚いてる間に、買う物をララムに渡されたメモ紙にまとめて、それをサマスに渡す。
「それをお願いできますか」
「任せなさい。集めるのに長くて三日かかるから。その間に、ほかの商人のところに行ってくるといい」
「わかりました」
「少し待っていなさい。紹介状を書いてこよう。シデルとリジィはオータンとスフリに会いに行ってあげてくれないか? リンカブスに行くとなるとしばらく会えなくなるからな」
二人は頷き、サマスと一緒に部屋を出て行く。
客室には世話のため残った名前を知らないメイドを含めて四人が残る。
感想、誤字指摘ありがとうございます
ようやくリンカブス編書き終わりました
》両親
賊の集まりに入ったばかりで、世間的にまだ悪事を働いたわけではないので処刑にはなりませんでした
二度と兄妹には関わらないので、これでご勘弁を
母親は罪は意識はあるけど、自分って可哀想だと浸るだけで自己満足というか自己完結してしまう人です。改心は望めませんね
》同性愛について
紹介されたページを読んできました。なるほどと思わされました。同時に同性愛について書かれた漫画や小説やSSに感化されてたんだなぁとも。正直、生物としておかしなところがあるんじゃないかって思う部分もあったんですが、人は動物としてかけはなれているから当てはまらないという文章に納得するものを感じました
》読んでる途中でテンポがくずれる
これは別の話を書いた時にも言われたことがあります。途中でのネタばらしが癖になってるんでしょうか