泡沫の静寂
幾多の戦死者と負傷者を出した初日の戦い。
戦士達の束の間の休息をご覧ください。
遠くで誰かの声がする。夢の中のような、くぐもった音だ。蒼夜はゆっくりと瞼を開く。生きている。それだけは分かった。賢治の時と違い、隣に温もりを感じる。
「おい、大丈夫か⁉」
東堂が心配そうに蒼夜の顔を覗き込んでいる。
はっきりしない意識で蒼夜は言葉を絞り出す。
「ここは...?」
「基地内の医療棟だ。お前、カルナとの戦闘で魔力使い果たしてぶっ倒れてたんだぞ」
蒼夜の意識が一気に覚醒した。
壁上にはまだカルナがいたはずだが、砲兵と陸達は無事なのだろうか。
「あの、壁上の戦況は?」
「お前と陸、そして志信の奮闘のおかげで砲兵は半分生き残った。術支隊も同じくらいの損害を出してるけど、全滅はしてないぞ。カルナは中央即応旅団の支援で殲滅したよ」
アルコールと何かの薬の匂いが充満する部屋の中で蒼夜は無理やり上半身を起こす。
蹴られた腹部と全身の筋肉が痛む。
「んぐっ」
「まだ休んでていいぞ。ほら寝ていろ」
東堂が起き上がろうとする蒼夜の肩を抑え、ベッドに寝かしつける。
「いえ、まだ防衛戦は終わっていません」
「多分今日はもう戦闘にならないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ、小田一尉達が命懸けで敵砲撃陣地を破壊してルグナードを殲滅してくれたお陰でな」
壁上から見た第一中隊と第二中隊の激戦を思い出す。
「何人生き残ったのですか?」
「両中隊合わせて四割くらいだな。陸が報告なしで中即団と一緒に救援に行った。小田一尉は重症で隣の病室で寝ているけど、陸は無事だ。ほらそこに正座で座ってるだろ?」
東堂は入口の横を指さしながら言った。口調は緩く笑っているが、声音で怒っているのが分かる。
「よ、よお蒼夜。生きてるかー?」
見ると陸が肩身狭そうに手を上げている。
「どうしたんですか?そんな所で」
「いや、無断出撃で東堂の兄貴に怒られてここで正座してろって言われてな。はは」
無断出撃は軍律違反だが、怒るだけで許す東堂は少し甘いのでは、と思う蒼夜だった。
「全くこいつは」
東堂の目が笑っていない。陸はさらに縮こまってしまった。
蒼夜はこの人だけは怒らせないと密かに誓った。
「とりあえず今日はもう攻撃はないだろう。魔族の奇襲を防いで敵の砲撃陣地も潰した。初日の戦果は十分挙げてるはずだ」
「そう、ですか」
半分以上が死んだのか。
この戦死者数と戦果が見合うのか分からない。
病室のドアをノックする音が響く。
「失礼しまーす。蒼夜君どうです?」
「回復魔法はいりませんかー?」
入って来たのは美月と來だった。
「お、蒼夜君起きてるじゃないか。調子はどうだい?」
「問題ありません。魔力もだいぶ回復しました」
「そっか。怪我の治療はここにいる美月がやってくれたからお礼を言うんだよ」
來が美月に手を向けて仰々しく言う。
美月に目を向けると自慢げな表情でこちらを見ている。
「ありがとうございます」
「内臓のダメージが酷かったから大変だったよ。あまり無理しちゃだめだよ」
「約束は出来かねます」
蒼夜の言葉に室内が笑いで包まれる。
「正直すぎでしょ」
美月が笑いながら言う。この人の笑い声初めて聞いたな。
再度、來に目を向ける。
來の援護でカルナの一団と戦えた。あの狙撃が無ければ正直危うかった。
「來さん、壁上への援護ありがとうございます。お陰でカルナの一団と戦えました」
「ああ、良いんだよ。言ったでしょ?後ろは任せてって」
配属初日に言われた言葉を思い出す。あの時は想像出来なかったが、超人的な狙撃を目の当たりにして改めて來を見つめる。
伸ばした茶髪の下に見える焦げ茶色の目が優しくこちらを見ている。
戦うときはどんな目をするのだろう。
「蒼夜、明日からも激しい戦闘になると思うからゆっくり休め」
東堂が立ち上がりながら言う。
「はい、ありがとうございます」
「おう。よし、飯行くぞー」
はい、や了解です、と言いながら小隊の皆が病室から出る。
「じゃあ蒼夜、お大事にな!」
最後に退室した陸が手を振りながらドアを閉めた。
一人となった室内で息を吐く。
「ふう...」
ベッドは窓際に置かれている。
少し横を見ると橙色に染まる空が瞳に映る。
壊された建物を突貫工事で直す工兵が忙しなく動いている。壁はまだ壊されていない。
モータープール、つまり駐屯地内の大型駐車場には黒い袋が整然と並んでいる。
今日の戦闘で戦死した兵士の死体か。見慣れた光景だ。
川越の時は遺体を回収する暇がなかったから慰霊碑だけ靖国神社に祭られている。休暇があれば行かないとな。
目を閉じ布団に倒れこむ。
小隊のみんなが退室してから静寂が広がる。
思えば配属されてから一人でいる時間がほとんどなかったな。
個室がある訳でもなかったから文字通りいつも人がいた。
部屋の時計が五時を示すチャイムを鳴らす。
目を開けて辺りを見回す。
「静かだな」
誰もいない部屋で独り言を零す。
時計の秒針が音を鳴らす。
突然ドアがガラリと開く。
「よ!飯一緒に食おうぜ」
陸がトレーを二つ器用に持ちながら立っていた。
「腹減ったろ」
「はい」
「ほれ、これ蒼夜の分」
「ありがとうございます」
トレーには米と野菜炒めが山盛りだ。
陸がベッド脇に置かれている椅子に座りトレーを膝の上に置く。
蒼夜もトレーを受け取り布団の上に置く。
「食べさせてやろうか?」
陸がニヤニヤしながら言う。心底嫌そうな声で答える。
「...遠慮します」
病室に陸の笑い声が響き渡る。
――夜。
すっかり日が沈み、月光が地上を照らす中、蒼夜は病室を抜け出し基地内を宛てもなく歩いていた。腰には軍刀だけを下げている。
持ち回りで壁上に巡回を展開している。今のところ魔族に目立った行動はないようだ。
考えもなく歩いていると、基地内の広場に着いていた。
広場にはベンチがいくつか用意されている。
芝生を踏み近場のベンチに向かう。
すると暗くて見えなかったが、先客がいた。
「柊士長か」
声の主は桧垣一佐だった。
急ぎ敬礼をする。桧垣は休めと言い、ベンチの隣を勧めてくる。
「横、失礼します」
蒼夜は大人しく桧垣の隣に座る。
しばしの沈黙が広場に流れる。
先に沈黙を破ったのは桧垣だった。
「お前、休んでなくていいのか?カルナの隊長とやり合って負傷したと聞いたぞ」
「はい、十分休みました。もう動けます」
「そうか」
「はい」
横から桧垣を見上げる。岩のように分厚い筋肉と頬に走る切り傷が戦歴を物語る。
白髪混じりの髪を短く切り揃え、軍服を綺麗に着こなしている。
桧垣の目が蒼夜を見る。
圧がすごいな。
思わず目を逸らしたくなったが、敢えて見返す。
桧垣がふと表情を和らげる。
「ゴード討伐よくやった」
「はい」
「お前のお陰で砲兵と術支隊は全滅せずに済んだ」
壁上の戦いのことはすでに報告に上がっていたらしい。
「小隊はどうだ?」
「強いと思います」
「ふん、まだまだひよっこの部隊だが見どころはあると思っているぞ」
「なぜ、敵砲撃陣地への突撃作戦から小隊は外されたのですか?」
しっかりと桧垣の目を見て問いかける。
「魔法を使うための紫石感応度。お前はいくつだったか?」
「35%です」
「確かに高い水準にあるな。だが、あの戦場で必要なのは仲間との絆と、守る意思だ」
守る意思。それなら自分にもある。それを目で主張する。
「確かにお前は砲兵と術支隊を守った。だが、敵を倒して魔力切れになり倒れた。仲間を守るために限界を超えられず、魔力切れで倒れる兵士をあそこに送れない」
「それは、そうですが…」
魔力切れで意識を失ったのは事実だ。言い返せない。
「だがそれを責めている訳じゃない。それは大人の責任だからだ。そして軍人の役目だからな」
「自分も軍人です」
「軍人にしてはだいぶ小柄だな」
桧垣は少し口元をほころばせながら頭を撫でる。上官の手をどける訳にもいかないため、蒼夜は眉を歪めながらされるがままでいる。
「川越防衛線の報告書を読んで、初日にお前を見て分かった。お前は復讐のために戦っている。守るためじゃない」
そんなことない、そう言いたかった。でも言えない。
「仲間が全滅して復讐したいと思うのは当たり前だ。でも子供の夢が復讐で終わるのは、俺は見ていられないな」
夢。東堂も言っていた。夢を持てと。そんなもの抱いたこともない。
「お前の夢はなんだ柊士長」
「夢は……」
言いかけても何も浮かばない。
「まだ何もないか」
「すみません」
常夜灯に群がる虫の声が二人を囲む。
「俺の夢の一つはな、富士の頂上で初日の出を見ることだ。昔は毎年部下と行っていた」
「富士山ですか」
映像でしか見たことない霊峰。知識でしか知らないが戦前は自由に登れたらしい。
「意外か?思ったより小さい夢だったろ」
「いえ、そんなことは」
「正直に言っていいぞ。自分でも小さい夢だと思ってる。だが、それで良い。小さい夢の積み重ねがいつか大きい夢になる」
いつか大きい夢が抱けるだろうか。小さい夢だってまだない。
小隊のみんなは夢を持っているのだろうか。
「桧垣一佐の大きい夢はなんですか?」
「聞きたいか?」
「はい。参考にしたいです」
「夢の参考って。そうだな、防衛戦を生き抜いたら教えてやる」
桧垣は立ち上がり、軍服の皺を直す。
「そろそろ執務室に戻る」
蒼夜も急ぎ立ち上がり敬礼をする。
桧垣は蒼夜を見下ろし口を開く。
「お前もいつか、そんな『くだらない夢』を話せるようになれ」
そして歩き出した。
見えなくなるまで大きな背中を見つめる。
「まだ夜は冷えるな」
五月の中旬。夜は冷たい風が肌を撫でる。
風を背に隊舎へ向かい歩き出す。
――クラトシアは配下の魔族の主だった者を集めて軍議を開いていた。
「我が主。ルグナードの部隊が壊滅した今、あの壁の破壊は中々骨がおれますな」
「ルグナードの護衛の責任者は誰だ?」
蝋燭の明かりの灯る中、イラ立ちを隠さずにクラトシアが怒気を込めて言う。
一体の魔族が声を震わせて答える。
「も、申し訳ありません。我が主。人間の地上部隊だけなら問題なかったのですが、あの空飛ぶ鉄の塊が邪魔で、十分な対応が出来ませんでした」
「どの面を下げてこの魔王に反論する」
「ひぃ、申し訳ございません。命だけは」
「ザルバ、こいつを殺せ」
「はっ!」
「待ってください我が主!今一度機会を下さい!」
どっしりとした体躯のザルバが身長二メートルほどの一回り小さいドロヴァの顔面を握る。
絶叫が響く中、片手で持ち上げそのまま顔面を握り潰す。
ぐしゃりと音を立ててドロヴァは絶命する。
他の魔族は無表情でその光景を眺める。
「我が配下に無能はいらぬ。ぬしらの忠誠を見せてみよ」
「は!このハルバーサ、日の出と共にあの忌々しい壁を崩し人間の軍を滅ぼしてみせましょう」
「ほう、任せたぞハルバーサ。我が腹心の力を見せてみよ」
クラトシアは静かに笑う。
「勝利の暁に人間の血で乾杯をしようぞ」
配下の魔族たちは跪き頭を垂れ、クラトシアに忠誠を示す。
――小隊の隊舎に戻った蒼夜を迎えたのは温かい声と笑顔だった。
彼らの夢をまだ知らない。
明日はいくつの夢が失われるのだろうか。
この物語のテーマは夢です!




