15・3 エメリヒの診断
放課後、学校から直接魔法省に行くことになった。アドリアーナとマクシムさん、ケストナー先生が一緒に来てくれるという。
心強く感じながら三人で馬車の乗降場に行くと、そこにはエメリヒが険しい表情で立っていた。赤い糸はまだ、しっかりと繋がっている。
私と目が合うと彼は、大股で近寄って来た。
もしかして『大嫌い』とか『近寄るな』とかの言葉を浴びせられるのかしら。
いくら通常の状態ではないとはいえ、彼の口からそんな言葉は聞きたくない。
身構えていると彼は、鋭い目つきで私をにらみながら、
「魔法省には俺も行く」と言った。
「まあ。ありがとう。でも、どうして?」
なんで急に気が変わったの? それにすごく怖い表情をしている。
「……理由が必要か?」
「いいえ。一緒に来てくれて嬉しいわ」
食堂のときも感じたけれど、彼の深いところには魔術に抗う気持ちがあるのかもしれない。
だってエメリヒは私に、『信じろ』と言ってくれたもの。
◇◇
「うぅぅん。これは……」
魔法省の一室。エメリヒは部屋の中央で、背もたれのない丸椅子に座らされている。
そんな彼の周りをうろうろとしながら観察をしたり、なにかの魔法をかけたりしていたリンネル魔術師様は、低く唸ると大きく息を吐いた。
私たち四人と、合流したエメリヒのお母様は壁際に並んで、その様子を見守っていた。
「どうですか? 治せますか?」とアドリアーナが身を乗り出して尋ねる。
リンネル魔術師様は、
「とりあえず、座ろうか」と窓際の応接セットを示した。
リンネル様は魔法省で一番実力のある魔術師だ。まだ三十代半ばだけど、魔術師の最高位をお持ちになっていて、いつも自信に満ち溢れている。
そんな彼が言葉を濁すのは珍しい。不安を感じながらも、彼に勧められたとおりにする。
リンネル様の向かいにエメリヒとお母様、私が座り、左手にアドリアーナとふたりの守りびとが座った。
「フォルトナー君。改めて確認するが君は術にかかっている感覚はないんだね?」
エメリヒが「はい」と答えると、リンネル様は大きくうなずいた。
「結論から言うと、君は状態異常を起こす術にかかっている」
「やっぱり!」とアドリアーナが叫んだ。
「ですが……」
とエメリヒが言いかけたのを、リンネル様が手で制した。
「自覚はなくとも、調子は悪いんじゃないか?」
「……」
エメリヒは答えなかった。
「そうなの、エメリヒ?」とお母様が心配そうに尋ねる。
「フォルトナー君にかかっている術は」とリンネル様。「常軌を逸している。異様に強力なものが何重にも掛けられ、更にその痕跡を消す術がかけられている。普通なら精神が破壊されるレベルだ」
「そんなっ!」
「これは余程恨みがあるか、フォルトナー君の実力を過剰に恐れたかのどちらかだと思うのだが」
「あれだわ!」思い当たることがひとつある。「エメリヒは、ヴィクター王子が私に無理やりつけた『最高の魔術師が作った特別なブレスレット』を簡単に破壊したんです。殿下は非常に驚いていました」
「なるほど。殿下が犯人なら、それが原因だろう」とリンネル様。「ところで、エメリヒ。なにか魔力を無効化するようなものを身につけているか? お守りでもいい。」
エメリヒが私を見た。それから気まずそうに、
「あんなことを言ったのに、悪い」と言って立ち上がると、チェストに置いたカバンから何かを取り出して戻って来た。
彼の手にあるのは、私が誕生日に贈ったペーパーナイフだった。
「今日の午前中まで、上着の内ポケットに入れて身につけていました」とエメリヒ。「習慣だったから、今朝もつい」
「あなた、ペーパーナイフを持ち歩いていたの?」と私が尋ねると彼は、
「以前は大切な気がしていたんだ」と歯切れ悪く答えた。
「ラウラ嬢からもらえて、ものすごく喜んでいたものな」とマクシムさんが噛みしめるように呟いた。
リンネル様がそれを受け取り、ためつすがめつする。そして、
「ああ、これだ。微量だけど魔除け効果があって、フォルトナー君を守っている」と言った。「ただ、この魔力は不思議だ。見たことがない。まあ、解析はあとだ。君はこれを身につけていろ」
ペーパーナイフを再び手にしたエメリヒが、困ったように私を見る。
私は『どうぞ』との意味をこめてうなずき、それからリンネル様を見た。
「すぐには術を解けないということですか?」
リンネル様は、困ったように嘆息した。「私には不可能だ」
不可能……?
エメリヒは戻らないの?
「ラウラ様!」
叫び声と共に体を支えられる。
ショックのあまり、倒れかけたらしい。
「リンネル様、なぜ解けないのですか!」と私を抱えているアドリアーナが叫ぶ。
「酷く複雑なためだ」とリンネル様が答える。「しかも術は彼自身ではなく、恐らく依り代に掛けられている。依り代は、髪や爪、体液から作る。エメリヒ、それらを取られた覚えはあるか?」
「昨日、怪我の手当を見知らぬ女性に受けました。僅かに血が出たのですが」
「それだな。女性を探して術を解かせるしかない」
リンネル様はそう言って、再びため息をついた。
「私が無理やり術を解こうとしたら、エメリヒの精神が破壊されるだろう」
「なんてこと……」
お母様が顔を両手で覆って泣き始めた。
そんな……。
我が国で最高の魔術師リンネル様をもってしても、エメリヒを元に戻せないなんて……。




