W3-14 戦闘後の約束
アトゥンが展開したエレメント・フィールドの天井に空いた穴から、白銀の光の斬撃波が落ちてくる。
その狙いは三人――特に、アトゥンに向かっているようだった。
アトゥンは仰向けに倒れたまま、斬撃を見上げて叫ぶ。
「あれは『神の使い』が放った攻撃……いわば、反逆人に対するギロチンだ……!」
「ならば僕たちで止めなくては!」
「あんなんで殺されたら、復活させるのも永久に死んだままにされるのも、神とやらの思い通りになっちまう!」
二人は各々の手段を用い、その斬撃を防ごうとした。
ところが、斬撃は落下の途中で消えた。
林を挟んだ先にある池エリアから、脱走者が跳んで来て、渾身のキックでかき消したのである。
直後、三人の側で銃声が鳴り響く。戦死者が放ったスナイパーライフルの音だ。
「ありがとよ戦死者!」
脱走者は空へ飛んでいく銃弾の方向へ、斬撃を蹴った反動でさらに跳躍する。
その先にいたのは、頭から爪先まで純白の鎧で固め、背中から一対の羽を生やす……まさしく天使のような存在だった。
脱走者は天使めがけ、拳を放った。
ところがそれとの距離が二メートルくらいに達した時、間に透明な壁が出来たように、急速に勢いを失い、
「【金剛光の討斬】」
天使が得物の槍を振り、先程の斬撃波を至近距離で浴びせられ、地面に弾き返された。
天使は気を取り直し、アトゥンの処刑を再開する。
だが、その時、天使の目の前を、アトゥンの身体が横切っていった。
天使はそれを追うべく翼を動かす。しかしアトゥンは、打ち上げ時のロケットのような凄まじい速度で上昇していくため、到底追いつけない。
「……」
やがて天使は諦めて、その姿を消した。
宇宙にまで伸びるベクトルの糸を伸ばした帰還者は、すかさずもう一本糸を生成し、
「あ、ありがと……助かった……!」
脱走者が落下死しないように、優しく着地させた。
そして四人は、空を見上げた。
赤い箱型の結界が消え失せ、都会らしい星が一つも見えない真っ黒な空を。
「……戦死者。アトゥンも、天使ももう見えないな?」
帰還者に尋ねられた戦死者は、首を縦に振った。
「よし、これでひとまずは終わりかな。もうじき騒ぎを聞きつけて、追手が来るかもしれないから、お前ら、ズラかるぞ」
「そ、その前に……戦死者、もっかい着るもの一式くれ……!」
と、全裸の脱走者は露わになった胸の前で両腕を組み、下も見えにくいようにかがみながら言った。
全身の震えからして、今回はどちらかというと、見せたくないものを隠すためでない。
不幸中の幸いだが雪こそ止んでいるが、冬としての寒さは未だ健在だからだ。
「君は意外と軟弱なんだね。僕はこの通りの有り様だけど、全く凍えなど感じていないよ」
と、簒奪者は腕を広げ、だいぶ前に服を燃やされてこぼれた乳房を見せびらかしながら言った。
「お前はさんざん氷使ってるから慣れてるんだろうが!」
「じゃあ今から僕と一緒に慣れようか? そしたら君も平気になるさ」
簒奪者は脱走者の顎に手を当て、彼女を無理やりまっすぐ立たせ、さらに胸を守る両腕も解かせ、
「フフフ……相変わらず豊満だ。一度やってみたかったんだよね。僕の二つと君の二つが相克すればどのような絶景が起こるのか……」
自分の二回り小さい胸を押し付けようとする。
その寸前、二人は帰還者のベクトルの糸で遠ざけられ、脱走者は戦死者に、簒奪者は帰還者に、迷彩ジャケットを着せられた。
「ねぇ簒奪者。この服の匂いは何かね? まるで薬草を煮詰めて取り出した芯の養分を凝縮したような、いい匂いを通り越して未知の領域に達しているの……」
帰還者は苛立ちながら叫ぶ。
「今度こそ! お前ら、ズラかるぞ!」
ここ脱走者は、戦死者が渡したズボンに足を入れつつ、
「で、どこにズラかるんだよ? やっぱあのホテルか?」
「いいや違う。一回街のどっかで時間を潰してから、ホテルに戻るぞ」
「何故かね? 意味もなく街をうろつけば、ジャッジメント・クランの兵隊に問い詰められる可能性もあるというのに……」
帰還者は、一瞬、簒奪者に人差し指と中指を交差させたサインを見せてから、
「逆だ。俺たちみたいな目立ってる人がそそくさとこの辺から動けば、『何かしたんだな』って逆に怪しまれる。だから普通に街でディナーしてた感を出して、少しでも疑いの目を避けようってわけよ」
脱走者は左手のひらに右拳をポンと置いて、
「なるほど! それはいい考えだ! 頭いいな帰還者!」
「ハハハ! 当然よ、俺はMITの卒業生だぜ! これしきのこと楽勝だ! てなわけで脱走者、戦死者、お前らペアもどっかで上手いピザでも食っとけ!」
「また後でホテルで会おう。僕たちも戦闘後の晩餐を楽しませてもらうよ」
「オッケー! じゃあまた後でなー、ピザじゃなくてカレーの気分だけどなー!」
と、言って脱走者と戦死者は公園から早歩きで出ていった。
「じゃあ、いくか、簒奪者」
「その前にだね帰還者。君、これはどういう意味かね?」
と、簒奪者は、人差し指に中指を重ねた状態で、右手を出す。
「そして君、どうやってさっきのように絡ませたのかね? 僕はこれ以上動かせないんだが……」
「スマン、お前じゃ意味が通じないよなそりゃ。この手の意味はな、『約束を守る』ってことだ」
「約束……ああ、さっきの忘れていなかったんだね、帰還者!」
「そうだ。けどこの公園は危ないから、もうちょいふさわしい所に行くぞ」
「そうだね。二人きりで過ごせる、居心地のいいところで頼むよ」
こうして帰還者、簒奪者のペアも公園を出た。
それから帰還者は簒奪者とともに、スマホのマップを頼りに、電車移動も挟みつつ、目的地に移動した。
「ついた! ここだ!」
二人がたどり着いたのは、初表区の隣にある冊到区。そこにある公園……
「結局、公園じゃないか」
「違う違う。ここはただの屋上。俺が行きたいのはこの下だ」
……が天井にあるタイプの商業施設。その屋内にあるフードコートの、シマウマが描かれたマークが特徴のテナントだった。
「おいおい。ここで約束を果たそうというのかね。君は大胆だね、これだけ大勢の観客が居合わせる場で行おうなんて……」
「何話してるんだお前。俺はまず飯食べようとしてただけだが」
「は……? 帰還者、君は約束を忘れたのかね?」
「ちゃんと覚えてるっての。『この戦いが終わったら、俺もキッチリ謝る!』って。けど、俺はただ謝ったくらいじゃ許されるようなことしてない自覚があるから。それに上乗せして、美味い飯を食わせてあげようと思ってな。
……ちょっと待て、まさかお前、俺と寝たかったわけじゃないよな」
簒奪者は真剣な眼差しで答える。
「ああ、そうとも」
「いやするか! 確かにあんな胸押し付けられた場面じゃあソッチだとは思うかもしれんが、いくら何でも段階をすっ飛ばしすぎだろうが! 恋愛映画か!」
「そこまで鮮明に拒まなくてもよいではないか。もしかしてその類の経験が無いから、恐れているのかね?」
「あるわ! お前並みに股のゆるい同級生六人と……って、ああもういい、とにかく並んで注文するぞ!」
「わかった。ならば僕は待っているよ。内容は任せる。君がお勧めする品を持ってきてくれ」
「いいとも。俺は注文するの得意だからな」
数分後。帰還者は紙箱二つを持って、簒奪者の元に帰って来た。
生憎、時間帯が悪く、フードコートの席は埋まっていたため、また屋上の公園に戻る。
幸い、まだ雪は止んでいる。この隙をついて二人はベンチに座って夕食を取ることにした。
「結局、公園じゃないか」
「これは俺のせいじゃないぞ。さっさと立ち去らない奴がいけないんだ。俺は見たんだ、ノート広げてる奴とか、ゲーム機持ち込んでる奴とかをな……」
帰還者は紙箱の片方を簒奪者に渡し、もう片方を開ける。
甘酸っぱく爽やかな香りを放ちながらまず現れたのは、六、七個のオレンジ色の丸い物体だった。
「この橙色の物体は何かね。柑橘類の香りがするが」
「オレンジチキン。揚げた鶏肉をオレンジの汁を使ったソースで味付けたのだ」
と、帰還者は教えた後、先にそれを一つ、器用に箸を使って頂く。
「くぅー、体感一年ぶりに食べるとやっぱうまいなこれ! いやぁ懐かしい、試験前とかの景気づけによく行ってたんだよなぁ」
「そうかいそうかい」
簒奪者は帰還者の独り言を聞き流しつつ、チキンを一つ、箸でつまんで恐る恐る口にいれる。
カリッとした薄くて硬い皮を噛んで突き破ると、内側の鶏肉の脂っぽい旨味と、全体を包むオレンジの爽やかな甘味が同時にやってきて掛け合わさり得も知れない幸福感を覚えた。
その直後、突如として絡みついていたソースの味が甘味から辛味に切り替わり、少しの刺激的な余韻と、
「中々独特な味じゃないか。癖になりそうだよ」
もう一度あの旨味と甘味を楽しみたいという気分にさせた。
「だろー。ちなみに下に見えているのは炒麺っていう、まぁ、野菜と一緒に炒めて醤油で味付けした麺だ」
「まだ見えていないのだが。先の展開を明かさないでくれたまえ」
「本当に申し訳ございませんでした」
三つほどチキンを食べると、帰還者がネタバレした通り、下に茶色い麺と野菜が顔を出した。
簒奪者はそれをすくい上げ、一気に口へ含む。
「うん。こってりとした麺だ。無難に美味だよ」
「そうそう。こういう捻りのない味のものも必要なんだよ」
それから二人は無言で紙箱の中身を減らしていく。
「うっし、食った食った」
帰還者は先に完食し、食べ終わった容器を折りたたみつつ、空を見上げた。
「もう流石にアトゥンも天使もいないと思うよ。帰還者」
「知ってる。俺はただ、星を見たいと思っただけだ……」
そして帰還者は、月を除いて黒色しかない空から、手元の紙箱に視線を戻して、
「やっぱ都会じゃ見えないよなぁ」
簒奪者は口に入れた麺を飲み込んでから、暗い夜空をチラッと見上げて、
「言われてみればそうだね。空の星が全て消えるとは、これは不吉な予兆か?」
「違う。こういう都会だと、地上の方が明るすぎて、逆にこちらが夜空を照らしてしまうから、星が見えなくなるんだ。あと、空気が汚れて空に塵埃が漂ってるっていうのもある」
「詳しいね、脱走者。君は占星術師か?」
「宇宙飛行士っていう仕事をしてた。ロケットとかスペースシャトルとか、でっかい金属製の船に乗って空へ飛んで、宇宙に行ってあれこれ研究してた」
「何だって!? 宇宙に行ったのだと!? なればこの上にあるはずの星を間近で見たことも」
「昔は月とかに立った人もいるが、俺はそこまで行ってない。唯一行けたのは宇宙に浮かぶように作った巨大な家だ」
「十分凄いだろうよ。空に浮く城など、僕の世界でも人の技では成し得なかったというのに……」
「けど住み心地悪いぞ。やることの幅もあんまりないし」
簒奪者は紙袋に残った細かい食材を全て味わってから、再び帰還者に尋ねた。
「ところでだが、そもそもの話、君はどうして宇宙という壮大極まりない概念に興味を持ったのかね?」
すると帰還者は、手に持っていた紙袋をさらに折り曲げ、戻し、また折り曲げるという、旗から見ても自分でも意味がまるでない動きをしながら、しばらく考える。
考えに考えた後彼は、横に座る簒奪者に微笑みを見せて、
「それのせいで両親が死んだからだ」
「……詳しく聞かせてくれないか」
「待ってました」
ここから帰還者は、自分がどうして”帰還者”になるに至ったのかを語り出した。
【完】




