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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

長編化したい短編

離婚したい陛下へ――結婚していないのに離婚ってできるんですか?

作者: 澤谷弥

(あぁ……やっとこの日が来たのね……)


 ティオナは隣に立つ兄ステファンを、琥珀色の瞳で見上げた。大勢の人が集まる大広間、彼女の瞳には決意と緊張が宿る。


 彼もティオナの視線に気づき、深緑の瞳を細くして小さく顎を引く。

 大丈夫、安心しなさいと言っているようで心強い。


「ティオナ・アグネ・リルクット」


 その名を声高らかに告げたのは、このリルクット国の王、ヴァナル・フィン・リルクット。金色の髪はシャンデリアの光を反射し艶やかに輝くものの、深い深い井戸の底のように暗い瞳は、鋭くティオナを睨みつける。


 広間の空気が一瞬にして張り詰め、ざわめきが静まった。


「本日をもって、ティオナを廃妃とする。すなわち、離婚だ」


 ヴァナルは右手の人差し指をピンと伸ばして、ティオナに突きつけた。


 今日はヴァナルの即位三周年記念パーティーで、会場となった大広間には国内外から名だたる重鎮たちが集まり、華やかな衣装と宝石が輝く。


 そのような場で、ティオナは突如として廃妃および離婚を言い渡されたのだ。


 ステファンは落ち着いた様子だが、父のローセン公爵はふるふると震えている。それは怒りのためなのか、不安のためなのかはわからない。


 ティオナがヴァナルと初めて顔を合わせたのは、二年前、彼女が十六歳のときだった。


 二十二歳という若さで王に即位したヴァナルは、前王の息子だ。


 前王の死後、王位を巡る派閥争いが勃発し、王子派と王弟派が激しく対立した。結果、王子派が勝利を収め、王弟は卑劣な策略によって追い詰められ、今なお生死不明のままだ。


 しかしティオナの父ローセン公爵は王弟派の筆頭であったため、ヴァナルがティオナを妃として娶ったのは愛などではなく、ローセン公爵への嫌がらせに他ならなかった。


 実質、体のいい人質である。


 この結婚に愛情の欠片もないことは、ティオナ自身が誰よりもよく理解していた。

 神官長の前で形だけの愛を誓い、結婚誓約書には無理やり名前を書かせられた。


 その結果、離宮という名ばかりのぼろ屋敷に押し込められ、つけられた使用人も最低限。王妃予算なんてあってもないようなもの。


 外界との接触を禁じられ、ティオナは二年間、孤独な幽閉生活を強いられた。当然、その間、ヴァナルは一度も彼女のもとを訪れなかった。つまり、白い結婚。形だけの夫婦だった。


 恐らく彼は、それを理由にこの場で離婚を切り出したのだろう。


 またヴァナルは、ステファンと共にこの場に現れたティオナを、ティオナだと認識していなかった。彼のほうから「必ず出席しろ」と命じてきたにもかかわらず、その相手の顔を覚えていなかったのだ。


 それもそのはず。


 確かに、二年前のティオナはまだ少女らしさが残る十六歳だったが、今は十八歳。背も伸び、身体は柔らかな曲線を描き、洗練された大人の女性へと変貌していた。


 それに合わせて両親がドレスの手配をし、エスコートにはステファンが名乗り出た。

なぜなら、ヴァナルはティオナのパーティー参加を命じながら、ドレスや準備の支援を一切しないと宣言していたからだ。


 仕方なく、ティオナは実家のローセン公爵家を頼った。


 ヴァナルはそれを当然のように許可したが、ティオナは手紙を通じて家族と連絡を取り合い、こうして体裁を整えることができたのだ。


「陛下、離婚の理由をお聞きしても?」


 背筋を伸ばしたティオナは堂々と尋ねた。やわらかなモスグリーンのドレスは、彼女に落ち着きと気品を与え、背中に流れる白銀の髪をより美しく際立たせる。


 それを地味なドレスと一蹴したのは、ヴァナルの隣に立つ女性アンネリエ。リルクット国でも有数の商会の娘だと記憶している。


 ヴァナルといい関係にある女性というのは、ひと目見ただけでわかった。ただ、どこまでの関係にあるのか、離れて暮らしているティオナにはわからない。


「婚姻義務不履行。妃の役目は世継ぎをもうけることだが、この二年間、おまえはその役目を怠った」


 怠ったも何も、二年間、顔も合わせていないのだから。


「証拠はある」


 証拠も何も、二年間、顔も合わせていない。むしろその事実が証拠なのだろう。


「承知しました」


 ティオナが告げれば、ヴァナルは満足そうに微笑む。

 彼の狙いは明らかだった。ティオナの経歴に離婚歴という汚点を刻み、まともな縁談を潰すこと。元王妃という肩書きを持つ女性と結婚したいと思う男性はまずいない。


 よくてどこかの後妻、愛人。もしくは修道院に身を寄せる。


 だからティオナが十六歳になってすぐ妃に寄越せと、ヴァナルはローセン公爵に要求したのだ。この国では、十六歳から結婚できる。


 さらにそのような女性を輩出したローセン公爵家にもよい縁談がくるわけがない。ローセン公爵家と結びつけば、そこは国王を敵にまわすことになる。


 この場合、兄のステファンの縁談に影響が出る。こうやってティオナのエスコートをしているくらいだから、彼だって独身の婚約者なし。仮に婚約していたとしても、この件で破談になったに違いない。


「陛下。私のほうから最後にひと言、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」


 腕を組み、威圧的に言葉を投げつけるヴァナルは、相変わらずだ。二年前と何も変わっていない。傲慢で、己のことしか考えていない。


「そもそも、私と陛下の結婚は成立しておりませんが? つまりこの二年間、私と陛下は赤の他人同士で過ごしていたわけです。ですから離婚と言われましても、なんのことやらさっぱり……? 結婚していないのに、離婚ってできるんですか?」


 ティオナがわざとらしく首を傾げれば、ヴァナルの怒りは頂点に達する。もちろん、その隣にいるアンネリエまで怒りで頬を紅潮させる。


「何を言っている? 悔しさのあまり、苦し紛れに嘘をつくのか?」

「嘘ではありません。事実です。神官長、当時の結婚誓約書はございますか?」


 この場で離婚手続きを行い、見世物にしようとしていたヴァナルのことだから、神官長と結婚誓約書及び離婚届を準備しているに違いないと思っていたら案の定。


「はい。こちらにございます」

「では、結婚誓約書にサインした日、その人物と年齢を読み上げていただいても?」


 神官長は朗々とした声で誓約書を読み上げる。


 結婚した日はカイサ歴1745年8月1日。夫はヴァナル・フィン・リルクット、二十二歳。妻はティオナ・アグネ・ローセン、十六歳。


「何もおかしなところはないじゃないか!」


 ヴァナルが吠えれば、彼に同調する者たちが「そうだ、そうだ」と口にし始める。


「そうですね。誓約書の内容だけでしたら、何もおかしなところはございません。ですが、陛下。私はローセン公爵家の養子なのです。ご存知でしたか?」


 ヴァナルの唇の端がひくついたのを見れば「知らなかった」と言っているようなもの。


「父も母もそのようなことを言いふらす人間ではございませんし。私がローセン公爵家に来たのは、赤ん坊のときですから……。知らない方も多いかと」


 その言葉に、会場にいた者たちのざわめきが広がった。


 ティオナが養子だという事実を知らなかった者も多かったのだろう。


「陛下。妃にされるような女性の出自は、きちんと確認されたほうがよろしいですよ?」


 ティオナの言葉に、ヴァナルはふんと鼻から息を吐く。


「養子だろうが、今はローセン公爵家の人間だろう。なぜこの婚姻が無効になる? 無効にしたいというローセン公爵家からの願いか? 跪いて頭を垂れ、この場で謝罪したらそれを認めてやってもいいがな。そうすれば、おまえに離婚歴はつかないだろう?」


 ローセン公爵が拳を握りしめ、ふるふると震えているのを、夫人が「どうどう」と宥めているようにも見えた。


「育ての父にそのようなことは望みません。むしろ陛下は、本当にお気づきになられていないのですね?」


 ティオナがその場に集まった人たちの顔を見渡せば、ローセン公爵と同じように震えている人物がもう一人いる。その彼もまた、側にいる者に「どうどう」と落ち着くようにうながされていた。震える彼と目が合い、ティオナは艶然たる笑みを浮かべる。


「私は、隣国オーサ国の人間です。養子になっても国籍は変わりません」

「それがどうした?」

「陛下は、オーサ国で法律が改正されたのをご存知ですか? もちろん、ご存知ですよね? だって、陛下はこの国で一番偉い人ですもの」


 だが、偉いことと賢いことは別だと、ティオナは心の中でそう呟く。


「オーサ国では、法律改正によって、婚姻できる年齢が引き上げられたのです。今は、男女ともに十八歳にならなければ結婚できません」


 ヴァナルのこめかみがひくっと蠢いた。


「オーサ国で婚姻できる年齢が十八歳に引き上げられたのは、カイサ歴1745年4月1日。7月生まれの私は、まだ十五歳でした。そして8月1日に十六歳で結婚誓約書にサインをいたしました。リルクット国では婚姻が成り立ちますが、オーサ国では成立しません。そして国籍がオーサ国にある私には、オーサ国の法律が適用されます。ここまで言えば、陛下だっておわかりですよね? この婚姻は最初から無効だったのです」

「どういうことだ、ローセン公爵。私を騙したのか!」


 ヴァナルが震えながら叫んだ。ようやく事態を理解したらしい。


「騙すも何も、勝手に娘を拉致するかのように連れていったのは陛下ではございませんか? 我々の意見に聞く耳も持たず。そうやって娘を二年もぼろ屋敷……ではなく、離宮に閉じ込めた。その間も娘を返すよう、我々は要求しましたが、それも無視され続け……。本日、二年ぶりに娘の顔を見たわけです」


 今にも泣き出しそうな表情を見せる父も舞台俳優になれそうだと、ティオナは心の中でほくそ笑む。


「そういうわけですから陛下。私たちの婚姻は成立していなかったのです。私は好きな人と結婚しますから、陛下もどうぞ自分の好きな方と一緒になってください」


 ティオナがスカートの裾を持ち上げ、優雅に頭を下げた。

 会場は静まり返り、ティオナの明るい声が響く。


「それではみなさま、ごきげんよう」


* * *


 ティオナの実の両親はオーサ国の貴族、ルバリ公爵夫妻だ。公爵夫人がオーサ国の前王の妹である。

 ティオナが生まれる少し前に、当時の王、すなわち公爵夫人の兄が急逝した。突然の不幸で悲しんだのは束の間。


 次の国王をめぐって派閥争いが起こった。前王には息子が二人いる。第一王子か第二王子か。


 第一王子は正妃が生んだ子だが、第二王子は愛妾の子。揉めないわけがない。そして正妃は、第一王子を生んですぐに亡くなっている。


 両親はティオナを守るため、旧友のローセン公爵に彼女を預けた。政治の道具にされることを避けたいという願いだった。だからローセン公爵に養子にしてほしいと願い出たのだ。


 ローセン公爵夫人は、ステファンを出産した後、体調を大きく崩し、次の子を授かるのは難しいだろうと言われていた。だからティオナを養子にと言われたとき、公爵夫人は心から喜んだ。


 オーサ国の情勢が落ち着いたのはティオナが五歳のとき。

 当時の第一王子が王となり約五年。国内各地で暴れていた第二王子派の残党も取り押さえ、逃げ回っていた第二王子及びその母親も捕らえた。

 ティオナはそのとき実の両親の存在を知ったが、彼女にとって本当の両親はローセン公爵夫妻だった。それでも、実の両親との交流は始まり、後に妹が生まれたと知らせを受けた。


 しかしティオナを政治の道具にさせたくなかったルバリ公爵の想いは、見事に砕け散る。


 それはリルクット国王が亡くなり、同じように次の国王をめぐって派閥争いが起こったからだ。次期国王は王子か、王弟か。


 ローセン公爵は、ティオナにオーサ国に戻るように言い、ルバリ公爵もティオナを受け入れると口にしたが、ティオナは決して首を縦には振らなかった。

 王弟派であるローセン公爵の立場が不安定であるのを理解しているからこそ、ティオナは彼らの力になりたかった。


 リルクット国内に、王弟の生死不明という噂が流れたとき、ローセン公爵は急いでルバリ公爵に連絡を入れた。


 オーサ国内では、以前から婚姻可能年齢引き上げの話が出ていたが、それがティオナが十六歳になる前に施行されれば、ティオナは十八歳になるまで結婚ができない。


 王子であったヴァナルが新国王に即位し、ローセン公爵への当たりが強くなるにつれ、彼の狙いがティオナに向いていることなどお見通しだった。


「お父様。むしろこれはチャンスです!」


 国王になったヴァナルが、税金を湯水のように使っているのは一目瞭然。不正の証拠を集める必要がある。それを突きつけ、ヴァナルを国王の座から引きずりおろす。王弟が生死不明の今、次期国王として名があがったのは、前王の姉の子。つまりヴァナルとは従兄弟関係にある。


「私が十六歳になったのを機に、王は婚姻を迫ってくるでしょう」


 まさしくティオナの読み通り。ローセン公爵を脅すようにして、ヴァナルはティオナを王宮へと連れていき、結婚誓約書に名前を書かせた。


 もちろん婚姻可能年齢に達していないティオナがサインしたところで、この結婚は無効となる。

 自分のことしか頭にないヴァナルは、隣国の法律改正にも興味はなかったようだ。


 その後、離宮という名のぼろ屋敷に追いやられたティオナだが、ここで働く使用人は「お仕事募集!」という張り紙をみてやってきた平民たち。理由はもちろん提示された給金がよかったから。


 しかし、不正を働きまくっているヴァナルが、提示した金額通りの給金を支払うわけがない。そのため、使用人たちに不平不満がたまっていく。


 そこで、足りない給金を補填していたのがローセン公爵でもあった。これによって使用人たちは、ティオナやローセン公爵の味方となる。


 また、離宮は騎士たちによって厳重に管理され、ティオナの外出は禁じられていた。だが、彼女は使用人に扮して買い物に同行し、騎士の目を盗んで王宮に潜入。ヴァナルの不正の証拠をこっそり集め、ローセン公爵に送り続けた。


 幼い頃から公爵家の騎士たちと剣を振るい、訓練を積んだ身体能力が、ここで活きた。

 二年間、ティオナはひたすら証拠を集め続けた。


 そして結婚誓約書にサインをしてから二年経ったあの日、ヴァナルはティオナに離婚を要求した。

 だが有識者が婚姻時の書類を確認すれば、結婚が成立していなかったのも明白である。


 そこでローセン公爵が、ヴァナルが行ってきた数々の不正の証拠を見せつける。

 さらに、オーサ国のルバリ公爵は、娘がリルクット国内で不当に監禁されたと訴えた。特にこの訴えは国際問題に発展する可能性を孕んでいた。


 さすがのヴァナルの支持者たちも、彼を擁護できず、ついに彼は国王の座から転落した。


 ちなみに、不正な金はアンネリエの商会に流れていた。商会も不正に手を出していたとことで、取り潰しが検討されている。


 そしてリルクット国が新国王体制となって半年後、青く透き通る空の下、ティオナはステファンと永遠の愛を誓ったのだった。


【おわり】


最後までお読みくださり、ありがとうございます。

☆を押しての応援やブクマしていただけると喜びます。


お兄やんの活躍が書けなかった。あとヴァナルとアンネリエのその後とかも。


また、この話は作り話です。法律の解釈などは、この物語での設定となります。

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