表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/44

14 生の意思と死の意思

ホコラッテ戦、ラスト辺りグロ注意?

 生き残ったことを素直には喜べない。歪んだ声から歪んだ思いが体に入ってきそうで、セルシオは足早に闘技場から出て行く。舞台外に出たので、治療魔法ツールをセットして怪我を治す。

 来た道を戻ると、主催側の男に止められた。


「そっちじゃない。お前の出番は終わりだ。こっちで迎えが来るまで待っていろ」


 指し示されたのは、入って来た時には気づかなかった扉だ。素直に従い入るとチョーカーをつけていない勝者が一人、殺風景な部屋にいて壁を背に座っていた。

 同じようにセルシオも座る。


(これで一勝。明日勝てば……)


 人を殺したことにショックは少ない。既に一度殺したことがあるからだろう。慣れるつもりはないし、慣れたくもないが。

 部屋に入った時に見た先客の表情は陰気なもので、きっと自分も似たようなものだろうと考える。

 先ほどまでのうるささと違い、ここはとても静かで気の紛らわしようがない。殺し合いを思い出してしまい、とどめとなった腹へと攻撃を、肉を斬った感触が思い浮かぶ。


(当分忘れそうにないなぁ……)


 気分は沈む一方だ。鬱々としたまま時間が過ぎていく。ぼうっとしたままどれくらい経ったか、扉が開いてセルシオは我に返る。


「お迎えだ、二人とも出ろ」


 扉の向こうにクースルトと知らない誰かが二人見える。

 彼らについていき、行きに使った店とは別の店から出る。遠くに見える明かりに照らされた時計塔は午後十一時を示している。

 二人だけになった時、クースルトが口を開く。


「今日の賭け金で六十万手に入った。おそらく明日で百万に届くだろう」

「そう」


 お金が入ってきたと聞き実感が湧いて、後一回ということに安堵する思いが湧いてくる。


「しかし序盤は危なかったな。騙されていたんだろう?」

「騙されてた? そういえば相手も似たようなこと言ってたっけ……」

「気づいていなかったのか? あの男は精神的揺さぶりをかけて実力を発揮しないようにして生き残ってきたらしい」

「じゃあ家族とかの話は嘘だった?」

「さてな、どんな話を聞いたのかわからんが、全部が全部嘘を言ったとも言い切れん。今となっては知ることのできないことだよ」


 死んだのだからなと心の中で続け、口に出されなかったその声をセルシオは聞き取った。

 赤鳥の群亭に近づき、ここでわかれることになる。


「これを寝る前に飲むといい」


 クースルトはポケットから紙に包んだ粉薬を出す。睡眠薬だ。人殺しのショックで眠れなくなるかもしれないと思い、用意していた。死んで無駄になるかもしれないとも思っていたが。

 

「なんの薬?」

「よく眠れるようにってな。明日も万全の状態で挑まなけりゃいけないだろ?」

「ありがとうございます」


 クースルトの言うとおりなので素直に頭を下げる。

 明日も同じ時間で、と言ってクースルトは去っていく。

 宿は既に人がいなくなっており、片手で数えれる人数が静かに飲んでいるだけだ。


「お、帰ってきたか」


 カウンターで伝票などの整理をしていたセオドリアが話しかけてくる。


「ただいまです」

「なんだか大変そうだが、大丈夫か?」


 セルシオの顔を見て、表情を歪める。ここ数日の様子を見ていて、通常の状態ではないとわかっていた。オルトマンからセルシオのことを頼まれていて気にしていたが、気にせずとも誰でも今のセルシオはおかしいと思えた。


「大丈夫、とは言えないけど明日で終わるんで、そしたらゆっくり休めるかと」

「そうか、無理だけはするなよ? オルトマンたちが心配するぞ?」

「ありがとうございます」


 力のない笑みを向けて、セルシオは部屋に戻っていく。

 セオドリアはその後姿に初めて会った時以上の危うさを感じていた。休めるという明日以降にあの様子が続くようならば、無理矢理にでも休ませた方がいいと考えた。

 

 客が去った後の地下闘技場。掃除などを済ませた数人の男たちが酒を飲みつつ話している。

 

「そういや明日の特別試合誰が出るのか決まっているのか?」

「ああ、ホコラッテだとよ」

「ほー、あいつが出るのか」

「ここしばらく出てなかったろ? 客たちからも出せってせっつかれたらしくてな」

「じゃあ明日は客が喜ぶだろうな。なにせ一方的な蹂躙劇が見られるんだ」

「大喜びだろうさ」

 

 喜ぶと口に出した彼らだが、表情は呆れが強く浮かんでいる。

 こんなところで生きている彼らだが、客と同じ感性をしているわけではないのだ。知らない者が何人死のうが気にしないが、かといって喜ぶ性質でもない。

 

「ホコラッテが出るのはわかった。じゃあ相手はどうなるんだ?」

「まだ決めてなかったな。明日決めればいいじゃないか? 紐を何本かてきとーに掴みとって、それを巻いたやつらをぶつければいいさ」

「それでいいとは思うが、何人くらいだせばいいと思う?」

「この前は五人だっけか?」


 たしかそうだったと頷く。


「十人以下でいいんじゃないか?」

「そんなところか。んじゃ手間かからないし今のうちにやっとくか」


 棚に置いている箱から紐を掴んで取り出す。数は三本、空色、レモンイエロー、紫だ。一つの色を二人に渡すので、あとは一人予定のない奴隷を連れてくればいい。

 出した色は紙に書き残して、紐を箱に戻す。

 やることやったし後は酒を飲んで騒ごうぜと、その場にいる者たちは飲み始める。

 いい加減に決めた明日死ぬことになった者たちのことは、酒の誘惑に負け、頭に欠片も残ってはいなかった。


 夜が明けて、うなされることなく眠れたセルシオは体調は万全だった。精神的にはまだまだ低迷しているが。

 うなされなかったのは精神的に強かったというわけではなく、もらった薬が夢も見ないほどに眠らせる強いものだったからだ。

 今日で終わりだと思うと、沈んでいた気分も少しだけは浮上するものがあった。なので昨日よりもましな状態で、地下闘技場に来ることができた。

 

「お前はこれだ」


 昨日と同じように案内され、紐を貰う。貰った色は紫だ。

 部屋に入り、壁に寄りかかって座り順番を待つ。今日は話しかけてくる者はいなかった。

 次々と呼び出されていき、部屋に残っている者は六人となった。


「残り全員来い」


 全員? とセルシオは首を傾げているが、ほかの奴隷たちは理由がわかっているようで素直に動き出す。

 セルシオたちを呼び出した主催側の男の横には沈んだ表情の奴隷が一人いて、既に武器を持っていた。

 セルシオも昨日と同じ武器を選び、もう一本頑丈そうなナイフを選ぶ。盾代わりに使えそうだと、昨日の戦いでわかったのだ。いざとなれば投げつけることもでき、持っておいて損はないと判断した。

 全員が武器を選び終えると、男が口を開く。


「お前らには、これからホコラッテと戦ってもらう」


 その名を聞いた途端、奴隷たちの表情から生気が抜けた。生きることを諦めたのだ。

 奴隷たちの様子を見たセルシオは戸惑うしかない。


「一人を除いてわかっていると思うが、死は確実だ。だがお前たちは客を喜ばせなければならない。よって命じる」


 セルシオには聞き取れないなにかを男は口にする。それは奴隷に絶対的な命令を聞かせるための合言葉で、その後に続くことを実行させる強制力を持つ。


「戦え。戦い続けろ。勝つことを諦めるな。死を受け入れるな」


 奴隷たちは受け入れていた死を拒まなければいけなくなった。心に無理矢理闘志が湧いてくる。戦う気はないのだ。しかし体が思考が戦いに向かって整いだしていく。

 歪な闘志がセルシオの周囲に漂い出す。


「な、なんなんだ?」

「命令を聞かせただけだ。お前も生き残りたいんだろう? だったらこいつらを利用してホコラッテを殺してみせろ。昨日の戦いぶりからすると、お前が生き残る可能性はそれしかない」

 

 助言なのか、戦いを盛り上げるためなのか、男はそれだけ言って奴隷たちを舞台へと送り出す。

 動きはきびきびとしているが目は死んでいる奴隷たちの後を追って、セルシオも歩く。

 鉄柵は既に開いていて、舞台に七人全員が入る。ホコラッテはまだおらず、正面の鉄柵は閉じていた。


「皆さんお待ちかねの時間がやってまいりました! 今回のメインイベント! ホコラッテ戦が始まろうとしています! 今日こそはでるか、大穴! 賭け終了まで一分です!」


 すぐに一分は過ぎて、ベルが響く。

 鉄柵が開いて、一人の男が舞台に入ってくる。途端に観客から「殺せっ殺せっ」とコールが響く。

 入って来た男は四十才ほどで、奴隷と示すチョーカーを巻き、白い長髪を背中に流し、傷だらけの上半身を見せ付けている。手には鉄でできた刀。木刀と同じなりで、切れ味などない殴打用だ。まとう雰囲気は静かで、目が澱んでいる。

 覇気などないのだが、セルシオはホコラッテを一目見て、この戦いで自分が死ぬ姿しか連想できなかった。その想像を必死に振り払って、ホコラッテを観察する。


(……オルトマン以上?)


 冷や汗を流し体の震えを抑えきれず、相手の実力をそう読んだ。

 その読みは正しかった。ホコラッテは十年以上ここで戦い抜き、レベルが500に達している。奴隷たちがホコラッテの名前を聞いて死を受け入れたのは、実力差を自覚していたからだ。絶対に勝てないと。それならばせめて楽に死にたいと。

 

「本日最終試合っ始めっ!」


 アナウンスの号令と共に奴隷たちが雄叫びを上げて動き出す。ホコラッテに呑まれていたセルシオは出遅れる。

 奴隷二人が、大剣や斧をそれぞれ振りかぶり飛ぶ。勢いののった二人をホコラッテは両手持ちにした刀の一振りでぶった切る。切れ味などない刀で胴体真っ二つだ。血と肉が飛び散り、刀と腕は血に塗れ、観客はこれを待っていたと歓声を上げる。

 二人殺して表情を少しも動かさないホコラッテに、セルシオはさらに恐怖心を抱いた。

 動きを止めたのはセルシオだけで、奴隷たちは命令通りに動き、戦っていく。

 斬られた二人の体が地面に着く前に、両側からさらに二人が襲い掛かる。

 ホコラッテは一歩下がり、二人の攻撃を避ける。その後二人の頭部へ腕を振り下ろし、頭蓋骨を砕いた。倒れ伏したその二人はすぐには死ねないようで体を痙攣させている。

 これで残りはセルシオを含めて三人。

 あっという間に四人が死んで、客からはもっと粘って血を流せと野次が飛んでくる。


(止まっている場合じゃないっ。生き残りたいなら言われたように二人を利用しないとっ)


 四人死んでようやくセルシオは動き出せるようになった。

 停止しそうな頭を動かし考えて連携すればと思ったが、奴隷たちは命令で動かされていて、自分の言葉に耳を貸すのかわからない。

 協力ではなく、どうにかして利用するしかないと思い知らされる。

 考えているうちに一人が槍を手に突っ込んでいく。ホコラッテはなにも持っていない左手で、突き出された槍を掴んで引き寄せ、刀を奴隷の口へと突き出す。刀は歯を折り奴隷の口を突き破った。


(今なら避けられないはずっ)


 持っていたナイフをホコラッテ目掛けて投げる。刀はまだ奴隷の口に刺さっており動けないと思ったが、ホコラッテは冷静に刀を動かして奴隷を盾代わりに使う。ナイフの刺さった奴隷を地面に投げ捨て、視線をセルシオに向ける。

 視線に押されるようにセルシオは一歩下がる。止まらなかった震えが大きくなる。

 視線が固定されたのを隙と見たか、最後の奴隷が剣を構えて走っていく。

 真横に振られた剣を刀で弾き飛ばし、無手となった奴隷の腹に回し蹴りを叩き込む。五メートル近く血を吐きつつ、床を滑っていった奴隷は、ピクリとも動かない。

 ゆっくりと近づいてくるホコラッテの視線に絡め取られたようにセルシオは動けない。

 目に涙が浮かび、ガチガチと恐怖で歯を鳴らしている。構えた剣と足はみっともなく震えている。

 それでもどうにかできないかと脳は解決策を求めて、オルトマンとの会話を思い出していた。


 いつものように訓練してそれを終えた時の何気ない会話だ。

 オルトマンが強敵と会った時の対処を問う。


「強い敵に遭った時の解決策?」

「そうだ。どうしても敵わないそんな敵に遭った時、どうすればいいと思う?」

「どうすれば、ねぇ」


 セルシオは腕を組み考える。だがいい考えは浮かばなかった。


「わからない」

「一番いいのは逃げることだな」

「逃げる?」

「ああ、敵わないなら戦っても死ぬだけだ。運が良ければ勝てるんだろうが、いつも運任せにするのもな。だから逃げる」

「逃げていいの?」

「いいぞ? その敵はただ鉢合わせただけで、無理に戦う必要がないってこともあるしな。そうだな、お前さん一人でダンジョンに挑んでいた時、出会った魔物と全部戦ったか? 数が多くで無理だと思ったら、戦いを避けたことあるんじゃないか?」

「あるね」


 覚えがあり、頷く。たしかに数が多い時は数が減るまで待つか、別の道を探していた。


「仕事でそいつと戦う必要がある場合は、一度逃げて勝てる作戦を考えてから挑めばいいんだ。罠をはってもいいし、不意打ちしてもいいし、仲間で袋叩きにしてもいい。」

「でも逃げられないって時もあるんじゃ?」

「そういう場合もあるな。そんな時は道具に頼るか、奇策に頼るしかないだろう。道具は煙幕筒とか教えたことあるよな? あれらを使えば逃げる隙くらい作れるはずさ。奇策ってのは相手の注意をそらして隙を作る。そこを突いて攻撃するなり、逃げるなりだな」

「どんな奇策がある?」

「武器を投げる、砂や土を目潰しに使うってのはわりと基本じゃないか? 話して動揺を誘うってのもあるし、交渉するふりして騙すとか」


 目潰しの具体例やほかの奇策を挙げていく。それらを聞いてセルシオは少し不満顔となる。


「なんだか卑怯じゃない?」

「実力が上な相手だと、あらゆる手を尽くさないと殺されるだけだ。訓練なら正々堂々でいいと思うが、実戦だと生き残った方が勝ちって言う奴は多いしな。諦めずに足掻いていけば一度くらいはチャンスが来るもんさ。それを生かせた奴が勝つ」


 言いたかったのは戦わずにすませるか、諦めるなということだ。

 オルトマンは、セルシオの諦めの悪さを知っている。これまでの訓練でやった模擬戦でも、少しでもチャンスがあるなら喰らいついてきたのだ。だから実戦でも同じように諦めずにいられると信じていた。


(……足掻く。正直足掻いてどうにかなるのかわからないよ。でも死にたくないっ)


 心にはいまだ恐怖がある。体も震えている。しかしセルシオは動き出す。

 地面に落ちている斧を拾い、投げる。一度防がれたのだ当たるとは思っていない。それでも防ぐなり弾くなりした時のわずかな隙を突ければと思った。

 そういった考えを読んだか、はたまた偶然か、弾かれた斧がセルシオに向かって飛んできて逆に動きを止められた。


(危なっ!? って目の前に!?)


 止まっている間に素早く接近してきたホコラッテが刀を袈裟斬りに振る。

 間に合えと思いつつ、避けるため体を動かすも微妙に間に合わず、服は切り裂かれ、胸に一直線の腫れ痕が現れる。うっすらと血が滲んでもいる。

 

「お返しだっ」


 ちりちりとした痛みを我慢し、これほど近くいるのだから当たるだろうと、剣を右下から斬り上げる。恐怖のせいで、これまでの訓練がまったく生かせない攻撃だ。

 だがそれは手首を掴まれて、振ることすら止められる。

 ホコラッテはさらに一歩近づき、頭突きをかました。

 セルシオの額の皮膚が割れて、血が流れる。


「があぁっ!」


 お返しと血まみれの頭突きを返す。初めて攻撃が当たるが、ダメージは皆無だった。

 この頭突きでセルシオは吹っ切れたのか、生き残ることだけに集中しだしたのか恐怖を忘れ出していた。恐怖を感じる暇すらなくなってきたというのが正解かもしれない。

 頭突きをうけて動じなかったホコラッテはセルシオの腹を蹴飛ばす。

 先に蹴られた奴隷ほどに五メートルも滑りはしなかったが、その場に蹲り胃の中のものをぶちまける。

 そのまま蹲り続けることなく、地面の土を掴んでホコラッテへと投げる。こういった手は幾度も使われているので、目の辺りに手を持って行き防いだ。


(通常の奇策じゃ駄目っ。本当に意表を突くようなものじゃないとっ)

 

 すぐに立ち上がり、ホコラッテから離れる。

 ホコラッテだけを見るようになって、観客の声は聞こえなくなっている。

 

(逃げられはしない。目潰し駄目だった、武器を投げても駄目だった。あの様子だと話しかけても無駄。そもそも動揺させる情報を知らないっ)


 オルトマンから教えてもらったことを並べていき、作戦を考えようとするもなにも思いつかない。

 ゆっくりと一定の距離を開けて移動していたが、観客の不満を聞いたホコラッテが再び距離を詰める。それを斜め前に転がり飛び込んで、避ける。咄嗟に刀を振り、剣先がセルシオの脹脛を掠る。その攻撃は脹脛の肉をこそぎ落とした。

 新たな傷にセルシオは顔を歪めるが、これだけで済んだことをよしとした。

 再びホコラッテが距離を詰め、先ほどと同じように大きく避けて小さな傷を負う。それを繰り返し、次々と血が流れ出る箇所を増やしていき、体力も減らしていく。

 避けていられるのは、セルシオの技量の高さではなく、主催側からいたぶれと指示が出て手加減しているからだ。そうでなければ頭突きされた時点で、額の骨の砕けて悶絶していただろう。


「はあっはあっはあっ」


 血と汗と土に塗れて、口を開いて大きく呼吸を繰り返す。手加減されているとはいえ、この実力差でよく粘っている。だがこのままではセルシオの死は確実だ。

 

(このままじゃっでも勝つ方法なんてっ)


 作戦など思いつかず、ただただ生きることを諦めずにいる。

 観客からはいい加減殺せと罵声が飛ぶ。こんな退屈な展開の試合など見に来たわけではないのだ。

 次第に観客の声が「殺せ」と一つになっていく。

 それに従うようにホコラッテは今日一番の動きでセルシオに接近した。

 

「速っ!?」

 

 避けることは無理だった。だが少しだけなら体を動かすことができ、セルシオは左腕を盾として前に出す。


「ぐぎぃっ!?」


 灼熱の激痛が腕から走る。肘から先が斬り飛ばされたが、剣を体から逸らすことは成功した。

 咄嗟に右手の剣を突き出すが、以前も似たように肉を切らせて骨を断つといった行動をしてきた者はいて、動揺することなくホコラッテは右腕も斬り飛ばす。

 今度は悲鳴も上げられなかった。

 両腕から感じられる痛みにセルシオは意識を飛ばしそうになるが、半ば無意識ながら生きることを諦めはしなかった。

 右腕を斬り飛ばされた時点で、自分からホコラッテに近づいていたのだ。

 その目には生き残るという意思が眩しいほどに光っている。リジィのことは頭にない、ただただ生きるということだけが意識にあった。


 ホコラッテは近づくセルシオから離れることができた。けれども目の光に魅入られるように動きを止めている。

 奴隷たちとは違う、命じられたわけではない本物の生の意思。久しぶりに感じたその輝きは、ホコラッテも昔持っていたものだ。そして今は失ったものだ。

 ホコラッテは強かった。剣を習わずとも、その才と勘だけで剣闘士として生き残ることができた。始めはセルシオと同じように生き残るため殺して殺して殺しつくしていた。

 けれどホコラッテは殺しが好きというわけではなかった。一人殺すたびに心が磨耗していく。それでも生きることを諦めたくはなく、殺し続け心は壊れていった。

 今では生きるという意思はかぎりなく薄れ、ただ命令に従う人形のようなものと成り果てた。それでも生の意思には何か感じるものがあり、動きを止めてしまった。

 生きるという強い意志の放つ光が、ホコラッテの隷属の縛りを越えて、魂に突き刺さったのだ。


 なぜか動きを止めたホコラッテの首へとセルシオは噛み付く。

 噛み付かれて事態を悟ったホコラッテだが、振りほどくことはしない。心のどこかで安堵する思いがあったのだ。ようやく自由になれると。

 ぐっと首の皮膚に食い込んでいく感触を、ホコラッテは小さく笑みを浮かべて受け入れた。子供が浮かべるような純粋な笑みだった。

 歯がついに皮膚を食い破り、おびただしい血が舞い散って両者の体を真っ赤に染め上げていく。ホコラッテがセルシオに寄りかかるように崩れ落ちていく。

 セルシオは立ってはいるが、意識がほとんどない状態で勝ったことに気づいていない。血を流しすぎ、意識が朦朧としている。

 大番狂わせに観客たちは声を失くす。だが中々見れない勝利の仕方に大喜びとなり、近年まれにみる大歓声を上げた。

 以後、セルシオは地下闘技場で獣戦士と呼ばれるようになる。経緯は、首元に喰らいつく様が獣のようだったという単純なものだ。

 そんな大歓声の中、主催側の男たちが舞台に入ってきて、セルシオを運び出していく。両腕も持っていったということは治療するつもりなのだろう。

 

 賭けの配当だがすごいことになった。まさに大穴。あと五十万コルジも稼げばいいところだったのだが、クースルトに渡された額は三千万だった。

 クースルトはこの全てをセルシオに渡す気はなかった。ピンはねするというわけでもない。思いがけず有名になったセルシオの噂を消すために二千万を使い、残り一千万のうち七百万は以後なにかあった時のための費用として預かっておくことにしたのだ。

 セルシオに渡すのは三百万ということになる。昨日稼いだ六十万はクースルトがもらうことにした。ここに来るための下準備や最初の掛け金で少なくないお金を使っていたのだ。全部が全部準備金というわけでもなく、働いた報酬も六十万の中に入っていたりする。

 噂を消したのは、自分たちの資格者が今回のような変な名前の売れ方をするのは困るからだ。名前を広めるならもっと真っ当な名前の売れ方をしてほしかった。

 

 男たちに運ばれたセルシオは意識をなくしていた。

 男たちはそんなこと関係ないと大治癒薬を使って腕を繋ぎ、小治癒薬を使って額などの傷を治していく。腕が繋がったことを確認すると、簡単に血を拭き取っていき、簡素なベッドに放置した。細々と世話するつもりはなかった。安くない薬を使っての治療は、新たな代表剣闘士への投資だった。まあクースルトの行動で剣闘士となることはなかったのだが。薬の代金は、クースルトが使ったお金で十分お釣りがくるので、丸損というわけでもない。

 今回の戦いでセルシオはレベルを160まで上げていた。戦う前は120だったので、いっきに40上げたことになる。それだけホコラッテが強かったということだ。

 だがそれ以上に注目すべきところがある。資格者が1から2へと上がっていたのだ。後にこれに気づいたセルシオはどうして上がったのかわからなかった。思い返してみると資格者を得た詳しい理由もわかっていないのだ。

 これはセルシオたけではなく、ほかの者にもいえることだった。どうすれば資格者を得ることができるのかわかっていないのだ。資格者を得た状況をそれぞれに聞いてみると、見事にばらばらで大まかにわけることしかできない。

 マニュアルが作れず、資格者は量産されない。これが世に資格者が多くはない理由だ。

 条件があるにはあるのだが、運任せと思われているのが現状だ。


 治療が行われ一時間ほど経つ。セルシオが目覚める前に、根回しをしてきたクースルトがやってきた。

 まだ寝ているセルシオの診察を終えてから、体を揺すり起こす。現状を理解できてないセルシオに簡単に説明して、目的を果たしたことを告げる。


「既に金は入れてあるから確かめてみろ」


 急いで腕輪を起動させて、道具ページを見る。そこには元々持っていた金額に三百万コルジが追加されていた。

 セルシオは達成感と解放感が湧き出て、これでリジィを取り戻せると心の底から安堵した笑みが浮かぶ。

 一分ほどその思いに浸って、クースルトを見る。


「嬉しいけど、この金額は多くない?」

「なにを言ってんだ。それで全部じゃないんだぞ? あと七百万渡していない分がある」

「は? な、なんでそんなに!?」


 予想以上に稼いでいることに驚くを隠せない。二倍以上のお金を渡されていないということを不審に思うことすらできていない。


「当たり前だろう? 大穴だぞ? 相手はこの地下闘技場最強だ。負けて当然だったんだ。そんな相手に勝ったんだから、入ってくる金額も大きくて当然だ」

「なんでそんな相手と戦うことになってたんだ!? もしかして仕組んだ?」

「仕組むわけないだろう。あと五十万ほど稼げばよかったんだ。そんな大博打なんかするか。むしろそんな相手と戦うことになって、こっちが驚いたわ」


 ここに連れて来た時点で資格者の死は覚悟していたが、それでもやけになって大博打に出たりはしない。少しでも生き延びる可能性が高くあってほしいと思っていたのだ。

 正直、主催者からの試合前解説を聞いて、今日死んだなと諦めていたのだ。


「まあ、生き延びたんだ。そのことを喜べ。ああそうだ、明日くらいは探索を休め。腕がくっついたばかりだからな」

「腕?」


 セルシオは自身の両腕を見て、斬り飛ばされたことを思い出した。

 慌てて、指を開いて閉じてと自由に動くことを確認していく。

 その様子をみてクースルトは、セルシオが戦いの終盤の記憶を正確に覚えているわけではないとみた。


「あるし、ちゃんと動く」

「大治癒薬を使ったらしいからな。そりゃ動くだろうさ。診察でも異常なしとでた」

「よかった」

「じゃあ、帰るぞ」


 ベッドのそばから扉へと歩いていく。セルシオもベッドから下りて、部屋を出る。

 地下闘技場へ繋がる通路から出て、再び解放感が身を包む。地下闘技場へと続く通路を見て、ぽつりと呟く。


「二度と来たくないな」

「俺も行かせたくはないな。ここは好きじゃあない」


 クースルトは医者だ。家のために情報収集という役割を持ってダンジョン管理所にいるが、医者という仕事をそのついでにやっているわけではない。誰かを治療することに誇りを持っている。

 そんな仕事と対極に位置する地下闘技場が好きなわけはなかった。

 地下闘技場から離れて、昨日と同じ分かれ道まできた。セルシオの表情は昨日と違い明るい。


「なにか困ったことがあれば、また俺に言え。今日稼いだ分の金があれば、よほどのことじゃないかぎりどうにかなる。使う日が来るまで預かっといてやる」

「わかった」


 渡してもらった分だけでも一般家庭の生活費十年分という大金なのだ。全部を渡されなくても不満はなかった。

 念のためだと言って、今日も薬を渡し クースルトは去っていった。

 

「あとは明日リジィを向かえに行けばいいだけ」


 もう少しと呟いて宿に戻るセルシオの表情は晴れ晴れとしたものだ。出迎えたセオドリアもその表情を見て、大丈夫だと判断した。

感想ありがとうございます


》帰還の岩って地上直行便じゃなかったっけ

 帰りの札を使った場合に直行便となります。使わない場合は上の階に戻るだけです


》セルシオが勝ち進み~

 商人の反応は次回、明日に判明します


》契約っていうのは破棄しない限り一生続くのでしょうか?所属というのもよくわからないのですが命令権があるのでしょうか?

 一生続きます。ですが呪術師であれば誰でも解除可能でもあります。それをクースルトはセルシオに知らせていません。

 所属というのは部活に入るといった感じでしょうか? 行くも行かないも自由。ですが勝手に辞めることはできません

 従わせる強制力はありません。貴族としての地位を利用しての恐喝をする人はいます

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ