W5-3 君たちそれぞれの正義
「うおおおら! このまま死にやがれぇぇッ! ……て、あれ?」
チョークを極める体勢をしていた帰還者は、少し遅れて、その対象がいないことに気づいた。
腕を解き、辺りを見渡すと、見慣れたパニッシュメント号のリビングにて、いつものメンバーが、それぞれ何らかの行動を取ろうとしている姿があった。
そして他の四人も、帰還者と同じく相手がいなくなったことに気づき、非戦闘の体勢に戻る。
ただし脱走者は、特殊スーツが破損し、限りなく全裸に近い格好で、床に大の字で倒れたままでいた。
「これは嬉しくなさ過ぎる状況だね……脱走者!」
「空気絞めてる場合じゃねぇ!? おい!」
「大丈夫か、脱走者殿!」
「脱走者さん! しっかりしてくださいまし!」
「脱走者、まさかのまさかが起こっちまってねーよなァーーッ!」
〇コンマ秒早く脱走者の元に駆け寄った戦死者は、脱走者の片目のまぶたを開き、生存を確認する。
「……ギリギリ生きてたからいいよ、そんなことしなくて……」
この言葉を聞いた途端、戦死者はすぐに彼女のまぶたから指を離し、代わりにいつもの迷彩ジャケットを被せた。
「だが重傷のようだ」
と、いつの間にかこの部屋にいたコバヤシは、脱走者の元に、ストレッチャーを転がしながら歩いていく。
「コバヤシ。これはどういうことかね。僕たちはあの馬鹿息子どもと戦っている最中だったというのに……」
コバヤシは簒奪者へ首を回し、淡々と答える。
「取り込み中に申し訳なかった。脱走者が危機的な状況だったため、この船の緊急転送システムを使ったのだ」
「けど僕たちはまだ健在だったが……さては、連帯責任かね?」
コバヤシは脱走者へ片手をかざしつつ言った。
「……それは絶対に違う。君たち全員を転送させたのは……あの時、この任務をする必要はない。と、私が判断した結果だ」
コバヤシは帰還者に目配せし、彼は脱走者を抱え上げてストレッチャーにゆっくり乗せる。ベクトルの糸を使わなかったのは彼なりの優しさということで、誰もそこはツッコめなかった。
「詳しいことは後で話す。まずは脱走者の治療をさせていただく。しばらく待ってくれ」
コバヤシはストレッチャーを押して、廊下へと出ていった。
船の後部にある、六人の自室などのいくつかの部屋が密集したエリアへ行き、そこにある救護室へ、コバヤシは入る。
そしてすぐさま部屋の奥にあるプールめがけ、ストレッチャーの台部分を倒し、脱走者を投下した。
おおよそ二秒後、脱走者はプールサイドに腕を掛けて、水面から顔を出して怒鳴る。
「おい! 怪我人だぞ! もう少し丁寧にやれよ!」
「全治したぞ脱走者」
脱走者は水面に浸かったまま、手や足をバタバタさせて、
「うわ本当だ、すげー、下手すりゃ出撃前よりも元気かもな!」
「医学が発達した異世界から、そういう特殊な水を提供してもらっているのだ。つくづく効果絶大だと思う」
コバヤシはプールサイドへ寄り、片膝立ちになって脱走者と目を合わせる。
「……すまない。一週間の休息の最中に、君たちに任務を命じて」
「……いいよ。別に……いいよ……うん……」
それは、いかにも脱走者らしい返事だった。自分が抱えている感情を、無理くり隠している様子がはっきりと表れていた。
だからコバヤシは、この部屋に彼女を搬送した、もう一つの理由を始める。
「脱走者、君は任務を実行するにあたっての『迷い』があるようだな」
「ま、迷い……って何だ?」
「時たまに標的を始末するにあたって、判断が鈍っているだろう。
ハークズカレッジの魔王デモリオス然り、先程のレベルツェル然り」
脱走者は水底にあるタイルの模様を見つめながら言う。
「いや、レベルツェルの時は、ついさっきみたいに身体がボロボロだったから」
「だとしても一矢報いる余力はあった。と、私は君の今までのがむしゃらな戦いを見て感じていた。
なのにああして槍を突きつけられた後は、全く抵抗しようともしなかった。
となると、あそこで判断が鈍ったのは、同情でしかあり得ない。
再確認するが、我々が戦っている敵は、救いようのない世界を構成する人々だ。それを倒すことに躊躇する理由はなんだ?」
脱走者は無意識に水面を叩いて言った。
「アイツらだって正しいからだろうが! そりゃコバヤシも言う通り、アイツらが世界をダメにした原因になっているのは当たってるかもしれねえよ! けど、誰も彼もが世界をダメにしてやるって思いながら生きてたわけじゃない!
デモリオスだって人間のワガママで奪われた住処を取り戻したかっただけだ!
あのレベルツェルだっていきなり家をブチ壊されたらそりゃあそこまでして復讐したくなるだろ!
さらに戻れば、最初のなんとかかんとか0410でも、今までなら隠れてさえいれば無事でいられた子どもたちが、アタシたちのせいでいつ、どうされてもおかしくない世の中で暮らさなきゃいけなくなったんだ!
だからアタシは……そんなアイツらを、何も考えずに殺しまくっていいのかって!?」
「ああ、それが任務なのだから」
「任務だとしてもやって良いこと悪いことがあるだろ! なぁ、ほんっと今更だけどさ、もっとマシな方法はないのか!? なるべく人を悲しませずに、マジで悪い奴だけを懲らしめる方法はないのかよ!? なぁ!?」
コバヤシはこれまでの淡々としたものとは明確に異なる、厳しさの中に思いやりのある、まるで父か教師のような語気で言った。
「それだけは、ありとあらゆる異世界の誰にも、私の主である圧倒的上位存在でさえもできないのだ。
すべてのものは決して同じものがない、どこかしらに大なり小なりの差が生じるのだ。
人ならば容姿、能力、思想、心情、趣向など、様々な差異が生じる項目がある。
その差異は必ず摩擦を引き起こす。そしてそれを解消するための争いが起こる。
正義だってそうだ。『人を殺してはいけない』、『弱いものを助けなければいけない』、『嘘をついて人を騙してはいけない』というのは、たまたま大勢の人が束なして賛同したり、偉大な力を持つ人の宣言、あるいはその両方によって正義として扱われているだけなのだ。
異世界によってはそういった悪徳が逆に推奨されているところもある。それが一周回って結果、平和になっているところもある。
正義とは絶対的なものではないのだ。全異世界中にいるものたちがそれぞれの正義を持っているのだ。
脱走者……いや、ブリギッド・アクセルロッド。お前にだって正義があるんだ」
「え、アタシが……!?」
「親も知らぬお前が家族のように『愛していた』ストリートチルドレンを守りたかった。利益のために子どもたちまで実験台とした大企業を殺したかった。これもまた、正義なのだ。
蒼陸華、ティモシー・ベル、ヴィクトール、藤本あめす、逢坂雄斗夜……君たちそれぞれの正義があったからこそ、自分の異世界を滅ぼしたのだ。
今もお前には正義がある。世末異世界を滅殺し、悪影響の拡大を止め、数多の異世界の犠牲を防ぐとい……」
「でも! アタシたちはほにゃらら破壊罪にかけられたんだろうが! こんなのに正義があっていいわけないだろ!?」
「……そうだ。君たちは無資格異世界破壊罪を課せられた。それは妥当だ、それを許せば周りの異世界への影響が尋常ではなくなるからな。
だがそれもまた、異世界関係の理という大きな正義に適合できなかったからなのだ。
だからこそ圧倒的上位存在は、私を介し、君たちにこの任務を与えているのだ。
絶対的な正義などないということを知っているからこそ、君たちのようなはみ出しものにも、少しは生きられる機会を与えたかったのだ」
「けど、それはそれでよくないだろ! 正義と正義同士を無駄に争わせるなんて……!」
「それが思いの外必要なのだよ。理由は二つある。
一つは、より大勢の人にとって得となる正義は、二つ以上の正義が互いに長所を譲り合い、短所を削り合うことで生まれるのだよ。それでも決して絶対には繋がらないが。
もう一つは、この世で最も悪い正義があるからだ。その正義とは、誰かを傷つける以外の役割がないものだ。
余談だが、数十個ある世末異世界の登録基準の根底にあるのは、その最も悪い正義が大々的に掲げられているかどうかだ」
そしてコバヤシは、脱走者の頭に手を置いて、
「ブリギッド、お前の優しさにも一理ある。けどそれをどうか、より良い正義に至るための力に変えて……悪しき正義を振りかざすものを倒すのだ」
脱走者はしばし考えてから、両手をプールサイドに突いて、
「……わかったよ。ほんのすこしでもアタシが、世の中にとって必要になれるのなら……ヘグショイッ!?」
水から出る寸前、くしゃみの反動でまた水面に全身を浸けることとなった。
脱走者は改めてプールから這い上がって、ガタガタ震えながらコバヤシに頼む。
「悪いけど、一回部屋で風呂入っていいか? 服もちゃんとしたのに着替えないとダメだし」
「……ああ、いいとも」
そして二十分後。
きっちり入浴を済ませた脱走者は、体全体をホカホカさせながら、リビングルームへ戻ってきた。
すると五人はメインルームに座り、各々食事――現在時刻は十四時のため、遅めの昼食を取っていた。
「おう、すっかり全快したようじゃねえか、脱走者!」
「あ……ごめんなさいね、あまりにも長くなりそうでしたのでお先に失礼しましたわ……」
「いいよ別に。アタシも怪我治すのとまるで関係ないことしてたから」
そう言いながら脱走者は、備え付けの冷蔵庫から冷凍タコライスを取り出し、近くに置かれた電子レンジに突っ込んだ。
数分後。
脱走者がタコライスにスプーンを突っ込んだタイミングで、
「食事中のところ失礼する。君たちになるべく早く、先程の詳しい話をしたいのだ
と、コバヤシは六人が同席する丸テーブルに、新たな椅子とともに現れた。
帰還者はコーンポタージュを一すくいしてから、
「いよいよか。当然アレだろ、マナイトソイズの件だろ?」
「そうだ。あの件を『上』に報告した結果、『これで調査は十分完了した』という返事をいただいた」
簒奪者は焼き餃子を入念にタレをつけつつ尋ねる。
「ならば任務は完了したという認識で構わないかね?」
「そうだ。あのような戦闘になったため、認識がブレてしまうだろうが、あの世界の状況を確認するのが今回の任務なので、それ自体は完了している」
首謀者はチリトマトパスタを巻き付けたフォークを口に入れる。
「んでよォ〜〜、結果あのマナイトソイズは、『世末』異世界に登録されるのか?」
「今はまだ、登録はしないとのことだ。レベルツェルとソミクイル五きょうだいは完全にあの世界の秩序を壊したが、掌握はしきれていない。まだ登録するには条件が不十分だったのだ」
使役者はカフェラテを飲み、口の中に残るアンパンの甘さを一旦流してから、
「となると、私たちはもうあの世界に行く必要はないということですの?」
「そうだ。我々の本来の役目は、世末異世界を滅ぼすことだ。まだそのカテゴリには属していない世界を滅ぼすことはできない」
「チッ、それじゃあ負けっぱなしってことかよアタシたち……!」
その苛立ちを晴らすように、脱走者は器を傾け、タコライスを豪快にかきこんだ。
「ただし、過去の任務の『取りこぼし』をそれに明確に与するものも含めて排除することは構わない。これは上にも相談済みだ」
脱走者は慌てて器をテーブルに戻し、米粒とソースだらけの口を開いて驚く。
それを見てコバヤシは、自分なりにどうにか微笑みを作って、
「まだパニッシュメント号は、マナイトソイズの付近に泊めてある。あとは君たち六人の答えを聞き……」
脱走者は丸テーブルに両手を叩きつけて、コバヤシへ怒鳴った。
「そんな意味のない質問をするんじゃない! こうなりゃ行く以外ないってのによ!」
「全くだ」
「だろうな」
「同意する」
「ですわよね」
「それが当然だ」
と、短い言葉で同調してから、四人は昼食を食べ進める。
戦死者は完食済みなので、黙ってコバヤシの戸惑う表情をじっと見つめた。
するとコバヤシは、そのキョトンとした顔を徐々に真顔へ戻し、
「すまなかった……では二時間後、リベンジマッチを行うとする! それまでに食事と支度を済ませておくように」
そしてコバヤシは椅子とともに、丸テーブルの周りから消えた。
脱走者は器に残った細かいタコスミートと野菜と米をかき集めながらつぶやく。
「アイツもせっかくだから飯食っててけばいいのに」
帰還者は最後まで取っておいたミニトマトを口に放ってから、
「いつだかカフェで相席したときに言ってたんだが、コバヤシはああいう概念だから、食事にまるで縁がないんだと。可哀想にな」
【完】




