W3-10 ただ独りカフェにいたら
死んだレイトの身体から放たれた結晶の破片が、全て空気に溶け込み完全に消える。
それを見届けた簒奪者は、持っていた氷の剣を力を込めて粉々にして、しかめっ面の帰還者の方へ振り向き、
「僕も望みが叶うのならば、まだ殺さずに取っておきたかったさ。だがね、あの様子じゃあ彼はもう生きて帰ろうとはしなかっただろう」
「それは俺も薄々感じてた! アイツはもう死ぬか俺に勝つかのどちらかしか選べる道がないって態度だった!
だが、俺はどちらも選ばさせずにアイツを生きて帰す方法は、キチンと頭にあった! 適当に糸伸ばしてどっか安全地帯に飛ばしてやろうってな!
なのにお前は殺しやがった! まだジャッジメント・クランと敵対する時期じゃないのはわかってるくせに!」
「それは僕も承知している。だが、果たして彼を殺したくらいでジャッジメント・クランが僕たちを敵と見なすだろうか?
ここに来る前の彼らの話によると、あのレイトという少年は独断で君のもとに来たという。
なら彼にも責任があったと言い張り、かつ、君が度し難い理由で襲われたと話せば、悪くても『事故』と片付けられるだろう。
僕とて、ただ考えなしにああしたのではない。先のことを考えての行動だった。
特に、君に無駄な労力を使わせないという思って、ね」
帰還者はレイトが手放したまま地面に転がっていた剣を、ベクトルの糸を使って、簒奪者の足元に突き刺して、
「俺のことを気遣うふりして自分を正当化するな! 本当に俺のことを思ってるなら、もっと俺の思う通りの行動をしろ!」
簒奪者はクスクスと笑いを漏らした後、
「帰還者の思う通りの行動ね……それは流石の僕でも難題かな。かれこれずっと僕……いや、仲間全員のことを、『仲間』とまとめることすら拒絶し、隙あらば突き放そうとする君の心など、どう読めばいいんだ」
「なっ……!」
「あらかじめ言っておくけど、君の実力や立ち回りは僕も一目置いている。けれどもね、君はもう少し好かれるような振る舞いをしたまえ」
「さもないと痛い目に遭っても知らないぞとでも続けるか?」
「『もったいない』。僕が言いたいのはそれだよ」
帰還者は「ぐぬぬ……」と歯の隙間から声を漏らした後、
「かくいうお前も何か自分で思うことはないのか! さっきから自分の失態を棚に上げて達観ぶりやがって……ッ!?」
途中で背後から気配を察知し、勢いよく振り返る。
そこには戦死者が、後ろで両手を組んだ状態でピンと立っていた。
仲間同士で争うのなら俺も加勢する――と、訴えるように彼は帰還者の目を覗いてきている。
「……ちっ! とにかくだ、この件についてはお前が責任を取ってどうにかしろ!」
帰還者は上方向にベクトルの糸を伸ばし、それを伝って空へ昇っていく。
少し遅れてここにやってきた脱走者は、上昇する帰還者へ、
「おい帰還者! 急にどこ行くんだ!?」
「お互い頭を冷やすためだ! 物理的な意味じゃないぞ、簒奪者!」
そして帰還者は、直角に二本目の糸を張り、その方角へ一気に飛び去った。
「……なぁ簒奪者、ここで一体何があった?」
帰還者の姿が肉眼ではわからないくらい小さくなった後、簒奪者はこの脱走者の問いに答える。
「マズいことになった。君たちがご覧になった通り、ここでジャッジメント・クランのレイトが殺されたんだ。早くここから撤退しないと、僕たちに疑いがかかる」
「……ああ、ちゃっちゃかズラからないと。使役者と首謀者はどうする?」
「彼女たちはどうにかなるだろう。今心配するのは僕たち四人だよ……」
*
その日の夕方。
初表区にある大型公園内にあるカフェにて。
頭を冷やす。と、言って独りになった帰還者は、椅子二つが付いているテーブルの片方に座り、コーヒー片手にスマホを見ていた。
別に今はコーヒーを飲みたい気分ではなかったが、季節が季節ということでつい数十分前から雪が降り始めたので、カフェに避難するためのお代を払ったのである。
この世界における大手検索サイトが提供していたニュースを覗くと、やはり、今日の初表区歓楽街での出来事が取り沙汰されている。
無論、禊月レイトの訃報も記事になっていた。
それを読んだ帰還者は、不謹慎だと自覚しつつもホッとしていた。『犯人は不明だが、状況から察するにフォービドゥン王国の手勢の仕業と推察される。現在ジャッジメント・クランはその方向で捜査を行っている』という文言が、当面は自分たちが疑われない理由になるからだ。
一定の人気を持っていた戦士が死んだため、この記事はそのサイト内で、注目度二位のニュースになっている。
気になる一位は、これまた歓楽街での戦闘関連。
そこについ最近できたエンタメビル『登急歓楽街タワー』が敵たちに占拠されたものの、被害が軽微で済んだという奇跡についてだ。
このニュースは動画が添付されていた。
その冒頭で、奇跡の立役者であるマクフライとイプキスという少女と少年が、役所の会見場所と思しき場所で、区長から感謝状を貰っていた。
この二人の姿は、帰還者にとっては見覚えしかない。
(どっちもベタなところから名前借りてるな……奴らめ)
動画の後半では、キャスターが二人にインタビューをしていた。
マクフライこと、使役者は、
『当然の責務でございますわ! 自警団というジャッジメント・クランと比較すると遥かに小規模な組織でやっておりますが、この世界の悪をどうにかしたいという思いはそれと同じ、いや倍、いやいやとにかくドデカいのですわよ!』
イプキスこと、首謀者は、
『えー、今回は僕のプレーよりも、チームメンバーの支えとぉ、応援してくれたファンの皆様の声のおかげで勝てたと思いますー。
今回の勝利に満足せず、えー、このまま連戦連勝して、今シーズンはチームを優勝に導きたいと思います。ですので、この球場に来てくれたファン、テレビの前のファンの皆様ともども、応援よろしくしますっ!』
と、当たり障りないコメントをしていた。
帰還者はついでに、簡単にアカウントを作って、この世界で流行っているSNSを閲覧した。
レイトが言っていた『ネットの声』というのが気になったためだ。
トレンドを見ると、『イプキス』、『マクフライ』、『レイト』と、こちらも歓楽街関係のワードが注目を集めているようだった。
前者二つはもうわかるので、帰還者は『レイト』がどう話題になっているかを検索した。
コメントの注目度順で見るものと、最新順に見るものがあったが、まずは前者で結果を閲覧する。
一番先に目についたのは、ジャッジメント・クラン公式アカウントからの訃報のコメント。それから画面をスワイプしていくと、アトゥンなどのメンバーからの追悼のコメントがどんどん流れていく。
ところが六回ほど、画面下から上へのスワイプを繰り返していくと、そのコメントは毛色を変えた。
別の人のコメントをスクリーンショットした画像を添付したコメントが増えてきた。
添付されたスクリーンショット画像には大体、レイトのことを貶す文言があった。
本来のコメントには『こいつ今アカウント消えてるんだけど、無責任すぎひん?』と、画像元の発言者を貶す文言が記されていた。
検索結果を最新順に切り替えてみる。
今度は一般ユーザーのコメントが大多数を占めている。意見は、真っ当な追悼と、死体蹴りのような悪口と、まるで無関係な化粧品や医薬品の宣伝の三つに分かれていた。
「これまで街の平和のために戦ってくれた奴だってのによ……」
と、現実でボソっと、つぶやいた帰還者はSNSアプリを停止した。
その時、
「すみません、混んでるんで相席してもいいですか?」
チラッと目線を上げると、ネクタイをきっちり締めたスーツ姿が見えた。
「ん、ああ、どうぞ」
帰還者は快く、向かいの使っていない椅子を勧めた。
「ありがとうございます……ちなみにだが、ここの世界はカフェで相席を頼むのも頼まれるのも嫌がられるらしいぞ、帰還者」
と、スーツ姿の男――コバヤシは帰還者の向かいに座って言った。
「うおお、アンタかコバヤシ!? どうしてここに!?」
「君が未だにホテルに帰ってこないからだ」
「やっぱそれだろうな。帰還者なのにな、俺」
「……簒奪者も申し訳ないと言っているし、風の噂で聞いているかもしれないが、使役者と首謀者の話題そらしのお陰で、君たちがレイト殺しの容疑を掛けられるのは時間がかかる。今なら帰っても君に何か不都合が生じることはない」
「いいや、あるだろ」
「何がだ?」
「またアイツらと一緒に行動しなきゃいけないって不都合があるだろ」
「……それはそうだ」
「だろ? てなわけでこの機会に頼みたいことがあるんだがコバヤシ。せめて今回の異世界だけは俺だけ単独で動かさせてくれないか? 俺ならそっちの方が効率よく動けるしよ、な、頼むよコバヤシ」
コバヤシはきっぱりと言った。
「帰還者、君は自分が無資格異世界破壊罪の咎人であることを忘れていないだろうな。そんな者のわがままを聞いてくれると本気で思っているのか?」
「……思っていません」
「……と、いきなり正論を言って脅かしてみたが、私がここで君に訴えておきたいのはそれではない。
何度も言ったことだが、今後、君たちが巡る世末異世界では、ただ一人ひとりが好き勝手暴れるくらいではどうにもならないこともある。その場合、君は一体どうするつもりだ」
「俺なら上手くやっていけるさ。お前が把握している通り、俺は『かなり手強い苦境』を乗り越えて自分の世界を滅ぼしてるんだからよ」
「なら他の五人が死んだらどうする。協力なくしては滅ぼせない異世界で君だけが一人取り残されたとしても、君は帰還できるというのか?」
帰還者はしばし口を閉じ、観念したように言う。
「戦死者になっちまうな」
「……帰還者、君がさっき言った通り、君がいた異世界で経験したことと、そこを滅ぼすに至った理由は重々承知している。だからこそ、簒奪者たちに壁を作りたがることもよく分かる。けれども、君が作った壁は、君の動きを制限することにもなるのだ。
教養が足りなかったり、知識が古かったり、自分単体で完結していたり、戦闘でしか発揮できなかったり……君は、他の五人と比べると頭脳と能力にクセが少なく応用が効く、私はそう君のことを評価したい。
けれども、君が壁を作って閉じこもっていては、もったいない。と、私は思うのだ。だから、せめて……」
ここでレジカウンターの方から店員が、メニューを抱えてやって来て、
「すみませんお客様、当店はセルフサービスでございますので、ご利用の際はレジで注文してからお願いします」
話している最中のコバヤシに注意した。
「ん、ああ、そうでしたか、すみません……慣れていないもので……」
(あの高級ホテルは用意できてたのにな……)
コバヤシは店員が見せるメニューを凝視し、その上で指を、あたかも虫を追うようにふらふら動かす。
それを見かねた帰還者は、半笑いでコバヤシに言う。
「無難にショートのコーヒーにしときな」
「ではショートのコーヒーで」
「かしこまりました」
そしてコバヤシはレジで会計をするため、椅子から立ち上がる。
「すまない帰還者。私は概念の関係上、食べ物に疎くてね、何を頼めば自然に見えるかわからなかったのだ」
「なあに、いいってことよ」
「こういう小粋なことをするのも、君の評価点だと思っている。先程の自分と戦死者の名前を使ったジョークもな」
と、言った後、コバヤシは最短距離でレジに並んでいく。
「……もったいない。か。簒奪者の受け売りなのか、それとも、皆思っていたことなのか……?」
そして帰還者は、なんとなく紙カップに入ったぬるめのコーヒーに口をつける。
その時、ふと店の窓から外を見ると、空が赤く染まっていた。
帰還者は自分のスマホで時間を確認する。十八時十六分、冬ならば普通、暗い夜空になっているはずの時間である。
「あれ!? 何この景色!?」
「夕焼け……にしては遅いし、時間が戻ってるはずもないし……?」
「え、なにこれ怖い!」
帰還者は自分の持っていたカップを設置されたゴミ箱に捨ててから、店の外に飛び出す。
「うわっ! こっちもぬるい!?」
外は、暖房がかかっていた店よりも気温が上がっていた。さっきまで地面に積もっていた雪も漏れなく溶けていた。
帰還者は辺りを見渡し、この赤い空の原因を知った。
まるでこの公園一帯に、赤いガラスの箱を被せたように、謎の四角い結界が張られているのだ。
「どうせ敵の仕業かなんかだろうけど、これは一体なんだ」
「こ、これは『エレメント・フィールド』じゃんかよ!?」
と、帰還者と同じく、この異常事態を知るべくカフェの外に出た、一人の若者が叫んだ。
帰還者は思わず勢いで、彼に尋ねる。
「エレメント・フィールド!? 何だその新設定は!?」
「新設定じゃなくて二十年以上前に出てた技ですよ!
ジャッジメント・クランの最初の敵『魔軍』とその後継的組織である『大魔軍』が、相手の援軍を防ぐために展開する広範囲バリアです!
以降の敵はこれを使えないらしく、かれこれ約二十年間誰も見ていませんが!」
「なるほど、教えてくれてありがとよ、助かったぜ! 詳しいなお前!」
「当たり前ですよ……なんたって俺は隊員なんだからなぁッ!」
若者はジャッジメント・クランのマークが刻印された拳銃を、帰還者に向け、
「ボーン! 貴様らの自警団ごっこはここでおしまいだ!」
その引き金を力強く引いた。
【完】




