転生したら毒薬事件の犯人にされたので、帳簿で薬師ギルドを潰します
事故にも遭っていない。
召喚陣も踏んでいない。
怪しいトラックにも轢かれていない。
それなのに、目を覚ましたら、私は異世界の薬師になっていた。
しかも、店は潰れかけている。
名前は、ミラ・ハーヴェル。
十七歳。
港町ルーメンの外れにある小さな薬草店、月灯りの薬草店の店主。
目の前の天井からは、大量の薬草が吊るされていた。
乾いた葉。
紫色の花。
妙にうねった根。
どう見ても、賃貸マンションには存在しない植物たちだ。
私は寝台の上で、しばらく固まった。
昨日の夜、転生前の私は普通に帰宅したはずだった。
公認会計士として、決算資料を確認し、クライアントの数字にため息をつき、コンビニでサラダを買い、シャワーを浴びて寝た。
それだけだったのに。
両親は亡くなり、祖母も亡くなり、ミラはこの店を継いだばかりだった。
若くなれたのは良かった。
ただし、店は潰れかけていた。
「……なるほど」
私は寝台から起き上がり、店の奥に置かれた帳簿を開いた。
そして、一ページ目で頭を抱えた。
「これは……ひどい」
仕入れ値が高すぎる。
売値が安すぎる。
在庫数が合わない。
ツケ払いが多すぎる。
腐った薬草まで資産扱いになっている。
ミラ・ハーヴェルは才能あふれる薬師だったが、整理と数字は嫌いだったようだ。
私は、もう一度頭を抱えた。
これは潰れるよね。
しかも、同じ業者から買っている薬草だけ、妙に高い。
業者名は、ローデン商会。
私は帳簿に赤線を引いた。
「利益が出ていないんじゃない。利益が操作されている」
異世界初日の朝。
私は薬を作る前に、粉飾まがいの帳簿を見つけた。
前世の職業病である。
さらに店の扉には、紙が貼られていた。
七日以内に借金を返済できない場合、月灯りの薬草店は薬師ギルドが差し押さえる。
私は紙をはがして、鼻で笑った。
「七日ね。監査よりは優しい期限だわ」
その時、店の扉が乱暴に開いた。
鈴が、ちりん、ではなく、がしゃん、と鳴った。
入ってきたのは、銀灰色の鎧を着た男たちだった。
先頭に立つ男は、背が高く、黒髪で、灰色の目をしていた。
整った顔をしているのに、表情が冷たい。
完全に、朝から来てほしくないタイプの男だった。
「月灯りの薬草店の店主だな」
「そうですけど、朝の挨拶にしては物騒ですね」
男は眉を寄せた。
「お前の薬で、騎士が三人倒れた」
私は帳簿を閉じた。
「それは最悪のレビューですね。星一つですか?」
「星一つ? レビュー? 何のことだ」
「気にしないでください。独り言です」
「ふざけるな」
「ふざけてません。訴訟の前には事実確認です」
男の後ろにいた騎士が、小さく吹き出しかけて咳払いをした。
先頭の男は、さらに眉間のしわを深くする。
「私はカイ・ローヴェン。港町騎士団の団長だ」
「ミラ・ハーヴェルです。店主です。あと、たぶん容疑者ですね」
「分かっているなら話が早い」
「いいえ。分かっているのは、あなたが私を犯人にしたがっていることだけです」
カイの目が鋭くなった。
けれど、私は怯まなかった。
前世で監査法人にいた頃、もっと怖い顔の役員から資料を隠されたことがある。
騎士団長の睨みくらいで引くほど、私の神経は繊細ではない。
「倒れた騎士が飲んだ薬は?」
「回復薬だ」
「うちの商品ですか?」
「瓶には、月灯りの薬草店の印があった」
「その瓶を見せてください」
カイは部下に合図した。
差し出された瓶を見て、私はすぐに違和感を覚えた。
瓶は確かにうちのものだ。
けれど、封の紐が違う。
祖母の記憶が教えてくれる。
月灯りの薬草店では、青い紐を使う。
これは黒い紐だ。
「これ、うちの商品じゃありません」
「瓶に店の印がある」
「瓶はうちのものです。でも封が違う。中身も違う可能性があります」
「証明できるか」
私は帳簿を持ち上げた。
「転生前は、帳簿の嘘を見抜くのは専門です」
カイは私をしばらく見た。
「お前の言っている事はよくわからん」
「帳簿で不正薬事件が解けるとでも?」
「剣で数字は切れませんからね」
カイの後ろの騎士が、今度こそ吹き出した。
カイは振り向かずに言った。
「笑った者は後で走れ」
騎士が直立した。
私は帳簿を開き、ローデン商会の欄を見せた。
「この店は最近、ローデン商会から高値で薬草を買わされています。でも品質が悪い。騎士団の回復薬にも同じ薬草が使われているなら、原因はそこです」
「ローデン商会は薬師ギルドの指定業者だ」
「それが?」
「小さな薬草店より信用がある」
「信用は帳簿に載りません。でも不正は載ります」
カイは黙った。
私は赤線だらけの帳簿を突き出した。
「調べるなら、私を捕まえる前にローデン商会の納品記録を見てください。あと、倒れた騎士の薬瓶は全部保管してください。証拠を捨てる人は、だいたい犯人です」
「お前、妙に慣れているな」
「前職で、怪しい数字をたくさん見ましたので」
「前職?」
「こちらの話です」
そこへ、店の外から声がした。
「ミラ・ハーヴェル!」
入ってきたのは、丸い腹をした男だった。
金の指輪をいくつもつけ、香水の匂いがきつい。
薬師ギルドの長、バルガス。
ミラの記憶が、嫌悪感と一緒に名前を教えてくれた。
「七日以内に借金を返せぬなら、この店はギルドが差し押さえる」
彼は紙を突き出した。
「こちらは正式な通達だ」
私は紙を受け取り、ざっと読んだ。
利息が高すぎる。
支払期限が不自然に短い。
そもそも借入額と返済額が合っていない。
私は笑った。
「なるほど。毒薬事件で信用を落とし、借金で店を取り上げる予定だったんですね」
バルガスの顔がひきつった。
「何を言っている」
「まだ独り言です。続きは証拠を見つけてからにします」
カイが私を見る。
「お前、今の一瞬でそこまで読むのか」
「むしろ、読まない人がいるんですか?」
「いる。大半だ」
「では、私の価値が上がりましたね」
カイは少しだけ口元を動かした。
たぶん、笑いかけた。
すぐに無表情へ戻ったけれど。
「ミラ・ハーヴェル」
「はい」
「お前を監視する」
「逮捕ではなく?」
「逃げられると困る」
「それ、恋愛小説なら最悪の口説き文句ですよ」
「何の話だ」
「こちらの話です」
こうして私は、異世界転生初日に、借金と冤罪と騎士団長の監視を手に入れた。
最低のスタートである。
けれど、悪くない。
問題は多い方が、解きがいがある。
その夜、私は店の帳簿をすべて洗い直した。
カイは店の隅に立っていた。
監視だと言うわりに、邪魔はしない。
黙って立っているだけ。
それが逆に圧だった。
「座ったらどうですか」
「監視中だ」
「立っていると疲れますよ」
「問題ない」
「騎士団長って、椅子に座ると死ぬ呪いでもあるんですか?」
カイは黙って椅子に座った。
素直だった。
私は少し笑った。
帳簿をめくると、ローデン商会の納品記録に妙な空白があった。
納品日と支払日が合わない。
商品名も一部だけ曖昧。
さらに、ギルドへの手数料が不自然に上乗せされている。
「見つけた」
カイが顔を上げる。
「何を」
「嘘の足跡です」
私は紙に書き出した。
ローデン商会。
薬師ギルド。
騎士団への納品。
月灯りの薬草店の瓶。
全部がつながっている。
「うちの空き瓶を誰かが集めて、粗悪な回復薬を詰めた。騎士団に売ったのはローデン商会。薬師ギルドはそれを知っている。で、責任はうちに押しつける」
「目的は店か」
「たぶん。祖母の薬草配合が欲しいんでしょう。騎士団の薬に使えば大きな利益になります」
カイの目が冷たくなった。
「部下を病気にした上に、罪を押しつけたか」
「怒るのは後です。先に証拠」
「どこにある」
「ローデン商会の倉庫。たぶん隠し帳簿があります」
「なぜ分かる」
「不正する人間は、たいてい二つ帳簿を作ります。嘘をつくにも、本人用の本当の数字が必要ですから」
カイは少し沈黙した。
「お前は、戦場にいないのに戦えるんだな」
私はペンを止めた。
その言葉は、少しだけ胸に残った。
「数字の戦場は毎月あります。決算期は地獄です」
「よく分からんが、恐ろしいことだけは分かった」
「正しい理解です」
その夜、私たちはローデン商会の倉庫へ向かった。
もちろん、普通に入れるわけがない。
カイは剣を抜いた。
「下がっていろ」
「嫌です。帳簿の場所、あなたには分からないでしょう」
「倉庫を壊せば出てくる」
「出てきません。あなた、数字に弱そうですし」
「否定はしない」
「そこはしてほしかったです」
倉庫の裏口には、鍵がかかっていた。
私はミラの記憶にある薬草用の細い金具を使い、鍵穴を探った。
カイが低く言う。
「薬師は鍵も開けるのか」
「公認会計士は開けません」
「何だそれは」
「説明すると長いので、今は私を有能な薬師だと思ってください」
転生した薬師は、職業柄指先が器用でよかった。
鍵が開いた。
倉庫の中は薬草の匂いで満ちていた。
だが、その中に混じっている。
腐った葉。
薄めた薬液。
安物のアルコール。
私は顔をしかめた。
「これはひどい」
カイも瓶を手に取り、怒りを押し殺した声で言った。
「これを騎士に飲ませたのか」
「しかも、うちの瓶に詰め替えて」
棚の奥に、鍵付きの小箱があった。
私は開けた。
中には帳簿がある。
表向きの帳簿ではない。
本当の仕入れ額。
騎士団への納品額。
薬師ギルドへの裏金。
月灯りの薬草店を差し押さえた後の利益予測。
完璧だ。
「勝ちました」
その瞬間、倉庫の扉が開いた。
バルガスが立っていた。
後ろにはローデン商会の男たち。
「その帳簿を渡しなさい、小娘」
私は帳簿を抱えた。
「小娘ではありません。公認会計士です」
「何だそれは」
「あなたを破滅させる職業です」
バルガスの顔が真っ赤になった。
「捕らえろ!」
男たちが動いた。
カイが私の前に立つ。
剣が抜かれる音が、倉庫に響いた。
「ミラ」
「はい」
「帳簿を持って走れ」
「あなたは?」
「道を開ける」
「かっこいいこと言いますね」
「走れ」
「はいはい」
私は帳簿を抱えて走った。
けれど、出口の手前でバルガスが短く呪文を唱えた。
赤い火が床を走る。
帳簿の端に火が移った。
「ちょっと!」
私は慌てて火を払う。
だが、数ページが黒く焦げた。
バルガスが笑った。
「燃えれば終わりだ。証拠がなければ、小娘の妄想にすぎん」
私は焦げた帳簿を見た。
たしかに一部の数字が読めない。
カイが舌打ちする。
バルガスは勝ち誇った顔で言った。
「さあ、その無駄な紙を渡せ」
私は顔を上げた。
「燃やしても無駄です」
「何?」
「主要な数字は覚えました。職業病です」
バルガスの顔が引きつった。
私は早口で言った。
「ローデン商会から騎士団への納品額は正規価格の二・七倍。薬師ギルドへの裏金は月ごとに八パーセント。月灯りの薬草店を差し押さえた後の利益予測は、年間で現在の五倍。ついでに、あなたの名前の横に丸が三つ。たぶん分配済みの印ですね」
倉庫が静まり返った。
カイが低く笑った。
「お前は本当に怖いな」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めている」
その言葉に、少しだけ胸が跳ねた。
バルガスが怒鳴る。
「黙れ! 捕らえろ!」
男たちが襲いかかってきた。
カイが剣を振る。
私は出口近くにあった棚を蹴り倒し、追ってきた男の足を止める。
「薬師は棚も倒すのか!」
カイが叫んだ。
「公認会計士も必要なら倒します!」
「絶対に嘘だろう!」
「前世ではやってません!」
倉庫の外には、カイが呼んでいた騎士団が待っていた。
バルガスたちはその場で捕らえられた。
翌日。
薬師ギルドとローデン商会の不正は、町中に知れ渡った。
ローデン商会は営業許可を失い、倉庫も財産も騎士団に差し押さえられた。
そして、薬師ギルドは解体された。
薬師ギルドは、長いあいだ不正の温床だった。
薬草の仕入れに勝手な手数料を乗せる。
薬師店から上前をはねる。
指定業者を通さなければ、まともに商売できないようにする。
そんなことをしていた者たちは、まとめて捕らえられた。
だが、町の薬師たちは困らなかった。
むしろ、次々に月灯りの薬草店へやって来た。
「ありがとう、ミラ」
「これで、やっと真っ当な値段で薬を売れる」
「もうギルドに上前をはねられずに済む」
薬師ギルドが消えた日、町の薬師たちは初めて自由に商売できるようになった。
私は新しい帳簿を開き、小さく笑った。
「薬師ギルド、民事再生法とか使えるかしら」
隣でカイが言った。
「潰したのはお前だ」
「帳簿が正直だっただけです」
「その帳簿を読めたのは、お前だけだ」
月灯りの薬草店への疑いは晴れた。
それどころか、騎士団から正式な契約が届いた。
安定した収入。
正当な価格。
まともな納品条件。
私は契約書を見て、思わず拍手した。
「素晴らしい。まともな契約書って、美しいですね」
カイは眉をひそめた。
「契約書を見て喜ぶ女は初めて見た」
「剣を見て喜ぶ騎士と似たようなものです」
「違う」
「似てます」
「違う」
その言い方が少し子どもっぽくて、私は笑った。
店は忙しくなった。
棚には新しい薬草が並び、青いランプは毎晩灯った。
借金は整理され、ギルドの不当な利息も無効になった。
月灯りの薬草店は、潰れなかった。
数日後。
閉店後に、また扉の鈴が鳴った。
入ってきたのはカイだった。
鎧ではなく、黒い外套姿。
手には小さな紙袋。
「今日は事件ですか?」
「違う」
「逮捕ですか?」
「違う」
「では何でしょう」
カイは紙袋を差し出した。
中には焼き菓子が入っていた。
「礼だ」
私は目を丸くした。
「騎士団長が、お礼にお菓子を?」
「不満か」
「いいえ。意外で、少し可愛いなと」
「可愛いと言うな」
「では、かなり可愛い」
「増やすな」
私は笑いながら薬草茶を淹れた。
カイはいつもの席に座る。
私はカップを置いた。
「疑いは晴れましたよね」
「ああ」
「薬も必要ありませんよね」
「必要ない」
「では、なぜ閉店後に来るんですか?」
カイは黙った。
いつもの沈黙だった。
言葉を探している時の沈黙だと、もう分かる。
私は急かさず、薬草茶を彼の前に置いた。
カイはカップを見つめたまま、低く言った。
「会いに来た」
思ったより、まっすぐな言葉だった。
私は一瞬、返事を忘れた。
カイは顔を上げる。
「戦場では、守るべきものが分かっていた。敵を倒せばよかった。剣を振ればよかった」
その灰色の瞳が、私を見る。
「だが、お前の前では分からない。何を言えばいいのかも、どう触れればいいのかも」
「……騎士団長にも、苦手なものがあるんですね」
「ああ」
彼は、少しだけ苦しそうに笑った。
「お前だ」
胸が、静かに熱くなった。
カイは続ける。
「お前は剣を持たずに戦った。帳簿一冊で、私の部下を救い、この店を守った。そんな女を、私は知らない」
「褒めています?」
「褒めている」
「分かりにくいです」
「努力する」
その言葉に、私は笑った。
今度は軽口ではなく、嬉しくて笑った。
「では、明日も来ますか?」
「ああ」
「薬草茶を飲みに?」
カイは少し黙った。
そして、今度は逃げずに言った。
「お前に会いに」
私はカップを彼の前に押し出した。
「では、明日も淹れて待っています」
カイの耳が、少しだけ赤くなった。
それでも彼は、今度は目をそらさなかった。
月灯りの薬草店は、今日も港町の外れで灯っている。
薬草、回復薬、睡眠茶。
ついでに帳簿相談も受け付けている。
そして閉店後には、無愛想な騎士団長が、焼き菓子を持ってやって来る。
私は明日もきっと、帳簿を開く。
薬草茶を淹れる。
そして、扉の鈴が鳴るのを待っている。
数字では測れないものがあるなんて、前世の私なら笑ったかもしれない。
でも今は、少しだけ分かる。
黒字より嬉しい来客が、この世界にはあるらしい。
ポイントを入れていただけると、大きな励みとなります。
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こちらの作品もおもしろいと思います。お読みいただければ有難いです。




