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3・1 王太子の過剰な要求

 教室がざわりとした。

 なんだろうとみんなが見ているほうに視線を向けると、入り口にアドリアーナがいた。

 彼女がこのクラスに来るなんて、初めてだわ。しかも守りびとが誰もついていない。

 それでざわめきたったらしい。


 だとしても、私には関係ない。

 そう思って視線を外そうとしたとき、彼女と目があった。


「あ、ラウラ様!」と、彼女が可愛い声をあげて手を振る。「少しお時間をもらってもいいですか?」

 生徒の視線がいっせいに私に集まる。誰もが息をひそめて、なりゆきを見守っている。


 以前の私だったなら、無視をしたわ。今だって、彼女に関わりたくない。

 だけど、無視はよくないことだとわかってしまっている。しかもアドリアーナはコンラッドと違って、私に敵意を見せていないし。


 仕方なく立ち上がり、彼女の元へ行った。

「ラウラ様。きのうはすみません!」とアドリアーナが可愛らしくぺこりと頭を下げる。

「アザになっていませんか?」

「なっているわ。あれだけ大きなものをぶつけられて、無事なはずがないでしょう?」

「わわわっ、本当にごめんなさい」と先ほどより深く頭を下げるアドリアーナ。「ラウラ様の珠のお肌に傷をつけるなんて、許されることではありませんよね」

「……事故だから仕方ないわ」

「え?」


 驚いたような顔を見せるアドリアーナ。


「用件はそれだけ? ならば失礼するわね」

「いえ、これっ!」と彼女は手にしていた紙袋を突き出す。「お詫びの品です。私が作ったクッキーです。お口に合うか、わかりませんけど」


 手作りクッキー?

 さすが主人公。

 公爵令嬢で自分を嫌っている相手に、物怖じすることなくそんなものを渡すなんて、並大抵の神経ではできないと思う。


「いらないわ。あなたの手作りをほしがる人はたんといるでしょ? その人たちにあげなさい」

「はい……」

 しゅんとするアドリアーナ。貴族の令嬢らしからぬ仕草だけど、それがまた、可愛い。

 公爵令嬢かつ王太子妃として立ち居振る舞いを厳しく教え込まれた私には、できないことだわ。


「とにかく。次からは気をつけなさい。場合によっては過失致傷になるところだったのよ」

「はい」ますます、縮こまるアドリアーナ。「言い訳になっちゃいますけど、なんで足がもつれたのかわからないんです。本当にごめんなさい」 


 足がもつれた?


「よく落ちなかったわね」

「コンラッドが抱きとめてくれました。――あ、ごめんなさい」

 さすがのアドリアーナも、失言だと思ったらしい。

「構わないわ。私は婚約を解消するつもりよ」

「ええ!?」

「だから、あなたたちは好きにすればいいわ」

「えええ!?」

 それでは、と背を翻したところで、よい考えが浮かんだ。

 エメリヒへのお礼の品は彼女に託してしまえばいい。


◇◇


 来賓室の扉をノックすると、

「入れ」と不機嫌な声がした。

 中で待っていたのは、コンラッド、ひとりだけ。苦虫を潰したような顔で、長椅子に優雅に腰かけている。


「なんのご用?」と、扉のそばに立ったまま、尋ねる。

 昼休みに入る前に、担任から告げられたのよね。『王太子殿下がお話があるとのことです。来賓室に向かいなさい』と。こんなことは入学して以来初めてのことだわ。


 コンラッドがギロリと私をにらむ。

「扉を閉めろ」

「嫌よ。未婚の男女は密室でふたりきりになってはいけないのよ」

 王太子がバカにしたように鼻を鳴らす。

「カビの生えた年寄りの考え方だ」

「用件を言わないのならば、帰るわ。ランチを食べ損ねてしまうもの」

「放課後王宮に行け。俺の仕事をするんだ」

「……なんですって?」

「聞こえなかったのか? 王宮に行け。俺の仕事をするんだ。わかったな」


 そう言い切ると、コンラッドは立ち上がった。


「お前がさぼるから、この一週間分は俺が働いた。このツケはいずれ払ってもらうからな」

「あなたはまだ聞いていないの? 私は婚約の解消を申し入れているのよ。あなたの仕事の肩代わりなんて、二度としないわ」


 コンラッドの顔が醜悪にゆがむ。珍しいピンクブロンドの髪と、エメラルドのような瞳をした美しい王子なのに、まるで悪鬼のようだわ。


「なにをバカなことを。お前が婚約者でなくなったら、誰が俺の仕事をするんだ」

「アドリアーナでしょう?」

「これだからバカは困る。俺の可愛いアドリアーナに、そんなことをさせるわけにはいかないだろうが。お前がやるんだ」

「っ……!」


 あまりの言いように、声も出ない。

 今の言葉は現実に聞こえたもの?

 私が長年恋したってきたひとは、ここまで自分勝手なロクデナシだったの?


 あまりの酷さに、目の前が暗くなる。


 今までは彼の役に立ちたい、彼に振り向いてもらいたいと思って、どんなことでも望まれれば従ってきた。

 だけど、きっと私は恋の妄執にとらわれて、なにもわかっていなかったのだわ。


 悲しみのせいか目の前が暗くなり、体がふらりとした。

 だけど!

 ここで倒れるなんて、公爵令嬢としての矜持が許さない。

 下腹に力を込めしっかりと背筋を伸ばし、声を出す。


「お断りよ」

「お前は俺を好きなのだろう!」とコンラッドが声を荒げた。「おとなしく俺の言うことを聞いていればいいんだ」

「話にならないわ。私はもう、王太子妃教育を受けないし、あなたの尻ぬぐいも、陛下御夫妻の代わりにあなたに物申すことも、しない。自分でなんとかしなさいね」

「ふざけるな!」


 コンラッドが怒りで顔を真っ赤にして、私に歩み寄る。

 怖い。

 思わずあとずさったとき、コンコンと壁を叩く音がした。


 振り返ると私のすぐ後ろ、開け放たれた扉の元にエメリヒが立っていた。無表情でなにを考えているのかわからない。そんな彼に、赤い糸が今日も繋がっている。


「コンラッド」とエメリヒが友人に声をかける。「アドリアーナがお前がいないと心配している。早く中庭に来てくれ」

 とたんにコンラッドの表情がゆるんだ。

「わかった、すぐ行く」そう答えてから彼は私をにらみつけた。「いいな、今回だけは見逃してやる。必ず今日来て、やるべきことをやれ」


 コンラッドが私のわきをすり抜けて、部屋を出る。彼のあとにエメリヒが続く。

 ――と思いきや、彼はちらりと私に視線を寄こした。あまり殺意を感じられない目だ。


 なにか言いたそうな表情に見えたけど、エメリヒは口を開くことなくコンラッドのあとを追いかけていった。


「いいタイミングで来てくれたわ」

 と呟いて息を吐く。強張っていた体から力が抜けた。


 コンラッドは怠惰ではあるけれど、とても優秀なのよね。体術も魔法も上級者レベルで、私では彼に勝つことはできない。

 あんな風に憤怒の表情で距離をつめられたらものすごく、怖い。

 偶然とはいえ、また、エメリヒに助けられてしまった。

  



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