3・2 王宮に呼び出される
王宮に到着し、馬車の扉が開く。外に一歩踏み出したら、隣の馬車からちょうど降り立ったエメリヒと目があった。
学校の制服のままだけど、彼は見習いとして近衛隊に勤務するために来たのだろう。でも、私には関係ないことだわ。
そう思ったのに、なぜかエメリヒが私が降りるのを待っている。
そうだわ。もしかしたら、赤い糸についてなにか分かったのかもしれない。お昼に会ったときも、物言いたげな様子だったものね。
ステップを降りきると、エメリヒがそばにやって来た。
「本当にやらされていたんだな」
低く聞き取りにくい声で彼が言う。
「なんのこと?」
エメリヒが周囲に視線を走らせた。聞かれたくないことなのだと、気づく。
「来賓室で。聞こえた」
「ああ……」
ランチライムにコンラッドに呼び出された件ね。
「驚いた? 彼はそういう人なのよ」
それでも私はコンラッドを好きだし、信じてもいた。前世の記憶がよみがえっても、一抹の期待を抱いてしまうほどに。
視界に赤い糸が入る。今更たどる気はないけれど、繋がっている相手の小指が勝手に見えてしまう。殺される者と殺す者とを繋ぐ運命の糸。早く断ち切りたい。
エメリヒの顔を見ると、私をにらみつけていた。
意味がわからないわ。普通なら『ご苦労様』とでもねぎらうものじゃない?
「私に怒らないで。理不尽だわ」
「怒ってなどいないが?」
「そうは見えないけど、なんでも構わないわ」
彼にどう思われていたって問題ないもの。
『失礼するわね』と続けようとしたところで、エメリヒが
「アドリアーナから品物を受け取った」と言った。「母が好きな茶葉だ。感謝する」
「え、飲むの?」
「それ以外に使い道があるのか?」
エメリヒは驚いたように目を見張る。
「私からの品物なんて気色悪いと言って、捨てるかと思っていたわ」
エメリヒはグツとカエルの鳴き声のような声を立てた。
「ああ、なるほど。捨てようと思ったら、お母様の好きなものだったから、やめたのね」
「違う!」と、すぐさま否定するエメリヒ。
嘘をつかなくてもいいのに。
「あなたがあれをどう扱おうが、気にしないわ。アドリアーナにも『処分しても構わない』と伝えてと頼んだはずだけど、聞いていない?」
「聞いた。だが……」
「きのうは本当にありがとう。アドリアーナを過失致傷罪から守るためとはいえ、私も助かったわ」
「え? 過失……?」
「では、失礼するわね。待たせているから」
エメリヒが振り返る。
王宮のエントランスに、こちらを向いて立っている侍従長がいる。私の迎えだ。
今日も図書館で調べ物をしたかったのに、国王陛下から呼び出し状が届いてしまったのよね。
いったいなんの用件なんだか。
気が重いわ。
◇◇
通された謁見室には、国王夫妻が待ち構えていた。同席すると予想していたお父様の姿はない。
ということは陛下たちはお父様には内緒で、私を呼び出したということだわ。
案の定、ふたりは婚約解消はしないでほしいと懇願してきた。お父様が引かないから、二対一で私を懐柔しようという魂胆なのだわ。
コンラッドと婚約をしてから、そろそろ十年になる。幸せを感じたのは最初の一年だけ。次第にコンラッドは『忙しいから』という理由で、私に会う頻度を減らしていった。
私も王太子妃教育を受けなければならなかったから、彼の言葉を信じていたし、仕方ないことだと思っていた。
彼が私の容姿を嫌悪していると知ったのは、二年半ほど前。友人たちに向けてののしっているのを、偶然聞いてしまったときだ。私なんかと同じ学校に通うのは恥だとも言っていた。
その直後に精霊姫アドリアーナが現れた。
学校の入学式を翌日に控えたときのことだった。ひとりの男爵令嬢の胸に、精霊姫の証である百合の紋章が浮かび上がったとの報告があったのよね。
そしてその男爵令嬢、アドリアーナに会ったコンラッドはその場で恋に落ちた。私がとなりにいたのに、彼女の美しさを熱のこもった目と口調で褒めたたえ続けたのよ。
以来、彼はずっと私を邪険にしている。
陛下たちの言葉を聞き流しながら、壁掛け鏡に映る自分の姿を見る。
この国では珍しい黒髪。ほかに類のない金色の瞳。まるで悪魔のよう。天使のようなアドリーナとは大違い。
だけど私のこの姿は、国教の主神である夜の女神デメルングと同じと言われている。
女神デメルングは月の化身で叡智と平和を司り、初代国王の建国に力を貸したらしい。
そして、精霊姫が百年に一度の出現ならば、女神と姿が相似する女性は数百年に一度にしか出現しない慶事だとか。
だから私は次期国王妃になるために、王太子の婚約者に選ばれた。王家だけに伝わる、古い言い伝えがあるためらしい。
その内容は、『初代国王の恩人である女神デメリングの容姿を持った女性は、必ず王家に迎えること。でなければ、王家の血は絶える』というものだそう。
事実なのかどうかは、わからない。王家に入らなかった女性はいなかったと言われているから。
国王ご夫妻は伝承に背くつもりがなかったから、私とコンラッドを婚約させたのだろう。だけど、私への態度は年々粗雑になっていった。
きっと私が、どんなことに対しても文句を言わずに従ってきたせいだわ。
「いくら頼まれても、私はもう嫌なのです。コンラッド殿下とは結婚できません」
きっぱりと告げると、陛下夫妻が絶望したような表情になる。
「今までは殿下のためになればと思って、陛下ご夫妻や殿下の言葉に従ってきました。けれどあなたがたの要求はエスカレートするばかり。一方で殿下が私を邪険にする態度はひどくなるばかり。あげくに彼の仕事を肩代わりさせる。愛想が尽きて当然だと思いませんか?」
「いや、まったくもって、そのとおり」と陛下が震え声で答える。「ラウラがあまりに優秀だから、ついつい甘えてしまった。許してほしい」
「本当にごめんなさい」と涙を浮かべた王妃様。「あなたは好きでやってくれているものだと思っていたの。まさか辛く感じているとは思わなくて」
「おふたりの考えはわかりましたし、許せとおっしゃるのなら、許します。だけど婚約は解消します」
「だがそれでは王家の血が!」と叫ぶ陛下。
そんなに言い伝えを信じているのなら、どうして私を部下のように扱ったのかしら。
国王夫妻は決して無能ではない。むしろ善政を行う立派な方々だわ。
口ではなんと言おうとも、結局は私を軽視していたということよね。
だから余計に悲しくなる。
マンガの設定的にそうせざるを得なかった、と思って自分を慰めるしかない。
「父からもお話があったはずです。婚約解消を認めてくださらないのなら、ロンベル家は独立します」
陛下がうめき声をあげる。
けっして絵空事ではない。我が家はそれができるだけの力がある。
「……わかった」と陛下。「コンラッドの態度を改めさせるから、半年後の卒業まで時間をくれ」
は?
なにもわかっていないじゃない。
そう言いたい気持ちを呑み込む。代わりに、
「お断りします」ときっぱりと伝えた。