W1-7 "戦死者"の活動
脱走者、帰還者、簒奪者……三人の異界人による三国の崩壊は、多少のラグを挟んで全世界に広まった。
信じられない。何故そのような出来の悪いパニック映画のようなことが起こったのか。この戸惑いが、全世界の順序が後だっただけの人々が抱いた第一の感想であり、多少のラグが発生した原因でもあった。
各国の首脳たちも同じことを考えた。『だから』に続くこともほぼ一緒であった。
――何としてでも、自分たちを守らなければならない。
とある国の大統領が考えたのは、ホテルに籠城することだった。
ただのホテルではない、国随一の設備とサービスを誇る、本来では国内の貴族や懇意にしている国賓を招くための最高級のものだ。
メインの利用客がそうなのだから、もちろんテロリストなどの最大級の危機に備えている。
ガラスは全て防弾仕様なのは当たり前。壁も、現在記録にある最大マグニチュードの地震にも耐えられる強固な仕様。
内部での銃撃戦も想定した導線設計。
ホテルが想定している受入客数と従業員の数に十を掛けても、一ヶ月は飢えに困らない食糧のストック。
貨物搬入用と緊急時用も含む六つの避難路。
そして極めつけには首都を見据える小高い丘という立地。
純粋な政務関係の建物よりも防御性に優れたこのホテルに、国軍の精鋭数万人と、それの一パーセントほどの高官たちが殺到した。
それでもこのホテルは、ホテルとしての務めを解かれたわけではない。
「おまたせいたしました、大統領閣下。こちら真鴨の……」
「黙れ! 私は今、国の今後のための職務の真っ最中なのだぞ!」
「は、失礼いたしました……」
ホテル内の最上階に位置するレストランにて。
大統領は料理長が運んできた料理を、奪い取るようにワゴンからテーブルに移すと、落ちるようにソファに腰掛ける。
乱雑にナイフとフォークを使い、料理を口に運びながら、テーブルに特別に置かれたテレビを観ていた。
「現状は、例の三国以外はまだ滅んでいないようだな……」
「左様でございます。もっとも、あまりにも未曾有の事態のため、情報が行き届いて……」
「不吉なことを言うな!」
と、料理の何らかの欠片を飛ばしながら、秘書に怒鳴ると、またテレビに釘付けになる。
あまりにも情報が少ないため、同じような情報を繰り返している。
どの国へ調査に赴くか延々と会議をしているという諜報部もアレだが、民間のマスコミはそれを超えていくのは当然か。と、内心自国民を蔑みながら、今すがれるのはこれしかないとため息をつき、チャンネルを変える。
次にテレビに映ったのは、丘下の都市で破壊活動を行う国民たちの姿だった。
『国民を守るのが政治家の仕事だろうが!』
『何億もの国民よりも片手で数えられる名家の血族のほうが大事なのか!』
『国の顔らしく勇敢に振る舞え!』
……などなどの、今ホテルに籠城する高官たちへの文句を刻んだ、即席のプラカードや横断幕を掲げながら、自分たちが一旦捨ててきた要所を破壊していた。
そして有無を言わさず『命令遂行』を強制させた警察や下級軍人たちが、一切の制限事項なく暴動を鎮圧していた。
それを観た大統領は、少し落ち着きを取り戻し、ワインを傾ける。
「……それほど戦意があるのなら、他国に馳せ参じればいいのに。これだから愚民は愚民でしかないのだ」
それから大統領はポチポチとチャンネルを変え、数少ない滅亡国の情報を薄く伸ばした報道と、市民暴動の様子をサブリミナル的に見通した後、ついにテレビを消した。
「ああもう落ち着かん! おいそこのお前、大至急ゲームでも持って来い!」
「は、はい……」
料理長はデザートを乗せたワゴンをUターンさせ、通り過ぎたスタッフ全員に大統領の無茶振りを伝言する。
無茶振りの対応を待つ間、大統領はこのレストランの最大の長所と言える、壁一面ガラス張りの窓を眺めた。
本来ならば、自分たちが下級国民たちを郊外へ追いやり、国中から絞り尽くした血税を注いで作った繁栄の象徴と言える街を見下せるようになっている。
だが今は、有事に備えたライフル武装の兵士たちが、倒したテーブルと合板製の盾を組み合わせたバリケードを展開して、パノラマの下部を潰しているため、魅力が半減している。
「全く、何だこのホテルは。全く楽しくないぞ……」
と、ぼやいた後、真鴨の……なんらかの料理を見つめる。イラつきながら食べていたため実感はなかったが、もう半分ほど減っていた。
「んー、料理だけはまぁ、なんだかんだイケたか」
そして大統領は口を付けた。
フォークもナイフも使わず、直接。それも、側頭部から血などの中身をダラダラと流しながら。
「お、お待たせしました。ハイスペックモデルではありませんが、一応の最新機種が倉庫の備品に……だ、大統領ーーーッ!?」
無茶振りに応えて戻ってきた料理長、あちこちにいた側近、それから窓含む各所で警戒にあたっていた兵士たち……レストランにいた全員は、突如として狙撃された大統領の姿に、絶句せざるを得なかった。
「み、皆さん! こちらを御覧ください!」
ここで僅かながら冷静であった兵士は指さした。
防弾ガラス製の窓……と、ガラス窓を区切る、合金製の柱に空いた穴が、そこにあった。
「ぼ、防弾ガラス製の窓ではなく、柱を貫通して……だと!」
「この中のイカれた誰かが撃ったのではなく、本当に外からの狙撃……馬鹿な!?」
「だ、誰が撃ったというのだ!? ここは絶対に安全のはずでは!?」
丘の上に佇む最高級ホテルから半径四千メートル離れ、さらに、標高は二百メートルの高低差がある、この大都会にはありふれた高層ビルの屋上にて。
灰がかった黒髪の、迷彩服を着た、典型的な兵士のような男は、ボルトアクションライフルを寝そべって構えていた。
この男の呼び名は”戦死者”。この腐敗した異世界に放たれた六人の執行者の一人である。
男はライフルの中に薬莢が残ってないことを確認すると、改めてホテルの最上階を見る。
音こそは全く聞こえないが、そこにいるほとんどの人間が銃を構えて口をパクパクさせていることから、『誰がやった』と揉めているのが見て取れた。
そして彼らは全員、テーブルに突っ伏した血濡れの大統領をチラチラと見ていた。
この国の最優先すべき標的は、もう仕留めた。
あと数分もすれば、そこにいる貴族どもは疑心暗鬼で無駄な殺し合いを始めるだろう。
ホテル内の人々の不幸を思いながら、男はライフルを片付け、撤収を開始する。だがその時、
「おい、そこのお前!」
「そこで何をしている!」
六人の機動隊が、ここに通じる塔屋から湧き出てきた。
一番後ろの男が、長く分厚いカバンを背負っていることから、自分と同系統の行動を取ろうとしていたのが見て取れる。
「暴動の主導犯を狙撃しようと思って来てみれば、まさか先客がいたとはな!」
すぐ答え合わせをしてくれて、戦死者は助かったと思った。
六人の機動隊はポリマー製の盾と拳銃を構え、戦死者を問い詰める。
「貴様、その格好からして軍属だと思うが……その制服は、我が国のどの部隊にも採用されていないぞ」
「一兵卒の雰囲気はよく出ているが、陸軍、空軍、海軍の様式がぐちゃぐちゃだな!」
「さては貴様スパイか。一体何のために我が国に潜伏しているのだ!?」
「まさかと思うが、今日他国で起こった惨劇に関与しているのではないか!?」
「なぁ、いい加減うんかすんか言ってくれ。俺たちもこれ以上戦わなくていい人間と戦いたくないんだ」
すると戦死者はリボルバーを機動隊員たちに向けた。
その戦闘態勢を五人がはっきりと確認したと同時に、一人の仲間が破損したヘルメットから血飛沫を散らしながら天を仰いでいた。
「き、貴様……よくも俺たちの隊員を!」
「全員、身体を盾の後ろにしっかりと隠せ!」
「そして一斉に撃て!」
五人の機動隊員は盾と身を寄せ壁のようになって、戦死者との距離を詰め、拳銃を連射する。
戦死者はその射線の網をもろともせず、数歩進み、リボルバーを連射する。
初めの一発は隊員の一人の盾に凹みを作る。
次からの二~四発はその凹みをより深くし、穴を空ける。
そして最後の五発は、隊員の頭を貫いた。
「うぉぉぉ! よくも俺たちの仲間を!」
「おいこら落ち着け!」
一人の隊員は怒りに駆られ、自ら壁の隊列を崩して戦死者に接近、
「リボルバーなんて座学以来見たことねぇぜ! なんてったって六発しか撃てないそれは長期戦には向かないもんなぁ!」
怒れる隊員は戦死者が両手で握るリボルバーに弾がないことを目視で確認しつつ、盾を勢いよく押し付ける。
だがその勢いは、戦死者が両手で構えたショットガンの銃口によって阻まれる。
「あ、あれ……お前さっきのリボルバーは……?」
戦死者は逆にショットガン越しに盾を押し込み、隊員を無理くり床に倒した後、散弾で隊員を装備もろとも飛び散らせた。
「隊長! この盾、散弾耐性があったはずでは……!?」
「そんな質問は後で技術班に聞けッ! 総員! こうなれば何が何でもあの男に傷を負わせるんだ!」
残された隊員三人は崩れた陣形に拘泥せず、戦死者へ襲いかかった。
仲間の敵討ちのため、二人の一般隊員は戦死者の左右斜めから同時に迫り、盾の裏から銃を突き出した。
すると戦死者は、ショットガンを右手だけで持ち、一回転する。
間髪を入れず、回したショットガンをしっかりと右手で持ち直し、左手に突如と現れたもう一丁のショットガンと同時に、撃発させた。
これにて隊長は、二人の隊員が同時にズタズタになって倒れる様を目撃することになる。
それによりたじろぐ隊長へ、戦死者は二丁のショットガンを左右の手で器用に一回転させて、すぐに向けてきた。
ここからの隊長の決断は、あまりにも早すぎた。
携帯していた手榴弾のピンを抜き去り、口に咥えた状態で、戦死者に飛びかかったのである。
そしてありふれた高層ビルの上で、赤黒の炎の花火が打ち上がった。
戦死者はそれを一瞥した後、振りかぶった軍用スコップを片付け、次の戦場へ向かっていった。
【完】