W1-1 ProRogue
車道の両脇を固める摩天楼の上部壁面に取り付けられたモニターが、広告の音声をけたたましく鳴らしていた。
歩道を挟んで十メートル先のテナントからは、ざっくりまとめて油類のジャンキーな匂いが漂っている。
そこにはくたびれた背広や制服を着た一般市民たちが、イナゴのように集結していた。
その殺到具合と上の広告を極力見ないように程よい具合で目線を上げ、立ち寄っているバーガーショップのメインカラーとは同じ赤であっても、深みと鮮やかさが段違いな車に乗る、三人の男たちは苛立っていた。
紙袋が二個ずつ入ったビニールを両手それぞれに持った男が、ニヤニヤと作り笑いをしながら小走りへ戻ってくる。
「おせぇぞテメー!」
「たかがセット四つ買ってくるだけでこんなに時間がかかるのか!?」
「だから下等市民の店はやめとけって言ったんだぞオレ!」
男はわりぃわりぃと言いながら運転席に座り、助手席にいる友人に袋を渡したあと、
「これくらい味だと思えよ。『高層向け』のバーガーなんて量少ないわ食いづらいわスパイスが足りないわ、悪いとこづくめなんだからよ。
それに、これでも大分せかした方なんだぜ。なんせ俺にはこれがあるんで、な」
黒色の本革のカバーに入った手帳を開き、そこにある『政府関係者』の文字を見せつけた。
「俺らも持ってるんだがな。その身分証は」
「けどお前は一ヶ月くらい取り上げられたんだろ。勉強しないからって」
「痛いところ突くなお前。全く、どうせヨボついたりもっといい椅子座れるってなったら、無条件でその椅子譲ってくれるつーのによ。変にいい父親ぶりやがって……」
と、助手席の男はブツブツ言いながら、紙袋を後部座席の二人に配っていく。
二人ともイヤホンを装着し、スマホに食らいつくように画面を見つめつつも、的確に手を伸ばし、紙袋を受け取った。
そして助手席の男は、運転席の男に紙袋を渡そうとする。
「お前それ、冗談か、はらいせか? 今俺何してるのかわかってるのか?」
助手席の男は、ハンドルを握る相手の両手を一瞥して言った。
「もちろん冗談だとも。じゃあしばらく俺が預かっておくわ」
「いやそれはそれで困る。シンプルに冷めちまうだろうが。特にポテトの寿命があるだろ」
「じゃあこの間の台に置いとくから、隙見てつまんでくれ」
「それもそれで困る。これつい三日前に親父が納めてくれたヤツなんだぜ。そんな早々に何かの拍子で何かをこぼして、汚れたらイヤだろ、何か」
「じゃあどうしろって話だよ?」
「悪ぃけど、あーんしてくれない?」
「……ガキかよマジで」
助手席の男はしぶしぶポテトを一本つまみ、運転席の男の口に突き出す。
しかし男フロントガラスへ前のめりになって運転し続けるので、思うように届かない。
「おい、俺は耳で食えないぞ」
「じゃあせめてこっちに譲歩してくれ」
「あいよ」
運転者は助手席へ首を回し、空けた口にようやく一本目のポテトを入れてもらった。
その瞬間、車全体に前から衝撃が伝わった。
間髪を入れず、フロントガラスに赤黒い飛沫がふりかかる。
それから車は一瞬、ガタンと何らかの段差を踏み越えたように小さく上下した後、引き続き走り続けた。
この異様な衝撃を受けて、後部座席の二人は目線を画面から、リアガラスに移す。
そしてその瞬間の記憶を飛ばすために、先程以上にスマホの画面を凝視しつつ、バーガーセットをかきこむ。
助手席の男は言った。
「……あーあ、やっちまったな。お前」
運転席の男が呼応する。
「全くだよ。納車三日後に血痕だなんて。汚いのは当然として、縁起がよくなさすぎるんだろがこれ」
そう言うと助手席の男は勝ち誇ったように笑って返す。
「やっぱ台の上に置くべきだったな」
運転者の男もつられて笑った。
「だったな。どうせ汚れるんだったらポテトのほうが遥かにマシだったよな!」
それから暫くの間、二人の男の下品な笑い声が、雨も降っていないのにウィンカーを動かしている高級車の中でこだました。
一方その頃。
ハンガーガーショップから数百メートル離れた、摩天楼の間にある、誇りと建物の空調機が放つ淀んだ空気に満ちた細道で、五人の少年少女が、車道を見つめていた。
彼らの視界の中心にはすべて、少年がいた。
自分たちとほぼ同じ、元の色が判別できないほど汚れた、限りなく布切れに近い衣服を着た少年が、タイヤの跡を幾重にも上書きされながら横たわっていた。
皆、その少年の最期の言葉をよく覚えている。
「おなかすいた」だった。
少年はその言葉の裏にある欲求を我慢できず、光の当たる別世界に、我を失ったように飛び出してすぐ、ああなってしまったのだ。
そして五人たちは、隙間から離れていった。
彼ら――孤児たちにとって、それはパターンこそかなりレアだが、見慣れたものだった。
いちいちその光景を重く捉えても、お腹は膨れないし、お金も降ってこない。
自分たちが考えることは、今晩のゴミ箱の巡る道順だけでいい。と、五人は自分に言い聞かせ、アスファルトに水滴を落とし続けた。
「おい、そこのオメーら!」
五人は一斉に「へ?」と、声を漏らしつつ、顔を上げた。
そこにいたのは、彼らの一.五倍の背丈を誇る、赤みがかったシルバーの髪を持つ少女だった。
少女は黒色のダウンジャケットのポケットに両手を突っ込みつつ、尋ねる。
「オメーら、そこで何してるんだ?」
孤児たちはお互いに顔を見合わせ、ボソボソと小声で話し合う。
ただ、その回答についての議論ではなく、突然現れたお姉さんについての話し合いだ。
話し合うこと約十秒。その話し合いはしびれを切らした少女の一言で終わる。
「要するに、答えられないってことだな」
一人の少年は勇気を振り絞って答える。
「う、うん……」
「ごめんな、急に話しかけてよ。じゃあな」
そして少女は踵を返し、一歩踏み出しかけた。
そこで、この狭い路地に、ゴロゴロと腹の音が五人分鳴った。
少女は首だけ回して、五人に聞く。
「お前ら、腹減ってるのか?」
孤児たちは再び話し合いを始めた。
その直後、少女は近くにあった壁を蹴って大音を立てて、
「腹減ってるのかぐらい話し合わずにさっさと答えやがれ!」
「「「「「は、はい!? わか……」」」」」
「よしわかった! ちょっくら適当なもの持ってくるから待ってろ!」
そう言うと、少女は、一瞬赤い光を放った後、姿を消した。
それから文字通り十秒後。
「待たせたな!」
一つのビニール袋に、四つの紙袋が雑に詰められたものを持って、少女は帰ってきた。
孤児たちは手渡されたビニール袋の中身を出していくと、食べかけではあるがハンバーガーやポテト、それから紙コップ入りの飲み物があった。
「やっぱ嫌か、食べかけは?」
「だ、大丈夫です……」
「店でちゃんと新品買おうとも思ったんだけどな、並ぶのが嫌だったからそれとってきたんだけど……そりゃよかった」
見慣れない食べ物を恐る恐る口にし、そして薄汚れた顔を満面の笑みに変える様を、少女は気分良く見届けた後、
「じゃあアタシはここで失礼するぞ。じゃあな」
踵を返し、ここから立ち去ろうとする。
「あ、待ってお姉さん!」
すると今度は、孤児たちがしっかり自分の意志で呼び止めてきた。
「ったくなんだよ人が急がしく……ゲホンゲホン、何だ、今度は?」
「あ、ありがとうございます! お姉ちゃん!」
「けど、お姉さん。いったい誰なの?」
「なんか、すっごぐ変なかっこうしてるけど……」
「しかも、さっきと服がちがう気がする……」
孤児たちの言う通り、今の少女は、ハンバーガーセットを取ってくる前のダウンジャケット姿ではなく、首から下全体を覆う、身体のラインがはっきりと浮かぶ、機能美に満ちた衣装に変わっていた。
「……ああ、そりゃそうか。それはこれまで通りか……で、アタシが一体誰だって質問だったっけ?」
「そう。教えて、お姉ちゃん!」
「わかったわかった。アタシはな……ああ、アレだアレ……”脱走者”だ」
「脱走者……?」
「お姉さん、誰かから逃げてるの?」
「いいや、今は逃げてない」
「じゃあなんで脱走者っていうの?」
「それはだな……わかりやすく言うと、この世界を滅ぼすためだ」
「こ、この世界を……」
「滅ぼす……」
「ため……?」
「なん」
「悪い、マジでアタシ急いでるから! じゃあな、元気でな!」
そして今度という今度こそ、少女は孤児たちの前から、赤い光を一瞬放って消えていった。
残された孤児は、今食べている豪華な食事含めての異常な状況に、狐につままれたようになっていた。
「に、逃げろー! 殺人事件だー!」
「議員の息子が友達と車もろとも惨殺されたらしぞ!」
「今日の仕事は終わりだー! やってられるかそんなモン!」
光の当たる世界の喧騒が、全く気にならなくなるくらいに。
*
相対的時間でいうと約四時間前。
どこまでが地面で、どこまでが空で、どこに遮蔽物があるのか見当がつかず、そしてどこまで行けるのかまるでわからない、真っ白の空間にて。
左右にまとめられた赤みがかったシルバーの髪と、服の性質を考慮してもサイズの合わない、背中や腕部に布製モニターパネル――今は何も映っていないため黒色一色――が備わったが緑色のモッズコートの裾を揺らしながら、少女はひたすら駆けていた。
ここはどこだ。という疑問もある。だが、今の彼女の頭の中は、なぜこうなったのかという疑問が占めていた。
崩れゆく三百階建てのビルを、適当な瓦礫に腰掛け眺めていたら、無意識の内にこの空間に立っていたのだ。
その混乱を抱きつつ、彼女は白い地面ということにしておいているものを踏み続けた。
「オイ! ここにアタシを連れてきたヤツ! さっさとここから出しやがれー!」
「誰だい、今の声は!?」
少女の耳に、微かながら誰かの声が入ってきた。
(アタシと同じなヤツがいるのか!?)
この状況でこの声を聞けば、やることは一択。その声がする方へと向かうことだ。
少女は先程の声がした方らしき方向へ、普通に走っていく。
すると白ではない一点が見え、それが徐々に大きくなっていく。
その分だけ彼女は期待を膨らまし、走るスピードを上げていった。
そして彼女は、この空間で初めて他人に遭遇した。それも二人。
一人は、古代中国の皇帝が着るような、植物や龍の装飾をあしらった華やかな衣服を纏う、青髪の背丈の高い女性。
もう一人は、何かしらのアルファベット四文字が書かれた(焼き焦げててはっきりと読めない)ワッペンが縫い付けられた、オレンジ色の作業着で、絵に書いたような逆三角形の巨体を包む、金髪の男性。
少女はこの二人と出会い、同時に、二人は他二人と出会い、言葉は違えど似たようなことを思った。
――何だこの、別世界から来たような連中は。と。
【完】