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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生きる意味か

作者:

疲れた

「生まれてきたくて生まれた訳じゃない。」

この言葉を目にする事が増えてきた。

SNSを通じて言論の自由を世間に発信する機会が増えたからか。それとも現代の人間の不幸な比率が多くなったのか、どちらかは知った事ではない。

ただこの言葉におれは賛成する。理由はシンプルだ生まれてきたくて生まれた訳でもないのに、しぬのはしぬので痛みや苦しみを伴う、安楽しも安易ではない。それに他者への申し訳なさなどもあるかもしれない。生まれてきたくて生まれた訳じゃないなら、しねばいいは、あまりにも暴論すぎる。

 俺は考えた、「生まれてきたくて生まれた訳じゃない」なのにも関わらず、しぬことさえも苦痛などが伴ってくる気持ちの悪い感覚はなぜかを、腑に落ちる結論はないのかを。結論を先に言うと分からなかった。生きる意味なんてものは分からなかった。

 この俺の頭の中の論争から数十年経った。分かった事がある。生きる意味はなくていい。勝手に生まれてきて頑張らなくてもいい、惰性でいいと、自由なんだと。そこで生きてて良かった思う事があったのだそれが「感動」だ。この存在はあまりにも破壊的で暴力的で俺の頭の中の理屈や合理性を奪った。生きる意味なんてなくていいとさえ思った。生きる意味はなくていいとさえ思ったのだ、あの時の引っかかりがほどけた。それは生きる意味を持つと言う事はそれを失った時の損失感に耐えられるかどうかという状況に陥る可能性がある事だ。生きる意味がある事も素晴らしい事だ、俺は羨ましくも思う。ただ生きる意味が分からない俺たちそれも素晴らしい事だ、「感動」がある。惰性でもいい頑張らなくてもいい。ただ自由に過ごしておけばいい。生きる意味は分からなくとも。生きてて良かったと思えた感覚それは暖かく優しい永遠のものだ。


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